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華やぐ時間

時の豊潤なイメージに惹かれて 。。。。

” 友情  ある半チョッパリとの四十五年 ”  西部 邁(にしべ すすむ) 著

2006-06-05 19:35:15 | ★本
評論家西部 邁と北海道同郷の故海野 治夫(うみの はるお)の45年間に及ぶ友情の実話である
二人は 1952年(昭和27年) 初めて出会った中学2年の時からの付き合いである
数年間の音信不通と再会  空白  再会  そして海野が自分の手記を西部へ託し  自死をする
著者西部の貧窮  海野の苛酷な生い立ち   二人の背景には戦後の北海道の社会状況がある 

二人とも札幌の進学高校のトップの成績でありながら  傍から見ると どうしようもない不良である
貧乏  鬱屈  渇望  破綻  孤独    二人の心のありよう 生き様は似ている
生活環境が異なっても 西部は海野を見つめ 海野は西部の前で心を許し 生きる孤独を忘れられる  
本は 海野の生い立ちを同伴しながら 西部自身の境遇も綴る  屈折せざるを得ない生活環境
それでも二人とも自分のそういう軌跡に 自己憐憫は持たず  決然と自分の道を行く

高校生の海野は 親がなく兄弟は離散し  居候させてもらってる居酒屋で一日一食が実情である
真冬の厳寒の北海道で コートも持てず  教室に駆け込んできてストーブの前で学生服のボタンを
はずして暖をとるとき  制服の下は下着も着ていない素裸である
教師が海野へ奨学金をもらえるよう薦めてくれて  面接官の前で生い立ちを正直に語ったら  
あまりの悲惨さに  面接官は海野を 奨学金欲しさの嘘つき呼ばわりして信じなかったという
十歳に満たない子どもが死期の迫った病身の母親の下の世話をし 着物の洗濯をするのである
母の死後  他家へ子守りに出され  朝四時に起きて 釜で飯を炊く  掃除 洗濯  子守り
水汲み  薪割り  毎日のおしめ洗いは冷水で洗濯板でごしごし洗う  あかぎれ しもやけで
腫れた手をしている十一歳の子どもが 海野なのである   真っ黒な水が流れる川の橋の上で 
「 母ちゃん、 俺をあの世に連れていってくれ 」 と十一歳の子が 小さく呟くのである
高校を中退して海野はヤクザに  西部は東大生へと道が分かれていく
海野が刑務所に入り  ヤクザの幹部になり  ヒロポン中毒になり 会わない時が数年に及んでも  
西部の気持ちは  いつも海野を気にかけ  眼差しがあたたかい

こういう生を生きてきた人の事実に  なかなか本のページが進まなかった
この頃のわたしは いろんなことに  まぁ いっかぁ  しかたないなぁ と呟いていることが多い   
この本を読んで  わたしの呟きなど何ほどのことかと思う
いまは  粛然と衿を正す思いである
                                      
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” ダ・ビンチ・コード ”    ダン・ブラウン 著

2006-05-16 20:53:25 | ★本
謎解きや殺人が主題になるようなミステリーの読み物は  あまり読まないのだけれど 実在の古い建物 絵画 レオナルド・ダ・ヴィンチのいろいろに関するこの物語は 一気に読めた
本文中で重要な役割をなす実際の絵や建物のカラー写真が載せられているのは とても楽しめた
この物語のために 著者は膨大な資料を調査したのだろうなぁと思うと ゆっくり楽しみながら読みたかったけど  物語に引き込まれ  夢中で読んでしまった
実際の重厚な歴史的建造物が登場して 視覚的豪華さで楽しませてくれるであろう映画が 待ち遠しい  


   _ 解説  より抜粋 _

本書の中で取り上げられているキリスト教聖杯伝説は、 1980年代からヨーロッパを中心に
新しい解釈が試みられ、 一種のブームといえる様相を呈した話題です。
その結果、 原始キリスト教に対する歴史の書き替えも必要となる事態になったのですが、
テンプル騎士団を組織の一部としていたとされる秘密結社「シオン修道会」の存在も浮上しました。   
この修道会のグランド・マスターには、ダ・ヴィンチ、ニュートン、ニコラ・フラメルのような魔術・科学者、
そしてジャン・コクトーのような芸術家が名を連ねたとする文書がみつかり、 1990年代には科学史から
美術史までも巻き込んだ聖杯研究へと進展いたしました。

とりわけ、数々の先行研究の中から、タイトルにもなっているレオナルド・ダ・ヴィンチの<最後の晩餐>を巡る秘密に注目してください。     <最後の晩餐>は、1999年にようやく修復が終わりましたが、
鮮やかな絵となって現れたときに初めて、この絵に隠されていた様々な謎が露呈されました。

また、中世以後のカトリック支配圏にあらわれた社会構造を見てみますと、貴族や知識階級は、より深く
世界を理解しようとして、科学や魔術のほうへ傾倒していくことが多く、また逆に最下層はといえば、
古いヨーロッパの伝統をになった母系社会の暮らしと、土地の農業神を信仰する古い生活とを、継続させていました。  中世から近世にかけてのヨーロッパでは、宗教的にこの三極に分かれていました。

真中の最大層であるカトリック信徒は、上下層の異端をなんとか排斥しようとしつづけ、キリストについての伝承と、人間としてのキリストの暮らしにかかわる事実を抹殺し、「神の子キリスト」のイメージを強化させました。  一方、上下層の異端者もまたその圧力につぶされまいと、秘密行動や、暗号を作るなどして秘密結社活動へ走っていきます。  カトリックが葬り去ろうとして葬りきれなかった歴史の真相の断片をつなぎ合わせた秘密の資料や遺物が、現代になって続々と世に出たり、再び注目されているのです。

                 _____


この物語の中の謎を解いていく主人公たちは  わたしの日常になじみのない鍵 言葉を教えてくれる
タロットの五ボウ星  数学のほうのフィボナッチ数列  黄金比1.618  などが知れて 嬉しい
主人公たちが暗号や謎を解きながら 宝物を求めて進んでいくので 一緒に考えているつもりになれる
主人公たちが解いてくれて わたしの推理など なんの役に立たないのだけれど  楽しく読めた


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 ” 容疑者Xの献身 ”     東野 圭吾  著

2006-04-12 21:58:37 | ★本
数ヶ月前  この本の評判を聞いて  図書館へ予約したときの待ち番号は600番台でした
以前  この著者では ” 白夜行 ”を読んで ぞくぞく感激したものです
ですから  ”容疑者X ・・ ”は  おおいに期待して待っていました
やっと わたしの順番がきて わくわく この厚い本を読み始めたら  ほぼ一日で読んでしまいました
文章が読みやすいということがありますし  推理小説のような体裁の物語でもあると思えます
そのせいで  ぐんぐん読み進んでいけたかなぁと思います

この本を読みながら  ひとつ わかったことがあります
わたしは 謎解き小説  探偵小説  推理小説は  どちらかというと 好んでは読みません
” 容疑者X・・ ”を読みながら  なぜ 好きくないのか  やっと わかりました
殺人へのどんな状況 背景があろうとも  読者が犯人の理由へ感情移入し納得しようとも
頭脳優秀な正義の探偵のような人によって だんだん どんどん犯人が その動機の謎を解かれ 
パーフェクトに見えたトリックが解明されていくのが  とっても イヤなのです
勧善懲悪  悪は滅びるもの と世間一般はいうのでしょうが  わたしは推理小説は 苦手です

物語の前半は  なんということなく すいすい読んでいけます
魅力的な人物が 三人 登場します
天才的数学者の頭脳を持ちながら 今は高校の数学教師をしている石神(いしがみ)
大学の同窓生で 今は大学の物理の助教授をしている湯川
同じく同期生で 今は 刑事をしている草薙(くさなぎ)
著者の三人の男性への書き込みに 人間としての奥行き ふくらみを感じられます
美しい女性という設定の靖子に ちっとも魅力が感じられないのは なぜなのかなぁ

謎解き小説は  読み手をも欺かなければならないのかもしれません
わたしは 素直にぼんやり読み進み  終盤になって 意外なトリックが明かされます
だんだん 三人の男性の言動が魅力的に精彩を放ち  ラストは  じわんと感動してしまいました

出口のない孤独な生 という印象だった ” 白夜行 ”と あわせて思い浮べても
東野圭吾は  不遇の主人公を配して 物語ることの巧みな書き手だなぁと思いました 
                                      
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”  辻  ”     古井 由吉  著

2006-04-08 23:39:07 | ★本
十二篇の物語が編まれている小説短編集である  古井由吉の小説は かつて一冊読んだ記憶がある
わたしは あまり熱心な読者ではないなと思う    この ” 辻 ” を読んで そう思い出した
独特の物語  文体  雰囲気・・・  古井文学を好きな人はおおいに好むのだろうなぁと思える

タイトルが示すように  人の生きている時間の節目節目の思いを 辻に佇む様に暗示されている
この物語集を読みながら 土の匂いを思い起こした  男と女の出会い  関わり  繰り返す重い情念
一つ部屋に居ながら  ほとんど会話のない男と女  あるいは 母と息子  父と娘の話もある
何年も 共に暮らしながら 生活臭がなく 抱えてる思いだけが屹立している

十二篇の小説は タイトルも登場人物の名前も異なるが 幼少から成人 壮年 老人へと名を変え 
時と場所を変えて  どれかの話の人物の 数年後の生の軌跡のようにも読める    
なかでも ”辻” と ”風”の話が好きだ
好きという言葉を使うのは不謹慎かと思うような重たい物語であるけれども

”辻”は 幼少から父親に疎まれて育つ男の話  青年に成長していく息子の何に父は怯えるのか
”風”は 六年間同棲した男が病に倒れ 亡くなるまでのひと月足らずを病院へ通う女が主人公
亡くしてから  かつて看病に通った病室を外から見上げる   静かに哀しい話

どの物語の背景も主人公たちの思いも 明るく朗らかから遠く 読みながら 主人公の生の重さに 
あるいは 持ち続ける思いの鬱屈に からめ取られそうになる
古井由吉の独特の言い回しなのかもしれないが  主語述語のつながりが読み取りにくく 
誰の述懐なのか わからなくなったりしてしまう困ったわたし
それでいて 特に目を凝らすまでもなく 読んでいると 話の雰囲気の中に  ぐいっと浸っている

 
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 ” 河岸忘日抄 (かがんぼうじつしょう) ”   堀江 敏幸  著

2006-04-05 00:39:34 | ★本
人と話すときに大きな声音でものを言わない 物静かな男性の日記を読んだ という印象の本である
自分の考え方を掘り起こし 随筆のようでいて  少ない登場人物の動向をも追って 日が過ぎていく
フランスと思しき国の大きな河岸に停泊している船の中で数ヶ月を過ごす時間   たゆたう時間   
「ためらいは、断ち切られるためにある。  ためらいつづけることの、なんという贅沢」という文がある

日本にいる間にたくさん働き すべてを清算して かつて訪れたことのあるこの街へ立ち寄った時
知人の老人の急病を助けた縁で 「アパートを借りるくらいなら使ってくれ」と言う老人の持ち物の船に
起居することになる     毎朝 対岸の河べりで誰かがジャンベという太鼓を叩く音で目覚める
数日に一度 リュックを背負い  遠くの市場へバスを乗り継いで食材を買いに行く
吟味されて誂えられた調度品  たくさんの蔵書  クラシックレコードを好きに使用する許可を得て
彼は 船のキッチンでオムレツを焼き  クレープを作り  果物のジャムまでこしらえて自炊する

デッキで煙草をくゆらし 珈琲を飲み 本を読んでいる  郵便物を届けに郵便配達夫がやってくる 
近くに停泊中の船の少女が遊びに来る    船を管理する会社の人とのやり取り
病に臥した大家である老人を ときおり見舞いに行って話し込む時間  
その会話を日本にいる年長の旧友に伝え 東西の国の時間を問わずファックスの文が行き来する

       ***************


真実とは、本人がそこにあると信じているかぎりにおいて有効なのであり、 信じる力が弱まって
影が薄れた瞬間、 嘘に転じてしまう酷薄なものだ。

たんにひとりでいたかっただけなのだ。 そういう時間と空間を求めて、わざわざここまでやってきたの
だから。 とはいえ、 ひとりでいることの不可能をもっと自然に受け止められるようになれたら、とも
心の底で期待しているあたりに、 彼の本性的な弱さがあった。

いろいろなひとの、いろいろな言動にたいして、そして自分自身の言動にたいしても、 彼はしばしば
抑えきれない怒りの気配を感じることがある。  怒りの芽は、いったん散り散りの灰となって胸のうちに
音もなく降り積もり、やがて体内に溶け込んでいく。 この内爆の瞬間さえ把握できれば、本格的な暴発、
暴走を防ぎうるはずだとの確信が彼にはあった。

繋留された船の暮らしには、 たしかにどこか隠遁に似たにおいがある。   
隠れ家とは出ていくことを前提にしているからこそ存在しうるのであって、 きついのはそこで
何ヶ月も何年も禁欲的な暮らしを守ることにではなく、 いつでも出発できるのにあえてそれを拒み、
待機しつづけることにあるのかもしれない。

実人生のなかの「私」の像は、 あくまでも片側に、一面にすぎない。 
一対一の関係の順列の組み合わせだけなら、 人づきあいなんてじつに単純で、 薄っぺらな遊戯に
等しい。 
そこに多対一の、 多対多の関係が加算されてくるから話がややこしくなるのだ。
組み合わせしだいで楽しくもなり、鬱陶しくもなり、悲しくもなる。  そういう変化を厭えば厭うほど、
他人が所有する自分の人生のかけらが少なくなって、 証言の数が乏しくなる。

自分以外の存在、すなわち他者とのあいだの消しがたい距離の受け入れ「と」、距離があるからこそ
他者への理解に道が開かれるという認識。   自分とは異質の人間にたいして否定や拒否の盾を
かざさないある種の強さ「と」 やさしさを目指していくほかないのである。


        ******************


本を読みながら 音楽を聴きながら 観た映画を思い出しながら 彼は自分の思考を繰り返し思う
折々の彼の独白を読み進むのは 船底に寄せては返す波の水音を聞く感じに似て  ここちよい
大家である老人が亡くなり 季節が一巡した頃   久しぶりに 対岸の土手からなつかしい太鼓の
リズムが聞こえてくる   彼は手鏡を持って 対岸のジャンベの演奏者に光の合図を送るのである
「現状にゆったりと胡坐をかいている自分を、自分にたいして静かに破門してやることだ。
散歩に出てみよう  向こう岸に渡ってみよう  おそらく2時間ほどで着けるはずだ 」
主人公が行動の気持ちをもたげたところで物語は終わる
先ごろ1月31日に ”読売文学賞”を受賞した本である


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” 宇宙からの帰還 ”   立花 隆  著

2006-03-28 00:34:21 | ★本
アメリカの宇宙飛行士たちにインタヴューした 1983年刊行の本である
初期の有人宇宙飛行計画の飛行士から アポロ17号の飛行士まで会って話をまとめている
生い立ち 環境 宇宙飛行士を引退した後の生き方考え方など  著者の調査力に圧倒される

「人間には気圧が必要なのだ。 呼吸というのは、肺の中にある肺胞の膜を酸素が通過して血液の中に
溶け込んでいく現象である。  酸素に圧力がかかっていないと、酸素は肺胞膜を通過できなくなる。」

「月の表面温度は、太陽に直射された部分は最高130度にも達するのに対し、裏側の日陰の部分は
最低零下140度にもなるのである。 アポロの月着陸も、この点に気を配って早朝の時間が選ばれた。
アポロ11号は月に2日間にわたって滞在し、 その後の月探検はさらに長期にわたったはずだから、
着陸は早朝でも、灼熱地獄も寒冷地獄も避けられなかったのではないかと思われるかもしれない。
アポロ17号は足かけ4日間にもわたる長期滞在を果たしている。   
しかし、 これは実は地球時間で計測した滞在時間であって、 月時間による滞在時間ではない。
アポロ11号は月時間では約47分しか滞在しなかったことになるし、 最長滞在記録のアポロ17号でも
月時間では2時間45分しか滞在していないことになる。 」

この本には 宇宙船を飛ばすまでの苦労も  宇宙飛行士の何年にもわたる訓練のことも書いてある
すごいなぁと ただただ 感嘆である
アポロ13号の事故のことも 緊迫感ある実況中継のように記されていて ドキドキしながら読んだ

宇宙飛行士の引退後の仕事の様々な職種   その成功 不成功も興味深く読んだ
特に、 アポロ11号で、アームストロングに次いで人類2番目に月に足跡をしるす男となりながら、
精神病院に入ることになった、 バズ・オルドリンの後半生は痛ましい
選ばれて 肉体的にも精神的にも厳しい訓練をこなし あらゆる分野の勉強をする宇宙飛行士
子どもの頃から宇宙を飛びたいという夢を持ち  その大目標へ心身を傾けてきて その達成とともに
人生の目標喪失感を失うとしたら  なんとも 気の毒である
全員がそうではないけれど 普通の家庭生活を過ごせず  結局離婚した宇宙飛行士もいる

この本の主旨は 宇宙へ飛んだ人がその体験の前後で 意識や考え方が変わったかどうかということ
クリスチャンの宇宙飛行士もいれば  無宗教の人もいる
月から地球を見たとき 国籍も肌の色の違いも信じる宗教の違いさえも些細なことで みんなが地球人
こういう感想を持つ宇宙飛行士が多かった   人類みんなが 宇宙体験をすればいい とも言う
大きな心の視点でものを考え感じることができるのなら わたしも宇宙空間から青い地球を見てみたい


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” 夏の朝の成層圏 ”    池澤 夏樹  著

2006-03-14 22:50:08 | ★本
このタイトルを呟くだけで わたしの心のなかには  南の空の真夏の青色が広がる
空と海の色が 青のグラデーションを描いて溶けている   少しの白い雲
澄んだ 乾いた空気のなかを 上方へ 天頂へ  成層圏へ  心が一瞬に駆け上がっていく
心臓の鼓動を得て 呼吸するわたしという形が  頭の中が真っ白になって 身も透けて  
空の青の潔さに吸い込まれ  陶然と溶けてしまう


” ・・・・・に滞在した時期のことを後からふりかえってみれば、
 まるでずっと空の上で暮らしていたような気がして、
 あなたはびっくりすることでしょう  
             
                              カレン・ブリクセン  ”

この言葉が 最初のページに掲げられている   
物語を読み終えて思うのは 幸福 という思いを言った言葉ではないのだろうか ということ      
素直にそう感じる

この物語は とても簡単なあらすじで説明できる
日本人の二十代の男性  地方新聞の記者が 遠洋マグロ漁の取材のために漁船に乗り
荒れる波を撮ろうとして 闇夜の海に落ちてしまう  身一つで数日間 海を漂流して
環礁の中の小さな無人島に流れ着き  暮らし始める  
紆余曲折を経て  「 明日はここを出る 」と 物語の最終ページが終わる

印象的な場面は いくつもある
膨れた救命胴衣で数日間  昼夜の海の中に漂っているところ
無人島に流れ着き  雨水の蓄え方を工夫し  椰子の幹の間に蔓を張り広い葉を重ねて屋根を作る
高い椰子の木に登れるようになり  海の貝を拾えるようになる
闇という黒い液体の底に溺れているような暗さの夜の中で 島の精霊を感じる
倒木をくくって浮き材を作り  遠くに見えるもう少し大きそうな島へ潮に流されながら泳ぎ着く
丈の低い樹木を背にして  そこにまぎれもない西洋風の白い家が一軒 建っていた
精霊たちが 彼に島の盛衰をささやく   ミランダの体の意識   宇宙の中の人の存在

マイロンのセリフ  「 ジョンが言いたいのは、 他人の目から見ればきみは英雄だということさ。  
他人の目から見ないかぎり英雄なんて存在しない。  」
このセリフ   また  わたしの心にひっかかる  
思う自分ではなく  他人の目の中に わたし自身は作られるというのだろうか  宿題だなぁ


あ そうそう   先日 中華街を歩いていたとき  あるお店の前で生ジュースを売っていた
椰子の実のジュース!   この幸運♪    近寄り 手に取り 持って 振ってみた
両手で丸く輪を形作ったくらいの大きさ  白く固い繊維がしっとりしている  振っても音がしない
小さく穴を開け細いストローを刺して売っている   この果肉を無人島の彼が食したのだ
売り子のおねえさんに質問する  「この白い部分は 食べられますか?」
「いいえ  中の果汁のあたりなら  少し柔らかいから  食べられます 」 
この数分間  わたしの心の中は 無人島の椰子の林の中にいました
で  見つめ  さわって  眺めて  果汁は飲むことなく 立ち去りました
                              
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” 臨死体験 ”    立花 隆  著

2006-03-06 00:04:49 | ★本
’91年8月~’94年4月まで 文芸春秋誌に連載されたものをまとめた上下二冊の本である
著者は たくさんの人に会い インタビューをして 実証調査をし 統計を取り 原稿を書き 推敲し
多くの時間を費やして この本を上梓したことと思う     その熱意と情熱に 敬服してしまう

自分の体験したことのない超常現象には マユツバ的な斜に構えた気持ちで 本を読み始めた
たくさんの事例を紹介する作者は 大真面目に信じているのだろうか という気持ちで読み進んだ
取材したビデオテープは230巻   取材ノートは9冊に達した という  
大勢の臨死体験者の体験記録の内容が紹介されている  
一般の人たちや宗教学者や医師や夏目漱石の内容や外国の学問的研究をしている人たちの分もある
印象に残った概要を紹介します


「臨死体験というのは、事故や病気などで死にかかった人が、九死に一生を得て意識を回復したときに
語る、不思議なイメージ体験である。   三途の川を見た、 お花畑の中を歩いた、 魂が肉体から
抜け出した、 死んだ人に出会ったといった、 一連の共通したパターンがある。」
「臨死体験者は 具体的にどういう体験をしたのか
 ・安らぎに満ちた気持ちよさ
 ・肉体からの離脱
 ・暗闇(トンネルなど)の中に入っていく感じ
 ・強い輝きの光を見る 
 ・自分の人生を回顧させられる 
 ・死んだ親族 知人との出会い     」

「臨死体験後にあらわれた超能力の実例  
透視能力やテレパシー能力が備わった人や 頭の中に数学の記号や方程式の断片が浮かんできて
物理学量子論の勉強がわかるようになった除雪車の運転手の例もあげている」

体験者のひとりは語る 
「ただ深い安らぎと静寂の中で空中に漂っていた。  死への不安はほとんどありません。  
生きている間どれほどの苦しみがあろうとも一所懸命生き抜けば最後にはあの安らぎの境地になれる、 
そんな保障を得ているような気がします。」

臨死体験研究の先駆者レイモンド・ムーディ博士は超常現象 超能力 心霊現象といったようなものは
信じないという立場である  
「この問題は 科学やロジックでは最終的な答えが出ない問題だと思うのです  現実に体験者たちの
話を聞いていくと  これは頭の中でこしらえあげた理論ではとても説明できない現象だということが
すぐわかります     幻覚と臨死体験とでは 内容にあまりに質的ちがいがありすぎる
特に体外離脱は幻覚ではなく現実であると考えないことには 説明がつかない事例がたくさんある」
「臨死体験の研究をやってよかったと思うのは 死に対する恐怖から 完全に自分が解放されたことです
死に対する恐怖がなくなったことで 生きることがとても大切に思えてきました」

「臨死体験の内容には、体験者が育った文化の影響がかなり色濃く反映されているようだ」
体外離脱という現象が、必ずしも臨死体験に付随して起こるものではないということ
1982年に、中国のミニヤコンカ峰に登山して遭難し、死んだとみなされながら、消息を絶って18日後に
奇跡の生還をとげた登山家の松田宏也さんの体験談もある

「感覚遮断の研究は、人間を、感覚入力が奪われた状態に置いたら、その精神機能がどう変化するかを
探るために行なわれた」     
ノーベル物理学賞受賞者のR・ファイマンが、感覚遮断用の隔離タンクに入った体験を述べている 
のみならず 著者立花隆も このタンクの実験を体験している
「さまざまの宗教で伝えられる神秘体験というものが、実感的にわかるような気がした 
この肉体の存在感の消失というところが、体外離脱の本質なのだろうと思う 」 と言う

「側頭葉というのは、実に不思議なところで、刺激すると、奇妙な現象がいろいろ起きるんです
脳内化学物質のバランスの変化と、血流低下・低酸素状態が側頭葉・辺縁系てんかんの引き金を引く。
それによって、辺縁系にある記憶検索装置が機能不全状態になると、過去の思い出が次々に
よみがえってくる人生パノラマ回顧が起こる。 また、側頭葉てんかんによって、体外離脱も起こるし、
さまざまな幻覚を見るという現象も起こる。」
「臨死体験は、脳内現象として説明できるということを意味するが、そういい切ってしまうことが
なかなか できないのは、実際に体外離脱しなければ見えないはずのものを見てきたという事例が
幾つかあるからである。」

「生きてる間は生きることについて思い悩むべきである。 」    著者は このように結んでいる


              ***********


未体験 未知のものへは なにによらず不安が大きい  死は痛いのか 怖いのかと 不安も大きい
事故や病気の危篤状態の人が多いが それ以外でも臨死体験をした人たちは 一様に 何者かの
大きな愛で包まれる感覚を味わったと語る
実際に亡くなった人のお顔が安らかなのは そういう安心の状態で生を終えれるということなのだろうか
わからないことは 保留
いまは 著者も言うように  生きることに 一所懸命でありたいと思う
                                   

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” 不運な女 ”   リチャード・ブローティガン  著

2006-02-21 19:28:21 | ★本
いい本です と書評が褒めているから  どんなふうに よい本か 好奇心で図書館から借りてきた

アメリカの作家ブローティガンの本を 初めて読む
いろいろな街を講演のために 友人に会って滞在するために 旅した半年ほどの出来事を日記風に
記した小説である       
自分が遭遇した予想外の出来事や久しぶりに電話で話す友人たちの悲壮な嘆きさえも 軽妙に綴る
日常の些細なことが いきいきと おかしみをもって描写される
ただ 読みながら 出来事や人を見る作者ブローティガンの視点に 危うさのようなもの  あるいは
強い孤独のようなものを  ずっと感じながら読んだ

交差点のど真ん中に、新品の女物の靴の片方が転がっていた という落ち着かない感覚の書き出し
知り合ったばかりの男から その恋愛の話を聞かされ続け ゆるゆると自分の体が縮んでいく感覚
ハワイ マウイ島の荒廃した日本人墓地を訪ねたり  一夜の あるいは少しの間つづいた恋のこと
「わたしだって、 少々でも愛が必要だ、 たまには。」 と作者は書く

タイトルの  不運な女  とは 誰を指したのだろう
作者がある街で少しの間借りていた古い家は  自死をした見知らぬ女の家
その事実を告げられてからも住み続け  旅をしながら ときどき 見知らぬその女に思いを馳せる
もうひとり 親しい女友達が癌を患い 「いつも強靭で果敢で、すごく精力的、積極的な性格だった。
がんはその彼女をおびえて泣く少女に変えてしまった。」  この友人のことも 折りにふれて思う
日常の出来事や人との些細なやりとりのなかにも 生を肯うような温か味のある言葉で綴りながら
「死」のイメージがあふれているような小説である

この本は 1990年ごろ 未整理の遺品がはいっていた箱のなかから発見された小説である
作者リチャード・ブローティガンは その六年前  1984年10月に ピストル自殺した
 
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” 東洲斎写楽はもういない ”   明石散人 + 佐々木幹雄 著

2006-02-12 00:12:14 | ★本
浮世絵が好きというわけではないけれど 東洲斎写楽は誰かという謎に 少々関心がある 
この頃殺人の起きる推理小説を読む機会が多いけれど 謎を解いていくお話を推理小説といえるなら
わたしにとって この本はスリルとサスペンスに満ちた上等の推理小説である
十分わくわくし それで それで? と ページを繰る手が 先へ読み急いていく
自称明石散人(あかし さんじん)と名乗るY氏と知り合った私は 写楽を追いかけてみませんかと
提案する      読み始めてまもなく 以下の文を読み この本は面白そうと  ときめいた

          **************


本書の主人公であるY氏は、私に対し、写楽という媒体を通して様々なことを教えてくれた。
しばしば彼は、従来の「写楽本」 _多数出版されている「写楽研究本」や「画集」を総称して、Y氏は
こう呼ぶ_ のことを算数の計算を例にとって説明してくれた。
「写楽本」の筆者達は、写楽の謎を、

    1+2=3   2+1=3

という、どちらも「3」が答えとなる二つの「足し算」で計算し、答えが同じになったことで証明が完了したと
思い込んでいる。   これは明らかに誤りだ。   何故なら、あらかじめ予想された結果「3」を、
手元にあるデータをもとに検証したに過ぎない。
写楽の作品が発表されたのは200年近くも前の出来事である以上、最終的に百パーセントの証明は
不可能である。   だからこそ、写楽の証明は「引き算」的方法で行なわなければならない。  
つまり 二つの計算式は、こう変化する。

    1-2=-1   2-1=1

整数値が同じであるため一見同じように見えて、実は異なる二つの答え 「マイナス1」と「プラス1」を、
証拠を提出しつつ、 なおかつ論理的に 「-1=1」として説明しなければならないのだ。  
言い方を換えれば、「マイナス1」を「プラス1」に限りなく近付けていくことこそが、「引き算」的証明なのである。   
はじめから用意された一つの答えではなく、 似て非なる二つの答えをいかにイコールでつなぐか・・・

         ****************


こういう考え方のY氏は 膨大な量の資料を読み 写楽が存在したとされる数ヶ月間の歌舞伎や能舞台の上演日や演目まで検証明記してみせる
その学術的な検証検討の緻密詳細さに わたしは敬意瞠目と共に ついつい飛ばし読みしてしまう
資料を読み その繋がりから他本を探し読み込み  いったいどのくらいの月日を調査したのだろう
様々な証しを提示されて 東洲斎写楽の読み方は 「とうじゅうさい しゃらく」 と呼ばれていたと解く
けっして薄い本ではないけれど 論の進め方が犯人探しの高揚感にも似て わくわく どきどき読める
謎は解けた  
この作者の論理の組み立て方  ものを見る視点角度に惹かれた    学びたいものである
                                  
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” 占星術殺人事件 ”   島田 荘司 ( しまだ そうじ )著

2006-02-09 21:31:53 | ★本
長編の推理小説である  物語の中の時間が43年間も流れているので(?)  じっくり読めた
探偵 御手洗 潔(みたらい きよし)と友人 石岡のキャラクターに親しみが持てて 楽しい
いつも思うことだけれど ものを書く人たちは たいてい そうなのだろうけれど 博識だなぁと思う
この物語の作者も 占星術から日本国内の鉱山や 地理の緯度経度を駆使して 物語を膨らませる
事件発生から解決までの43年間という経過のみならず  伏線の手が込んでいるので
先を急ぐことなく  わたしの未知の分野での講義をいろいろ聴かせてもらえた

読み始めて 「明治三十七年生まれの長女 大正二年生まれの娘が・・」 などという記述にびっくり仰天
この本は いつ刊行の小説なのかと 思わず 奥付を眺め  どうして こんなにも古いお話なのかと
首をかしげながら読んでしまった
43年前の迷宮入りの事件を 現代の探偵が解決するのである
強度のうつ病をわずらってるらしい御手洗探偵が愉快で好感が持てるから  楽しく読めた

最初の事件  完全密室での犯人の手口を  すらすらと6通りも推理してしまうのには びっくり
そんなにも早く謎が解けていいのか と読者のわたしは焦ったけれど  これは序の口
不思議な殺人事件は  このあと始まっていく
人間味あふれる御手洗が ぎりぎりまで謎が解けずに悶々とするのも よい
犯行のトリックは そうなのかぁ と思いました   あたりまえだけど
登場人物たちが 市井に居そうな人たちであり  その生の背景にも頷けそうだったので
推理云々を離れて  ゆっくり読めた本です

    
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” 人形は なぜ殺される ”  高木彬光 著

2006-02-06 00:48:48 | ★本
1995年11月に刊行された推理小説である    主人公の名探偵は神津恭介
「男には珍しいほど美貌の青年ではあったが、美青年にありがちないやらしさを救うものは、
その顔全体に、みなぎる気品と英知であった」    いいなぁ  羨ましい美貌だね

推理小説は たいてい意外な人物が犯人である  
物語の前半で だいたい登場人物たちが出揃い  その背景が紹介されていく
読み手のわたしは ついつい 怪しくなさそうな人物を探す
半分ほど物語を読まないと 事件も起こってないのだから  せっかちにも ほどがある
今回は 犯人は捜さないで 作者の思うつぼにはまろうと思って 悠々と読者になってみた
作者が いかにもこの人物は怪しいのだぞ と強調するように事や人を書き表しているのが面白い
でもね  「この人 変 」とわたしの直感した人が犯人だったわ   エッヘン!
美貌の探偵と行動を共にするところ  押入れから変装衣装が発見された時 これで ン?と思ったヮ 
トリックは 美男探偵に解説されて なるほど その為かぁと わかりました

先日読んだ推理小説もそうだったけど 複数の殺人が起こる事件は 大金持ちの館である
古い家系  長い怨念  大きな仕掛けのためには財産家のお屋敷が必定かな
登場人物たちも どことなく類型的で 性格や描写に役割分担がある
ン十年前の小説はこんなふうだったのかなぁと思いながら読んだ

あ  推理小説としてのトリックは  うん  おもしろかった
ガラスの箱から人形の首が盗まれる不思議   探偵の解説を聞いて いつも思う
ものの考え方は もっと 柔軟性に富まなければならない と
明日から  さっそく 実生活で実践しましょう
                                   
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” 袋小路の男 ”  絲山 秋子 (いとやま あきこ)  著

2006-01-18 17:15:03 | ★本
”海の仙人” や ”イッツ・オンリー・トーク”なども読んでみたけれど  作者の奏でる思いは
いつも同じところにあると思うけれど なんだか読後の読み心地が落ち着かなかった
語り方に 物語そのものに なんだか強引な印象を受けたのかもしれない

男と女の間に友情は成立するのか   性の関係を持たない恋愛はあるのか
こういう問いかけをはらんで 作者は物語を書く  どの主人公の男と女も強い信頼感に結ばれている
二人の心の距離が縮まりながらも 情を交わす関係にならない  なれない
それぞれに付き合う恋人がいても また縁があって出会い 理解し信頼された親しい時間が繋がっていく
作者のどの物語にも たいてい この主題が盛られている   
そして やっと”袋小路の男”  こういう物語を待っていた  川端康成文学賞受賞作品である
  
この本の中には 他に中篇が2本編まれている
”小田切孝の言い分”は ”袋小路・・”の番外編といえるかもしれない  
物語にふくらみを与えているようでいて 書き過ぎの感じがあり ”袋小路・・”一本だけで
物語を楽しみたいとき  読み手の想像力や余韻を奪うかもしれない   
なくてもいいお話だと思う  ← 小声

3本目の”アーリオ オーリオ”は スパゲティのアーリオ オーリオ エ ペペロンチーニが好きな
40代の独身の叔父と14歳の中学生の姪が星座の話をとおして文通をする
「或いは宇宙は永久に膨張を続けて冷たくなっていくのか。   ・・・・  
しかし終わりというのは、いかなる意味でも時間のことではないか。 
宇宙が終わるとすれば、そのときに時間というものも終わる。 
しかしなぜ自分はいつも終わりのことばかり考えるのだろう。 」 と思う叔父が主人公なので
少しさみしくて  静かな雰囲気の小編である

”袋小路の男”   
文章が平易で読みやすく 切実な物語かもしれないのに 明るいおかし味がある
この主人公たちも やはり 作者の気がかりなテーマを生きる
飾りを削って語ったとき さらりと素直なお話が立ち上がった  そういう好印象が持てる

以下 文章の抜粋 概要
高校一年生の私は 袋小路に母親と住んでいる一歳上の小田切孝に好意を持つ
あなたと初めて会ったのは、学校ではなく、友だちに誘われて行った薄暗いジャズバーだった
小田切孝さん  二年生で、成績が良くて、彼女がいるのにソープランドばっかり行ってる人。
すこし機嫌のいい日は私のテーブルに手を置いて、「出ようか」と言う。 どこかご飯でも食べに連れて
いって貰えるかと尻尾を振ってついて行くと、「あ、ちょっとごめん、待ってて」と、言ってパチンコ屋に
入ってそのまま三十分は出てこない。   そうでなければ本屋に入って一時間も立ち読みをする。
私はいつも怒りそびれて、でも黙って帰ってしまうこともできなくて、手持ちぶさたで困っていた。

私が二十歳になった時、あなたは電話で言った。 
「二十歳になったらセックスしても犯罪にならないんだから、機会があったらやりましょう」
私は飛び上がる程驚いて、言葉が出なかった。 
私はその話を大学の友達にして、それを言いふらされてひどく傷ついた。
きっかり二年間付き合って、大学卒業と共に別れた。 私は大阪が本社の食品会社に就職した。
あなたがアルバイトをしていたのは あのジャズバーだった  
お盆と正月以外でも東京に来ればジャズバーに顔を出すようになった
空白の期間、どうして私はここへ来なかったのだろうと考えた。 
あなたに会うかもしれないことは会えないことよりも怖かったのかもしれない。

あなたが携帯に出ないのは今に始まったことじゃないけれど、何日も続けて出ないのはおかしいと
思った。   それで家の方に電話した。  あなたは階段から落ちて背骨を折った。
行こう。  新幹線はもうないけれど、私にはガンメタのフォルクスワーゲン・ゴルフがある。
月曜の朝までに大阪に帰ればいいんだ、行こう。  こんなときに行かなかったら私は私じゃない。
私は土曜と日曜、面会時間をフルにつかってそこにいた。  大阪から新幹線で、半分くらいは
ゴルフで来た。 毎週来るのはしんどい。 それにお金もかかる。 けれどほかに何が出来たろう。
私は週末大阪にいて、あなたがどうしてるだろうと思うほうがイヤなのだ。
「もし、私がいつもいてうっとうしかったら、遠くでいいから買いものでも言いつけてください」
あなたは、「足りないものは何もない」と満足げに言った。

コルセットができ上がってあなたが退院すると、私は東京へ行く理由を失った。
結局、退院してはじめてあなたに会ったのは一年近く後のことだった。
「おまえさ、俺と結婚しようったってだめなんだぜ」 「そもそも俺にその気がないんだからよ」
問題は結婚なんかじゃない、この中途半端な関係をどうするかということだった。
片思いが蛇の生殺しのように続いていくのがとても苦しかった。  私は考えた末にメールを出した。
「小田切さん、このままじゃつらいです。最後に一度だけでいいから」 そのあと迷って
「一緒に寝てください」と書いた。 でも断られた。 「おまえと縁を切るつもりはないけれど、
俺は本当にいろんなことを諦めているんだ。これで答えになるかな」  なんない。

出会ってから十二年がたって、私たちは指一本触れたことがない。
今、あなたは私の部屋にいる。
Tシャツの下からへそを出して、軽いいびきをかいて気持ちよさそうに眠っている。
私は文庫本を片手に番茶を飲みながら、あなたの目がさめるのを待っている。
襲ったりはしない。せまったりはしない。 あなたを袋小路の奥に追いつめるようなことは一切しない。 
静かな気持ちだ。


   ****************


作品 ” 沖で待つ ”で 作者は芥川賞を受賞しました  おめでとうございます
                                    
                          
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” 時計館の殺人 ”  綾辻 行人 (あやつじ ゆきと) 著

2006-01-13 02:17:10 | ★本
久しぶりに長編推理小説を読んだ   大勢の人が死ぬが 殺人は二人くらいでいいと思う
殺人が起きてしまう因縁 動機 準備はすごい  そして年数を要するトリックは面白かった
犯人の怨恨がどんなに深くても  あまり年数がたたないほうがリアリティがあると思う
まして 単独か複数犯かはともかく 人は一度に大勢の人を殺害できるものじゃないと思う
ピストルだと可能かもしれない  引き金を引くだけの手応えしかないのだから
でも自分の手が物を持って人を痛めるのは 直にそれが自分に伝わり 何度も出来るものかなぁ

文章を読みながら状況や背景を想像していく読書と 情景を画面で見せる映画とでは
読み手 観客の推理力に差異が出ると思う
密室殺人の設定だけど わたしは早いうちに密室ではないことに気づいた
映像なら すぐに直感できそうである
水についても そう    超常現象研究会の大学生たちが気づかないのは変である
作者は繰り返しポイントを書き述べている  書き過ぎの感があり 読みながらわかってしまう
殺人が出てこない推理小説ってないのかなぁ  せめて 人をあやめる犯人の逡巡も書いてほしい

時計館ということで たくさん時計が出てくるが ”もう一つの時間”ということを考えた
今 自分が暮らしているリアルな時間と場所がある
自分の心の中に この現実以外のもう一つの時間の流れを見 感じることができるなら
たとえば自然の大きな推移でも 敬愛する人の生の時間でもいい 時の流れを感じることができれば
自分の生に豊かさが加味されるような気がする
                              
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” 写楽殺人事件 ”  高橋克彦 著

2006-01-10 21:26:23 | ★本
昭和58年  第29回江戸川乱歩賞を受賞した作品である  
ジャンルは推理小説になるのだろうが これは写楽は誰かという謎への研究発表の書として楽しめた
作画期間10ヶ月の間に140枚の絵を描きながら 素性も履歴もわからない写楽の正体は誰か
いろいろな諸説があり 浮世絵の魅力とあいまって 浪漫がある
この物語の写楽説は 長年浮世絵を研究してきたであろう著者の持論なのではないだろうかと思う  
写楽の生きたであろう時代の秋田蘭画という画風の存在はこの本で知った
田沼意次の時代の秋田藩にまで視点が広がり 研究者の調査検証はとても緻密なものだと驚嘆した
殺人の起きた推理小説の謎解きとからませて  ぐんぐん読ませる
                                 

    
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