黒沢永紀オフィシャルブログ(旧・廃墟徒然草)

産業遺産と建築、廃墟、時空旅行、都市のほころびや不思議な景観、ノスタルジックな街角など、歴史的“感考”地を読み解く

三池炭鉱 #08:三井港倶楽部

2014-01-15 08:26:51 | ・三池炭鉱
シリーズでアップしている三池炭鉱。
保存されている施設の次は、三井港倶楽部。

三池炭鉱

平成17年(2005)に大牟田市の文化財に指定された三井港倶楽部は、
明治41年(1908)、三池港の開港と同時に開館しました、
三井関係の社交倶楽部兼外国高級船員の宿泊、そして、
皇族を始め政財界人の迎賓館として広く利用されてきた建物です。





三池炭鉱

写真は大正15年(1926)の港倶楽部の外観。
約100年前の姿は、今と殆ど変わりません。





三池炭鉱

倶楽部のエントランスロビーはかなりゴージャス。
実はこの建物は解体の危機から甦った建物でした。
昭和61年(1986)に大改修され一般公開されていたものの、
平成16年(2004)に閉館し、解体の危機に晒されました。
しかし地元経済界による保存会が設立され、
所有者の三井から払い下げられて、
元来のレストラン兼結婚式場として甦りました。
市民の声が保存に繋がった貴重な建物です。





三池炭鉱

玄関には、昭和37年(1962)の
「日産15000t祝い」と彫られたレリーフがあります。
1962年といえば、
労働争議として最も有名な三池闘争(1953、1960)と、
戦後最大の産業事故と言われる炭塵爆発(1963)の
ちょうど間の年にあたり、
国内全ての炭鉱の出炭量が、
戦後最大になった年でもあります。





三池炭鉱

白一色に塗装されたトイレ。
個室の扉や洗面台の壁面は木製で、
床はタイルばりなところが時代を感じさせてくれます。
床のタイルが白一色ではなく、
灰色をランダムに混在させているところがニクい演出です。





三池炭鉱
コンソメスープとオムライスを頂きました。
どちらもしっかりとした西洋料理で、
とてもおいしかったです。
昨今、デミグラスソースをかけるオムライスを良く見かけますが、
やはりオムライスは、
真っ赤なケチャップがかかってオムライスだと想います。





三池炭鉱

門から玄関へのアプローチの道すがら、
後の記事で触れる予定の大浦坑の顕彰碑があります。
大浦坑にあった油倉庫の遺構から造られたそうで、
正面に書かれた「大浦坑遺址」の文字には、
團琢磨の署名が入っています。

ところでこの煉瓦造りの部分ですが、
大牟田・荒尾炭鉱のまちファンクラブの方に、
蒟蒻煉瓦が使用されているとうかがいました。
確かによく見ると、





三池炭鉱

通常の煉瓦よりはるかに薄い、
蒟蒻煉瓦にちかい比率をしています。
ちなみに蒟蒻煉瓦とは、
幕末から明治初期のごく短い間、
長崎で製造・使用された煉瓦として有名ですが、
蒟蒻煉瓦の記事参照)
三池でも蒟蒻煉瓦が使われていたのは初めて知りました。



【三井港倶楽部】

福岡県大牟田市西港町 2-6
0944-51-3710
基本的にレストラン営業
ランチ:11:30~14:30 ディナー:17:00~21:00
定休日:毎週火曜
official site:http://www.minato-club.co.jp/index.html

三池炭鉱

◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
> NEXT  >TOP  > INDEX


最新の画像もっと見る

post a comment