大分花粉も落ち着いてきて、割と眠れるように
なってきました
4/16の夢
①帰省?
どこかの家の和室にいました。
弟も一緒にいましたが、ずっと一緒というわけではなくて
ちょうどその時に集まっていたという感じでした。
私はどこかへ行かねばならず、それまでに半日から一日ほど
の猶予しかありませんでした。
しかし、母か弟か、身近な人からどうしてもと要請を受け、
行かねばならない場所へ行く前に、さらにもう一往復して
何か荷物を取ってきたりする必要がありました。
自分で運転もしなくてはならず、時間もギリギリで
時計とにらめっこをしながら、実際にそれが可能であるか
考えを巡らせました。
時間がなかったので、しぶしぶでしたが、「行く」と決断し、
あとは飛ぶように、超スピードで行動して何とかしていました。
途中、昔の会社の人なども出てきました。
最後には感謝されていたようでした。
4/15の夢に近いような感じで、身近な人にお願いされて
どこかへ行って何かをしてくる、そして感謝される、という
流れの夢でした。
行かねばならない場所(=根源であり、未来の宇宙)に行く前に
何か少し寄り道をしているのかもしれませんね
4/17の夢
①津波
暗い時間帯でした。
夜7時ころから9時くらいだったと思います。
津波が突然来ました。
畑のようなところで、地面が凹凸になっているところを、
とにかく必死で走って逃げました。
後方から黒い波が押し寄せてくるのが感じられました。
私は薄着で、初めは何かを手に持っていましたが、
途中からは何も持たず、腕時計だけ(?)で走っていました。
途中ですぐにCと合流し、手を繋いで走りました。
この手を繋いで走れば、物はなくても大丈夫だと思いながら
必死で走っていました。
前にも後ろにも人がたくさんいて、身動きがとりづらく、
すぐ後ろには小学校の頃同じクラスだった男の子などがいました。
津波をやり過ごした後、少し離れた親戚のいるところ(?)へ
移動しました。
そこでは時間は夜の10時くらいになっていたと思います。
テレビで被害状況が報道されていました。
以前住んでいた場所は壊滅的な状況だったので、新居で良かったと
感じていました。
親戚の家?のようなところでは、周囲の人はあまりそのことに無関心で
自分だけが熱心に報道を見ていました。
その後また自分の住んでいるところに戻ったようでした。
途中で中学時代の友人が出てきて、自分の家は大丈夫だろうかと心配していました。
場所が曙、東◎原・・・ということで、これは今住んでいるところではなく
実家の近辺のことだなと思いました。
(そうすると、津波でもおかしくありません)
「あそこは、危ないかもね・・・」
と私は答えていました。自分の住んでいたところもほぼ壊滅だよと。
自分は、物はなくなっても平気だと思っていたのですが、
「思い返してみると、妊娠時につけていた日記や結婚式の写真などは
やっぱりないと淋しいなぁ・・・」と少し感傷的になっていました。
それは、Cか誰かと、そのように話していました。
そこでふと、「HPやアカデミーのデータは無事だろうか!?」と頭によぎり、
急いで、被災後の家に向かいました。
データのあるPCや、アルバム類の置いてある部屋は奇跡的に残っていて
「ああ、良かった」
と思っていました。
家自体は結構被害は大きかったのですが、一室の一角だけが
キレイに残っていたという感じでした。
しかし、周囲は結構無残でした。
歩道橋や信号なども大きな被害にあっていました。
②続き?
こちらはあまり良く分からないのですが・・・
多分続きだと思います。
大きな公園のようなところにいました。
子供たちや家族連れなどがいました。
私は飲みかけの缶ジュースを手に持っていましたが、
閉園のアナウンスが流れ、スタッフが片づけを始めたので
飲みかけのまま、ごみ箱付近に捨てようとしました。
(その場面では、その方が迷惑にならないと感じた)
スタッフに声をかけられ、最後まで飲んでもらっていいと言われたので
時間かかるけど大丈夫?と思いつつも、
もう一度それを手に取り、飲むことにしました。
「もうすぐ終わりの場所」は良く出てきますね。3D地球かな・・・
こちらも意味が深そうだったのですが、前後関係など難しくて
一部分しか持ってこれませんでした。
①津波、走る、パソコン、アルバム、曙
②閉館時間、遊ぶ
外出するので、忘れないようにメモだけ
なってきました
4/16の夢
①帰省?
どこかの家の和室にいました。
弟も一緒にいましたが、ずっと一緒というわけではなくて
ちょうどその時に集まっていたという感じでした。
私はどこかへ行かねばならず、それまでに半日から一日ほど
の猶予しかありませんでした。
しかし、母か弟か、身近な人からどうしてもと要請を受け、
行かねばならない場所へ行く前に、さらにもう一往復して
何か荷物を取ってきたりする必要がありました。
自分で運転もしなくてはならず、時間もギリギリで
時計とにらめっこをしながら、実際にそれが可能であるか
考えを巡らせました。
時間がなかったので、しぶしぶでしたが、「行く」と決断し、
あとは飛ぶように、超スピードで行動して何とかしていました。
途中、昔の会社の人なども出てきました。
最後には感謝されていたようでした。
4/15の夢に近いような感じで、身近な人にお願いされて
どこかへ行って何かをしてくる、そして感謝される、という
流れの夢でした。
行かねばならない場所(=根源であり、未来の宇宙)に行く前に
何か少し寄り道をしているのかもしれませんね
4/17の夢
①津波
暗い時間帯でした。
夜7時ころから9時くらいだったと思います。
津波が突然来ました。
畑のようなところで、地面が凹凸になっているところを、
とにかく必死で走って逃げました。
後方から黒い波が押し寄せてくるのが感じられました。
私は薄着で、初めは何かを手に持っていましたが、
途中からは何も持たず、腕時計だけ(?)で走っていました。
途中ですぐにCと合流し、手を繋いで走りました。
この手を繋いで走れば、物はなくても大丈夫だと思いながら
必死で走っていました。
前にも後ろにも人がたくさんいて、身動きがとりづらく、
すぐ後ろには小学校の頃同じクラスだった男の子などがいました。
津波をやり過ごした後、少し離れた親戚のいるところ(?)へ
移動しました。
そこでは時間は夜の10時くらいになっていたと思います。
テレビで被害状況が報道されていました。
以前住んでいた場所は壊滅的な状況だったので、新居で良かったと
感じていました。
親戚の家?のようなところでは、周囲の人はあまりそのことに無関心で
自分だけが熱心に報道を見ていました。
その後また自分の住んでいるところに戻ったようでした。
途中で中学時代の友人が出てきて、自分の家は大丈夫だろうかと心配していました。
場所が曙、東◎原・・・ということで、これは今住んでいるところではなく
実家の近辺のことだなと思いました。
(そうすると、津波でもおかしくありません)
「あそこは、危ないかもね・・・」
と私は答えていました。自分の住んでいたところもほぼ壊滅だよと。
自分は、物はなくなっても平気だと思っていたのですが、
「思い返してみると、妊娠時につけていた日記や結婚式の写真などは
やっぱりないと淋しいなぁ・・・」と少し感傷的になっていました。
それは、Cか誰かと、そのように話していました。
そこでふと、「HPやアカデミーのデータは無事だろうか!?」と頭によぎり、
急いで、被災後の家に向かいました。
データのあるPCや、アルバム類の置いてある部屋は奇跡的に残っていて
「ああ、良かった」
と思っていました。
家自体は結構被害は大きかったのですが、一室の一角だけが
キレイに残っていたという感じでした。
しかし、周囲は結構無残でした。
歩道橋や信号なども大きな被害にあっていました。
②続き?
こちらはあまり良く分からないのですが・・・
多分続きだと思います。
大きな公園のようなところにいました。
子供たちや家族連れなどがいました。
私は飲みかけの缶ジュースを手に持っていましたが、
閉園のアナウンスが流れ、スタッフが片づけを始めたので
飲みかけのまま、ごみ箱付近に捨てようとしました。
(その場面では、その方が迷惑にならないと感じた)
スタッフに声をかけられ、最後まで飲んでもらっていいと言われたので
時間かかるけど大丈夫?と思いつつも、
もう一度それを手に取り、飲むことにしました。
「もうすぐ終わりの場所」は良く出てきますね。3D地球かな・・・
こちらも意味が深そうだったのですが、前後関係など難しくて
一部分しか持ってこれませんでした。
①津波、走る、パソコン、アルバム、曙
②閉館時間、遊ぶ
外出するので、忘れないようにメモだけ