先週の土曜日(10月28日)の○毛新聞から。
何気なく目にしたら、チトばかり、驚くような記事が載っていた。
「炸裂する轟音、死を覚悟
頭上に敵機、P51数十機が機銃掃射
紙一重の生死かけて走る!」
昭和20年 2月16日
場所 群馬県大田市中島飛行機工場
あ、むろん戦争中(第二次世界大戦)の話だよ。
中国北部、満州と二度も服役した方の寄稿文だ。
が、一番恐怖を感じたのが帰国後の「中島飛行機工場」で、
艦載機「P51」に襲撃された時だった。
という、思い出話(というには、あまりに辛い記憶)だ。
実際、P51(ムスタング)に撃たれた人の話はこの辺では良く聞く。
しかし...。
P51って陸軍機だし、「海軍の空母に艦載」してたのか?
アメリカ軍によって占拠された、硫黄島からの飛来?
それも違うみたいだな。
この資料(クリック)によると、
硫黄島にP51機動部隊が配置されたのは昭和20年(1945)の3月20日で、
本土への機銃掃射が激しくなったのは4月から。
「昭和20年の2月16日にP51に掃射された」
のなら、「硫黄島説」はちょっと辻褄が合わない。
いや、その頃はちょうど「硫黄島上陸作戦」でそんな余力はなかった。(多分。)
まあ、ちょっと資料読んで正解が導ける程、戦史は単純じゃないから、
(現場じゃ何してたかわからん)ここでは置いておく。
以下本文。
寄稿している方の名前を見たら、昨日の人と同じじゃねーか?→クリック。
中国東北部に出兵しているのだからこっちの辻褄は合う。
ごめんなさい。
紙面の文章は実に立派でした。
多分、昔の資料を整理している内に思い出したんだろうな。
何気なく目にしたら、チトばかり、驚くような記事が載っていた。
「炸裂する轟音、死を覚悟
頭上に敵機、P51数十機が機銃掃射
紙一重の生死かけて走る!」
昭和20年 2月16日
場所 群馬県大田市中島飛行機工場
あ、むろん戦争中(第二次世界大戦)の話だよ。
中国北部、満州と二度も服役した方の寄稿文だ。
が、一番恐怖を感じたのが帰国後の「中島飛行機工場」で、
艦載機「P51」に襲撃された時だった。
という、思い出話(というには、あまりに辛い記憶)だ。
実際、P51(ムスタング)に撃たれた人の話はこの辺では良く聞く。
しかし...。
P51って陸軍機だし、「海軍の空母に艦載」してたのか?
アメリカ軍によって占拠された、硫黄島からの飛来?
それも違うみたいだな。
この資料(クリック)によると、
硫黄島にP51機動部隊が配置されたのは昭和20年(1945)の3月20日で、
本土への機銃掃射が激しくなったのは4月から。
「昭和20年の2月16日にP51に掃射された」
のなら、「硫黄島説」はちょっと辻褄が合わない。
いや、その頃はちょうど「硫黄島上陸作戦」でそんな余力はなかった。(多分。)
まあ、ちょっと資料読んで正解が導ける程、戦史は単純じゃないから、
(現場じゃ何してたかわからん)ここでは置いておく。
以下本文。
寄稿している方の名前を見たら、昨日の人と同じじゃねーか?→クリック。
中国東北部に出兵しているのだからこっちの辻褄は合う。
ごめんなさい。
紙面の文章は実に立派でした。
多分、昔の資料を整理している内に思い出したんだろうな。
今夜、P51の戦闘記録(1945年2月)と中島飛行機の空襲被害記録を調べてみます。
俺、どっちかって言うと「鉄砲玉」ですよ?
が、Pacoさんが出した結論なら、
やるしかありませんなあ。
是非、お願いします。
「親父たちの星条旗」を見る前に勉強になりました。
PS・・・
>寄稿している方の名前を見たら、昨日の人と同じじゃねーか?→クリック。
ころオモシロwww
クリントイーストウッドが監督なんだね。
後半編もあるそうですね?
日本側から見た後編もありますね。
豪華?2本立て??www