ほぼ日刊、土と炎、猫と煙突

白く燃え尽きた灰の奥深く、ダイアモンドは横たわる。

ループから抜けて。(★★)

2006年10月31日 23時29分23秒 | 古い日記
先週の土曜日(10月28日)の○毛新聞から。

何気なく目にしたら、チトばかり、驚くような記事が載っていた。

「炸裂する轟音、死を覚悟
 頭上に敵機、P51数十機が機銃掃射
 紙一重の生死かけて走る!」

昭和20年 2月16日
場所 群馬県大田市中島飛行機工場

あ、むろん戦争中(第二次世界大戦)の話だよ。

中国北部、満州と二度も服役した方の寄稿文だ。

が、一番恐怖を感じたのが帰国後の「中島飛行機工場」で、
艦載機「P51」に襲撃された時だった。

という、思い出話(というには、あまりに辛い記憶)だ。

実際、P51(ムスタング)に撃たれた人の話はこの辺では良く聞く。

しかし...。

P51って陸軍機だし、「海軍の空母に艦載」してたのか?

アメリカ軍によって占拠された、硫黄島からの飛来?

それも違うみたいだな。

この資料(クリック)によると、
硫黄島にP51機動部隊が配置されたのは昭和20年(1945)の3月20日で、
本土への機銃掃射が激しくなったのは4月から。

「昭和20年の2月16日にP51に掃射された」
のなら、「硫黄島説」はちょっと辻褄が合わない。

いや、その頃はちょうど「硫黄島上陸作戦」でそんな余力はなかった。(多分。)

まあ、ちょっと資料読んで正解が導ける程、戦史は単純じゃないから、
(現場じゃ何してたかわからん)ここでは置いておく。

以下本文。

寄稿している方の名前を見たら、昨日の人と同じじゃねーか?→クリック。

中国東北部に出兵しているのだからこっちの辻褄は合う。

ごめんなさい。

紙面の文章は実に立派でした。

多分、昔の資料を整理している内に思い出したんだろうな。

最新の画像もっと見る

13 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
連絡つかねぇし (Paco Garcia)
2006-11-01 13:58:39
副編よろしくね (゜∀゜ )
返信する
これは (ZERO)
2006-11-01 18:30:43
しさし(ひさし)ぶりの私向きの記事ですな。
今夜、P51の戦闘記録(1945年2月)と中島飛行機の空襲被害記録を調べてみます。
返信する
PacoGarcia様 (RESANDO)
2006-11-01 23:55:32
あれ?「福編」っすかあああ???
俺、どっちかって言うと「鉄砲玉」ですよ?

が、Pacoさんが出した結論なら、
やるしかありませんなあ。
返信する
ZERO様 (RESANDO)
2006-11-01 23:56:55
え?そんな事まで調べられるんですか?
是非、お願いします。
返信する
ZERO (resando)
2006-11-02 00:34:52
resando@mail.goo.ne.jp
返信する
Unknown (biro)
2006-11-04 00:01:18
初投稿です。
「親父たちの星条旗」を見る前に勉強になりました。

PS・・・
>寄稿している方の名前を見たら、昨日の人と同じじゃねーか?→クリック。

ころオモシロwww
返信する
俺も (RESANDO)
2006-11-04 00:30:07
その映画観たい。
クリントイーストウッドが監督なんだね。
返信する
よかったら (ZERO)
2006-11-04 00:57:08
いっしょに観に行きましょう!
返信する
是非! (RESANDO)
2006-11-04 13:37:36
これ、日本側から見た「硫黄島」の
後半編もあるそうですね?
返信する
僕も同行したい (biro)
2006-11-04 22:44:44
僕もまだ見てないのでお誘い願います。

日本側から見た後編もありますね。
豪華?2本立て??www
返信する

コメントを投稿