代替案のための弁証法的空間  Dialectical Space for Alternatives

批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。

八ッ場ダム予定地の歴史的景観 -岩櫃城と吾妻渓谷-  

2009年10月02日 | 時事問題
 昨日、広島地裁で画期的な判決が出ました。瀬戸内海の鞆の浦の一部を埋め立てて橋を造る公共事業計画に対し、住民が「鞆の浦の歴史的・文化的景観を破壊する」として計画の撤回を訴えていた裁判で、住民が全面勝訴したのです。鞆の浦をモデルに「崖の上のポニョ」を作成したという宮崎駿監督も、この判決には嬉しそうでした。

 この記事では、あまり語られていない、八ッ場ダム予定地周辺の歴史的・文化的景観を保全する意味について考えてみたいと思います。この地域の歴史と文化も公共事業によって破壊してはならない価値があるからです。

 八ッ場ダムに関しては、治水面も利水面も、地質面も、水質面も、費用面も、すべてウソの上にウソが塗り固められて計画がすすめられてきたものです。ただ、歴史的景観面ではあまり多くが語られてはおりません。

 八ツ場問題は、他のブログも多く取り上げているので、私は書かずともよいなと思っていましたが、護送船団のマスコミ報道があまりにも酷く目もあてられないので、私も書きます。マスコミときたら、治水や利水、水質、地質などの問題を論じると勝てそうもないので、ひたすら「地元は必要としている。今から止めると余計にお金がかかる」という、これまたウソ八百の繰り返しです。彼らはダムを造ることによる環境・歴史・文化の破壊という外部費用や、将来世代への負担を何も念頭に置いていないのです。

 治水、利水、水質などでいかに問題だらけかは、私の尊敬するジャーナリストのまさのあつこさんの書いた、八ッ場の七不思議という記事をご参ください。
 治水面でのウソは、先日も書きました。利水面も治水に輪をかけてメチャクチャなのです。だって吾妻川の水は酸性で、上流で一日53トンもの石灰を投入して中和しているのです。それをしなければ、ダムのコンクリートも溶けるとか・・・・。  

 吾妻川の上流には高原野菜の産地として有名な嬬恋村があります。そのキャベツ畑に投じられた肥料も農薬も、5000頭以上もいる牧場の牛たちの糞尿も八ッ場ダムに必然的に流れ込みます。
 野菜畑と牧場によって、ダムの上流に数十万の人口の大都市があるのに匹敵するというくらい大量の栄養塩類が吾妻川に流れ込みます。その豊富な栄養塩類で、吾妻川の水はエメラルドグリーンに輝いております。ダムが完成したらダム湖は藻類の大繁殖で青々と濁ることでしょう。この水を飲めというのは、正気の沙汰とは思えません。

 石原サン、森田サン、上田サン、ダムが利水のために必要というのであれば、まずあなた達が、吾妻川の上流の水を試飲してみてくださいな。ただし、石灰は自分で入れてねー。

 さて、本題の歴史的景観についてです。この問題は、何故かあまり言及されていません。

 ダム建設予定地のすぐ下流の脇には、岩櫃山と岩櫃城跡があります。この城は、歴史ファンなら「知る人ぞ知る」という天下の名城なのです。
 
 武田信玄の命を受けた真田幸隆が攻略し、息子の真田昌幸に引き継がれた真田の居城でした。真田幸村(信繁)も真田信之も、この八ツ場ダム予定地周辺の岩櫃城下で青春時代をすごしたのです。
 1582年の武田家滅亡の折には、真田昌幸が武田勝頼を岩櫃城に迎え入れ、織田信長の大軍を相手に籠城戦を試みようとしました。しかし勝頼は、岩櫃城ではなく岩殿城に向かい、滅亡に至りました。

 池波正太郎の『真田太平記』は、この岩櫃籠城の段から書き始められます。池波は、岩櫃の城を実地で見聞し、ここに武田勝頼と真田昌幸が籠城すれば、さすがの織田軍もこれを攻め落とすことはできなかっただろう、したがって武田家は存続したであろう、とまで言い切っています。

 実際に岩櫃城に登った方は、池波正太郎の説に納得することでしょう。岩櫃山の大絶壁に守られたその城の威容は圧巻であり、まさに難攻不落と呼ぶにふさわしいものです。歴史ファンは必見の価値ありです。岩櫃城の紹介サイトとしては、たとえば歴史愛好者の方々が作成した、このページがすばらしいです。

 さて、ダム建設によって、800年の歴史を誇る川原湯温泉街は丸ごと水没、さらに国指定の名勝・吾妻渓谷の一部がダムの底に沈みます。吾妻渓谷はトチやシデやカエデなど落葉広葉樹林で覆われ、紅葉の季節はさぞ美しいことでしょう。(私は夏にしか行ったことがないので、紅葉は見たことがありませんが・・・・)
 はじめは渓谷がすべて水没するはずでした。この渓谷美を残してほしいという地元の人々のせめてもの歎願によって、建設予定地は若干移動になりました。それでも4分の1は容赦なく水没させられます。国指定の名勝という自然美の価値など、国交省にとってはかくも些細なことなのでしょう。

 吾妻渓谷に沿っては、岩櫃城の支城の丸岩城があります。この城は北条、上杉、武田の三大勢力の狭間で、数奇な歴史に翻弄され、最後は真田の城となりました。丸岩城に関しては、歴史愛好者の方々が作成したこのページの紹介写真がすばらしいです。丸岩城も断崖上に築かれた天然の要害で、岩櫃城に勝るとも劣らぬ威容を誇っています。しかも美しい。いかにも真田の城という威風堂々とした姿で、渓谷からそびえ立っています。
 この城と渓谷の周辺で真田の忍びは修行したのかと思うと、そりゃ強いわけだ、と思わず納得してしまいます。

 ダム湖ができれば、この丸岩城と吾妻渓谷の景観も、まったく興ざめなものになってしまうでしょう。吾妻渓谷の一部はダム湖に沈み、残った渓谷も、巨大なコンクリートの壁面の下で惨めな姿をさらすことになります。水もほとんど流れなくなるでしょう。丸岩城はダム湖から突き出たような姿になるのでしょうか。断崖の上のそそり立つ難攻不落の風貌と真田忍者の歴史ロマンは、その姿を消すのです。
 先ほど紹介した丸岩城のサイトをつくられた歴史愛好者の方は、強くダム建設に反対しています。(このページ

 1582年に織田10万の大軍を迎え撃とうとした勇気ある岩櫃城下の人々は、それから380年の後、今度は建設省という大敵の侵攻に直面し、再度、勇気をもって立ち向かいました。しかし、建設省=自民党の連合軍は、織田=徳川連合軍より強かった・・・・。いや強いというか、やり方が陰湿だったのです。
 巧妙な分断工作によって、籠城側の結束は乱され、ダムを受け入れなければ公共事業をしないという形で兵糧攻めにされ、精神的にも傷つけられ、刀折れ矢は尽き、遂には建設を受け入れざるを得なくなりました。

 自分たちの人生をいいように弄んできた国に対して、地元の人々が怒るのももっともです。しかし、子子孫孫のことを考え、「造らない」という勇気ある選択をすべきです。このような歴史と文化と自然が豊かな、誇りある地域を、ダム湖の底に沈めてはなりません。地域の歴史・文化・自然に修復不可能な傷を与えます。

 国は、ダムを中止し、誠意をこめて謝罪し、川原湯温泉街はじめ全ての地元の方々に十分な補償をし、その歴史と温泉と自然資源を活かした、ダムよりもっと永続的な雇用と経済効果をもたらす地域振興策を策定し、その罪を償うべきなのです。
 
 
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11 コメント

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お久しぶりです (バク)
2009-10-02 21:20:56
しばらく更新されなかったこともあって、しばらく遠ざかってましたが、ふと思いついて立ち寄ったら、興味ある記事がアップされていて、楽しく読ませてもらいました。
理系のこととか、ハイゼンベルグとか、ああ議論に参加したかったなあと思います。
さて、八ッ場ダムのことですが、前原氏の冷たいコメントや住民が納得するまで、正式な工事中止はしないというようなことを述べていたにもかかわらず、中止を決定したりと、その独善的な対応に疑問を持ち、作った方がいいのかなあという気持ちもわいていました。
しかしこの記事を読んで、ちょっと気持ちが変わりました。前原氏の顔を見てちょっと感情的になっていたかもしれません。
私は山登りを趣味としているので、むやみにダム建設はすべきでないと思っています。ブログ主様の紹介していただいたHPを参考にもう一度考え直してみます。といっても私に政策決定に関わる力なんぞありませんが(笑)
貴重な情報ありがとうございました。
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鳩山民主党について (バク)
2009-10-02 21:53:18
関様は鳩山氏の論文を高く評価しているように見受けられますね。確かに鳩山氏の友愛精神に基づいた主張は頷ける点が多くあると思います。
ただですよ、鳩山氏の友愛精神が本物かどうか疑問も残ります。
あの論文に書かれた内容が本心で強く思うのなら、労働者派遣法をなんとしても改正すべきでしょう。鳩山氏はそこに手をつけるかどうかが試金石だと思っています。まあ党内事情もあって時間がかかるのはやむを得ないのかもしれませんが、友愛精神が本物なら絶対そこから手をつけるべきだと思います。
まあ社民党ですら少しずつ主張が後退しているように感じられるぐらいですから、民主党では不可能かもしれませんが…
ついでに言うのなら、亀井氏の政策は友愛精神に基づいていると思います。ならばマスコミは言うに及ばず、同じ閣内からも批判されるままにせず、少しくらい援護発言してほしいとも思いました。
とにかく気長にみていきたいと思います。
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バクさま ()
2009-10-03 06:04:02
 しばらくブログを書けなくなっていて、申し訳ございませんでした。ハイゼンベルクのこととか、過去記事にどんどんコメントください。

>作った方がいいのかなあという気持ちもわいていました。

 マスコミのイメージ戦略は恐ろしいですね。バクさんほどの人でも、そう思ってしまったのですから・・・・。
 民主党は公約どおり、記者クラブ制度を廃止して、マスコミの護送船団を解体してほしいです。

 八ツ場問題に象徴されるような、マスコミの横並び護送船団記事の諸悪の根源は、記者クラブ制度による官僚に情報源をコントロールされたマスコミの報道姿勢、記者クラブに依存して、独自取材を喪失してしまった、羊化した記者たちの無能力にあると思います。

 フリーのジャーナリストは、記者クラブに依存せず、自分の頭で考え、自分のソースを見つけて報道しますから、八ツ場問題でも、あのような無責任なことは書きません。

 いろいろと問題も多い、民主党ですが、私たちとしては積極的に提言していきましょう。 
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諫早湾と同じ手口 (ウミユスリカ)
2009-10-04 02:42:35
>> 、ダムを受け入れなければ公共事業をしないという形で兵糧攻めにされ

これ、諫早湾干拓事業の地元推進派が作り出された構図とまさに同じ手口です。あの時も、全国紙や系列テレビ局は、地元推進派が作り出された構図を系統的に報道せず、彼らを公共事業が地元に落とす金にたかるたかり精神の者たちのように報道することで人質同然の地元推進派をより精神的に硬化させ、結果として事業推進の片棒を担ぐ形になりました。

これら大手マスコミの報道では、多くの記事に断片的に書かれたことをつなぎ合わせないと地元の置かれた真の構図が読み取れないようなやり方がされており、地元見直し派は下手に知識があるだけに、ちゃんとした報道が行われているような錯覚に陥り、大手マスコミのやり口にまともに気がつかないという事態にも陥っていました。

結局、地元の置かれた真の構図を体系的に報道したのは、ごくわずかなフリージャーナリストだけというのが実情だったのです。
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ウミユスリカさま ()
2009-10-06 05:11:52
 はじめまして。コメントありがとうございました。
 権力が、抵抗する住民を分断し、一方を懐柔してアメを与えながら、抵抗する人々にはひたすらムチで締め上げて切り崩していくというのは中世から変わらぬ常套手段ですね。

>真の構図を体系的に報道したのは、ごくわずかなフリージャーナリストだけというのが実情

 大手のマスコミは、もはやジャーナリズムの体をなしていないと思います。
 そんな中、週刊誌とかタブロイド紙の報道はまともなものが多く、若干救われるものを覚えます。
 今週号の「週刊現代」のトップ記事は、「新抵抗勢力」=「官僚=マスコミ連合」となっていて、思わず拍手してしまいました。

 マスコミは、「護送船団」だの「抵抗勢力」だの、かって他者に対して貼り付けてきたレッテルが、自らにブーメランのように帰ってきて、喉元に突き付けられています。

 権力側が住民を分断してきたように、今度は私たちが良心的なジャーナリストを応援しつつ、官僚と癒着して特権を維持せんとする御用ジャーナリズムを孤立させ、その醜悪な報道を終わらせましょう。
 まず第一歩は記者クラブの解体を、民主党政権に実行させることかと思います。
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推進派と見直し派 (ウミユスリカ)
2009-10-06 20:48:15
関様、コメントありがとうございました。

わたしが諫早湾の件で学んだことは、この手の事業をめぐる構図において、地元推進派のコアにいる人々と、地元見直し派(乃至は反対派)のコアにいる人々というのは、実は心情的にはかなり近しい位置にあるということでした。「大規模公共事業」というある種の天災にも等しい問題に対応して地元を何とかしようとあがいて、ある段階までは同じ思考ルートを歩んできたのが、どこかで道が分かれてしまった。そのため、考えていることの核心部分は実はかなり似通っている。

そうすると、地元の見直し派と、主として大手マスコミの報道に刺激されて形成された外部の見直し派・反対派というのは、意外に心情的・思考の核心部分において、共通項が少ないという問題が潜在的にあるわけです。地元の見直し派は外部からは外部の見直し派・反対派と同類項の発想のもと、運動をやっているとみなされがちなのですが。

また、地元の推進派も、本心のところでは外部の推進派である官庁・県庁・ゼネコンに深い反発を心に秘めている。そのあたりから、マスコミの報道を見て地元推進派を心情的に応援している層と、深い断絶を有しているわけです。

こういう構図は大手マスコミの報道だけ見ていても、ましてやネット上の玉石混交の情報で勝手に熱くなっていても、決して見えてこないものです。地元で両方のグループの人々と信頼関係で結ばれて、親しく酒を酌み交わすぐらいにならないと見えてこない。

こういう内実を的確に外部に発信する手段をどう構築していくか、なかなか悩ましいものがあります。
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まだ幕をひいてはいけない (Ladybird)
2009-10-07 02:59:30
 八ッ場ダム問題.
 地元の有力者,役人,業者の親密な関係が,やっと報道され始めました.「週刊ポスト」の最新号です.「週刊朝日」はまだ読んでいませんが,期待しています.
 まだ幕引きには早すぎる.マスゴミもこれだけ大きな話題にしたわけですから,ひき続きどんどん報道して欲しいものです.調べればまだまだ続々と出てきますよ.
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ウミユスリカさま、Ladybirdさま ()
2009-10-08 19:48:04
>地元の見直し派と、主として大手マスコミの報道に刺激されて形成された外部の見直し派・反対派というのは、意外に心情的・思考の核心部分において、共通項が少ないという問題が潜在的にあるわけです。

 ご指摘の点、もっともだと思います。
 地元推進派と反対派は心情的に近い。地元反対派と外部反対派は遠い。
 これは八ッ場でも当てはまると思います。首都圏の人々が今になって八ッ場に反対していることに対し、かつて地元が反対していたときには冷ややかだったのに、何をいまさらという感じで、地元の人々の想いは複雑なのではないでしょうか。

 なので、外部の反対派が、「地元の推進者は利権亡者」のように言うのは、地元の推進派も反対派も、共に傷つけているように思えます。
 
 都市部の人間は無責任ですから・・・。
 国交省のロジックにのっかて無責任に「造るべき」という大手マスコミも問題ですが、地元のこれまでの苦労を知らずに無責任に「地元推進派は利権亡者」のように言う週刊誌も問題ですね。

 無責任にならないためには、やはり代替案を出すことだと思います。
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条件闘争 (ウミユスリカ)
2009-10-09 05:40:41
>> 国交省のロジックにのっかて無責任に「造るべき」という大手マスコミも問題ですが、地元のこれまでの苦労を知らずに無責任に「地元推進派は利権亡者」のように言う週刊誌も問題ですね。

要するに、地元がやってきたことの本質は「条件闘争」なんですよね。国の事業に100%抗うのは非現実的だと考えて、どこまでなら相手を妥協させられるかと押したり引いたりしながら条件闘争を仕掛けているうちに、県や省庁、族議員らの術中にはまって身動きが取れなくなり、いつの間にか「地元推進派」に仕立て上げられているわけです。
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その前にやらないといけないこと (デルタ)
2009-11-09 23:02:26
お久しぶりです。
自分のBLOGで、「歴史といったら、われわれ有機物には、30億年以上の歴史が、公平にある」と妄言(爆)を吐きました、バリバリ理系野郎です(汗)

ま、上の見解は、悔し紛れのタンカだったのですが、
八ッ場ダム周辺の「歴史」を基にした”取り戻し”の運動の提案を見た時、
ああ、恵まれているな、と考えてしまいました。

琵琶湖総合開発のときになぜ、同じことができなかったか……。
実はその直後、白洲正子サンが「近江山河抄」を書かれて、ずいぶんと琵琶湖総合開発を非難されたのですが、正直、後の祭り。
結局、当時の近江が歴史を取り戻せていなかったことに尽きます。

彦根の井伊家や、膳所の本多家、あるいは延暦寺が
明治以降、賊軍、とまではいかなくても、メジャーな歴史語りを許されない立場に立ったのも原因であったでしょう。
また、徹頭徹尾、京都の付属品として歴史を組み立てられてしまっていた、ということもあるでしょう。
けれど、何より、どこかで生活感との間に断絶が生じていた……そのために歴史が絵空事になっていた面があって、説得力を失ったのでしょうね。

最近知って愕然としたことがあります。
江戸時代のはじめ、全国に2つしかない「銭座」の一つが、私の郷里である坂本(大津市)にあったというのです。が、地元の人間は全然知らない。そんな痕跡も伝承も全くなくなっているのです。(坂本観光協会のHPからたどると、その子孫にあたる方が薬屋さんを営んでいることがわかりました。私もよく知っている店なのですが、そういう由緒があるとは、つい今まで知りませんでした)
こういうものを「取り戻す」あたりから、はじめる必要を感じます。
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