るのこのひとりごと

季節の花、風景、旅行などの徒然の記

全国高校野球西東京大会

2017-07-30 19:10:56 | 地元風景
夏の高校野球西東京大会の決勝が今日神宮球場で行われ、清宮君率いる早稲田実業と我が地元の東海大菅生高校との試合。
兼ねてからの前評では、2強(早稲田実業と日大三高)ばかりが騒がれていましたが、何と6対2で菅生高校が優勝しました。
菅生高校は弟が勤務しているので、応援にもついつい力が入ってしまいました。

今日は裏に住んでいる娘家族が長野に行って留守。高2の孫はインターハイで山形に行っている関係で本当に夫婦二人でのんびり過ごしています。






先日孫のピアノ発表会と相撲大会が同じ日でしたので、私たち夫婦は小3の孫のピアノ発表会に行きました。
普段家では余り練習しないので心配でしたが、何とか無事に弾き終わりました。

小6の孫は市の小学校の相撲大会に参加しました。こちらは両親が応援に行きビデオを撮って来ました。
こちらの孫は弱弱しく体育が余り得意では無いのに、自ら希望して参加したみたいです。練習は放課後にPTAの方が指導してくれたそうです。
合計10日ぐらい練習日が有りました。

所が試合では1回戦は何とか勝ちましたが、2回戦は昨年の大将との対決、しっかり組んで土俵の方まで踏ん張って二人同時に倒れたみたいで、
本人は負けたと思ったらしいのですが、何と軍配は孫に!!これには担任の先生も校長先生も驚いていた様子。ビデオの声にしっかり入っていました。
相手の足が先に出ていました。良く審判の人は見ていたと思います。其のあとの試合は負けてしまいました。
でも小学生は皆ちゃんと四つに組んで試合をしていました。白鵬に見せたいぐらいです。


それなのに大相撲名古屋場所での、横綱白鵬の試合にはがっかりです。張り手ばかりで情けないです。こんなことで最多勝記録更新とは横綱としての品格が問われます。
先日の新聞の川柳に・・かち上と張り手じゃ詰まらぬ最多勝


商工会関東ブロック大会

2017-07-07 11:14:48 | 催し物

関東ブロック商工会女性部交流研修会に参加しました。今回は東京が担当です。

会場は昭島市のフォレスト・イン昭和館でした。

昭島市長さんの挨拶も力ずよく立派でした。自称・昭島の舘ひろしと自慢していました。

一都9県から総勢1,242名の参加でしたが梅雨前線が近づいてきていて午後から大雨のの予報。
 島から来ていた大島町の8名は交流会が始まる前に帰って行きました。折角来たのに残念です。

八丈町の方は司会という大役があったので最後まで任務を遂行していました。

翌日はからっと晴れたのでまずは一安心しました。


交流会は夜の9時ごろまで行われ、遠くから来た人たちはそれぞれ近隣のホテルに宿泊し、
翌日は視察研修会で国営昭和記念公園と石川酒造のコースと田村酒造場と高尾山コースに分かれて出かけて行きました。




















警視庁音楽隊によるオーケストラ










 情報交換会(会食を兼ねて)

















各都道府県からの情報発信や芸能披露














国宝 石清水八幡宮・・・昇殿参拝

2017-07-03 10:28:04 | お出かけ
石清水八幡宮は弟の家から歩いて行ける場所にあるので、10回ぐらいは参拝しています。
今回は姪から頂いたというチケット(昇殿参拝)が二枚あったので、義妹と行ってきました。



社殿は度々焼失し、織田信長や豊臣秀吉・秀頼が再興した。現在の社殿群は1634年に江戸幕府が造営している。本殿は檜皮(ひわだ)ぶきで主要部分に極彩色の彫刻が施され、信長が寄進した「黄金の雨樋(あまどい)」も有名。豪壮な外回りの「外殿」の中に「内殿」を組み合わせた国内最大、現存最古の「八幡造(はちまんづくり)」で造営されている。
八幡造りである御本殿の内殿と外殿の「相の間」に架かる織田信長公寄進の通称「黄金の雨樋」。(  天正7(1579)年12月、信長公が雨に遭って山崎寶積寺に逗留の際、木製の雨樋が朽ち雨漏りがしていることを聞き及び修理を命じ、翌、天正8年8月には木製から唐金の雨樋に造り替えられました。これには、もし再び当宮に天災などの有事が起こった際には、この「黄金の雨樋」を換金し、その対処にあたるようにとの信長公の信仰心の深さがあったという伝承があります。
長さ21.7m、幅54cm、深さ21cm。)





昇殿参拝のご案内


当宮では、社殿内部に上がっていただいての参拝および、その後の神職による由緒説明や社殿の見どころを下記内容にてご案内しております。
織田信長、豊臣秀吉・秀頼、そして徳川家と受け継がれてきた貴重な八幡造(はちまんづくり)の社殿を是非とも拝観ください。



期 間 2月4日~12月31日(原則)
時 間 11時~ と 14時~ の2回
初穂料 高校生以上1,000円  小・中学生500円
所要時間 約40分程度
内 容 お祓い・参拝ののち神職による社殿の案内
その他 ※初穂料は文化財の保存修理費に充てさせていただきます。
※上記時間外であってもご案内できる場合があります。(特に10名以上の団体様)
ご希望の際は、石清水八幡宮社務所
TEL075-981-3001 FAX075-981-9808 MAIL info@iwashimizu.or.jp
までお問い合わせください。
※祭典行事、ご祈祷奉仕の都合上、案内時間が若干変更する場合がございますので、
あらかじめご了承ください。











参道には1580年織田信長が寄進した土塀が





茅の輪くぐり・・・8の字に3回くぐりました。



社殿では結婚式が



写真を撮る親子の姿が何とも微笑ましくてついカメラを





帰りはケーブルカーで



麓のお店でお茶を頂きました。



大徳寺

2017-07-01 13:23:58 | お出かけ
京都市内の北部にある大徳寺は、臨済宗大徳寺派の大本山です。京都五山の一つであります。
1325年の創建で、宗峰妙超により開基されました。

大徳寺は塔頭が24あります。現在、大部分の塔頭で一般参詣を認めておらず、常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院です。

今回は時間の都合で龍源院、瑞峯院だけ見学してきました。とにかく広いです。全部廻るのには半日以上かかりそうです。

応仁の乱の際にに大徳寺の建物も消失してしまいました。
しかし「一休さん」のモデルとして知られる千利休こと一休和尚が復興した歴史があるとか。戦国時代の茶人として有名な千利休ゆかりの地です。あの秀吉の怒りを招き、利休切腹のきっかけとなった場所です。

桃山時代には豊臣秀吉が織田信長の葬儀を営み信長の菩提を弔うために総見院を建立併せて寺院を寄進。
江戸時代初期頃には現在の形になったそうです。














豊臣秀吉と徳川家康が対局したとされる蒔絵を施した碁盤




















瑞峯院

















大徳寺本坊



三玄院・・・石田三成が浅野幸長、森忠政らと建立した寺院です。 境内墓地には石田三成、森忠政(蘭丸の弟)、古田織部、薮内剣仲(紹智)の墓があります。
この塔頭は拝観が許されることはほとんどありませんが、千利休ゆかりの茶席などが催されることがあります。



大徳寺近くのお店で