ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

山田先生

2006年02月06日 00時41分44秒 | 古い日記
「煙草くさき国語教師が言うときに明日という語は最もかなし。」
                                      By 寺山修二

この短歌を読んだ時、真っ先に頭に浮かんだのが
小学生の時の恩師「山田先生」だ。

もう、時効だから書こうか。

1:歯が煙草のヤニで茶色い。
2:元帝国陸軍二等兵で鉄拳制裁も辞さない。
3:山田農園の経営者。
4:時々、一人で風景画を書いている。
5:若い頃、飢えに耐えられず食べ物を盗み、前科者になった経歴あり。

こんな感じかな?今は絶対にいないタイプの教師だよ。

先生の農園には一回、遊びに行った事がある。
確か土産に安酒を一升瓶持っていった。
場所は憶えちゃいないが...。
山の斜面にみかん畑があって、そこに夕陽があたっていた...ような気がする。

麦藁帽子を被って、みかんを収穫していた...ような気がする。

先生が被差別の出身者で、○○党員だった事を知ったのは
それからズーッと後の事だ。

やんちゃ、哀愁、狡猾さ、知性、孤独、滑稽...。

そういう物が複雑に交じり合った不思議な世界。

無垢な仔猫の時代を過ぎ、
成猫になってきたピースの表情は、それを思い出させる。


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6 コメント

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そ、そうだったんですか・・・ (SHOKO)
2006-02-06 01:44:47
山田先生ってRESANDOサマの恩師だったんですか・・・

今、一緒にMrカーネル・サンダーソンと一緒なのですが

もう少し詳しい山田先生を聞いています。

自然の力と言う制裁があったハズだ!

とMrカーネル・サンダーソンは申しております(笑)
返信する
麦藁帽子 (ZERO)
2006-02-06 02:09:54
 長くなりますが、

「今は絶対いないタイプの教師」

私も覚えがあります。



私の中学時代ですが、技術家庭は

男は技術、女は家庭とクラスが分

かれて先生も別で授業が行われて

いました。



 その技術の先生はテニスコート

の遥か先の外れた一角に立派な農

園と小屋を構えておりました。

(学校の施設です!)



 典型的な豪放磊落なタイプで酒

が大好き、その体躯はかなり太め

で「ビヤ樽」と呼ばれていました。

もう一つのあだ名は昨年の愛知

万博のキャラクターでキッコロ

の相棒の名前と同じです。



 夏休みには兎小屋のウサギに餌を

やるのが私ら生徒の日課でした。秋

には柿の木に登り柿の収穫、サツマ

イモ堀り作業と、技術の時間のほと

んどは農作業でした。ビヤ樽も麦藁

帽子がよく似合う先生でした。



 雨の日は、退屈な教科書の閲覧か

自習、となると「晴耕雨読」そのま

まに私は「空想から科学へ」なんて

のを読んでいました。



ラビットスクーターに載ったビヤ樽

先生の不安定な姿はユーモラスでも

ありましたが、不安定な理由は別に

あったようです。



小屋には宝焼酎の空き瓶があった記

憶があります。まあ、私の父も当時

は一杯やってスクーターで帰宅とい

う状態でしたから。(飲酒が法規違

反なんて後で知ったことです。)



 ビヤ樽は私の祖父の教え子だった

ことを母から聞いたのは中2の夏。

祖父が戦前、農業高校の教師をして

いた頃の生徒だったそうです。小屋

の片付けを一人でしていると、既に

赤ら顔のビヤ樽がその臭い息と共に

私に「M澤先生(私の祖父のこと)

にはたいへん世話になった。」

と話かけられたことがありました。



 当時は聞き流していましたが、祖

父がどんな世話をビヤ樽にしたのかは

今となっては知る由もありません。

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座布団 (オ 寒)
2006-02-06 17:06:54
2枚だな。もう結構座布団たまりましたね。

今度僕も「じんざぶろう」のアップだ!

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SHOKOさん (RESANDO)
2006-02-06 23:02:08
そっちに書いておきました。
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ZEROさん (RESANDO)
2006-02-06 23:08:02
そこまで凄い人はいませんでしたが、

確かに(私の頃も)技術の先生って

異彩を放ってましたね。



えーと。急に思い出した。



後でそっちに書きます。
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オ 寒さん (RESANDO)
2006-02-06 23:10:40
ありがとうございます。

(今、何枚なのかな?)



えーと。



やはり続きはそっちに。
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