雑感日記

思ったこと、感じたことを、想い出を交えて書きたいと思います。

令和の初めての新春を迎えて

2019-12-31 16:44:04 | 発想$感想
 
 孫・二人と一緒に迎える『令和の初めての新春

 明けましておめでとうございます。

  

 

 
   丹生山に登る初日の出を孫・真也と一緒に。


       

 

 元日早々、三木総合防災公園を走った。

 今年も1年、元気に過ごしたい。

 
      




今年は87歳、この年になると、健康、元気なことが一番である。


 今年も頑張ります。
 よろしくお願い申し上げます。

                令和2年 元旦


                                 
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人が受け継いでいくべきもの   雑感

2019-12-31 07:43:26 | 発想$感想

★ 最近は、自分の人生も間違いなく終盤に入っていることを実感しているのだが、息子と娘の二人の子どもたちも、
何らかの形で私たち夫婦のDNAというか『いいところも悪いところ』も、
それとなく受け継いでくれているのだろう。

そして、さらに4人の孫たちを見ていると、
ホントにいろんな人たちの『いいとこ』を受け継いでいるのだなと思っている。

12月にアメリカからやってきた孫・門野真也は、
スポーツセンス』というよりも『娘婿の身体の頑健さ』と、
誰に似たのか『めちゃ真面目な努力家の性格』によって今現在があるのだと思うのだが、
意外なことに料理もやれるなど『特技』みたいなものも持っていて、
サッカーがダメなら『料理家』になったら成功するのではと思ったりする。

それともう一つ『絵を描くこと』が、得意というか好きなようで、画用紙にいっぱい絵を画いて持っている。

昨日も、こんな『私の写真』を

 


 こんな絵にして、時間を潰していた。
 絵を画いてる時間が楽しそうである。

   



★そんな絵の中から、ネットでいろいろと送って来たりするのだが、 
上手いのかどうかはよく解らないが、結構ちゃんと画けていて、
絵にも『几帳面な性格』がよく出ている。

 


   










 こんな才能も、DNAかなと思ったりする。
 
 娘の方の3人の孫たちは、画風は違うがみんな独特の絵を画くようだし、
 
息子の方の孫・古谷仁は、何と言ったらいいのか、発想も行動も独特で、
間違いなく、世の中の先端を走っているのは、誰に似たのだろう?

 彼のTwitterにはこのように自己紹介している。

  

     

 

 彼のInstagram からである。

   


★ところで、私の父も絵が趣味で、『素雪』と号して、
私が子どもの頃の朝鮮時代には、沢山の絵を画いていた。


これは戦後日本に引き揚げてきてから画いた数少ない絵なのだが、

  

 

遠い親戚に 日本画家の大家・橋本関雪がいて、
書は関雪の父の書家・橋本海関に習い、絵は関雪に習ったのが自慢だった。
素雪』の号も、多分『関雪』から頂いたものなのだろう。
  




ひょっとしたら、真也はそんなDNAを持っているのかな?
などと思ったりしている。


★そんな観点から、4人の孫たちを見てみると、なかなかオモシロい。

私たち夫婦の幾らかも、勿論持っているのだが、
それ以外の『いろんな方たちのDNAだな』だと思うところが散見されるのだが、

孫の末弟・門野哲也のアメリカ人のチームメートと並んでも、
ひと際大きいこの『背の高さ』は、誰に似たのか?
周囲に、『こんな背の高い人』は思いつかないのである。

 


 幼稚園の頃にアメリカに渡り、アメリカの食文化と環境の中で育ったら、
『こんなに背が高くなるのか?』と不思議に思っている。

 長男の力也は、背はそんなに高くないし、ネットなど理数の分野はめちゃ得意なのに、ネットに登場したりするのは『好きではない』。
写真を撮られるのも嫌ったりするのは、間違いなく家内と似ているのだが、自分のやりたいことに熱中するところや『外面がいい』ところなどは私にも似たところがある。

 
★娘の方の孫たちは、そんなアメリカで育って、
アメリカのおおらかさなどいいところもいっぱいあるのだが、

是非『日本人の持つ本来の良さ』を引き継いで行って欲しいなと思っている。

今夜は大晦日『除夜の鐘』が聞かれる。
除夜の鐘がうるさい!

などの意見が出るのは寂しい限りである。

  

 
 どんどん国際化する今の時代にこそ、日本の伝統的な文化は大事に残されて、
 引き継がれていくべきなのだろう。

 年にたった一度の除夜の鐘が『うるさい』などという声が聞こえたりするのは、
 残念なことである。

 この1年、いろいろお世話になりました。
 皆様、いいお年をお迎えください。

  
 
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 年末の1日は、こんな1日だった

2019-12-30 06:44:44 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★今年もとうとう12月29日、ホントに押し詰まってきた。
何だか、1年があっという間に過ぎてしまうような気がする。
そんなに悪いこともなかったので、『今年もいい年だった』と言えるのだろう。


そんな年末の1日、二人の孫たちを連れて昼は『日本のうどん』を食いに行った。
長男の力也は日本にいるのだが、次男の真也はアメリカなので、
なかなか『日本のうどん』など食う機会がないのである。


 左は次男・真也の注文品『明太うどん』、末弟・哲也のリコメンドだとか。
 てんぷらの量が流石である。
 


 私は手前の釜揚げ・並に野菜のかき揚げ。
 なかなか旨かった。


★昼からは、次男の真也が朝、ジムの筋トレも公園での階段上り下りも、10周もしたというのに、午後また防災公園に走りに行くというので付き合った。

ここは県立の公園だが、入口には『休園』の表示があって、車は中に止めることはできなかったが、沢山の人たちが遊びに来ていた。
流石、年末年始、公園にも『休園』があるのだ。

 
 

 帰って、ホームページを見たら、こんな情報が流れていた。
 『休園』だけで、『入園禁止』にはなっていない。
 注意して遊ぶようにと言うことのようである。

  

 

★ちょうど1時間こんなランニングを中心に動き回って、
 

      


 私も周回路を2周などスロージョッギングなどしていたら、一万歩を記録した。

    


 fitbit の記録によると、

 10,296歩  アクテイブに動いた時間は71分  動いた距離 7,43km
自分ではなかなか『いい記録』だと思っている。
 
   


 
真也は帰ってきてから、隣の子たちがサッカーしていて、
それにも『寄せてもらって』いた。

   

 
そして、夕方からは西神の日本にいたころの幼馴染のお宅から招待があって、
夕方から、兄弟二人で出かけていった。
それにしてもよく動くものである。


★二人がいなかったので、夕食は夫婦二人、こんな『刺身の切れ端』を買ってきて、
 コレでビールを飲んだ。
 いろいろな魚が入っていて、安かったがなかなか旨かった。

   





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アクテイブな時間

2019-12-29 05:38:42 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 今年も年末・年始の時期となった。
私自身は昔のように 『正月を迎える』いつもとはちょっと違った感覚も最近はなくなったが、世の中は同じように年末年始の新幹線も混むし、名神高速の渋滞も続いている。

我が家には今、孫二人が遊びに来てるのが、いつもと違ったところなのだが、
昨日は子どもの頃からお世話になってる、『登山道夫』さんを訪ねて、
ご挨拶などしてきたのだが、その時横から撮った写真である。
 
   


こうして改めて写真を見ると、孫たちも大人になったし、
登山さんも同じように10年のお歳を重ねられて、なかなかの貫禄なのだが、
考えてみると娘や息子と同世代なのである。

孫たちも、登山さんの子供さんと同世代で、
10年前のまだ子どもだったころに『カブトムシ採り』に一緒に行った時のことなど、
話されていた。



 当時の次男と末弟で、今は二人ともスポーツ選手ですんなりしていて、
当時は一番スマートだった長男が、少しふくよかになっているのである。

私自身も『10年、歳をとった』と言うことなのだろうが・・・・
自分自身では、そんな感じは殆どなくて、
10年前と変わっていない』などと思うところが『歳をとった証拠』なのかも知れない。


★今回12月9日に、アメリカから孫の次男・真也がやってきて、彼が腕につけていた
体調管理のfitbit』に興味があって、早速買って12月11日から、同じように腕につけているのだが、いろんな体調記録がパソコンなどでも見ることが出来るのである。

いろんな記録』がある中で、『毎日のアクテイブな時間』に特に関心を持っていて、
毎日30分以上のアクテイブな時間』を持つように心がけている。

その記録を見ると、雨が降って『外の運動』が出来なかった一昨日を除いては、すべて、『30分以上のアクテイブな時間』が持てている。


   


アクテイブな時間』とは
『早足から有酸素運動またはジョギングなど、通常の歩行よりも努力を要するもので、アクティブな時間は中程度~激しい運動が 10 分間継続された場合にのみ認められる。』
というものだから、振り返ってみるとスポーツを止めてしまった30歳からの現役時代は、多分間違いなく『アクテイブな時間=0』の人生が、延々と何十年も続いていたのだと思う。

★ そういう意味では、
年末・年始を特別な時期と感じなくなって、年賀状も止めてしまった80歳ごろから、
逆に私の『アクテイブな時間』は持てるようになったのかも知れない。

 特にこの3年間、ジムにも通いだしたり、50メートルダッシュを始めたのが80歳ぐらいからだから、長く途切れていた『アクテイブな時間』が何となく復活したような形になっているのである。

こんな日常生活は、新しい年でも続きそうで『日常生活のパターン』として定着するように思う。
 何か自分でも不思議にも思うのだが、そんなに努力などしなくても『アクテイブな時間』は、日常生活の中に定着している感じなのだが、それが記録に残せるようなところが現代なのである。

fitbit はこのほかにもいろんなデーターを提供してくれるので、大いに気にいっていて、今回孫が持ってきてくれた『一番のお土産』のような感じなのである。


 
 


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一万歩を目標にした1日

2019-12-28 07:37:39 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 朝8時、ジムに出かけようとしたら、5時から24時間空いているジムに行っていた孫・門野真也がちょうど戻ってきて、『1万歩歩いたよ』というものだから、
そうだ昨日は焼き肉を食ったし、雨だったので運動も休んだので、今日は『自分も一万歩を歩こう』と思ってジムに出かけたのだが、
生憎『ランニングギャラリー』が使えなくて、ジムでバイシクルなどに乗ってみたのだが、『歩数』が全然記録されないのである。

 どうしようかな? と思ったのだが、
そうだ隣の三木山森林公園で、『一万歩になるまで歩こう』と
10時ごろからスタートしたのである。

 三木山森林公園には、山道も、ちょっと大きな地道もあって、縦横に散歩道があるので、『一万歩歩く』など楽勝なのである。


 こんな林の中の道も、
   


 さらにこんな山の中の道も
 


 そして、こんな動画に纏めてみた。





1時間ちょっと掛かったが、 見事 『一万歩は達成』できた。

 午後の段階で、こんな状況なので、
 今晩は、孫たちがフットサルの試合に出るというので、それを見に行ったりしたら、ひょっとしたら『2万歩』にもなるかも知れないと、
いま、午後3時には、そんなことを思っている。


   



★ 夜は孫たちが、日本の友達の『しゅんちゃん』と一緒にフットサルに行って、
寒いので観ながら周囲を歩いていたら18000歩にはなったが2万歩はダメだった。




 3人ともなかなかの活躍で、ゲームが終わったらこんな集合写真を求められて、
おおもて』だった。

  


こんな1分ほどの動画に纏めてみた。


  
  

いつも孫たちが三木に来ると、真也の隣にいる『米田和彦』さんが誘ってくれるので、三木の夜を楽しませて貰っている。

力也が一番初めに、その後真也も、末弟の哲也も、アメリカの孫・3兄弟が出場させて貰っていて、もう5年以上になるだろう。


★そんなことで、久しぶりに12時近くまで起きていた『長い1日』になって、
 『2万歩』はダメだったが、『18000歩』は記録できて、
 一応朝の目的は達成できた、健康的な1日となった。



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私 と 野球   雑感

2019-12-27 07:02:52 | スポーツ

★ この12月に大学の野球部の創部90周年のOB総会が神戸ほっともっと球場を借り切って行われ、いろんな催しがあったのだが、
先輩たちの『ティーバッテング』などもあって、
生まれて初めて、『ティーバッテング』なるものにチャレンジしてきた。

私たちの時代は、今の野球とは全く違って、
金属バットも、ヘルメットもなかった時代なのである。
プロ野球の選手で言えば、阪神の吉田義男が同期、長嶋茂雄は2年下である。

そんな初めての『ティーバッテングの連続写真』を後輩が送ってくれたので、
自分自身のために、このブログに残しておこうと思う。

最初は戸惑ったが、何とかバットが振れてボールが飛んだので、気持ちよかった。
腰が逃げてしまっているのは仕方がないが、まあ何とかボールは飛んでいる。

 


  









★70名ほどのOBたちが集まったのだが、86歳にもなると私は2番目の年長者で、
ティーバッテング』も、トップで打たして貰ったのである。

ダイヤモンド一周の計測などもあったのだが、これにも参加して、
こちらは結構ちゃんと走れて『28秒で走り切れた』ので、
機関誌への投稿原稿にも、
なんと学7の古谷先輩も参戦。28秒の好タイムに皆がビックリさせられた
などと書いて頂いて、大満足なのである。



 


球場もオリックスの神戸の本拠地の神戸ほっともっと球場で、
こんな本格的な球場で野球が出来たのも、多分これが最後になるだろう。



★『私と野球』についても、何度かこのブログにアップしているが、
1950年代の野球と言えば、日本国中の子どもたちが野球に熱中した時代で、
私も学生時代は、勉強など横に置いて『野球に没頭』した高校・大学時代だった。

当時は『甲子園の優勝旗』が箱根を越えたことがない西地区優勢の時代だったが、
兵庫県も結構強かった。
不思議なことに私たちの時代は公立校が圧倒的に強くて、
当時の甲子園への出場校は、神戸一中・神戸二中・明石高校・鳴尾高校・県立工業・芦屋高校などが常連校で、私立では育英高が強かったと言える時代だったのである。
芦屋は植村投手を擁して全国制覇を果たしたりした。

そんな時代に私は旧制の神戸一中から、学区制になって明石高校に転校したのだが、当時の明石は、かっての中京―明石の25回戦などから『名門明石』と言われていて、昭和25年(1950)の夏には甲子園に出場した。
今の兵庫県での強豪校明石商業は、当時の明石高校の商業科だったのである。
 
そんな明石高校で私はショートをしていて、守備はまずまずだったと自分でも思っているが、バッテングはそんなに自信があったわけではないのは、当時の野球の練習は守備のノック中心で、バッテングに掛ける時間が、今と比べて圧倒的に少なかったと言っていい。

今回『ティーバッテング』を初めてやってみて、こんな練習でもあれば、バッテングも上達しただろうなと思った次第なのである。

そんな野球の練習の違いが、今と昔の野球の『レベル差』になっていると思うし、
もう一つは、『基礎体力』の体力差かなと思う。
86歳の私でも、何とか走れたり、打てたりするのは、今でも『基礎体力』を鍛えているからだと思う。


 ★今回は、立派な写真を送って貰ったりはしたが、高校・大学時代も野球の写真は殆ど持っていない。

というより、あまり写真など撮らなかった時代なのである。
野球の写真などこれくらいしかないのだが、このブログに一緒に収めておこう。


 

 

 
★そんな『私と野球』だが、
球友たちも多くがこの世を去ってしまったし、
私自身もプレーなどする機会などはないだろうから、
ティーバッテング』でも、こんな本格的な球場での写真が残せたのは幸せである。

因みに、被っている帽子はアメリカにいる娘婿が勤めている会社がエンゼルスのスポンサーをしていて、昨年大谷翔平の出た試合に『招待』されたのだが、その時頂いた帽子なのである。

こんな歳になってみて、人生最後は『体力かな』と思う。
生きていても『自由に動けない』ようでは面白くない。
昨今の子どもたちの『体力の低下』などが言われているが、子どもたちももっとスポーツを楽しむ時間を持つべきだと思う。

そういう意味では、今の生活でも『アクテイブに動く時間』が毎日30分以上も取れているのは、若い頃『野球の練習』などやっていて、体を動かすことが苦にならないからだと思っている。

  


今頃になってまた『スポーツの良さ』を見直している私なのである。


 

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今日から孫が二人になった

2019-12-26 05:47:59 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 正月休みで、東京で勤めている孫の長男・門野力也がやってきた。

 新神戸駅まで迎えに行った。

 10時前にやってきた。

 

 
三木に戻って家に帰るまでに、力也の好きなドーナツを買いに。


                      

 



★ 大晦日までいて、元旦早々に東京に戻るらしい。

 それまでは、あれも、これも食わねばならぬし、兄弟でサッカーしたりするスケジュールいっぱいで、忙しいことである。

 
早速防災公園でサッカーを。
       


 私も周回コースを2周して、芝生でダッシュをしてたら、1万歩を記録した。

 


 86歳にしたら、結構ちゃんと走れてる。
  


 こんな動画を撮ってきた。      
 


夜は、力也の好きな『すき焼き』で、第1日は終わった。



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雑感日記 の 訪問者300万人達成!

2019-12-25 07:02:33 | ネット、Twitter & Facebook、Instagram

★『雑感日記』をスタートしたのは、
2006年9月のことだから、もう10年以上になる。

その間、いろんなブログも試してみたりして、一時は10種類ほどのブログに同じ記事を流したりしていたが、結局はこのgooのブログに絞ってアップすることになったのである。

その理由を端的に言うと、その『アクセス解析』が、他のブログに比べて素晴らしかったからだと言っていい。

 こんな感じなのである。 
 クリックされたら、どんな感じなのかお解り頂けると思う。



 
 そんな中で昨日、このブログへの『訪問者累計が300万人達成!したのである。


   


トータル閲覧数は、1100万人台だが、これも1200万人が狙えそうである。
最近のこのブログへの訪問者は、こんな感じで、訪問者は毎日800人から1000人を越えたりするのだが、

 やはり300万人は我ながら『すごいな』と思ってしまうのである。

 

 
 
毎日の積み上げだが、一応は記録は取っておいたのだが、それによるとこんな推移なのである。

 


 300万人達成なので、
 次は 『トータルページ閲覧数、1200万』 を目指して頑張りたい。



 



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日本とアメリカも『近いな』

2019-12-24 07:35:30 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★いま、娘の方の孫の次男・門野真也が1ヶ月ほど遊びに来ている。
 昨年大学を卒業して、今はプロサッカーの世界にいるのだが、結構オモシロい性格である。

日本に来ていても毎朝、アメリカの母親にはネット電話で連絡し、逐一ご報告なのである。



日本とアメリカのIrvine の時差はちょうど7時間で、
こちらの『昼飯どき』は、アメリカでは夕食時間なのである。

昨日は、向うは日曜日で娘婿も孫の末弟も家にいて、娘はちょうど食事を作っていたのだが、その料理中から先方の食事の終わるまで、ずっと繋いで話をしていた。

先方からも、こちらの映像が見えていて、お互い話をしていると『一緒にいる』ような感じなのである。
娘婿とも、孫の末弟の哲也とも話をした。 
電話と違って、途中からでも割り込んでくるので、一緒にいるような感じになる。



 
話しているうちに食事もできて、
娘はどうやビールで乾杯からスタートである。
旦那は今は減量中で、孫はアルコールなど飲まないから、ひとりだけのはずである。




★そんな情景を私がスマホで写したものである。

日本に来てる孫の門野真也は、自分の体調管理には厳しくて、
殆ど『炭水化物』は口にしないのだが、先週友達と博多に遊びに行って、ラーメンなどを食ったりしたので、今はその調整中で昼飯などは自分で作っている。

これが昨日の昼食のメニューで、その画像はアメリカにも映っている。



 自分で買ってきたこんな野菜の炒め物と



 
こんな鳥の『けばさき』 と



アメリカではなかなか食えない『しおさばの切り身』で、
タンパク質中心で、炭水化物は一切なしである。





★これは、私と家内の昨日の昼食。
 
孫が博多で買ってきてくれた『からしめんたいこ』に合わせてこんな純日本的なメニューだった。
  


 孫が言うのに、娘の好きな『なすやきゅうり』の漬物があると伝えていた。
 向うにあるのは『のり


 
からしめんたいこ』が旨かった。
この米は、『孫がアメリカから来る』というので、先日綾部に行った時に買ってきた、結構高級なコメなのだが、残念ながら『孫はいつもは食わない』のである。

それでも、幾らかは気にしていて、25日からは孫の長男・力也がやって来るので
その時に食う』とか言っていた。


★ざっと30分以上も、ネットを繋いでいて、これが『無料』というから、不思議な世の中である。
Facebook も繋がっているので、遠く離れたアメリカの距離感は全くないのである。

新春の10日ごろまで孫は滞在だし、それまでは賑やかな毎日が続きそうである。



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昨日の日曜日は

2019-12-23 06:00:09 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★ 孫の門野真也がアメリカから来ているからだろう、息子は真也とサッカーをするのを目的でこの週末三木にやってきた。

 12月21日がたまたま結婚記念日だったので、息子も来てくれて、
 何となくお祝い気分の夕食だったのもよかった。
 
昨夜は博多に遊びに行っていた孫の真也も日曜日の朝には戻ってきて、
早速三木総合防災公園の広場にサッカーの練習に行って1時間ほど汗を流してきた。

   

 
 古谷大治、 56歳にしてはまだよく動けているのかな?
 かっての教え子の真也も成長して、今はアメリカのプロなのだが、
 一緒に写してもそんなに『みっともない』ことでもないようなので、

 こんな動画に纏めてみた。


 息子との2ショットも久しぶりだった。
   



★ 昼は近くの『こざる』の焼き肉に。

 私は運転手なので飲めなかったが、
 息子は昼から結構飲んだし、みんなよく食った。

   

 

 

 


 帰りに、みんなで記念撮影。
アメリカの娘家族には『人気のこざる』なので、ちゃんと『行ったよ』とのお知らせである。
 25日から年末にかけては、孫の長男・力也もやって来るので、年明けまでにもう一度行くことになるのだろう。
  



★ 息子は昨夜はクラブワールドカップのサッカーの試合を朝の6時まで見ていて『眠たい』と言って寝てしまった。
 
孫の真也は、ジムに筋トレに出かけてしまって静かである。

私も朝から走りに行った後の、2回目の防災公園だったし、
日曜日なのに8000歩を越えたし、
運動などに費やす=アクテイブな時間』は、ずっと目標値・30分を常に越えて、
こんな結果を記録中なのである。
 


 健康的な『アクテイブな毎日』が継続中である。


★ そして、夜になった。
夜は鍋、そして『M1 グランプリ』が始まって、鍋をつつきながらのテレビ観戦となったのだが、不思議なことに出場者の情報を含め、アメリカからやってきた孫・門野真也が一番詳しくて、いろんな解説は真也から出るのである。

 びっくりした。
   

 アメリカにいても日本の好きなテレビは殆ど観ることは可能で、娘一家は漫才が好きだからずっと見ているようなので、ホントにびっくりするほど詳しかった。


結果は、『ミルクボーイ』が優勝した。



★なかなか内容いっぱいの日曜日だった。

 息子は今朝の午前中の便で、鎌倉に戻る。
 お互い、なかなかイイ週末だった。

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結婚記念日に息子がやってきた

2019-12-22 06:40:32 | 日常生活・園芸、バラ、メダカ、金魚

★昨日は鎌倉から息子がやってきたので、伊丹空港まで家内と迎えに行った。

 伊丹空港も、少し新しくなって様子が昔と変わっている。

   

実は、昨日『12月21日』は『結婚記念日』なのだが、息子がそれを知ってるわけはないので、それでやってきたのではないことは確かである。

 間違いなく、アメリカからやってきているかっての『サッカーの教え子・門野真也』に会いたかったのだと思う。
 全日空のこんな卓上カレンダーを例年通り私に持ってきてくれた。

  

 
息子もコドモの頃からサッカー一筋で、全日空にも当時のサッカーチームの関係で入社できたようなことで、今でも『サッカー』は息子にとっては特別なモノなのだろう。
 昨日は博多に友達と遊びに行ってた孫も、今日は朝から戻ってくるので、間違いなく、どこかのグランドで『サッカー』をするに違いない。


★ 私も息子とは、結構仲良く付き合っているのだが、『母親』の息子に対する扱いは、また格別である。
 今では『結婚記念日』などは、眼中にないのだが、息子がやってきたので昨夜の食卓にはいろいろと並んだりした。

 息子も56歳になったという。 
 私たち夫婦も『56回目の結婚記念日』なのだが、まあよく続いているものである。

それはそれとして、今日1日はどんなことになるのだろう。
博多に行ってた孫は、10時ぐらいまでには戻ってくるだろう。
家内の予定は、昼には、『こざる』に4人で焼き肉を食いに行き、夜は『海鮮鍋をする』
ことに決まっている。

 私は多分、
 このあと防災公園に走りに行き、
 孫が戻ってきたら、息子とサッカーに付き合い
 家内の夜の『海鮮鍋』の材料の買い出しに付き合い、
 昨夜、夜中にあった『サッカー・クラブワールドカップ』のテレビの録画を観たり

 することになるのだろう。

 三木の天気は夕方から雨との予報だが、午前中は大丈夫のようである。
 まあ、どんな1日になるのか?
 
 いい1日にしたいと思いながら、このブログを書いている。
いま、6時半、多分息子は夜中に『サッカー・クラブワールドカップ』のテレビを観ていたに違いない。未だ寝ていて、起きてきていない。

 どんな1日になるのだろうか?


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レース界の話 いろいろ

2019-12-21 07:38:21 | M/Cレース

★昨日の午後、『忠幸松本』さんから突然、Facebook のメッセージが届いた。


今から三木にお伺いしたいのだが、ご都合は?』 と仰るのである。

FBでは毎日繋がってはいるが、お会いしたことはなくて、レース界の特に『神戸木の実クラブ』の金谷秀夫のことなどに詳しく、沢山の写真を持っておられる方、という認識だったのである。

お会いしていろいろお聞きしたら、『金谷秀夫の店』に勤めておられて、神戸木の実クラブとも関係が深かく、楽しい『レース界独特の』の昔話が続いたのである。

今は旭川にお住まいのはずだが、『なぜ神戸に?』とお聞きすると
来年2月1日に、神戸である『片山義美を偲ぶ会』の打ち合わせに来られたようなのである。

この会には私もご案内を頂いていて出席の予定なのだが、この会の発起人の方々の殆どは、私も親しく関係のあった方々なので、お会いできるのが楽しみなのである。
そんなことで、『初対面』とは思えないような、いろんなレース話に花が咲いた楽しい数時間を過ごせたのである。

   
 
 

★この時代のレース界は、メーカーの枠を越えての繋がりがあった時代だったので、『片山義美』さんともカワサキは直接の契約関係などはなかったのだが、非常に親しくさせて頂いたのである。

以下はかって私がアップした
名門神戸木ノ実レ―シング50周年を祝う会』というブログからの抜粋だが、


●『神戸木ノ実レ―シング50周年を祝う会』がグリーンピア三木で行われたので出席した。
●50年前の日本のレース界、特にモトクロス関係は、MCFAJという全国のレーシングクラブからなるクラブ連盟の方がMFJよりもむしろ主力であった。
●カワサキがレースを始めたころは、片山義美さんが主宰する、神戸木ノ実レーシングの歳森康師、山本隆と個人的なライダー契約を結んでスタートしたのである。
●ヤマハは、野口種晴のスポーツライダースというクラブで、スズキは、東京の城北ライダース、関西は京都の小島松久のマウンテンライダースなどがファクトリーライダーたちを擁していた。
●カワサキは、歳森康師、山本隆に続いて、ロードレースで金谷秀夫、さらに村上力などとも契約を結んだし、片山の義弟の従野孝司とも契約を結んだ。
●関東のカワサキコンバットがが解散してからは、星野一義や清原明彦さらには和田将宏などカワサキの契約ライダーたちがその籍を置いてカワサキ色が強くなった時期はあるが神戸木の実クラブ』はマツダとも、ヤマハ、スズキやホンダとの契約のあるライダーを有する非常に特色のあるレーシング倶楽部だったのである。


昨日の『忠幸松本』さんとのお話も、こんな昔ばなしに終始したのである。



 ブログにはこんな写真も貼付してあって、

メインテーブルに座ったメンバー、前列左から
山本隆、片山義美、清原明彦、後列左から私、金谷秀夫、和田将宏、村上力。

他にも毛利良一、杉尾良文、近藤博志、など全日本チャンピオンたちも出席していたのに、まあ年寄りの特権ということか。
このパ―テ―の最後に挨拶に立った片山義美さんが、
『神戸木ノ実レ―シングは本日の会合でその歴史を閉じたい。今後は神戸木ノ実クラブとして親睦会として継続したい。』と述べて50年の歴史の幕を閉じたのである。

と結んでいるのだが、そんな片山義美さんや、金谷秀夫を偲ばねばならぬことは、ホントに残念なのである。


★片山義美さんは三木のご出身で、これは三木で開催されたイベントに出席された片山さんと、今の三木商工会議所会頭の稲田三郎さん、現市会議員の大西ひできさんとのスリーショットで、シャッターを押したのが私なのである。
 
この時が片山義美さんとの最後になってしまった。
 

    


そんないろいろのレース関連の想い出話がいっぱいだったのだが、
初対面の『忠幸松本』さんだったが、なかなかイイお話が出来た昨日の午後だったのである。

 


★ 次回は来年の2月1日の『片山義美を偲ぶ会』でお会いすることになるのだと思うのだが、昨日お会いできたのは本当によかったと思う。


 
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サッカーの監督交代論  雑感

2019-12-20 06:35:48 | 発想$感想

★ いつも思うのだが、サッカーの監督に対する評価は、野球などに比べると
 『極めて厳しい』というべきか『厳しすぎるのではないか』と思うほどである。

サッカーの監督は、選手をピッチにだしてしまうと、ベンチからの采配は、そんなに簡単ではないと思う。
 
野球の場合は、毎回ベンチで選手と話もできるし、ピッチャーの交代も、代打の起用も、選手の交代もサッカーに比べたら『極めて自由』で、試合の勝敗に監督の『任分野』は大きいと思うのだが、ちょっと負けたぐらいでは、『監督交代論』などは出てこないのが普通である。

★それに比べると、サッカーの場合は、『負けが込む』とすぐ『監督交代』になってしまうし、極端に言うと一つ負けると『監督交代論』が浮上したりする。

つい先日あった『日韓戦の決勝戦』引き分け以上で日本の優勝だったのだが、
結果は1-0で負けてしまった。

その試合はテレビで見ていたが、確かに内容は悪かったし、
無策』であったようには素人目にも見えたのだが、早速こんな論評が出た。

 
  


 他紙ではこのように論評している。

  

 
いずれも、選手よりは『監督に責任がある』という観方である。


大体、今回のE-1戦と言われる、アジアカップは、
絶対に勝たなければならないような大会なのか?
 
もし、それなら、『なぜ、ベストメンバーを招集しなかったのか?』と思うが、
海外の選手を呼ぶのはムツカシかったレベルの大会なのか?
Jリーグの、ベストメンバーとも言えないような、育成途上の選手を集めていて、
来年のオリンピック対策のようである。

それは『監督の判断』なのか、それとも協会もそれを黙認したのか?
それで、負けたら即『監督交代論』が出るところが、よく解らない。

記事を要約すると、こんなことである。
サッカーの場合は、記者というか、外野席が『うるさすぎる』キライがある。

まるで2年前のデジャブかと思うような酷い敗戦だった。結果はもちろんのこと、内容もすこぶる悪い。・・・・
こうなると、森保一監督の解任論が出てきてもおかしくない。・・・・
ここで森保監督の解任に舵を切るなら、ハリルホジッチの一件との整合性はとれる。だが、森保体制を維持するのであれば、しかるべき立場の人間は説明責任を果たすべきだ。この試合内容の一体何を評価しているのかを。・・・
 対策できないはずがないのだが、まんまとやられていた。加えて、試合中も修正できていなかった。・・・・
戦術的無策。監督の力量で差が出た
 このままでカタールワールドカップを戦えるのかどうかを。私は厳しいと思う。・・・
森保監督を続投させるのであれば何らかの理由付けが必要だ。この一敗はそれほどまでに重い。』

 サッカーの場合は、日本代表監督はずっと変わってきている。
外人監督を含めて、『評価された監督』は少ないというか『いない』ようにも思う。
その時々の『外野席』がうるさすぎるように思えてならない。

 別に『森保監督を弁護』する積りもないし、
先日の試合は『無策』であったというなら、それも認めるのだが、
こんなに『小うるさく』言うことには、『またか』と思ったりする。

サッカーは好きだし『日本のサッカー水準』も昔に比べると『格段の進歩』だとは思うのだが・・・・



 

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I 💛 Miki のマグカップ  雑感

2019-12-19 06:39:54 | みっきぃふるさとふれあい公園

★我が家には 『I 💛 Miki のマグカップ』が
 このところどんどん貯まることになっている。

  



Enjoy Sports』 とあるように、三木総合体育館のスポーツジム・ランニングギャラリー・プールに行けば,
こんな日本列島の地図に一個づつ印を押してくれて、
いっぱいになると『マグカップ』が頂けるシステムになっている。

 北海道も4地区に分かれているし、兵庫県も3つに分かれているので、達成するには77回掛かることになるのだが、
1日に3か所利用することもあるし、1週間に4日は通っているので、
今回頂いたカップは6個目なのである。
 
また用紙が、新しくなったので、7個目にチャレンジである。

 



今回頂いたカップは、アメリカから遊びに来ている孫に、
記念にやる』と言ったら
サインをして』と言われて、写真を撮ってくれた。

昨年は、一番下の孫に上げたので、コレで二つのカップが、海を渡ってアメリカに行くことになる。

   



★ ジムに行きだして、もう3年目に入っているのだが、
このシステムが始まったのは確か2年程前からだが、1週間のうち何もなければ、月・火・水・金と四日は行ってるし、月・水・金はジム・ランニング・水泳のフルコースなので、77回と言っても2ヶ月ほどでマグカップ1個を頂けているので、これが6個目になっているのである。

この調子ではどんどん貯まりそうだから、年末にかけては息子も、娘の方の孫の長男もやって来るというので、『あと2つ』貰ってもらうことにしようと思っている。

いつの日にか、
あの頃は、おじんも(おやじも)元気だった』と想いだしてくれるかも知れない。


★ ホントに、何歳になっても運動を続けることは『いいこと』である。
 不思議なことに『どんどん元気になって、体力がつく』のを実感できている。

  今月、孫がアメリカからやってきてから、fitbit を身に付けていたら、
 いろんな健康データーが取れて

     


例えば、1日の中で『アクテイブ』に動く運動の時間を目標30分としているのだが、
こんな調子で、目標達成なのである。

 
 

別に何もしなくても、
時計のように『腕に巻いている』だけでいいので、気が楽である。  
いろんなデーターが、パソコンの画面に現れるのがいい。
みんな孫がやってくれたのを、私は見るだけだからできるので、なかなかセットするのは自分ではムツカシイ。

運動をよくするからか、ごく最近は、昼寝を入れてだが『8時間』を越える睡眠時間になっているので、疲れが残ったりはしていなくて、すこぶる健康的な毎日なのである。
   


こんな『睡眠時間の データー』も出るし、  いろんな目標値もセットできるのがいい。 

 三木には広くて大きな公園がいっぱいで、木・土・日と走りに行く
 『三木総合防災公園』はこんなイメージだし、


  

 月・火・水・金に行ってる『三木山総合公園の体育館』はこんな感じで、



 『Enjoy Sports』だし、  三木のまちは気に入ってるし、
 まさに、『I 💛 Miki』 なのである。


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 


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よく知らなかった日本の給与水準の話  雑感

2019-12-18 07:37:34 | 発想$感想

★『日本の給料は1990年代末から下降を続け、20年ほどして下げ止まり、上昇に転じたがペースは緩く、いまだピークだった1997年よりかなり低いレベルなのだ』
という記事が載っていた。

1997年がピークだった』というのはびっくりした。

私のサラリーマン生活は、昭和32年(1957)に始まって約40年間だったのだが、
現役時代の給料は12000円の初任給から年々一度も下がることなく上がり続けて、
1997年がピークだったとしたら、給料水準が上り詰めた時点で現役生活を終わっていることになる。
初任給が100倍にもなり、オモシロい時代ではあったが、必ずしも裕福であったわけではない。
子どもたちが大学を卒業して、出費が減った時点からやっと余裕が出来たぐらいのことで、
どうも年功序列の日本の給与体系は『金が要らなくなってから、給与が急激に上がる』のを実感した世代なのである


現在は、年金生活だから、『年金が上がった』はしないし、月々の収入などには何の関心もないのだが、
今の現役の人たちは、一体給与が上がらない状態をどのように思い、
どのように生活しているのだろうか?

私たちの時代は、生活はそんなに楽ではなかったが、初任給12000円から毎年増え続けて、15万円から30万円に4年間で倍増したりしたのは、1975年ごろのことだが、給料が上がるということは『楽しみの一つ』ではあった。


★そんなことで『日本人の給与水準』と検索してみたら、
こんなページが現われて、『日本人の給与水準』は世界に比べると『低い』と言わざるを得ない水準のようである。



  




★なぜそんなことになたのかを解説している記事を読んでみると、

この20年間、先進国はどこの国も、給料は上がっていて、EUやアメリカでは、20年前に比べて平均収入が30ポイント以上も上がっているのに、日本だけが20ポイントも給料が下がっていて、日本は欧米と比べれば、差し引き50ポイントも給料が低いことになっているというのである。

バブル崩壊後の日本は、「国際競争力のため」に、政官財が一致して、「雇用を犠牲にして企業の生産性を上げる」というふうに傾いたからだというのである。
政府は、財界の動きを抑えるどころか逆に後押しし、賃金の抑制を容認した上に、1999年には、労働派遣法を改正して、派遣労働可能業種を、一部の業種を除外して全面解禁し、2006年には、除外となっていた製造業も解禁されたので、ほとんどの産業で派遣労働が可能になったというのである。
このことが、「この20年で先進国で日本人の賃金だけが上がっていない」ということになった最大の要因だというのである。

それともう一つの大きな要因は、日本の労働環境が実は非常に未発達で、日本の社会制度は欧米よりもかなり遅れていて、労働環境などは、その最たるもので「サービス残業」があったり、有給休暇が取れないなどは、日本の労働環境ではごくごく普通のことだが、欧米ではほとんど考えられないというのである
 
今、日本がしなくてはならないことは、日本の中に溜まりに溜まっている富を、もっときちんと社会に分配することで、この金持ちの国、日本で、「まともに働いても自分だけの稼ぎでは妻子を養えない」とか、「夫婦共働きでも、二人目の子供を産めない」というのは、世界から見たら、非常に滑稽な話で、個人の金融資産は1,800兆円以上、企業の内部留保金は、450兆円にも及んでいる日本は、その対策をホントに考えないとイケナイと結んでいた。


★こんな話は、よく知らなかったが、国としては裕福なのだから、
その金をもっと上手に使うことだと思う。

それは個人の場合にも当て嵌まって、その殆どが預金で眠っていたりするのだが、
どのように活用すればいいのかは、なかなかムツカシクよく解っていないのである。




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