■ ボランチ誕生を探る |
◆ 仮説1 「現代風、ボランチ確立の時期」
現代では、ボランチという言葉は、サッカー用語としては一般的になっている。
多少サッカーを知っている人ならば「ボランチ」という言葉、そしてその意味も理解していると思う。
先日、友人と話をしていて「ボランチ」が現代サッカーにおいて、明確な役割とポジションを担うようになったのはいつ頃だろうか?!という話になった。その話の中で、一つの仮説を立てた。時系列が分かり易いW杯で考えてみた。
1.98年フランスW杯 ・・・ この時点では、日本代表にはボランチが存在していた。他の国も同様。
2.94年アメリカW杯 ・・・ この時点では、主要国代表を見るとボランチタイプの選手が存在しているようだ。
3.90年イタリアW杯 ・・・ 記憶があやうい。現代のようなボランチが明確に確立されていたか?と言うと怪しい。
4.86年メキシコW杯 ・・・ マラドーナ以外記憶がない(笑)
但し、現代のようなボランチはいなかったのでは?ととりあえず予想してみる。
(※)
次に、上記1~4の条件をもとに「86年~94年W杯」の8年間に何かしらの大きな分岐点があったのではないか?!と仮説を立てて調査してみた。今回から何回かに分けてその調査の模様をお送りします。
ちなみに、情報など様々な資料や方向性はある程度イメージしていますが、文章として最後まで完成していないので、どんな展開になるかは私にも分かりません。つまり、ロードオブザリングみたいに長くなる可能性もあります。
■ ボランチとは?! |
◆ ボランチの語源
まず、そもそもボランチという言葉のに定義を明確にしておく必要がある。しかし、こんな所で時間を取る訳にはいかないので、(多少、信憑性に欠けるものもあるが)手っ取り早くwikiで調べてみた(笑)
説1 「ボランチ=ハンドル」説 元の意味はポルトガル語で「(車の)ハンドル、舵」。 語源はハンドルや舵を切るように、チームを操ることに由来すると言われている。 説2 「ボランチ=うろつき回る」説 南米にサッカーが本格的に伝わった当時、そのフォーメーションはフォワード、ハーフバック、フルバックのピラミッド型のクラシック・システムであった。 その二列目のハーフバックのうち、真ん中に位置する選手は、フィールドを自由に動き回ることを許された、攻撃と守備を司る特別な選手であった。 当時、その選手のことをイギリスでは"ロービング"・センターハーフと呼んだ。ロービングとは、日本語で「うろつき回る」という意味である。その「うろつき回る」をスペイン語に訳すと「ボランテ」、ポルトガル語なら「ボランチ」となる。これが語源だという説。 |
まぁ、この点に関しては、両方の説を聞いたことがあったので、特に違和感は感じなかった。それに、あまり突っ込んで考えてもしょうがないし、そもそも語源は今回の主旨ではないのでさっさと次に進む、俺。
◆ ボランチの意味
サッカーのポジションの1つで、中盤の底に入る選手を指す。より厳密に言えば、中盤の選手配置を前後に区切った時に、フォワードの背後で攻撃的な役割を担う攻撃的ミッドフィールダー(トップ下)よりも後方に位置し、より守備的なタスクを担うポジションがボランチである。そのため、日本では守備的ミッドフィールダーとも言われる。守備時にはディフェンダーの前で相手の攻撃を阻止し、攻撃時にはゲームを組み立てていく重要な役割を担う。 ただし、ボランチという用語はブラジルでのみ使われるポルトガル語のサッカー用語のひとつが日本に輸入されたものであり、ブラジルと日本以外では通用しない言葉である。ブラジル以外の国にもボランチに相当するポジションが存在するが、その役割と呼び方は国によって異なる。 |
ここでちょっと待てよ!となる。
『 守備時にはディフェンダーの前で相手の攻撃を阻止し、攻撃時にはゲームを組み立てていく重要な役割を担う。 』
この解釈に多少違和感を感じる。
例えば、現在の日本代表を例に考えると「鈴木啓太、中村憲剛」という、いわゆるダブルボランチの形では、両選手共に攻守どちらもこなすが、役割の比重が異なる。
守備のタスクは、鈴木啓太。
攻撃のタスクは、中村憲剛。
ダブルボランチにおける両者の役割は、明確に異なっている。そういう意味では・・・
『 守備時にはディフェンダーの前で相手の攻撃を阻止し、攻撃時にはゲームを組み立てていく重要な役割を担う。 』
という表現は大味過ぎやしないか?!
ちなみに、ブラジルでは、ボランチの役割を日本のように「守備的MF」とは限定していない。むしろ、語源にあるように、「チームを操るプレーヤー」として考える。
例えば、[4-4-2]のダイヤモンド型の中盤のボランチの場合だと、上記のような役割を担うことは大いにある・・・
とりあえず、次に進む、俺。(※)
◆ 日本におけるボランチという言葉の普及
(前略) しかし、プレッシングという新しいディフェンスの隆盛によって、最も人が密集している中盤の前方では、マークの集中するトップ下の選手だけでゲームを作ることは難しくなってきた。その点、守備的ミッドフィールダーはそこよりもやや下がり目に位置するので、相手のFWや攻撃的MFからのプレスは受けにくく、かと言ってDFからは遠い。その利点を生かして、守備だけでなく攻撃の組み立てにも加わることを要求されるようになっていった。 (中略) すると、次第にそのポジションのことを「守備的」という言葉だけで言い表すことは難しくなってきた。そのため、ちょうど創成期のJリーグでブラジルからの外国人選手が持ち込んだ「ボランチ」という言葉が、それまでの守備的ミッドフィールダーという言葉に代わってさかんに用いられるようになったのである。 |
多分、時期的には、加茂監督がゾーンプレスを広めた時期ではないだろうかと思われる。
いやいや、ちょっと待てよ・・・「むしろ守備的MFをボランチと解釈する方が多くないか?」(※)
あともう一つ。
「ボランチの役割よりも一つのポジション(MFとDFの間)の名称としての使われ方の方が強くなっている感じすらある・・・」
例えば、前述の「鈴木啓太、中村憲剛」は、TVの解説者も雑誌でも「ボランチ」という言い方・表記をする。つまり、ボランチは、『その役割、云々よりもDFとMFの間 』というポジションについて特化した表現になって来ているような気さえする。(※)さぁ、この辺で訳がわからなくなってきた、俺。
つづく・・・『ボランチのルーツを探る 「ボランチ論」 PART1.5』( 今回は、ちゃんと続きありますから~)
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こんばんは。
ぜひ書いて下さい。
私の方は、まだまだ続きそうです(笑)
あと、何かしらの影響を受けないようにする為、完成するまでは拝見しないかもしれません^^;
4-4-2フラットでしたが、監督やコーチからは「セントラル」と言われてました。攻守の割合は5:5です。
ポジション柄、ボールタッチはチームで一番多かったと思いますけど、自分がゲームメイク担当という意識は無かったです。あえて言うならアーセナルのように、全員でコントロールしているようなチームの一員でした。
そういうサッカーをやってきたからか、「古きよき司令塔スタイル」ってあんまり好きじゃなかったりします。
また何か思いついたことがあれば。
イタリアでは細かく分類されていますよね。 日本でもそうして欲しい。 鈴木などはよく見ないと貢献が分かりづらい選手ですし。
ドゥンガの影響が強かったかなぁ。日本で市民権を得たのは。
日本では94年以降、あれよあれよと一億総ボランチになりましたww
なぜか日本では、DFの前にいて相手のチャンスを潰すだけで攻撃にはほとんど参加しないみたいな勝手なイメージが刷り込まれていると思います。
日本はだから、中途半端なボランチが多いんですよねぇ。攻撃も守備も何か物足りない。
ちなみにアルゼンチンは絶対1ボランチなんです。伝統らしいです。レドンド、シメオネ、カンビアッソ、ベロン
ブラジルに来た、ナントカ・ボランチってアルゼンチン人選手が、中盤の底で攻守両方やって、他のチームの監督が「ボランチみたいに動け」と指示を出した事が始まりで、そのポジションをボランチと言い始めたとか。
ホントかどうかは知りませんがね。
私自身はボランチをポジションとして考えていないので、
>『守備時にはディフェンダーの前で相手の攻撃を阻止し、攻撃時にはゲームを組み立てていく重要な役割を担う。』
という言葉には違和感が無いんですよね。
というより、こういうプレイヤーをこそボランチと定義して考えているので、個人的には私は日本ではボランチって少ないなと思っているのです。
だからこそ鈴木啓も中村憲も遠藤も橋本も明神もボランチだとは思っていないんですよね。
世界的にもボランチってほとんど居ないんじゃないですか?
個人的には「こんな地味で中途半端な位置やりたい奴の気がしれない。」と全く時代についていけませんでした。
日本代表では当時ヤマハの吉田選手が守備的MFとして重宝されていたと思います。
それと同時に清水の三浦秦や鹿島の本田がボランチらしい事をやり、その後ブラジル代表のジョルジーニョ(セレソンでは左SB)、ドゥンガ等が来日し、マイルストーンになった気がします。
毎度古い話ですみません。
こんばんは、はじめまして。
その辺に関しては、後ほどUPする予定です^^;
まぁ、鈴木も憲剛もボランチって表現で正しいとは思うんですけど、あえてそこを掘り下げてみようかなって企画です。続きもバリバリとあるんでよろしくお願いします。
こんばんは。
アルベルティーニは、個人的に好きな選手ベスト5には入ります^^
古い話も大丈夫ですよ。むしろ今回のテーマは古い話が多く「歴史を遡る」がテーマにもなっています。
友人から94年W杯のビデオが入手出来そうなので、機会を見て、「プレーバック94年W杯」とか書こうと思っています。本当は、カルチョ・キチガイの友人にコラム的な記事を書かせたいんですけどね(笑)
<追記>
部下Dさん、がちゃさん、yohanさん
コメントありがとうございます。
次回の記事の内容に多少接触する部分があるので、現時点でコメントすると次が成立しないので^^;
次回の記事UP後、きちんとお返事いたしますので、申し訳ございませんm(__)m
ちなみに、今晩中に1つはUP出来そうです。