ひふみ∞三六九-ひふみの夢日記

毎日見た夢を綴っています。

4/16-17の夢 ★★★★☆

2011年04月17日 | メッセージ的な夢
大分花粉も落ち着いてきて、割と眠れるように

なってきました


4/16の夢

①帰省?

どこかの家の和室にいました。

弟も一緒にいましたが、ずっと一緒というわけではなくて

ちょうどその時に集まっていたという感じでした。


私はどこかへ行かねばならず、それまでに半日から一日ほど

の猶予しかありませんでした。

しかし、母か弟か、身近な人からどうしてもと要請を受け、

行かねばならない場所へ行く前に、さらにもう一往復して

何か荷物を取ってきたりする必要がありました。

自分で運転もしなくてはならず、時間もギリギリで

時計とにらめっこをしながら、実際にそれが可能であるか

考えを巡らせました。

時間がなかったので、しぶしぶでしたが、「行く」と決断し、

あとは飛ぶように、超スピードで行動して何とかしていました。

途中、昔の会社の人なども出てきました。

最後には感謝されていたようでした。


4/15の夢に近いような感じで、身近な人にお願いされて

どこかへ行って何かをしてくる、そして感謝される、という

流れの夢でした。

行かねばならない場所(=根源であり、未来の宇宙)に行く前に

何か少し寄り道をしているのかもしれませんね


4/17の夢


①津波

暗い時間帯でした。

夜7時ころから9時くらいだったと思います。

津波が突然来ました。

畑のようなところで、地面が凹凸になっているところを、

とにかく必死で走って逃げました。

後方から黒い波が押し寄せてくるのが感じられました。

私は薄着で、初めは何かを手に持っていましたが、

途中からは何も持たず、腕時計だけ(?)で走っていました。

途中ですぐにCと合流し、手を繋いで走りました。

この手を繋いで走れば、物はなくても大丈夫だと思いながら

必死で走っていました。

前にも後ろにも人がたくさんいて、身動きがとりづらく、

すぐ後ろには小学校の頃同じクラスだった男の子などがいました。


津波をやり過ごした後、少し離れた親戚のいるところ(?)へ

移動しました。

そこでは時間は夜の10時くらいになっていたと思います。

テレビで被害状況が報道されていました。

以前住んでいた場所は壊滅的な状況だったので、新居で良かったと

感じていました。

親戚の家?のようなところでは、周囲の人はあまりそのことに無関心で

自分だけが熱心に報道を見ていました。


その後また自分の住んでいるところに戻ったようでした。

途中で中学時代の友人が出てきて、自分の家は大丈夫だろうかと心配していました。

場所が曙、東◎原・・・ということで、これは今住んでいるところではなく

実家の近辺のことだなと思いました。

(そうすると、津波でもおかしくありません)

「あそこは、危ないかもね・・・」

と私は答えていました。自分の住んでいたところもほぼ壊滅だよと。


自分は、物はなくなっても平気だと思っていたのですが、

「思い返してみると、妊娠時につけていた日記や結婚式の写真などは

 やっぱりないと淋しいなぁ・・・」と少し感傷的になっていました。

それは、Cか誰かと、そのように話していました。

そこでふと、「HPやアカデミーのデータは無事だろうか!?」と頭によぎり、

急いで、被災後の家に向かいました。

データのあるPCや、アルバム類の置いてある部屋は奇跡的に残っていて

「ああ、良かった」

と思っていました。

家自体は結構被害は大きかったのですが、一室の一角だけが

キレイに残っていたという感じでした。

しかし、周囲は結構無残でした。

歩道橋や信号なども大きな被害にあっていました。


②続き?


こちらはあまり良く分からないのですが・・・


多分続きだと思います。


大きな公園のようなところにいました。

子供たちや家族連れなどがいました。

私は飲みかけの缶ジュースを手に持っていましたが、

閉園のアナウンスが流れ、スタッフが片づけを始めたので

飲みかけのまま、ごみ箱付近に捨てようとしました。

(その場面では、その方が迷惑にならないと感じた)

スタッフに声をかけられ、最後まで飲んでもらっていいと言われたので

時間かかるけど大丈夫?と思いつつも、

もう一度それを手に取り、飲むことにしました。


「もうすぐ終わりの場所」は良く出てきますね。3D地球かな・・・

こちらも意味が深そうだったのですが、前後関係など難しくて

一部分しか持ってこれませんでした。










①津波、走る、パソコン、アルバム、曙

②閉館時間、遊ぶ


外出するので、忘れないようにメモだけ