スヌスムムリクの生々流転日記

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東京都昭島市「拝島公園湧水」

2020-05-23 23:00:00 | 湧水

龍津寺から拝島公園まで歩きました。

まずは住吉神社があります。

寛保元年(一七四一年)拝島山守護総鎮守として比叡山日吉神社より勧請延暦寺から拝島山山王大権現の称号を賜わる。寛保より明和に至る二十六年の間氏子一日一銭の醵金により神輿祭礼具完備、嘉永五年(一八五二年)現社殿を再建、明治二年社号を日吉神社と改称、今に至る。(境内掲示より)

住吉神社鳥居の左側にある湧水地点。

住吉神社本殿

本殿には色鮮やかな彫刻が施されています。

 

拝島大日堂仁王門

仁王門の創建年代は明らかではありませんが、門の掲額「密厳浄土寺」の書は由緒あるものである。これを蜀山人は、調布日記の中で「宮方の書にやいずれも高貴なる人の書なるべし」と記している。仁王門は間口九メートル、奥行六・三メートルあり、門内には都指定有形文化財の金剛力士像が安置されている。(昭島市教育委員会掲示より)

ちなみに画像の左には「拝島のフジ」があります。

少し前まで咲いていたのでしょう。

大日堂へ続く階段下。

大日堂階段下の右側にある「おねいの井戸」

この井戸は拝島町にある有名な三つの井戸のひとつで、別名「お鉢の井戸」と呼ばれています。室町時代の末期(四百年余り前)滝山城主北条氏照の家臣であった石川土佐守が大日堂に娘「おねい」の眼病のなおることを祈り、さらにこの井戸の水で眼を洗ったところ、よくなったといい伝えられています。(昭島市教育委員会掲示より)

大日堂階段下の左側にある湧水地点。

拝島大日堂

天台宗寺院の拝島大日堂は、拝島山密厳浄土寺と号します。拝島大日堂は、天暦6年(952)の多摩川洪水の際に中州に流れ着いた大日如来の木像を、大神の浄土にあった浄土寺に安置、滝山城築城の折にその鬼門除けとして、当地に移したといいます。天正年間(1573-1591)には北条氏照の家臣石川土佐守の娘於ねいの眼病を祈願、井戸で眼を洗ったところ平癒したので、堂字を再建、8寺院を建立、天正19年(1591)には徳川家康より10石の御朱印状を拝領したといいます。本尊大日如来座像をはじめとする諸仏像をはじめとして、拝島のフジやおねいの井戸など多くの文化財を所蔵しています。

大日堂と拝島大師の間にある坂道。

その坂道の真ん中辺りにある湧水地点。

拝島山本覚院(拝島大師)

本覚院は、織田信長の焼討ちにあった比叡山から慈恵大師像(元三大師像)を救い出して、諸国を流浪していた天台座主敬湛大僧都が、天正6年(1578)拝島に大師像を安置して創始したといいます。滝山城主北条氏照の重臣石川土佐守が拝島大日堂を再建した時に寺観が整ったといい、江戸期には拝島大日堂と共に徳川家康より御朱印状を拝領していました。

本覚院 南大門

本覚院 文殊楼

本覚院 五重塔

本覚院 転法輪蔵・経経堂

六画円堂・弁才天堂の池から奥の院 多宝塔を望む。

本覚院 大黒堂

本覚院 本堂

本堂の脇から流れ出る湧水地点。

多宝塔の下にある池に流れ落ちます。

こちらは本覚院の東側、国道16号を渡った所にあるせせらぎ。

以前は田んぼだったと思うのですが今はほとんど埋め立てられて宅地となっていました。


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