雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

超長寿高齢化社会を考える

2010-08-24 04:53:43 | 発想$感想
★昨日の夕刊の見出しは、『高齢者万引き再犯防げ』である。
万引きをした高齢者が20年前の10倍だと言う。
『孤立した高齢者にとって人と関わる手段が万引きしかない場合がある。』と大学の先生のコメントである。
地域社会のボランティアに参加して生きがいをなどと言っているが、実効を上げるのは難しいだろう。

世の中超高齢者社会になりつつある。
これは誰も今までに経験のなかった社会なのである。

いろんな対策を考える人たち、政治家が、若すぎる?のである。
100歳近い親の面倒を見ている政治家など少ないだろう。
現実に直面してみないと解らないものである。


★人間その局面に出会わないと真剣にいろいろ考えないものである。
厚かましく自分の意見を述べようとしている私でさえ、1カ月半前の6月末までは、そんなに真剣に高齢者社会など考えたことがなかったのである。

我が家は、3人家族である。
私77歳、家内74歳、これだけでも数字の上では高齢者家族である。
それに明治42年生まれの6月28日生まれの101歳の母がいる。

母の誕生日には4人の妹たちが集まって、明石で誕生日祝いをした。母は三木から明石まで車で私が送って行った。
その頃までは至って元気だったのである。
そのころから、急に眼が見えにくくなったと言うので、検査をしてもらったら、眼底出血という診断、もう年だから治療はするがそんなに改善は見込めないと言う。
1週間に1回病院に治療に連れて行ったが駐車場から診察室まで300メートルほどだが、自分で歩いていたのである。
少し距離がありすぎるので3回目からは、初めて車椅子を借りて運んだ。これは楽だと喜んでいた。

1カ月に24日はショートステイで養老施設でお世話になっているのだが、
今までは、母の『面倒は見ていた』が 『介護をしていた』という実感は一切なかったのである。
『面倒』 と 『介護』は全然次元が違うと言うのをごく最近になって思い知ったのである。

★折しも、100歳以上の長寿者の問題が社会問題になっている。
100歳の人を介護しなければならぬ子どもたちは、みんな間違いなく65歳以上ほとんどが70歳代だろう。

その100歳は30年前は全国で200人、20年前でも2000人であったのに、今は5万人もいて毎年何万人の単位で今後増えると言う。
家で介護などと言う政治家の人がいるが、それは50代の政治家たちの親なら出来ても、
75歳以上の子供に親を家で介護するなど、これは理屈では可能でも現実には難しいのである。

8月14日、お盆の最中に突然母が歩けなくなって、医者も休みだし困り果てて、緊急性はなかったかも知れぬが、救急車で病院を探してもらったのである。
検査の結果体に炎症があるからと1週間の入院、昨日退院の予定だったのである。
家に戻ってきてもどうしようもないので、病院から直接養老施設に退院することになっていたら、一昨日の晩発熱したので退院は止めて2,3日様子を見ると言う。
病院に行ってみたら、10日ほど前とは別人のようである。
これではとても家に戻って来てもらったら、お手上げなのである。


★この数日、ずっといろいろ考えている。何事も楽観的で今でも何とかなると思っているのだが、これは、日本の構造問題である。
それゆえにその構造から、じっくりとトータルの仕組みを考えるべきである。
高齢化社会を高齢者たちからではなくて、その面倒を見る側の年齢から2段階に分けて対策すべきだと思う。
高齢者と超高齢者である。

少子高齢化 核家族 晩婚 独身願望 長寿社会  これらは世の中の流れである。
医学の進歩もあって、超高齢者の社会構造は、今まで経験しなかったレベルにどんどん進むのだろう。
それをを考える政治家たちは、逆に若返りの傾向である。
そんな若い人たちに、こんな傾向の社会の高齢者問題を考えさせても、実態が解らなくて無理なのでは、と思うのだが、
ホントに考えると言うのなら、それに直面している人たちの現状を見て、よく意見を聞いて対策を立てて欲しい。

ずっと、老老家族で暮らしてきた私ですら、『介護』の次元に直面して初めて悶絶してしまっているのである。
私などはまだまだ恵まれた方である。
もっと、もっとひどい条件の人たちは、親の介護など投げ出してしまう気持ちは解らぬでもない。やる気持があってもできないのだと思う

★この1週間突拍子もないようなことを考えている。

●今の介護の級制度を見直して、例えば95歳以上は全員公の養老施設で面倒をみる。それを辞退することは自由とするが原則施設でに入所とする。
(行方不明対策にもなるし、その子供たちは70歳ぐらいだろうから、多分それを希望する家族が殆どだと思う。)

●100歳以上は、即刻やればいい。100歳おめでとうと思うのは多分直接面倒を見ていない人たちの想いで、一緒にいる人は不安が先に立って、そんなにおめでたいとも思っていないのでは。

●もう少し若い年代の親を見るには、『実質の養子制度?』がいいなと思っている。
大体旦那の母親と同居して起こる嫁姑の問題は、基本的にうまくいかないシステムである。
実は息子は養子ではないが嫁の母親を同居させている。100%いいかどうかは、本人に聞いたことはないので解らぬが、私は非常にいいと思っている。
家内と息子の嫁はとても仲が良くて、一緒に旅行に行ったりもするのだが、これはずっと同居していないからだと思う。

●逆に、今家内はアメリカの娘のところに2カ月近い滞在である。結構なことだが、これが息子の所ならとても2カ月の滞在はムリだろう。 
これは人間の、男女の『さがの問題』だと思うので、その方が幾らかでもうまくいくはずである。男は嫁の親とでもそんなに難しくないのではと思う
嫁の方の親を見る人に優遇処置などの制度をとればいい。 

●私の祖母も102歳まで生きた。30年も前だから日本で100歳が珍しいころである。
その祖母も100近くからは70歳代の伯母が面倒を見ていて、もう1代若い家族も同居していたが、家での介護は本当に大変であった。
ある年齢以上は、介護のプロたちがいろんな道具を駆使して、プロのレベルの介護でないと素人の精神論では決して続いたりはしないと思う。

★今の級の制度では、歩けたら介護1級以上には認定されない。
101歳であってもショートステイはいいのだが、ずっと入れて貰うことはできないのである。
この1カ月の間に、目は見え難くなる、歩けなくなる、認知症も、何よりも気力が失せて別人のようになってしまった。
今日、級の変更申請を出すことにしたが、結果がどうなるやら、
『もう少し待って頂けますか?』と言われても101歳のおばあちゃんにはそんなに残された時間はないのである。

本人は、それでも『家がいい』と言うのは、よく解っている。 難しい問題であるが、
中高齢者は『養子?優遇制度』で、超高齢者の介護はプロに任せるべきである。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 潮流発電、新しい段階へ | トップ | 武雄の樋渡さんが書かれた、... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
超高齢者問題 (寅どしより)
2010-08-25 11:32:53
まったく同感です。主人が86歳ですが、自宅での
介護が限界になって今はホームに入って2年になります。2人暮らしの後半はほんとに大変でした。子供たちは離れているので、夜など倒れると私の力で
は動かせません。こちらがぎっくり腰になったり、
認知症もあり、やっとホームに入れられてほっと、
しました。少しは資産があったからですが、今度は
私です。84歳になりました。駅ぐらいは歩けますが、買い物が大変です。でもいろいろ聞くと私はまだ幸せな方だと、一人暮らしをなんとか楽しみたいと思いながらPCを開けたりしています。、お母さま101歳でおられるそうで、私はあとどれだけ元気でいられるか。また読ませていただきます。、
Unknown (rfuruya)
2010-08-25 16:35:25
ブログごく最近始められたのですね。
私もパソコンを始めたのも、ブログをやりかけたのも70代になってからですが、84歳からとはびっくりしました。

母を見ていまして、95歳ぐらいまでは大丈夫だと思います。
ブログ、消えてしまうことありますね。
でも高齢者にとって、ブログはいい楽しみだと思います。

お元気でお過ごし下さい。

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

発想$感想」カテゴリの最新記事