私が最も不幸だった時期(2007年)に夢中になって観ていたテレビドラマがありまして、松山ケンイチ主演の『セクシーボイス アンド ロボ』。いちいちわたくしのツボに嵌る箇所が多々あって、あの地獄のどん底だった日々に誠に力を貰ったのでした。ただひとつ、全11話中の第7話“ハンバーグさん”だけが、「当時起こった陰惨な事件が劇中のお話の設定と似ていた」とかいう理由で放映がされなかった。これがわたくしには非常な心残りだったのでありまして、でもそれが実はDVDボックスには収録されていたとのことで、それを今日観ました。ううううう、おもしろーーーい。・・・っていうかアマゾン見たら放映は07年6年に終了してるのに、DVD化されたのは07年9月じゃん。もっと早くこの事実を知りたかった。もっと早くハンバーグさんを見たかった。ま、あの当時は到底買えもしなかったんですけどね。(ちなみに私が最も好きだった話は「プッチーニ」(前編)です)。さらに言うと、こんなに大好きなのに、『大日本天狗党絵詞』も大好きなのに、セクシーロボの原作は読んだことが無いですけどな。
・・・哀悼の意味も込めて。
さてさてさてさて。
最近の私は本すら滅多に買わなくなってしまったわけです。(たまに本屋には行くがね)。でもさっき本屋に行ったら、いつの間にか面白そうな本がずらーーっと並んでいるのです。それを見て、「ああ、このままじゃいかんのだな。私という人間は本を買わないと死んでるのも同然なのだ」と思いました。自分が現在何に興味を持って生きて動いているのかすら分かんなくなってしまってはお終いです。だめだよ君。だから、ちゃんと、買った本の記録ぐらいはしておかなければと。経験上、適当に流すと決めておけばエントリだけは気楽にできますので。目的は記録だと割り切るんだ俺。
個人的には、買った本は2割ぐらいしかまともには読まないですね。だがしかし、買った本が役に立つのは10年後ぐらいだということも実感しています。即ち、本を買うことによって自分の興味関心が蓄積してゆき、語りたいまでにそれが肥大化するのが数年後と言うことです。だから、ここではちゃんと感想を言うこともあればちゃんと何もいわないこともあります。
今日本屋に行って一番びっくりしたのがコレ。
クラーク・アシュトン・スミスの作品集ダーーッ!!!!
東京創元社、2009.8.28、1,200円(税別)。高ッ!
くるせるり(H.P.L.)の全集を完結させハワードのコナン新全集の刊行も半分まで進めた東京創元社は、とうとうスミスの作品集にも手を伸ばす気になったか! かくいう私はスミスの作品は意外と好きなのですが、単行本としては『イルーニュの巨人』と少し前に求めた『エイボンの書』しか持っていないのです。スミスの代表作はゾティーク短篇集というもので、それは日本では創土社から74年(!)に出た『魔術師の帝国』という本にしか収録されていなかったのですが、それがとうとう読めるようになったということでした。
わたくしにとっては、そのゾティークについては高校生だった頃に新紀元社の『幻獣ドラゴン』という本に大要が紹介されているのを読んで、それ以来の垂涎のものになっていたのでした。
ちなみに創元推理文庫からは最近、イルーニュの巨人とアーカム計画も復刊されています。これは絶対に買いの本です。どうしたんだ東京創元社! もちろんわたくしは両書を所有してるんですが、ただの再刊で表紙の変更もなく、昔の物が黒背で(現在の創元推理文庫は背表紙が白くて本棚への並び映えが悪いのだ)ありますので買いかえる必要も無いのですが、ただひとつ、私は軽度の“帯フェチ”でもありまして、帯の付いていない自分の手持ちの本はなんとなく金タマの座り心地の悪い気がしてしまって、その点にだけ悩んでしまっています。(昔の私はオビなんて捨ててしまっていたんです)。復刊の本のオビなんて悪趣味なものなんですけどね。でもなんせ私、マニアですから。
『「幽霊屋敷」の文化史』。
講談社現代新書、2009.4.20、760円(税別)。
私、小さい頃から祟られた屋敷が大好きなんですよね。
高校時代はトンネルズ&トロールズで幽霊屋敷ばっかり作っていた思い出があります。
幽霊屋敷の何が面白いって、それは「場所と雰囲気に込める人間の強い思い」なのでしょうが、この本ではディズニーランドの「シンデレラ城」と「ホーンテッドマンション」の造形を中核として、人間の隠靡な物に対する精神の発展史を概観しています。
本来なら「崇め奉るべきもの」を、萌え・娯楽に作り替えてしまう事は現代の歴史や民俗学やさらには宗教的なものにまで敷延して見られる物なので別に驚くべき事ではありませんが、この本ではその源流を18世紀後半のホラス・ウォルポールの『オトラント城奇譚』に求めています。作家ウォルポールは大いなる金持ちで(だって英国の大宰相ロバート・ウォルポールの息子なのですから)、ゴシック的な物に憧れる余り自分の邸宅を巨大建築に作り上げ、自分の邸宅の雰囲気を元にその『オトラント城奇譚』を書き上げてしまったという人なのですが、この本ではウォルポールを筆頭に、19世紀の似たような人たちの列伝となっている第2章が一番おもしろい。『オトラント城奇譚』や『フランケンシュタイン あるいは現代のプロメテウス』や『アッシャー家の崩壊』は有名だけれども、ウィリアム・トマス・ベッグフォードの『ヴァテック』やアン・ラドクリフの『ユードルフォの謎』は未だに日本では読めませんものね。
だがしかし、欧州の幽霊屋敷文化は本当に19世紀のゴシック(=ゴート人的な文化の)ブームから語るのが相応しいんでしょうか。英国には幽霊屋敷は大昔から無数にありましたし、一方ゴシックブームは12~18世紀の長~い『騎士道文学ブーム』の延長にあるとみなすべきで、だがその流れをこんな薄い新書なんかで概観することも不可能なんですよね。ホラス・ウォルポールの父のロバートが偉大なる英国宰相を務めていたハノーヴァー朝初期は、騎士道文学の集大成としてバロック音楽の巨人ジョージ・フレデリック・ヘンデルが『リナルド』『オルランド』『ゴールのアマディージ』などを次々と発表していた時期でもありました。
結局の所、歴史と民俗学上の要素に雰囲気(アトモスフィア)的に重層的な効果を与え、それを厚塗りした目に見える建築物に仮託してストレートな形で表現したのがゴシック・ブームで、一方それに対する反主題としてやや遅れて成立したのが(目に見えない恐怖を語る)クトゥルフ神話なのですよね。この両者は19世紀後半~20世紀初頭にかけての人類の叡智活動の鏡像なのですから、ちゃんと真っ正面に捕らえて対比する批評もしてみたいものです。
『倫敦幽霊紳士録』。
1993.7.4、リブロポート、2,884円(税込)。
ロンドンは幽霊だらけ。これは私の大学時代に夢中になって読んだ本で、「世界の三大亡霊都市」といえばロンドンと京都とニューデリーだそうで、ロンドンと京都についてはこんなに幽霊について充実した本があるのだから、「では私はニューデリーの幽霊についてたくさん調査しよう」と思った経緯がある。ニューデリーもなかなかですよ。
『オトラント城奇譚』。
1978.2.15、講談社文庫、240円。
2005年くらいに伊豆高原で仕事中に(営業をさぼって)読み終えたため、個人的には伊豆高原の秋の林を駆け抜ける風の香りと共に思い起こされる本。ホラスは意外にもその後の英国文壇で重鎮的な役割を占めることになり、たまに変な場面で登場するので、サイト上で「変な人列伝」で取り上げるつもりだったのですが、それは果たせませんでした。
でも、オトラントは読んだけどこの本と同時に“ファンタジー小説の祖”と並び称される『ゼンダ城の虜』(※日本語版がある)をまだ私は入手してないです。