オセンタルカの太陽帝国

私的設定では遠州地方はだらハッパ文化圏
信州がドラゴンパスで
柏崎辺りが聖ファラオの国と思ってます

短くも美しく燃え。

2009年04月20日 00時18分26秒 | ラーメン

ラーメン記事ばっかり増えてしまって自分で苦笑。
いま現在の私のこのブログ用の登録画像は2600枚ですが、絶対半分以上はラーメン写真だよね(笑)。
でも考えてみたら、実際最近毎日の楽しみはラーメンしか無いですわ。
はははははははははははは。

4月29日 来来軒(伊左地町)

また忍者のお店に行ってきました。「土佐っこラーメン」(800円)を注文。
私のあとに入店した2人の人の塩ラーメンやチャーハンまで出ても私の前にはラーメンが現れなかったので、「こりゃ忘れられたな」とそろそろ文句を言おうと忍者のおっさんを睨んでいたら、「へいっ、土地っこお待ちっ」と出された。
詳しい方のサイトさんを見ると、注文を受けてから大量の鰹節を煮出すのだとか。
「土佐っこ」とは、お分かりの通り「カツオ味」のことだそうです。なんだこのチャーシューっ!

 

4月27日 蔵前家(細江町中川)

5度目の訪問。今回は何か確かめたくて、チャーシューメン(850円)を「麺硬め、味薄め」で注文してみました。

4月23日 来来亭(天竜川町)

チャーシューメン(800円)を「醤油濃いめ」で注文。

 

4月22日 麺屋海老蔵(半田町)

3度目の訪問。前回と前々回で海老蔵ラーメンの黒と白を食べたので、今回は海老蔵ラーメンではない「塩ラーメン」(700円)を注文してみました。
目の前に置かれてびっくり。
これは、なんと強い良い香りだ。
このお店の名前はもちろん「エビ」をウリにしているからの命名でしょうが、実は前回注文した「白ラーメン」のときは、その「エビ油のかおり」はほんのりとぐらいにしか分からなかったのです。それが今回は非常に強烈。こんなに強く鼻に突き刺さってくるのなら、一体どんなパンチ力のある味わいを見せてくれるんだろうって。
そう、大きく期待をふくらませながら、一口目をすすりました。
・・・・・アレ?
確かに強烈なエビの香りと、とんがった味はする。
しかしそれが、スープと混じり合うようなことはせず、のどを通り過ぎる前に、口蓋の上部をすりぬけて拡散してしまうのです。・・・あれれれれれ、これは期待していたのとは違っちゃったなあ。もっと力強く食道まで攻め込んでくるヤツを食べたかったのに。しょっぱさ感はほどよく強いんだけど、豚骨のスープと微妙に一体してない。
って、「失敗感」を感じてしまったスミマセン。
ところが。アサハカだった。
エビ油って、あるの表面だけだったみたいでね。

表面をすすってしまって油の部分が取り除かれてしまったあとのスープの美味しさったら。
塩ラーメンゆえ、前回食べたオイリーなものより遙かに味が澄んでいて、研ぎ極められている。元となっている豚骨の部分が非常に素晴らしいんです。そして、絶妙な感じにしょっぱい。もう、後半はむさぼるように食べました。麺も太くて堅さも抜群でとても好み。

というわけで、一口目と真ん中あたりからが全然結果の違う感想となってしまいましたけど、この劇的な変わり身により、一般に「クドイ」とされるこのスープの印象に変化を与えようとしたのかもね。・・・・これが「スープの意味が分からない」と悪評される原因かとも思いました。
ま、というわけで、このお店はわたくしには浜松で最も好感の高いお店の一つです。
味とは別に、このお店では店主をじっと眺めることも楽しみの一つです。とても時間をかけていろいろなことをしながら茹でられている麺を見つめているかと思えば、湯切りをするときの動きのすばらしさ。

 

4月20日 蔵前家(細江町中川)

4度目の訪問。麺ふつう味濃いめ油ふつう。
実はこの日は仕事が半日あがりだったのですが、きっかり12時に仕事を上げて帰ろうとしているときに部長が、「頼みたいことがあるからちょっと待ってて」と言う。「どれくらい待ってればいいんですか?」と聞いたら、「親方待ちなので分からない。でも夕方までに完成させなければならない」と。なので「ではちょっと昼飯してきますね」と言って、佐鳴湖のはやたろうに向かったのでしたが、2時くらいに会社に帰ってきたら、「部長は会議に行って、別に、私への指示も無い」と言う。どうしていいのか分からなかったので、どうせ会議は長いだろうし「じゃあ帰ります」と言って帰って来ちゃった。
(翌日聞いたら「お前が半日休みだったの忘れてた」ですってさ。やらなければならなかった簡単な仕事は別の人がやってくれました)。
で、この釈然としない気持ちをどうにかしたくて、帰り道の蔵前家に寄った。
満腹だったはずでしたが、ここのラーメンはいくらでも腹に入る。前回もそうでしたが、3時ぐらいにお店に来ると、店長ではない若いにーちゃんが麺を作ってくれます。その動きを見てると楽しいし、味も別になかなかです。
で、ここの美味しいラーメンを食べたら、イヤなこともはやたろうでの物足りなさも全て忘れてしまうのでした。
すごいなぁラーメンて。

 

4月20日 はやたろう(佐鳴台本店)

2度目の訪問。黒旨チャーシューメン(880円)。
未だ浜松のラーメンの有名店にすべて行けたわけではないのですが、‘私的’浜松ラーメンランキングbest10を選ぶとすれば、弁天島近くの馬郡町にある「坊屋」がかなり高いところに入ります。で、初めて坊屋に行ったとき、「はやたろうに似てる」と思ったことを思い出し(実際坊屋ははやたろうの関係店だったことをのちに知るのですが)、坊屋はもうこれまで5回ほど行ったけど、美味しいと思ったはやたろう本店は1回しか行ったことが無かったので、「ぜひ再訪しなくては」とずっと思っていたのでした。
チェーン展開化しているはやたろうは「店舗によってかなり味の出来映えに差がある」と言われており、実はまだ記事に書いてないんですけど、この前袋井店に行ってそれを実感しており、「かなり完成度が高い」と1年前に確かに自分が思ったその感想を再検証しなければと。

見た目は「坊屋」のとほとんど同じですよね。
が、食べてみて私の愛する坊屋とは若干味わいが違うことに気づく。坊屋はどこまでもオイリーでがっつりとことん脂ギトギトなのですが、はやたろうの方はそのスパイシーは表面のみで、本体の豚骨はアッサリ風味でハードな口当たりを押さえている。写真だけ見ればスパイスたっぷりなんですけどねえ。坊屋は山岡家とは異なった意味で油の方角において浜松最凶だと思っていたのですが、本店たるはやたろうとも方向性をたがえていたのでした。
ま、私は坊屋の方が好みですけどね。
確認できて良かった。
ただ、本店には坊屋には無いメニューも多くて、今度はそっちが気になってしまうのでした。

なお、ネットで検索すればはやたろうと坊屋の関連はすぐわかります。はやたろう馬郡店ははやたろうの支店だったのですが、2007年9月に「未成年少年を働かせている」という理由で店主が逮捕され(風俗店かいな)、その数月後に店名を変えて再オープンしたそうな。2ちゃんではやたろう本店に顛末をただした人がいるのですが、「坊屋ははやたろうとは関係無い」という回答をされたそうな。
犯罪行為は許しちゃいけませんが、ま、いま現在美少年を働かせてないんなら問題無いや。


信州と遠州、似てるかなあ?

 

4月19日 とんやん(旧浜北市内野店)

2度目の訪問。
前回行ったときに目にした“この店の最高傑作”「濃厚魚介豚骨」(790円)のメニューが気になってまた訪れてみたのですが、行ったら“この店最強”「名物山盛り極太豚ラーメン」(714円・税別)をチラシが気になって注文してしまいました。
この山盛りもやし!(とキャベツ!)に惹かれて。

なんとも魅惑的なスープの色ではないですか?
味もこのようなファミリー向けのラーメン店としては上位なものに感じましたし、なかなか私もとんやんについての認識を改めないといけないかもしれん。で、10粒ほどのニンニクと大蒜クラッシャーが添えられておりまして、普段はニンニクとか調味料とか滅多に自分で入れる事のない(事前に勝手に入っているのなら文句を言わずに食べますけど)わたしも、「こりゃ入れるべきだろう」と思って、とりあえず5粒ほど砕いて放り込んでみました。
うーーん、ニンニクは美味いが、半分程度では物足りない。
さらに追加して全部投入。
ニンニクはすげえな!
美味しかったです。美味しかったですが、やはりこの強烈な刺激に舌がやられてしまったらしくて、やたらと刺激に(舌が)弱くなり、さらに下○気味になり、そのあと数日困りました。
翌日も接客しているとき、「やべー今の俺、ニンニク臭い」と思いました(笑)

名前の通り、麺は極太麺。
わざとかどうか、茹で時間も押さえているらしくて、歯触りが異常にゴワゴワします。
前回食べた「浜松ラーメン」もそうでしたし、最初食べようと思っていた「魚介豚骨」も写真を見る限り細麺らしい。そもそもこのお店は「本場博多長浜ラーメン」をウリにしているお店ですのよね。とするとこの魅惑的な太麺は、わざわざこのメニューだけに投入された特製なものなのでしょうか。とても気に入りましたので、それが気になります。

しかし、大量のもやしとキャベツと豚肉は、全然何の味も付けられていなかったので、食べるのに難儀しました。

 

◎4月18日 奉仕丸(有玉北町)

12月ぐらいに開店して話題になっている魚介豚骨の店。
初めて訪問してみました。
様々なブログさんで掲げられている写真がとても美味しそうで、「これは絶対に私の好みだ」と思っていたんですよね。
特製醤油ラーメン(900円)を注文。

ご夫婦が仲良く丁寧にラーメンを作っている様子をとても楽しく見ていたのですが、出てきたラーメンを一口食べて、、、、、 あれ? これは期待していたのとは違う。
私はガツンと強烈に攻め込んでくるラーメンが大好きなのですが、これはあまりに口当たりが柔らかすぎるのです。スープにはとろみがあり、豚骨の香りは十分にするのですが、軍隊としてまとまることはせず、上空を淡く漂っているのみなのです。なにより化学調味料の味が一切しない。化学調味料は一般には倦厭されているものですが、わたくしには必要不可欠なものなのでございます。・・・おかしい、この見た目で私の心に触れるものがないなんて! 唯一、スープに混ぜられている刻み生タマネギのしゃきしゃきした感じだけが、心安らぐものでした。
この優しそうなご夫婦の御理想は、わたくしの魂の存在するところとは全然別の次元に行っちゃってるんだな、と暗くなりながら完食いたしました。

が家に帰っていろいろな人の書いた記事を見直してみると、どうもやっぱり釈然としない。
この日食べたこのラーメンは、何かの間違いだったのじゃないかな。
みんな、濃厚で味が濃かった、と書いてある。いやいや、確かに濃度は濃かったですけど。


天のいと高き所には神に栄光。

2009年04月11日 00時07分37秒 | ラーメン

4月18日 来々軒(伊左地町)

久しぶりに忍者のお店に行ってみました。
甲賀流すりごまラーメン(750円)。
メニュが微妙に増えてる。店内もさりげなく微妙に忍者仕立てが増してる。これまで伊賀流のメニューしかなかったのに新しく「甲賀流」があったので、それを注文してみました。
ウマイ! でも結局何が甲賀なのかは分からず。

 

4月16日 美濃口園(旧浜北市小林)

妹が。

 

4月15日 藤龍(イオン市野)

2回目の訪問。
とんこつキャベツ(580円)にチャーシュー(200円)をトッピング。

 

4月13日 蔵前家(細江町中川)

第3回目の訪問。
午後3時ぐらい。家系のお店は休憩をせず通しで営業してくれるのが嬉しいですね。客はわたしひとり。店長と店員さんは巨大寸胴を取り外して店内の掃除をしていましたが、巨大中華鍋ではぐらぐらスープが煮立っていました。
チャーシューメン(850円)を、今回は「麺ふつう、味濃いめ、油こってり」で。
うーーーむ、匂いが良い。でも、さすが表面の油がっ。ちょっと味がぬとぬとしすぎて好みではありませんでした。失敗。やっぱり油は普通に限る。

ただ、頑固な油があるのは表面だけでして、食べ進めて行くに従って普通の味になっていきます。最後の一口のなんと心惜しいことか。もっとこのまま食べ続けたい。「しまいの方が美味しい」というのは家系ラーメンのもっとも素晴らしいところだと思います。

 

4月10日 蔵前家(聖隷三方原病院前)

その日の帰宅時にももう一度寄ってみました。
5時半なのに先客は2組。うーーーん、やっぱり場所が悪いかなあ。
今回はチャーシュー麺でない普通のラーメン(650円)。
前回は「全部ふつう」で注文したのですが、今度は「味濃いめ、麺堅め」で注文してみます。麺堅めなのであっという間に出てきました。いいニオイ。
食べてみて感激。
これこそっ! これこそわたくしが理想とする味です。
美味いっ。死ぬほど美味いっ。
これからは味濃いめだっ。
・・・麺の方はさっき食べた柔らかい感じの方が良いような気もしました。
濃い目で頼んだ為か、底に豚骨の骨粉みたいなものが淀んでいたのですが、おもしろ半分にこれをすくって食べてみて後悔しました。ザラザラする骨の粉だったから。

 

4月10日 蔵前家(聖隷三方原病院前)

通勤路に聖隷三方原の前を通る辺鄙な道(細江-浜北線)を利用しているのですが、聖隷病院の前にある浜松餃子のそこそこな有名店・紀楽のうしろに新しいお店が出来ていました。真っ黒でシンプルな外観で、目の悪い私には「越前家」と読めてしまい「いったい何のお店ができたんだろうね~?」と思いながら毎日前を通り過ぎていたのですが、昨日、信号待ちでふと紀楽の前に止まったとき、餃子店紀楽の看板にとても小さく「ラーメン・蔵前家」の文字が。なぬっ!? ラーメン店っ!? しかも紀楽の看板に表示があるとは、関連店っ?
「餃子店で出すラーメンなんかに期待できるものなんか全くない」ことを知っている私はこの時点ではまだ平静でしたが、家に帰ってちょっと検索してみた私は、たちまち狂気に陥りました。「浜松で最初の本格家系ラーメン」だってじゃんっ。

ネットで得られた情報をまとめてみると、

・蔵前家は横浜の有名店・六角家の流れを汲む正当な家系で、台東区蔵前駅付近に店舗があった。行列店であった。ネット上の評価はマチマチだが、極めて手堅く純度が高く完成度がずば抜けているという意見がある一方で、個性に乏しく良くも悪くも家系ラーメンの典型で、くどく飽きが来やすい、という意見も。
・店主は袴田氏。六角家で3年以上修行し、六角家の「姉妹店」として蔵前に2001年前後(?)に開店。実は店主は浜松の浜松餃子の有名店・紀楽の息子で、2008年10月、惜しまれつつ東京店を閉店し、「家業を継ぐ」という名目で浜松に移転してきたらしい。移転の理由として「強烈な豚骨臭に近隣から苦情が絶えなかったから」という説もある。蔵前の店舗には後継として「寿三家」が入った。
・家系ラーメンは色が赤いのが基本。しかし浜松の蔵前家は黒い。でも、東京時代の蔵前家はちゃんと赤かった。

わたくし個人としては、こんなに「家系好き」と力を込めて叫んでいるクセに、未だ六角家には行ったことが無かったんです。そもそも愛する吉田家や沼津家の源流である「吉村家」だって行ったことが無いですからね。(混んでるのイヤだから)。ただ、セブンイレブンで売ってる六角家の冷凍カップ麺(430円)だけは大好きで、常に毎日2個は冷凍庫に入れていたものです。

で、満を持して今日の昼休み、突撃。

行ってみたら3組待ち。さすが開店直後です。
おばちゃん連れか目立ちました。「怖い物知らず」「チャレンジ旺盛」な浜松人の心髄を視た気がしました。この家系のくどくパンチの強すぎる味は浜松人とは絶対相容れないと思いますからね。でもこんな浜松で山岡家は3店もあるのだから、変なものです。(静岡県下に山岡家は4店しかないのですが、そのうちの3店は浜松なんですよ。静岡県に人口が3倍する愛知県にも山岡家は2店しか無いです。どれだけ浜松人は前衛芸術が好きねん)。大丈夫、蔵前家だって人気は4/4開店直後の今だけで、少し経ったら行列なんて無くなっているでしょう。立地からして絶対行列なんてあり得ない場所です。「匂いが凄い」ことを気にしてか、餃子店・紀楽には接してますが近くには民家が無くて茶畑・ミカン畑に囲まれています。
チャーシュー麺(850円)に煮タマゴ(100円)とキャベチャ(100円)をトッピング。


<キャベチャー>

一見して、厨房の超巨大な寸胴鍋と、それよりもさらに巨大な深い中華鍋が目に付きます。中華鍋は煮立っていて表面に何かが煮踊っているのですが、店主が時折かき混ぜている所を見ると、通常は寸胴で煮立てているべき豚の巨大肋等はここでは中華鍋の方に入っているらしい。思わず店主の挙動を注視です。店主さん、極めてせわしなく椀にラーメンだれを注ぎ込んでいます。

そして、出てきたもの。家系とは言っても、石本家みたいに味の薄いものもあるのですから出てくるまではドキドキでしたが、一目見て安心。いい色です。これは期待です。残念ながらキャベツは乗ってませんでしたが(当たり前です)、美味しそうなホウレンソウ。厚い油の層。
味は・・・ 愛顧している「セブンイレブンの冷凍カップ麺」から「きっと六角家ってこんな味なんだろうな」と考えていた味を、そっくりそのまま再現したような感じでした。こりゃーーうみゃーぜっ!!

麺も理想的な太麺でしたが、ちょっと柔らかくツルツルしているように感じました。しかしとにかく感嘆したくなるスープ。マイルドさが突き詰められていて、口当たりが優しくて、甘い。なおかつ根底がしょっぱい。じぇんとる麺でさえもっと味がとんがっていた気がします。これは美味いっ。

トッピングのキャベチャーとはキャベツの上にチャーシューの細切りを乗せた物で、六角家系の店には良くあるものだそうですが、食べ方として「そのまま食べたり、ラーメンに入れたり、ご飯の上に乗せたり」と書いてあったので、お言葉に甘えてラーメンに投入してみました。

おお! いい見た目! といってもキャベツラーメンの元祖・吉田家のキャベツはもっと固く白い部分を遣っていますね。キャベチャーには、ドレッシングというか特製ダレがかかっていて、これがスープと混じり合うと変な味。やっぱりキャベチャはそのまま食べるに限る(笑)

4月8日 ○福(笠井町)

なんだか外観から、お店の前を通るたびに「福ちゃん」グループの仲間だと思っていて、この日鶏白湯のラーメンが食べたくなって行ってみたんですが、、、、 入ってみたら福ちゃんとは全然無関係のお店でした。

どうもラーメンよりもギョウザの方がメインのお店らしいです。
ラーメンはとにかく安い。チャーシューメン(650円)を注文。

見た目はそこそこ良いと思うんですけど、中華屋の中華スープみたいな味のよくあるラーメンでした。

4月8 電撃羅愛麺 青空きっど零-Zero-(曳馬町)

浜松では一番評価の高いお店の一つですが、私はこれまで行ったことが無かったのでした。それは、私に「海老蔵」を奨めてくれた乙女のこの店への評価が意外と高くなかったから、という理由による。たったそれだけのきっかけで先入観を持ってしまうものなのですよね。

数ヶ月前に経営方針が変わり、定休日が無くなった代わりに平日は昼の営業しかやらなくなったようです。変則的に勤務時間体系の私には来やすくなったのかもしれない。

看板にはこうありますが、「第2・第4日曜日」の休みも廃止され、お休みは「祝日の日」だけになってるみたいです。

このお店はつけ麺で有名なのですが、私はつけ麺には興味がありません。
炙りチャーシューメン(850円)を注文。
噂に聞いていた通り、変な形の器です。何より写真が撮りにくい(笑)。器が深いのでチャーシューメンを頼んだのに写真じゃ全然そうは見えない(笑)。もちろんこれはお店のせいじゃなくて、私の写真の腕の足りなさのせいですからね。ごめんなさい。

味の感想。
豚骨の味はするんだけど、それが全体を覆うまでの力強い物になってはおらず、繊細な味はするけど全体的にはあっさりとした印象で、私にはちょっと物足りませんでした。つくづくトンコツ星人に毒されているんだなぁ、自分が。と、思いました。繊細な物を微妙だと思ってしまう情け無い乙女心。
大丈夫、私は何かをケナす時は、とことんまでそのものを知り尽くしてからでないと済みませんからね。このお店はメニューが豊富なので、がんばって何度か通おうと思います。
チャーシューだけは目を見張りました。普段、私は炙りチャーシューも若干苦手なのですが、ここのはわざと炙ったチャーシューをさまざまな大きさに刻んで放り込んでいる。弾力のある大きな一枚チャーシューもあれば、小さなサイコロ状かりかりチャーシューもある。ひとつひとつの味わいが千別で、肉を齧るのが誠に楽しいラーメンでした。


つなし、よな、この城。此は誰。

2009年04月09日 09時00分37秒 |   お城巡り

振り返れば、浜松に越してきてから1年半にもなるんですよねえ。
最初は「徳川家康のことだけ調べよう」と思い、特に「浜松城と三方原合戦のナゾ」をメインテーマに据えようと思ったのに、徳川家康どころか他の記事もほとんど満足に書けない状態になってしまっています。惜しい。非常に悔しい。
去年の今頃も、桜の浜松城を撮りに出掛けた記憶がありますが、残念ながらその写真は消え去ってしまった。テレビで「浜松城の桜が真っ盛り」というニュースを(一週間ぐらい前に)見たので、懐かしく思ってまた行ってみました。

浜松城については書きたいことはありまくるほどあるのですが、どうも今はそんなに時間が取れそうにないので(ちゃんと、書きかけの記事を完成させたいんです。頭の中ではすべての記事は文章・構成が完成しているのに。越前旅行だって狸和尚の記事だって)、今日はただ撮ってきた写真を並べて、ちょっとだけ問題点を羅列するだけにしときます。

実は浜松城公園はそんなに広くないわりに地形が急峻で、なおかつ野面積みの石垣の壁が随所に迫り立っていて、天守閣の近くまで行ってもその姿が見える場所が極めて少ないです。星の数ほどあるいろんな人のお城巡りブログを見ていても、ほとんど同じ写真ばかりなのはその為です。
が、実をいうとこのお城の一番の見所はこんなチンケでデタラメな模擬天守なんかじゃなくて、この貴重な石組み構造の粋なのです。天守曲輪付近は本当に素晴らしい。

浜松城でも夜桜ライトアップが行われていて、よくテレビなどでもとりあげられていましたが、さすがに4/7ともなると派手に散り乱れてもいて、葉っぱもチラホラと出始めている。サクラももう終わりね。
でもそこかしこで座ってお茶飲んでる若いお母さんたちや宴会をしている会社員たちがいる。・・・・・今日って平日でしたよね? まったく羨ましいぜ。


浜松城の一階にある「若い頃の徳川家康の彫像」

いずれこの浜松城についてはきちんと立派な記事を書きますのでね。
いつか、いずれ、きっとね。
とりあえずいずれ書くつもりのテーマを羅列しておいて、今日のところは終わりにしておきましょう。

 

<問題点その①>.天守閣は誰が建てたのか
家康の頃、天守閣はまだ無かったと言われており、しかしこの石垣は家康が作ったという説が有力で、だからやっぱり家康の頃にはこの上に何かが立っていたとも言われている。
その話とは別に、昭和になって「市の象徴として」模擬天守が建設されるのですが、その設計をしたとされるのは名古屋市のなんとかという人で、その人はどうしてこんな形にしたのか。なにか根拠があるのか。なお、「予算が足りなかったので」ちょっと小さ目に設計したという。そういうのが当たり前に出来たそういう時代に興味があるし、浜松城は「小さいけれどもそれなりにカッコイイ」というのが一般の評価であるけれど、結局のところの実際の天守閣がどうなっているのかも気になります。
で、その昭和33年の再建前にはケーブルカーと何らかの建造物が建っていて、再建に伴ってそれは撤去されてしまったそうなのだけど、それがどんなものだったのかも気になる。


浜松城天守台の余り(笑)の部分

 

<問題点その②>浜松城は家康が遠州移住後に総力を挙げて建造を急いだ最重要拠点であり、従って家康の戦略思考の粋が表れているはず。しかし本には家康は浜松城を築くに当たって信玄が攻めて来るであろう方面だけに重点化して防備を固めた、とあります。それは本当か。

だって、どう考えても信玄は北から攻めて来るもの。実際来たもの。
三方原合戦の時は信玄は浜松城の西北に陣しました。

浜松城の模型。

これは江戸時代の浜松城の模型ですがね、本丸(天守曲輪とその周辺)に対してそのまま右側が東の方向。これを見て東側が特に防備を堅くしているとは言えないと思う。
三の丸に侍屋敷が結集しているのでそれを見て、「守りが厚い」と思う人もいるかもしれないけれど、それは違うと思う。で、この写真でてっぺんにあるのが、のちに話題とする「曳馬古城」です。
私が注意して見るべきだと思うのは東北方向と、それから南側の構造です。

<問題点その③>「作左曲輪」とは何か。

浜松城の天守閣はもちろんこの付近の一番の高所に建っているのですが、浜松城の防備は前面(武田軍が攻めてくると思われる東側)に集中していて、天守の背後はただ木が生い茂るだけの自然の山だったのです。
その山のことを「作左山」といい、その山の向こうに作左曲輪があります。ちょうど、韮山城で言えば江川砦か土手和田砦に相当する部分ですよね。
でも、なぜ「作左」なのか。浜松城には「玄黙門」とか「巴城門」とか「樹木屋敷」とか「清水曲輪」とか「馬門・馬櫓」とか、興味深い命名が多いのですが、人名が付いているものは他にはありません。下の地図では右手が北の方角。「御誕生場」って誰が生まれた地名ですか?(結城秀康と徳川秀忠は別の場所で御誕生してます)。

一応、公園内の案内板には「三方原の合戦の時、心細くなった家康が「大丈夫かっ!? 大丈夫かっ!?」と取り乱していたとき、本多作左衛門重次がただひとり落ち着いた様子で、「大丈夫です、兵粮は十分蓄えてありますから」と言った。これを聞いた家康は喜んで、戦いの後に彼が兵粮を集めていた曲輪を作左に与えた」と書いてあります。・・・・変な話。
本多重次は「岡崎三奉行」のひとりで、「仏高力、鬼の作左、どちへんなしの三郎兵衛(天野康景)」とか言われていたと思うのですが、この頃はほぼずっと浜松城に詰めていたらしいですね。岡崎奉行なのに。志木沢郁氏の『結城秀康』には、極めて渋くて重くてゆるぎない印象的な本多作左衛門重次が出てきて、ステキです。

ともあれ、私が行ったときの作左曲輪はカラスだらけでした。
・・・それは、夜になるとみんなここで花見宴会をしているからですね。

<問題点その④>「引馬古城」について。

私が浜松城で一番好きなのは、引馬古城の部分です。
家康が三河から遠州に進出してきたとき、浜松庄には「引馬城」という小城があって、そこには飯尾豊前守という野心的な小領主が住んでいたのですが、家康は最初自分の拠点を磐田市の見付にしようとしてその無謀を織田信長にたしなめられると、次にこの引馬古城に目を付けて、これを拡張する形で浜松新城を建造するのです。
ただし、この「引馬古城」は現在の浜松城の本丸・二の丸の位置にはなく、三の丸にちょこんとへっ付くような形で、いわゆる「出城」みたいな形で存在している。
で、「武田氏の脅威が北東方面に存在した」のなら、この引馬古城の位置こそが、この城にとって一番大きな存在だったんじゃないか。
で、引馬古城がこれまた変な形をしてまして、なおかつ現在までその変な形のまま現存しているのですが、その古城についての詳しい報告は、また後の別の記事に譲ります。


天守閣から見た引馬古城。・・・どの部分かきっと分からないでしょうね(笑)。ホテル・コンコルド前のこんもりとした部分のことです。けっこう遠いです。「浜松東照宮」があります。


「玄黙門」の部分から引馬古城を見る。三方原の敗戦のとき、家康はこの門から浜松城に逃げ込んだんですよ。この引馬古城の部分は、何度でも言うけど形が素晴らしい!

この浜松東照宮の一番の見所は手水鉢のところにある渋い形の龍の飾り物ですが、気付かないところに龍を見下ろすように、猫の置物もあるんですよ。かくいう私も写真を撮りまくって、家でそれを整理していたとき初めて気づいた。こんなところに猫が!って。
東照宮といえば

<問題点その⑤>「道を踏み外した女(ラ・トラヴィアータ)」は実在したか。

家康の前に引馬城主だったのは飯尾豊前守連龍という男だったのですが、彼から家康への城の受け渡しの過程が、きわめてナゾなのです。
飯尾連龍はとても反逆的な男で、それまで遠江を支配していた今川氏に対して親子何代にわたって度々反乱を起こし、そのつど今川氏真に赦されていたらしい。
家康が遠江に侵入してきたとき、連龍はいち早く家康の傘下に入ることに決め、いろいろと手引きをするのですが、警戒した今川氏真によっておびき出され、家康が浜松に達する前に謀殺されてしまったらしいのです。
わけのわからないのはここからです。
連龍の妻は「お田鶴の方」という女豪傑だったのですが、自ら剣を取って、侵略してくる家康軍と華々しく戦って戦死したと伝えられています。
・・・なんで?
ただし、このお田鶴夫人の伝説は江戸時代の書物(『濱松城御在城記』)に書かれているのみで実在が確認できず、実在は疑問視されているのだとか。でももちろん浜松人はこの美丈夫をこよなく哀悼し、浜松城の近くに「椿姫観音」というのを建てて、篤く祀っているのです。


疱瘡神は異訪神。

2009年04月03日 06時39分44秒 |   源頼朝

3月16日~17日に行った伊豆の紀行の続きです。

で、吉田家でラーメンを食べた後、宿へ向かいました。
今回親が取ってくれたホテルは、伊東市の松川河畔にある「伊東マンダリン岡本ホテル」という宿。マンダリンってなんだろね。漢字では「満大人」と書くそうで、ホテルの外観は黄色くて派手派手だったですが、写真を撮ってくるのを忘れました。マンダリンホテルという名前のホテルは全国(世界)各地にあるのですが、グループ関係は全く無いようです。変なの。
ともかく、食事の時間を6時半としてあったのですが、私がラーメンを食べたのは6時(笑)でしたから、小食の私にはお腹がいっぱいすぎて、あまり食べることができませんでした(トホホ)。

ホテルの料金というものは、6割以上は料理の代金だそうなのですが、今回のこの旅行は(親が何かの会員だということで)一人あたり8000円だったんですって。安っ。
旅行に行っても滅多に宿などに泊まらない私には、この料理が豪華かどうかが良く分からないのですが、写真で見る限りなかなかのものですよね。少ししか食べなかったので味がどうだったか分かりませんが。魚王国・伊東で魚料理が美味しくないわけがありませんね。やたらと海老が多かった。

ひとつ、おもしろいなーと思ったのは、鍋物が、「シラウオ鍋」だったこと。初めて見たぜ。もちろんシラウオはナマで食べても美味しいのですが、最初透明だったプルプルのシラウオが、火が通っていくに従って白くしっとりと味わいが変わってくる。くそおっ、食べたかったぜ。今回は見てただけ。

私も浜松市の舘山寺温泉という観光地で働いているのですが、土地の知名度としては伊東温泉に遙かに劣るわけです。温泉の質もバリエーションもついでに遊びに行ける周辺施設も伊豆の方が数百倍も豊かです。しかし、この際だから「われらが舘山寺が伊東に勝てる点」というのを必死こいて探してみました。うん、勝てる、勝てるぞっ舘山寺もっ。前に越前のあわら温泉に行ったときも、またあるいは以前棲んでいた伊豆長岡温泉も別府温泉もそうでしたが、温泉地が町の中すぎるのです。その結果、景色がアレになりすぎてるし、ホテルも大小林立して過当競争に陥っている。
わたしのお店はこのマンダリンホテルのお金を取りますが(笑)、伊豆に比べて目の前の景色が抜群に良いし、なおかつ人里離れていて周囲のお店も似たような料金だから、少しぐらい高くったってちっとも恥ずかしくないもんね。私が客として舘山寺に泊まりに来ることは一生無いでしょうが(高い)、今の世、わざわざ選んでこんなクソ高い舘山寺にやって来る人たちだっているわけですからねえ。不思議な世の中です。

で、宿を9時半頃に出てから、3月15日から伊豆高原でさくら祭りが始まっていると聞いていたので、それを見に行くことにしました。
伊豆高原駅前から大室山に至るまでの並木道の桜って、満開になるとそれは見事なんですよねえ。
・・・が、行ってみたら満開どころか1分咲きにもなっておりませんでした(笑)
「さくら祭り」が始まってるんじゃなかったのかい。騙されたー。今年は暖かくて開花も早まってると聞いていたから期待していたのに。
で、大室山のさくら公園に行ってみると、ソメイヨシノはさすがにまだでしたが、別の種類のサクラでちらほら咲いているのはありました。さすがサクラ公園。


さくら公園にある頼朝の花見酒盛り岩。

せっかくここまで来たのだから、頼家が大蛇退治をした洞窟を見てから以前にも来たことのある場所ですけれど)、次は稲取町を目指します。


これはいい案内板だ。

伊豆高原から稲取のある東伊豆町に向かう途中で「池」と呼ばれる地区を通ります。
ここは大室山のある伊豆高原と天城山塊の属する遠笠山の狭間にある広い谷底のような土地で、前からこの土地の成り立ちを不思議に感じていたのですが、大昔はここは文字通り、水が溜まった広大な池だった土地らしい。で、ここには伊豆の昔好きには欠かすことの出来ない伝説がありまして、気になっていたので、ついでなので寄っていくことにしました。

伝説についての詳細は私の「伊豆の妖怪伝説の地図」を参照して欲しいのですが、この池地区の奥の奥にある古寺には「住職が消えていなくなってしまう」という怪事があって、それを聞いた齋藤龍興の息子が僧となって訪れると、牛がいた、という話。
このお寺の位置を確定したかったのでした。

車で一帯を走り回ってみたのですが、お寺やそれに類する痕跡を見つけることは出来ず、まあ、それらしい景色の場所を「多分ここ!」と認定して、それで良いことにしました。とっぺんぱらりのぷう。


多分この奥。


ここに大きなお寺があった。(私の勘では)