ひふみ∞三六九-ひふみの夢日記

毎日見た夢を綴っています。

4/26の夢 ★★★☆☆

2011年04月26日 | 高い次元での会合の夢
では、今日の夢です。

まぁ、やっぱり似ていますが


①発表

うーーーーん。

学芸会というか・・・

何か催し物の発表をすることになっていました。

サーカスの如く、かなりの高所でやるものでした。

私がメインで、あとは一人アシスタントがいるくらいのもので、

台本は意味不明なものでした。(オチもなく・・・

ですが、とても重要なものらしく、手伝ってくれる人がすごくたくさんいました。


催し物は、私以外にもいろんな人たちがエントリーしていて、

みんな行列になって、出番を待っていました。

私の前には3つくらいの団体がいて、

真っ赤な着ぐるみを着て、太陽?のような踊りを披露したり、

金管楽器の演奏をしたりなど、バラエティーに富んでいました。


私は、とてもドキドキしていましたが、

「でも、絶対に大丈夫!成功する!!」

と信じて、出番を待っていました。


うーん、これもまさに・・・という感じ。

今までの宇宙史の集大成というか。

ハイアーネット総動員で、今までの成果を出すぞーという感じですね。

最近は本当にこういうのが多いので、地道に基礎を固めつつ

実力をつけて、どんどん発していきたいなと思いました。

4/25の夢 ★★★★☆

2011年04月26日 | 高い次元での会合の夢
ここ数日は似たような夢が多いのですが、

またもや表現するのがやや難しいです。

記録はしておきたいと思いますので、出来る限り頑張ってみます。


①グループワーク

皆で集まって、講義を受けたり、様々に学んでいました。

私は、人前で発表しなければいけないようでした。

Nちゃんと一緒にいたような記憶があります。

ダメだしも受けつつも、始終にこやかな雰囲気で

色々なことを学び、発表し、皆で様々に話し合っているようでした。

A先生も、勿論おられました。


②道

はじめは、山の中の高速道路のような場所でした。

突き当りで、二手に分岐していて、片一方は今住んでいる場所、

もう一方は、それ以外、というザックリとした表記でした。

分岐する瞬間に「どっち!?でも、帰る方向で、あってるよね!?」と

自己に問い、エイッとそちらへハンドルを切りました。

「今住んでいる場所」というよりも、「帰る場所」という方が

雰囲気的には近かったかと思います。


曲がったら、高速道路の高架のようなものが少し変わって、

いつの間にか今度は自転車になっていました。

凹凸があったり、水たまりがあって走りにくかったのですが、

景色はとても良く、また道路自体に花や魚などの絵柄がかかれていて

とてもかわいらしくて好感の持てる道でした。


自転車はどんどん増えて、沢山のチャリダーが走っていました。


アセンションの道、根源への帰還の道なんだなーと思いました

4/21の夢 ★★★☆☆

2011年04月21日 | メッセージ的な夢
今日はとても重要な夢だったと思いますが、

解釈が難しいです・・・。


いつものような形ではなく、大枠をとらえた感じで

メモをしておきます。


未来

全体的なイメージとしては、新しい世界にいる、という

感じでした。


時空が交錯している場面が多く、説明が難しいのですが・・・



例えば、勤めている会社に、支店が出来たとします。

支店長が決まり、就任し、その後結果も出たとします。

今はもうその結果の出ている時空なのですが、

夢では、そうでありながらも、過去の時空にいました。

支店長が、就任のあいさつに来るというイメージのものです。

そこで初対面の挨拶をしながらも、

「ああ、あの人か。こんなに若かったんだね~。これから楽しい未来が待ってるよ」と

Cと、未来からの視点で見て話していました。

(私たちだけが、未来から観ていた)



新しい世界


これも似たような感じですが・・・。

新しい未来の世界にいました。

オアシスさんがとても緊張した面持ちでそこにいたのを覚えています。

まだ、準備中のところが多くて、色々ゴチャゴチャしていました。


グループ分けをしたり、色々オリエンテーションがあったり

これからという感じでした。


別の世界


昔の会社の関係者を訪ねて、海外のその人の仕事を見学しにいきました。

銀行みたいなところで、狭くて味気ないオフォスでした。

とても面倒な手続きの書類などがあり、見せてもらっていました。

「こういう世界もあるんだなー」

と感心しながらも、夜になったら一緒に飲もうよーと思っていました


これはとても不思議な感覚の夢でした。


新しい生き方

スローライフな感じの本を読んでいました。

実際に店舗を持って活動している女性の話でした。

何かそこに自分と関わる道があるという感じで

とても真剣に調べて、その人を訪ねようとしていました。



という感じで、夢自体はかなりたくさん見ました。

全体としてやはり、未来、新しいもの、というのがキーだったなと思います。

4/16-17の夢 ★★★★☆

2011年04月17日 | メッセージ的な夢
大分花粉も落ち着いてきて、割と眠れるように

なってきました


4/16の夢

①帰省?

どこかの家の和室にいました。

弟も一緒にいましたが、ずっと一緒というわけではなくて

ちょうどその時に集まっていたという感じでした。


私はどこかへ行かねばならず、それまでに半日から一日ほど

の猶予しかありませんでした。

しかし、母か弟か、身近な人からどうしてもと要請を受け、

行かねばならない場所へ行く前に、さらにもう一往復して

何か荷物を取ってきたりする必要がありました。

自分で運転もしなくてはならず、時間もギリギリで

時計とにらめっこをしながら、実際にそれが可能であるか

考えを巡らせました。

時間がなかったので、しぶしぶでしたが、「行く」と決断し、

あとは飛ぶように、超スピードで行動して何とかしていました。

途中、昔の会社の人なども出てきました。

最後には感謝されていたようでした。


4/15の夢に近いような感じで、身近な人にお願いされて

どこかへ行って何かをしてくる、そして感謝される、という

流れの夢でした。

行かねばならない場所(=根源であり、未来の宇宙)に行く前に

何か少し寄り道をしているのかもしれませんね


4/17の夢


①津波

暗い時間帯でした。

夜7時ころから9時くらいだったと思います。

津波が突然来ました。

畑のようなところで、地面が凹凸になっているところを、

とにかく必死で走って逃げました。

後方から黒い波が押し寄せてくるのが感じられました。

私は薄着で、初めは何かを手に持っていましたが、

途中からは何も持たず、腕時計だけ(?)で走っていました。

途中ですぐにCと合流し、手を繋いで走りました。

この手を繋いで走れば、物はなくても大丈夫だと思いながら

必死で走っていました。

前にも後ろにも人がたくさんいて、身動きがとりづらく、

すぐ後ろには小学校の頃同じクラスだった男の子などがいました。


津波をやり過ごした後、少し離れた親戚のいるところ(?)へ

移動しました。

そこでは時間は夜の10時くらいになっていたと思います。

テレビで被害状況が報道されていました。

以前住んでいた場所は壊滅的な状況だったので、新居で良かったと

感じていました。

親戚の家?のようなところでは、周囲の人はあまりそのことに無関心で

自分だけが熱心に報道を見ていました。


その後また自分の住んでいるところに戻ったようでした。

途中で中学時代の友人が出てきて、自分の家は大丈夫だろうかと心配していました。

場所が曙、東◎原・・・ということで、これは今住んでいるところではなく

実家の近辺のことだなと思いました。

(そうすると、津波でもおかしくありません)

「あそこは、危ないかもね・・・」

と私は答えていました。自分の住んでいたところもほぼ壊滅だよと。


自分は、物はなくなっても平気だと思っていたのですが、

「思い返してみると、妊娠時につけていた日記や結婚式の写真などは

 やっぱりないと淋しいなぁ・・・」と少し感傷的になっていました。

それは、Cか誰かと、そのように話していました。

そこでふと、「HPやアカデミーのデータは無事だろうか!?」と頭によぎり、

急いで、被災後の家に向かいました。

データのあるPCや、アルバム類の置いてある部屋は奇跡的に残っていて

「ああ、良かった」

と思っていました。

家自体は結構被害は大きかったのですが、一室の一角だけが

キレイに残っていたという感じでした。

しかし、周囲は結構無残でした。

歩道橋や信号なども大きな被害にあっていました。


②続き?


こちらはあまり良く分からないのですが・・・


多分続きだと思います。


大きな公園のようなところにいました。

子供たちや家族連れなどがいました。

私は飲みかけの缶ジュースを手に持っていましたが、

閉園のアナウンスが流れ、スタッフが片づけを始めたので

飲みかけのまま、ごみ箱付近に捨てようとしました。

(その場面では、その方が迷惑にならないと感じた)

スタッフに声をかけられ、最後まで飲んでもらっていいと言われたので

時間かかるけど大丈夫?と思いつつも、

もう一度それを手に取り、飲むことにしました。


「もうすぐ終わりの場所」は良く出てきますね。3D地球かな・・・

こちらも意味が深そうだったのですが、前後関係など難しくて

一部分しか持ってこれませんでした。










①津波、走る、パソコン、アルバム、曙

②閉館時間、遊ぶ


外出するので、忘れないようにメモだけ

4/15の夢 ★★★★☆

2011年04月15日 | メッセージ的な夢
相変わらず重要そうな夢が続いていますが、

まだまだ解釈が完全ではないかなという感じです。


①夜の夢

Cと外出していました。

遠いところに来ていました。

ある地点で、立ち入り禁止のような管理区域に来ました。

以前は入れたはずだが・・・というような感じで

地図ではグレーに塗られていました。

現在の状況とリンクさせてか、そこは福島関係のもののように

なっていました。

その他、他にも海外へ船で旅行するような感じの夢も続けてみました。


②その他、昼寝の夢

1)学校と遺跡

単線の電車に乗って、遺跡関係のイベントに行こうとしていました。

見ず知らずの土地で、うろ覚えの情報で行こうとしていて、

途中でいろんな人に助けを借り、古い地図なども参考にしながら

目的地に向かいました。

行きたいけど力が足りなくていけない友人なども一緒に連れていきました。

会場は小学校のようで、歩いたりしながら、たどり着きました。

会場自体のことは夢にほとんど出てきませんでしたが、

帰り道も、用水路のようなところをサーフボードのようなものを駆使して

帰宅しました。

とても重要なことをしているようでした。

その後、その友人やCにとても感謝されました。


2)芸能人?

と思われる二人とすれ違い、ひと悶着ありました。

表現が難しいのですが・・・。

「ああ、有名なあの人たちか」

と思っていました。

こちらも何かイベントに関するものでした。

マンションの立ち並ぶ場所でしたが、こちらも学校付近でした。


3)大学


今度は大学でした。

昔、派遣で仕事をしていた大学職員の仕事を、

もう一度やることになっていたようでした。

「週3日くらいでないとダメ」と

Cや周囲の人からは止められていました。


面接に先立ち、大学内のどこに配属されるか話し合われていました。

私のカルテを見て、担当者が

「特別なスキルもないし・・・ここぐらいしか仕事がない」

と話しているのを聞きました。

秘書課のような、雑務の部署のようでした。


大学はもうすぐ新学期なのか、とても忙しそうで

スリッパがたくさん脱ぎ捨てられていました。

職員室も、かなり多くの人がいました。

私は「能力不足かなぁ」と思いながら、今後うまく出来るかな

と考えていました。


「学校」がキーのようです。


特に最後の夢は、まさにアセンションの大学のことだなーと

思い当るところがあったので、すぐ分かりました。

しかし、まだまだ能力不足なんだなと、起きてから思いました。