磯野鱧男Blog [平和・読書日記・創作・etc.]

鱧男の小説などをUP。環境問題に戦争・原発を!環境問題解決に民主主義は不可欠!

山よろけ-北海道じん肺-樋口健二写真集

2008年07月11日 | 読書日記など
『山よろけ-北海道じん肺-樋口健二写真集』
   樋口健二・撮影/三一書房1992年

たんたんとした写真である……。患者たちの日常をそのままに写し出している感じである。
--写真といっても、いろいろあるものだと思う……。



弁護団の人たちの写真のキャプション。下「」引用。

「雪がしんしんと降りつづく中を弁護団会議に向かう石渡さんと高橋さん(1980年12月 札幌)」

半生を患者として生きた人……。下「」引用。

「故・長谷部茂さん(八三年当時七○歳)岩見沢市
 硅肺病になって三○年になりますな。三四歳の時からだからね。人生の半分は病気との闘いで、いつも女房がそばにいなければ何も出来ないんですよ。北隆鉱山に入ったのは一四歳の昭和二年四月一日でした。手堀り山だったから、ノミを使って金や銀を削るんだよ。粉じんをいっぱい吸いながらね。このあと昭和八年からは下川町の三井サンル鉱山で金銀の採鉱夫となっよく働いた。どこの山でも暑さは三○度ぐらいあり、息苦しかったな。二八年に認定患者になりました。」

相撲部の人も痩せ衰えたという……。下「」引用。

「錠谷信一さん(九二年七四歳)余市町
 海軍の相撲部に入った頃は体重が一二○キロもあったのに、じん肺になって今は五○キロだよ。わしは日本鉱業北龍鉱山をはじめ札幌の豊羽鉱山で働いたんだ。マスクを付けて坑内に入るんだが熱くてよ、シャツ一枚でも息苦しく、結局はずすはめになるんだな。
 最後は日本鉱業上徳鉱山だった。でも血タンを吐くようになって辞めてしまったんだが、当時の鉱山はどこも粉じんでいっぱいだったね。」


蒸気が雪やまに……。下「」引用。

「雪にすっぽり埋まった日本鉱業豊羽鉱山は今も鉛、銀などを採掘している空気坑からはもうもうと煤煙を噴き出していた。(1992年2月 定山渓奥)」

自然防止柵があるという……。下「」引用。

「じん肺の苦しみから逃れるために、患者は度々自殺を企てる。岩見沢労災病院の階段は鉄パイプで囲ってる。自殺防止の柵である。生前、及川患者同盟事務局長が、自殺者の統計を作成した、毎年必ず、病院の窓、階段から飛び降り、入水、ガス自殺、首吊りなどによって、自らの命を断つ患者が後をたたない。」

怒りと悲しみに時効はない……。戦争でも何でもそうだろうとボクは思う……。下「」引用。

「7. 人間の怒りと悲しみに時効はない
 北海道には国のエネルギー政策の拠点として、かつて二四三の金属鉱山と一四○の石炭鉱山が存在していた。じん肺患者こそ、今ある日本の繁栄を地底から支えてきた人たちである。しかし、生産の現場から放逐されたじん肺患者に対し、会社は何ら補償も行なってこなかった。会社は「コンニャクをたべればじん肺は防げる」じん肺はナマケ病だ」、などの風聞を撒き散らし、責任を回避してきた、また、裁判では仮りに責任があったとしても、すでに長時間を経ているから損害賠償金を支払う義務はないと争っている。「時効」の主張である。」


北海道じん肺訴訟年表:p108~110










index



エンタメ@BlogRanking



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。