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戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録-芸人たちが見た日中戦争-

2010年08月22日 | 読書日記など
『戦時演芸慰問団「わらわし隊」の記録-芸人たちが見た日中戦争-』
   早坂隆・著/中央公論新社2008年

帯に書かれてあります。下「」引用。

「戦場の兵士たちは「横山エンタツ」や「ミスワカナ」の芸に笑い、涙を流した……
埋もれていた資料や元兵士の証言を元に「わらわし隊」の実体を浮き彫りにしつつ、慰問団が見た「南京」や「慰安婦」等、あの戦争をめぐる一連の問題にも一石を投じた力作ルポルタージュ」



日中戦争……。下「」引用。

「これから記そうとしているのは、日中戦争にまつわる、ちょっと変わった類いの物語だ。
「ちょっと変わっている」といっても、それは虚構や作り話ではない。あくまでも、本当にあった事実だけを扱ったノンフィクションである。-略-」

アチャコ……。下「」引用。

「「そのとき南(著者注-中支那慰問班のこと)の方が先に出航したのだが、最初、元気でいって来いよ、という送別のあいさつが、船がだんだん遠くなるにつれて『支那の兵隊に殺されてこいよ』に変わった。すると送られるほうは、何も知らず『大きにありがとう、そちらも達者でなあ』と返事してくるを聞いては大笑いしたもものである」(『遊芸稼人』花菱アチャコ、アート出版)」

血なまぐさい戦地へ。下「」引用。

「太原は言わば、まだ血なまぐさの色濃く残る最前線であったが、わらわし隊一行は双発輸送機に乗り込み、この地へと向かった。わらわし隊の訪問は昭和一三年二月五日だから、激戦から約三カ月後ということになる。一行の乗り込んだ輸送機の機内には、日本から送られて来た手紙と慰問品がいっぱい積んであった。」

死がいがころがる道……。下「」引用。

「時は既に深夜であり、部隊の兵たちも止めたのだが、三人は構わずに、夜中の一本道を太原にら向かって歩き始めた。この時はまだ兵隊たちも、芸人特有の冗談か何かだと思っていたらしい。
 道には死骸が幾つも転がっていた。ゲリラに襲われるかもしれないという強い不安にも苛まれた。-略-
 この時、アチャコは古着屋で買った中国陸軍の軍服を着ていたが、金語楼はこの服のおかげで助かったのではないかと考えていたようである。-略-」

通州虐殺の地へ慰問に行く、京山若丸と柳家三亀松。下「」引用。

「-略-その犠牲者の多くが非戦闘員であった。
 その後、北京から一個連帯が急派され、攻撃は治まったが、この事件を契機に、日本側の中国に対する厳しい世論はいっそう過熱した。「暴戻(ぼうれい)支那の膺懲(ようちょう)という言葉が広く言われるようになったのである。-略-「暴支膺懲」という言葉が、一種の流行語のように当時の日本に定着した。
 わらわし隊の二人が通州を訪れたのは、昭和一三年の二月だから、この虐殺事件が起きてから約半年後ということになる。同地の守備隊の将校食堂を会場にして、約一時間半の公演を行った。」

「通州事件」の日本旅館、そこに宿泊。下「」引用。

「虐殺の当日、その日の宿泊者は男女含めて一九人であった。ただならぬ様子に気づいた宿泊者たちは天井裏に隠れたが、玄関横の押し入れに隠れた四人の女中はすぐに見つかり、射殺された。その後、天井裏に潜んでいた宿泊者らも発見され、縄で数珠つなぎにされた上、「槍斃場」に連行された。「槍斃場」とは銃殺場のことである。その中の一人、『同盟新聞』の特派員だった安藤利男のみが、縄をひきちぎって脱走、逃走に成功した。逃げる彼の背後では、銃の乱射音が聞こえていたという。
 京山若丸と柳家三亀松は、この近水楼で寝泊まりしながら、何を考え、何を話し合っただろうか。」

戦後は戦犯で死刑、靖国神社に祀られている松井石根最高指揮官も見たという。下「」引用。

「北支那慰問班もそうだが、中支那慰問班も病院の傷病兵への慰問を積極的に行った。
 また、この到着日の夜には、軍上層将校列席のもとで公演。列席者の中には、前述の松井石根最高指揮官の顔もあった。-略-」

--南京へ。下「」引用。

「上海に滞在していたわらわし隊一行はその後、一月二三日に上海から出発し、南京での公演へと向かった。日本軍が南京を占領してから僅か一カ月余りしか経ってない時期のことである。」

皇族・陸軍大将 朝香宮鳩彦王が、国民大会堂での部隊を見たという。

「ミスワカナの南京公演」
--「大虐殺下で漫才?」 下「」引用。

「この記事によれば、わらわし隊が慰問演芸のために南京を滞在した昭和一三年一月二三-二七日という時期は、ちょうど「何千という婦人が強姦され、十万以上の人々が殺害され、無数の財産が盗まれたり、焼かれたりした」まさにその最中ということになる。朝日新聞は、自らが主催していた演芸大会の脇で、そのような事実があったと報じている。」
「南京で警備にあたっていた約四○○○人のうち、わらわし隊の舞台に約二五○○人が集まっていたことになる。」

もくじ

だから、なかったといえるのか? 演芸は一時間半くらい? 消防士がいないと山火事は燃え盛るのでは? これだけで、事実を消すことができるのか? できないのではないか?

「のらくろ」にも登場するわらわし隊。

「ある女流漫才師の死」わらわし隊ではないという。下「」引用。

「派遣されていた芸人に、遂に犠牲者が出たのであった。女流漫才師、花園愛子が移動中に被弾し、不帰の人となったのである。」

上海で松井石根大将を笑わせた、ヒロポン中毒の石田一松。弟や妹は広島で暮らしていたという。原爆で……。







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