性能とデザイン いい家大研究

こちら 住まいの雑誌・Replan編集長三木奎吾です 
いい家ってなんだろう、を考え続けます

【なんとかMacHDの減量に成功!】

2018年10月31日 10時26分13秒 | Weblog
この画面ショットは、きのうお伝えした新機MacBookAirの情報。
内蔵HDというように書かれているけれど、メディアはSSD。
Apple的にもメンドいからか、ユーザーの習慣性優先でか、
HDというように通称名をつけていますね(笑)。
きのうは機種移転途中でのブログ更新でしたが、
書き終わった後、2時間ほどで「仕事データ」のコピー作業が終了。
その外付け4TBHDを接続させてこのMacBookAirの画面上に
外付けに保存している仕事データのエイリアスを作成し、
以前と同様の環境を復元させることができました。
やれやれで、そこから取り急ぎの仕事を片付けながら、平行して
今度はギリギリのディスク容量の「減量作戦」に取り組んだ。

わたし的にはもう20年もMacを使っているので、
仕事データは以前から基本的に「外付け」メディア保存としている。
なのにMac本体のデータが大きくなるのは、実はMac側のサービス、
「写真」ソフトでiPhoneと連動して保存されている写真データ類と、
これもiPhoneと関連するけれど、iTunesでの楽曲やその他のデータが
たいへん巨大化していることが大きいのですね。
20年Macユーザーなので、写真も十数年分「保存」されている。
このいちいちの「取捨選択」をやっているほどの時間余裕はない。
ただ、ときどき利用することは現実にあるし「便利」ではある。
しかしそれをOSも入っている同じディスク領域で保存の理由はない。
Apple側でも本当はそのことを十分に理解しているハズだと思う。
しかし新たなユーザーも多いので、操作の簡便さを優先していけば、
こういったデータも同居させる設計がメンドくならないのでしょう。
<だったら、ディスク領域を小さくするのはやめて欲しい>
しわ寄せとして、ベテランユーザーに負担が掛かってくることになる。
話が逆ではという思いもあるが、多勢に無勢でやむを得ないのかも。
と日本人的メンタルで了解してしまう(笑)。いいのか悪いのか?
まぁ最近は「ググれば」すぐに「やり方」の基本線は即座に知れるので、
時間が掛かる以外のことでは、そう問題は出てこない。
コンピュータを使う利便性とこの労苦はパラレルなのでしょうかね?
どうもよくわからなくなってくる。
・・・ということで、それぞれの大量データを外付けに移転させて
ようやく80G程度の「空き容量」が確保できた。
たぶんこれくらいあれば、操作レスポンスはそう悪化しないと思われる。
ふ〜やれやれで、本日このMacをバックパックに入れての出張出発。

あとは、iPhoneの「バックアップ」データがある。
これも50-60GBくらいはあるようです。
もしもiPhoneを紛失した、壊れたときのための用心ですが、
こいつの移動には呪文コマンド操作、ターミナルapp操作の必要がある。
これはMS-DOS以来の社内スタッフのベテランPC管理者に頼んだけれど、
どうも「管理者権限」ログインが必要のようでよくわかんなかったと。
出張から帰って、来週に再度チャレンジしようかと考えています。
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【小さいディスクへMac引っ越し 地獄の30時間超】

2018年10月30日 03時22分56秒 | Weblog
今回の出張中、Wifiの環境変動などでストレスが掛かったのか、
だましだまし使ってきたMacbookPro13-2012がどうも不安定化してしまった。
Appleの今回のOSメジャーアップデートはどうも不具合満載のようで
相当クレームが集中して、もう発表から1カ月以上経つのに、
バグフィックス版も発表されず、10.14という当初発表のままになっている。
普通すぐに10.14.1というのが発表されて当初のバグが修正されるのですが、
一向にその案内が出ず、またそもそものメジャーアップデートも
いまや、こっそりとしかAppでも表示されていない。
どうやらバグの山でApple社内、相当混乱していると想像できる。
たまたまこのアップグレード情報を見て現在の前述マシンも対応と記載されていたので
ついアップグレードしてしまった。
これがまったくの間違いの元でそこからは悪名高いレインボーカーソルが頻出。
そもそもシステムを立ち上げるのに十数分かかり、かつ起動後しばらくは
レインボーカーソルでほぼマシンが動作しなくなる。
そういう状況だったので、システム終了させずにスリープ対応で
出張時にも対応していたのですが、 それもマシンには過酷な使用状況なので、
ちょっとしたきっかけで、危機的状況になってしまっていた。
マシンを立ち上げた状態で飛行場の赤外線チェック関門を通らせたりすると、
やはりダメージが大きいように思われます。Wifi接続時に不明な動作があったりした。

というようなことが積層してきたので、マシンの引っ越しをせざるを得なくなった次第。
なんですが、これまで20年以上Macを使って仕事してきたので
「過去データ資産」総量はハンパなく、また頻繁なアクセスもある。
現在発売されているノートMacでは内蔵記憶容量は良くても1TB程度しか選べない。
常時使っているデータ総量で2.5TB程度はあるのでまったく足りないのです(泣)。
その上、1TBをWEBショップで選択したらそれだけで目がテンになるほど高額になる。
そういうことなので内蔵記憶装置をユーザーが交換できる2012年モデルを使ってきた。
しかし、ついにそういう対応もどうやらこれでおシャカ。
やむなく空いていた2017年発売のMacBookAir256GBタイプに乗り換えることにした。
いずれにせよ「外付けディスク」常時接続対応しかありえないので、
多少のディスク容量、1TB程度を購入する必要はない。
せめてもの長年MacユーザーとしてのささやかなAppleへの反抗であります。
もはや巨大なIBM帝国支配に挑戦した自由の戦士企業イメージはAppleにはないと。
256GBの小さなSSDに移行するには、システムのスリム化が絶対不可欠。作業としては、
1)既存のシステムから不急のデータを削除して290GBから230GB程度に削減する。
~これがとにかくメンドイ。いちいちアプリを確認して削除させる必要がある。
Windows仮想環境の削除などだが、いまはそのアクセス情報も忘れている(泣)。
ユーザー自己責任で大胆にゴミ箱に投棄するしかない。
あ、こうした作業内容については一応Appleのサポートと相談しながらやっています。
でも、いちいち上司やベテランスタッフに相談しながらなので、やたら時間がかかる。
2)ようやく収容可能なほどに削減したシステムをTimemachineバックアップさせて
そこから新規のMacBookAirをくだんの10.14にいったんアップグレードさせてから、
システム復元させることにした。古いOS環境への移行はできないのですね。
3)同時並行でDVDディスクを外し「内蔵」のSSDから外付け4TBHDDにデータ移行。
約2TBはあるので、昨夕から開始していますが8時間程度経過していても
1/3ほどもコピーが進行していない。たぶんこれだけで24時間は超える。
4)外付け4TBHDDを新規のMacBookAirに繋ぎ、デスクトップに「エイリアス」表示の
旧内蔵SSD2TBの中の仕事データを再度そのように環境構築させる必要がある。

これらの作業が無事にうまくいって総トータル時間は、30時間は超えるでしょう。
っていう気の遠くなる作業をユーザーに強いるAppleにはハラがたつ。
こうした作業の合間で環境を再構築しながらこのブログも書いています。
20年間以上、愛着も持って使い続けているユーザーへの思いやりの心は、
残念ながら現在のこの会社からは感じられなくなってしまった。
記憶装置ディスク容量をメーカーの勝手な判断で「小さくする」のは、
いまや基盤産業企業としてのIT企業が持つべき倫理観として考えて、やはりおかしい。
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【日本だけ「のこぎりを引いて使う」んだって?】

2018年10月29日 07時21分03秒 | Weblog
マジか? であります。
このブログで何回か、その取材した内容をお知らせしている
「竹中大工道具館」での展示から目からウロコのように知ったことであります。
人類進化の過程で、木材の利用というのはどうやら「舟を作る」ことが
最大の動機のようだと言うことは、先般来の探究で見えてきた。
だから大工の起源で「船大工」と「家大工」というように分類され
船大工が一種の孤高な存在ということにも思い当たった。
やはり起源として自分たちこそが正統であるという自己認識があるのでしょう。
で、その「舟を作る」ときに当時は「石器」で木をくりぬいていた。
竹中の展示でもこの事実が始原の事実として象徴的に表現されていた。
木を扱うようになった人類、たぶん3万年前くらいのことなのでしょうが、
そこから農耕革命があって、石器から鉄器への移行があった。
その過程で「木を切る、加工する」道具の「のこぎり」の類は進化したことでしょう。
当然、多くの人類が「農耕革命」をはじめた「大陸地域」で
このような「道具の進化」も始まったというのが自然な考え方。
そういう大陸型の道具の「使い方」として木を切るには
「押して切る」というのが洋の東西を問わずに普遍的だというのです。
しかし、今日に伝わるこの列島社会での「常識」はそうではない。
のこぎりは「引いて使う」のが、われわれのDNA的な道具観だろうと思います。
なんと、この考え方・道具観が人類一般からは乖離した考えだというのです。
不勉強でというか、文系的興味から住宅に関わった出版系人間として
こういう事実を知ったのは、はじめてなのであります。
いやしかし、そういう人間であればこそ、文化人類学的に
この事実は相当に深く、なにごとかを伝えてくれていると思い至った。

竹中が調べ尽くして展示発表しているのでしょうから、
このことは事実だと前提してもいいのだろうと思います。
そうだとすると 1)この列島の条件に他の人類生息地域とは違うものがあって、
2)さらにその条件に適合するように独自進化したという事実が浮かび上がる。
この2つの大きなテーマだけでも、相当に巨大な「謎」だと思われます。
たぶん1つ目の謎については世界的にも有数の多雨・四季変化顕著気候から
生育する樹種が大きく異なっていたのだろうと推測が働く。
ちょっとインターネットで調べた範囲ですが、こういう推測はあり得るようです。
しかし、わたし的には2つ目の事実の方がきわめて興味をそそられる。
まさにガラパゴス・ニッポンということなのか、であります。
しかしこの独自進化は、やはり1つ目の条件への
「創意と工夫」が生み出したモノでしょう。
大陸から技術が伝えられ、その道具も持ち込まれてきたときに
それで実際に使ってみたら、すこし違和感があった。
その違和感をベースにして創意と工夫を重ねているウチに
根本的に技術の根源まで遡って改変を加えたに違いない、
というこの列島社会での先人たちの知的冒険心に、深く打たれるのです。
こういう「飛躍」がこころに浮かぶ柔軟性とはいったいなんなのだろうと。
むしろ、このことの方がはるかに重大ななにごとかをあらわしている。
こっちのことが、わたしの「ツボ」にハマってしまって身動きが取れません(笑)。
みなさん、いかがお考えでしょうか?
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【行動プロジェクト進行 憩いは「せんべい汁」(笑)】

2018年10月28日 17時42分22秒 | Weblog
ここんところ、肉体的に行動が活発化してきていまして、
なかなか執筆時間の確保がむずかしくなっております(泣)。
なんとか時間が出来てもほかの案件が至急で時間が圧倒的に取られる。
でも、なんとかブログ休止にならないように出来る範囲で書き続けます。
もちろんむしろ逆に生々しい「住宅マーケット状況」が把握できていますので、
書くテーマには事欠かないのですが、なにせ、移動と整理整頓の時間が大きい。
きのうは朝八戸を出て南下して仙台に向かい夜に札幌に帰還したのですが、
トータルの移動距離は地上で500km、Airで520kmと1,000km超(笑)。
でもまぁ、おかげさまでダイエットの効果からか、
体調はたいへん良くて、アラウンド前期高齢者ではありますが、
歩く距離でも8,000歩以上ということで、足腰の疲労感もここちよい(笑)。
そういう「肉体疲労」は、心して「癒さなければならない」と思っています。

ということで「せんべい汁」であります(笑)。
わたしは、日曜日の朝食べるものをなに作ろうかと考えるのがルーティン。
って、もちろん毎日ではありますが出張だとホテル任せになってしまう。
ようやく自宅に戻ってこられたワケですが、疲労感からか、
元気いっぱいに「これ作ろう」というようには心は沸き立たない。
やや、疲れが影響してくるのは避けられないのですね。
でも、きのう書いた「八食センター」での売り子さんとの会話の結果の
「せんべい汁用せんべい」が荷物の中にしっかり仕舞い込まれていた(笑)。
あの女性売り子さんの「ことだま」が真実かどうか、確認したくなった。
メインディッシュは考えられなかったけれど、この「せんべい汁」だけは
癒やしを求めるように創作意欲が高まってきてしまいました。
出張中、各地でせんべい汁は味わっておりましたが、
ようするにこれはまさにB級そのまま、特段のしきたり的なものはない。
味付けもいろいろあるのが当たり前なのだと思います、
決して高級料亭で味わうような「正調」メニューでは無いと実感します。
歴史的に「やませ」と言われる夏期の冷風が東北北部を襲って
飢饉を発生させてきた。そういうときにも、保存食的な「せんべい」が
まさに庶民の命を繋ぐ「大ご馳走」であった事実があったのでしょうね。
そういう「貧しさ」がしかし、食文化のルーツには根深く存在するのだと。
むしろ、そういった「命を繋いできた」感に大いにリスペクトを持たされる。

で、本日はしょうゆ味で、野菜の具だくさん系で、
鶏肉で味を盛り上がらせて作って食してみました。
「これなら、雑煮をたべたくなるよね」というカミさんのつぶやき。
そうですね、まさに、モチを入れられなくてせんべいだったのかもしれません。
肝心の「せんべい汁専用せんべい」っていう触れ込みですが、
・・・まぁ、そのあたりは人それぞれの感覚によるのではないかと思われますね。
個人的には先週自分で作った「こわれせんべい」のゴマ、ピーナッツせんべいも
それなりの深みのある味わいを感じさせてくれていたと思います。
でもまぁそれは人の好みでしょうね(笑)。これはこれで美味しかったです。
っていうか、あんまり違いは無いかなぁと。・・・
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【寿司趣味人の目がテン! 八食センター巡り】

2018年10月27日 05時41分13秒 | Weblog


今週後半は北東北におります。
で、きのうは八戸周辺をあちこちと巡っておりました。
そうなると、お昼時にはどうしても「八食センター」に足が向いてしまいます(笑)。
八戸は本州有数の水産関係の集積漁港。
北海道とそう大差の無い魚介類が満艦飾で威勢良く展示販売されている。
その様子を見ているだけでほぼ満腹感が襲ってくる(笑)。
サイコーであります。
つぎつぎと目を襲ってくる新鮮魚介類は、妄想の世界で
豊穣な味の饗宴をこれでもかという圧倒的迫力で迫ってきます。
とくにわたしは最近「社長食堂」企画で毎週手作り料理、
それもここんところは、握り寿司の世界に没頭していますので
「おお、この魚はどうさばいたらいいのかなぁ」
「こいつは、こう切って握ったらいけそうだなぁ」
などと、すっかり「手作り・手握り」の感触世界に気分が完全に浸りきる。
こういう「没入感」っていうのは、まさに「三昧」感にも似ていて
自分で食べたい、という欲求がベースにはあるのでしょうが、
また全然違う感覚世界だということが知れます。
手握りって、そうなんです。いちばん感覚的な「触感」が刺激される営為なので
ドーパミン的な世界観が一気に脳みそを完全占領してしまうのです。
「あ、おれ、こんなとこにいつまでもいてもいいんだったっけ?」
と、ふといまの自分のミッションを再確認しないと、こころは遠くへ行ってしまう(笑)。
まぁそれにしても、秋深く、海の世界でも成熟した魚たちが
豊穣な季節感をさわやかな風のように運んできてくれている。
縄文でこの列島での定住生活がはじまって以来、
1万数千年以上、こういった四季感覚、食感世界にわたしたちこの列島人は
完全にノックアウトされ続けてきているのでしょうね。
そう考えると、基層としての新鮮魚介とコメが織りなす、
手握り寿司の世界って、縄文世界と弥生世界がハーモニーを奏でる世界。

ようやく興奮の世界から離脱して、
ふと見掛けたのが、「せんべい汁専用せんべい」の山積み。
「あのさ、せんべい汁って、せんべいならなんでもいいっしょや〜」
「あはは、それは浅はかな感覚。全然違います(キッパリ)」と売り子女性。
「ええ〜ホントかい? どこがそんなに違うのさ?」
「ふやける具合、ある固さが残ったまま、柔らかさがある、これさ!」
というたぶんコトバ表現をはるかに超えたコミュニケーションであります。
なんにせよ、よくわからないけど説得力だけはフルモードで、ある。
今週つくった社長食堂では見まねの「せんべい汁」が一部で大好評だったので、
今度は、こちらでも味の研究を深めたいと、1袋購入しました。
住と並んで、食の感覚世界の探究も徹底して没頭したいと思います。
ふむふむふむ・・・。
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【なぜ気候の厳しい北海道に住んでいるの?】

2018年10月26日 06時21分22秒 | Weblog
表題のように単刀直入に東大生の若い方から質問された。
きのう、ReplanWEBマガジンに掲載された「いごこちの科学WEB特別編:
リプラン編集長、東大の授業に招かれる!」記事のシメの部分。
このコトバ、実は北海道を代表する建築研究者にも伝えました。
わたしの反応と同じく、やや憮然としてホンネが出るなと思えた(笑)。
学生さんというのは、とくに東大生であればなおさら、
就職先も住む土地も基本的には「これから人生選択」できるのが前提条件。
そういった意識の違いというのがまずあった上で、
工学部生として、気候環境条件的に本州地域とは相当の違いがある地域、
年平均気温で16度対8度くらいの違いがある地域に
なぜ住み続けるのか、素朴に疑問を感じることもわからなくはない。
対して北海道に住み暮らす人間としてプライドが働く部分は当然ある。
しかしそれは置いて、この問いを自分自身、反芻して考えている。

事実としては北海道島を日本国家が本格的領土経営をはじめたのは
高々150年であり、それ以前のあいまいな領有といえる江戸期を含めても
最大限、400年くらいにしか過ぎないと思われます。こんな風に書けば、
ロシアや中国は国家を持たなかった部族社会アイヌとの交易記録でも
振りかざし、かれらなりの「領有実績」を主張するかも知れないけれど、
しかし冷静に考えればそういうことが事実でしょう。
150年以前から本格的に人口増を図り、領土経営をやり始めた。
余談だけれど、北海道神宮に祀られている神さまには
領土の守り神と領土経営の守り神がワンセットで入っている。
内陸部での農業振興・開拓開墾での「土地定住」の促進。
やはり熱帯原産のコメをこの風土でも栽培できるように品種改良できたことが
巨大な民族的生存維持策の成果だった。まずは「農業革命」。
それ以前は海岸線の点的な領有で、人口定住的な領土運営とはいえない。
この島を明治政府が血まなこになって、のちに総理大臣になる
薩摩閥の中核、黒田清隆が中心になって領土として開拓を始めたのは、
明確に対ロシア南下膨張政策への対抗という国家意志だと思います。
民族存亡に関わる国防問題が最大の契機だったのでしょう。
そういう「民族国家意志」は北海道の歴史を通してよく噴出する。
旭川は「軍都」と擬され、天皇の移住・行幸も考えられた事実が存在している。
ロシアに対して、日本民族国家としての明確な「領有主張」が底意にあった。
第2次大戦終末期、北海道のロシアによる占領は現実に起こり得た。
こういった歴史経緯が、とくに現代史を教育しないことで若い世代に共有されない。
そういうことがこの質問からは伺うことができる。

しかしいま考えている答は、「日本にとって北海道がある意味」です。
この島を日本国家は明確に国家意志として領土化したことで、
アメリカや中国とも並ぶような「多様な気候風土をもつ」「大国」になった。
専有的海洋面積を含めると日本の領域は世界第6位の大国とされる。
そして亜寒帯から亜熱帯まで多様な気候風土を抱え込んでいる。
結果、住宅政策としても多様な価値観を共有する国家社会が現出した。
本体的民族生活技術習慣からいえば、暖房エネルギー的にはローエネだが
素寒貧な住宅文化・技術を持っているに過ぎなかった。
それなのに幸か不幸か、北海道という亜寒帯地域を領土化したことで、
壁の概念の希薄な軸組構造の住宅技術しか無かったのに、
そこで「安定的に生存確保」するために、多くの先人は必死でそれを改良し
高断熱高気密な住宅に改変させる「住宅革命」を起こしてしまった。
この中核である「断熱気密」住宅技術は世界共通の現代必須要素技術であり
独自な軸組構造でそれが実現していることは世界的に珍しいかもしれない。
もとよりこうした技術革命は北海道の住宅関係者たちが主導的だった。
こうして開発された工法技術は、省エネ技術としていま広く共有されてきている。
ガラパゴス化することなく世界標準住宅思想を、われわれは共有できている。
その上でその設備的な部分では世界企業すらも生み出してきている。
・・・というような逆転的な発想も可能なのではないか。
いま、この東大生からの疑問に対して、このように考えられると思っています。
みなさん、どうお考えでしょうか?
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【停電生活防衛策・地元TV HBC今日ドキッ出演】

2018年10月24日 06時14分44秒 | Weblog
しばらくの間、あちこちの出張が増えることになり、
札幌オフィスにはたぶん、週のうちの半分くらいの在社になりそうな雲行き。
ということで、半分の日程で倍の案件処理をしなければならない。
なんですが、健康チェックもしてお医者さんからはお墨付きももらった。

で、北海道全域ブラックアウトに伴っての世論喚起作戦。
東大の学生さんたちとの授業交流や、クルマバッテリからの家電起動など、
いろいろな活動についての一端で、きのうは地元テレビ・HBCさんが来社された。
写真の通り、夕方15:44から19:00までの放送時間帯の「今日ドキッ」に
「いざ地震・停電のとき、どうすればいいか」というテーマで話題提供です。
最近は自分自身では「ながら視聴」的にはあまりテレビを見なくなっている。
インターネット時代になって、目的的な情報摂取型に人間行動が変化してきて
テレビなどの情報づくりがどう変化しているか、
こういった断片的な関わりですが、積み重ねてみることで
今後の参考にしていきたいとも考えた次第です。
きのうのインタビュアーの佐々木祐花さん(写真右)から聞かれるカタチで
最近のトイレがすべて電気制御になっていて停電時「水の流し方」が
プロでも実はわからなかった、というお話をして、
普段からの「すまいのトリセツ」チェックの大切さをお話ししました。
だいたい、新築やリフォーム時には建築会社さんから分厚い設備製品の
マニュアル、トリセツがバインディングされて渡される。
少なくとも、その収納位置を確認しておく、できれば一度でも家族とそれを
「読んでみる」ことで、全部理解はしなくても「ここにこれがある」という
「経験知」になるので、いざというとき「思い出す」確率が飛躍的に高まる。
こういったトリセツの類は一時期の不評サクサクの理解不能系から
だいぶ進化向上をみせていて、わかりやすく編集されている。
わが家でも、最新式電気利用トイレを手動制御するときに大変わかりやすかった。
こういう部分、トイレから太陽光発電の緊急時手動制御などまで、
イマドキの暮らしには、設備を緊急時、どう働かせるかが、
ライフラインとしてかなり重要だとアナウンスしたかった次第。
その先には当然、寒冷地住宅の必需設備、暖房の
ユーザー側緊急コントロール意識の広報という方向性も見えてきます。

この模様は来週水曜日、31日に放送される予定とのこと。
北海道居住のみなさん、ぜひご覧ください。
ということで本日はテレビ局の回し者に変身してのブログ投稿であります(笑)。
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【屋根の葺き方「柿」を「こけら」と読む?】

2018年10月23日 07時15分35秒 | Weblog


わたしは住宅のメディアをやっているわけですが、
現代の住宅は過去の技術資産の上に成り立っているとはいえ、
工法やディテールも大きく変わっているので、ときどき不連続な常用コトバに出くわす。
とくに屋根の葺き方については、わかりやすいディテールなので、
一般的にもよく使われるコトバとして頻用されます。
そのようなコトバの代表格がこの「こけら葺き」というヤツ。

現代では特殊な建築を除いて、一般住宅では見られない。
ふつうは鉄板や温暖地では瓦などが用いられて木材そのまま仕上げというのは
現代住宅では常識的にはありえないでしょうね。
それは現代の工業化の進展、素材の開発があってのことなので、
工業化社会以前の段階では、職人の木加工の精度、手間ヒマのグラデーションで
それが建築単価にはね返り、建築の「格」の表現にもなっていたのでしょう。
たまたま先日、仙台の大崎八幡宮に参拝したら、
清水建設さんの施工による修復工事が終わっていて、そこに
柿〜こけら〜葺きの見本と丁寧な「説明書き」が添えられていたのです。
写真の通りなのですが、この葺き方は大工職人の手間がハンパない事はわかる。
屋根をこの工法で葺くとすると、
幅10cm長さ30cmh程の板をずらしながら下から平行に重ねて並べ竹釘で止める。
板の間に隙間が生じ、軒裏の通気を促して木材の耐久性を向上させるとされる。
なるほど、現代建築と共通する合理主義が見て取れますね。
一種の「通気層」意図と言えるのでしょう。いや現代がこうした技術資産から学んで
現代的な合理的工法に進化させてきたということでしょう。ただ、
「杮葺きは通常40年程度の耐久性があるといわれている。
機械製板では木の繊維がせん断されるため、機械製板の板材を用いる場合には、
手作業の板材の場合よりも耐用年数が劣る。
そのため、下地の防水処理や、材木自体の防腐処理を施している。」ということ。
こういった建築技術が生み出した美観・デザイン性は
茅葺きの「民家」建築とはあきらかに違うという「威信」表現にもなったのでしょう。
用の建築技術としてみたときには、それまでの茅葺きと比べて、
圧倒的に「防水性」が高まっただろうことは疑いない。
屋根傾斜の下側から張り付けていって、上部まで仕上げる過程で、
その重ね密度を高めれば高めるほど、完璧な防水性に至ったことでしょうね。
たぶん、大工職人技術のひとつのメルクマールになっただろうことも推量できる。

さて、柿と同じような字で「こけら」という字がある。
すいません、Macの辞書にはこの字の登録がないようで出てきません(泣)。
詳しくは写真の「書き順」付きの違いでご覧ください。
こんなの違いがあると言われても、合理的差異を見出すことはほぼ不可能。
現代辞書では同じ字としているものも少なくないようですね。
大崎八幡宮の修復施工時に書かれた添え書きなのか、
日頃放擲していた疑問にわかりやすい説明書きでした。ありがとうございます。
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【古代の沸騰点、アジア世界大戦・白村江敗戦】

2018年10月22日 07時31分34秒 | Weblog
本日は、住宅ネタは小休止で、歴史ネタです、あしからず。
でも写真は先日見学した竹中大工道具館で見た法隆寺棟梁、
西岡常一さんの手書きの建築図面スケッチであります。
日本の建築技術が大きく進化することになったのは、
こういう飛鳥時代の国際交流がその基盤にあったのでしょう。

白村江の敗戦という古代の国際戦争とその国内政治への反映たる
壬申の乱、という時代のことがオモシロくて仕方なくなっています(笑)。
どうも巨視的に見ると、織田信長から秀吉政権、さらに徳川幕府成立といった
国内と外交との沸騰点と、この壬申の乱周辺の歴史経緯は共通点があると思う。
白村江の敗戦は663年のこと。
で、壬申の乱は672年のことなので、この期間は10年ほどの事態。
結果として、壬申の乱で権力を奪取した天武は「日本」を国号とさだめ、
東アジア世界のなかで道教思想から援用した「天皇」という帝位を名乗った。
このことは、日本という地域権力が東アジアのなかで
自主独立路線を創始するという方向、そして平和共存路線に舵を切った
という歴史的結節点だったのだと思われます。
これ以前の大王権力の時代には、列島社会と朝鮮半島社会とは、
きわめて「ひとつながり」の政治情勢共有感が強い。
たびたび朝鮮半島の政治動乱に関与したり、
あるいは倭国国内でも北九州の地域豪族による反乱なども頻発していた。
この時代には倭国では独自に「鉄」を生産することが出来ず、
もっぱら朝鮮半島からの移入に頼っていたとされています。
縄文的ライフスタイルが基層を形成していた列島社会に
コメ生産を基礎としたライフスタイルが導入されていくのは、
同時に支配ー被支配という階級構造を持った半島地域からのフロンティア集団、
はじめから「クニ」構造を持った社会集団が流入してきたのだと思われます。
そういった権力集団は、朝鮮半島地域からスピンアウトした集団だったけれど、
たぶん短期間のウチに半島の母集団以上の経済力を持った。
ただ、コメ農業にとって死活的な「鉄製農具」の補給は半島に頼っていた。
半島社会では複数の国家がつねに併存するような状況であり
相互に敵視し合っているので、こういう倭国の存在を「利用」していたことは疑いない。
天智「天皇」といまは呼ばれている、たぶん「大王」権力の最後の主は
中大兄皇子であり、若いときには蘇我氏を暗殺手段で滅ぼした
非常に「好戦的」人物だったと思われる。
かれは朝鮮半島での支配権をたとえば新羅や高句麗と争うという権力メンタルを
基本的には持っていたのだろうと推測できる。
唐という世界国家が大陸に成立したけれど、この時代、
前政権である隋の度々の侵略にもかかわらず、高句麗は戦争には勝利していた。
主観的意識として、中大兄皇子はそういった冒険的妄想を抱いていたのではないか。
しかし日中朝3カ国が関与した「世界大戦」であった白村江で
地方豪族に動員を掛けて出兵させた倭国軍は潰滅させられてしまう。
このあたり第2次世界大戦で言えば、ミッドウェーでの敗戦ともオーバーラップする。
まさに後の蒙古襲来のような国家的緊張が世を覆い、
同時に地方豪族たちにしてみれば、政権転覆を夢見たことも自明でしょうね。
直接天皇家に関わることなので、歴史的にあんまり語られないけれど、
この時期の歴史理解は、その後の推移にとっても重大だと思っています。
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【人のいごこち「なにも感じない」温湿度は?】

2018年10月21日 10時01分41秒 | Weblog


視覚化しにくい環境要件のなかでも温湿度というのは、
皮膚感覚として人間の判断力、感受性がもっとも発揮される領域。
洞窟住居の太古から人類の基本欲求として、根源的に存在するテーマ。
そういうことがらに住宅建築が実践的な回答を出せる段階になってきている。

先週から東北と北海道・札幌を往復する日々に突入ですが、
いま、札幌にいると朝晩の外気温は10度を下回って一ケタ台にもなることがある。
そろそろ暖房必需期のはじまりであります。
築28年になるブロック建築のあんまり日射条件の良くない部位。
今の時期だと、日中になって日が昇ってくる前には20度前後になる。
で、夫婦とも60を超えたアラウンド「前期高齢者」居住。
そこでわたしとしては、そろそろ冬場のメイン暖房の「試運転」をしたくなって、
本日朝、この温度計で21度ほどだったので、スイッチを入れてみた。
毎年のことではありますが、しばらく機械を使わずにいると
大丈夫かな、とふと気になる瞬間があります。
しかし、まったく問題なく着火していました。
あ、わが家のメイン暖房は灯油の温水ボイラーで建物中に温水パイプが敷設されて
床暖房で加温させる方式であります。
東大・前真之准教授から揶揄されつづけていた「電気蓄熱暖房器」は
この灯油温水ボイラーの代わりにその役割を一部担っていましたが、
ことしの冬からはこちらを現役復帰させることにしているのです。
そういう「試運転」ということで、機器点検の意味合いも強い。
ただ、加齢に伴って体内発熱量が低下してきていることもあって、
冷気に対してややカラダはセンシティブになって来たと思われます。
下の写真はわたしのデスク上に置いてある温湿度計。
暖房試運転後、約1時間ほどが経過していますし、
日中になって日も差してきているので、24度近くまでなってきている。
大体わたし的にはこれくらいがこの時期の温湿度環境としては快適域。
あ、「快適」というコトバは不適切でしょうね、
気がついたら温度について「なにも感じなくなっている温湿度レベル」
というような言い方の方がリアリティがある。

これまでも、北方圏での住宅の環境要件として
繰り返し、このような指標による共通会話があったのですが、
暖房の場合には、そういった数値論議を超えて
生活者が「温度コントローラー」を手に持っているので、
そういった微妙なコントロール、各人別の「なにも感じなくなっている温湿度レベル」
を、自由に選択して感性的に暮らしてきたのだと思います。
ことし、温暖地・大阪で新住協総会が開かれ、
そこで蒸暑の真夏での室温湿度環境についての論議が交わされたのですが、
おおむね2台のエアコンを使って、どういう環境を薦めたらいいのか、
一つの考え方として床下設置の主に冬場の「暖房用」と考えているエアコンに
全館的な除湿目的で夏場でも「暖房運転」させた方が効率的、
というような意見まで出されていた。
「なにも感じなくなっている温湿度レベル」ということについて
あらためて問題提起がされて、北海道としてはやや鳩が豆鉄砲を食らった(笑)。
酷暑の夏場には温湿度は「29度50%」というような具体的数字もあらわされていた。
そんな経緯から、この冬場の温湿度環境について
北海道居住の立場からももう一度考え直してみたいなと思った次第。
実感的検証、ことしもあらためて取り組んでいきたいと思います。
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