磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

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神奈川の部落史

2009年11月14日 | 読書日記など
『神奈川の部落史』
   「神奈川の部落史」編集委員会・編著/
      藤野豊・編集代表/不二出版2007年

図書館の説明文。下「」引用。

「被差別の人々は、いつの時代も主要な産業に携わり、時代が変遷する中でたくましく生き抜いてきた。鎌倉・極楽寺の長吏から、運動にかわる融和団体「青和会」の活動まで、神奈川の被差別の歴史をたどる。」



「まえがき」に書かれてあります。下「」引用。

「「神奈川県の被差別の歴史を教えるテキストがほしい」
 神奈川の地で人権教育に取り組む先生方から、そうした声を聞き続けて何年になるだろうか。神奈川には、近世の「助左衛門文書」、近年の雑誌『青和』という、部落史研究に関する重要な史料が残されている。にもかかわらず、神奈川の被差別の通史は書かれることがなかった。今、わたくしたちが、本書を刊行するのは、こうした声に応えたいという思いからである。-略-」

「第四節 中世都市鎌倉と極楽寺」
--歴史的なことが書かれてあり、非科学的なものである……。

中世の「救済事業」。下「」引用。

「律宗教団、とくに北条氏に招かれ極楽寺開山となった忍性(にんしょう)は「」に対する「施行」を盛んにおこなった。「」に対する施行は、「救済事業」と表現される場合も多いが、今日の社会事業のような救済とはやや性格を異にする。律宗教団は、施行によって「」たちの社会復帰をめざしたわけてばなく、自ら働いて生活できない者たちに食べ物や銭などを施すことで功徳を積む、ということに主眼があった。-略-」

源頼朝の名があがっていた。下「」引用。

「-略-だが、「頼朝がの娘に手を付け」云々という伝承は、被差別内ではやや違う形で語られていた。-略-」

「相模における「」」 下「」引用。

「さて、もう一つ相模の被差別身分の特色としてこれまでの研究では、「「」の数が多いこと」が指摘されている。-略-
 相模でなぜ「」の人数が多いか、その理由は明かではない。ただ、「渡り」や「野」の出生地を見ると、多くが相模以外から流れてきた者たちである。東海道をはじめとする街道が新たな「」たちの「供給路」となった、ということも考えられるのかもしれない。」

「」と利害で村と結び付いていた面もあるという。

--再編成された近代社会の差別。下「」引用。

「近代以降の差別は、決して近世の差別が解消しきれず残存したものではなく、近代社会の中で再編成され新しくなった「差別」であった。さらに近代の差別は、人種や衛生思想など、近代的・科学的な知識や考え方を、新しく差別の根拠とするようにもなっていくのである。-略-」

「部落改善運動の展開」

「「内鮮融和」と青和会」

--神奈川県内鮮協会、1926年設立。

「「満州」移民の奨励」 下「」引用。

「一九三五年一一月には青和会会員が国民高等学校修了後に「満州」朝鮮視察旅行に参加し、移民地には「差別も無く賎視もない」という理由で、移民を奨励している。」

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