ブログの更新サボっていてまことに申し訳ございません。書かなきゃいけない論文に追われたりしている内に、ブログに時間を割く精神的余裕がまったくなくなっておりました(もうしばらくこの状態は続きそう)。
手前ミソで恐縮ですが、一つ宣伝させていただきます。先日、イラクやレバノンやガザの取材で精力的に活躍されている尊敬するフリージャーナリストの志葉玲さんが私のところに取材に来て下さいました。
何でも取材の内容は森林問題。志葉さんの戦場からの取材記事はかねて敬意をもって拝読いたしておりましたが、会うのは初めてでした。「ガザのことで大車輪の活躍なのに、よく森林の問題まで取材している余裕がありますねー」と私が聞くと、「環境問題は、戦場報道と並んで私のライフワークのニ本柱ですから」との回答でした。
やはり護送船団にどっぷりと浸かっている大手マスコミで飼いならされた記者と比べて、フリーの方はたくましいですねー。前者の方が後者よりも高給取ってというのが、そもそもオカシイのです。
さて、その志葉玲さんらの書いた「『森林崩壊』が日本を破滅に導く」という記事が現在発売中の週刊『SPA!』(2009年3月17日号)の24-28頁に掲載されています。私のコメントも載っていますので、興味のある方はご参照ください。シバレイのブログでも紹介されています。
志葉さんから投げかけれた質問の中に次のようなものがありました。「林野庁に聞いたら、林野庁の全予算に占める『植林・間伐等関係事業』は1267億円で、全体の33%を占めているとのことでした。一方で、昨年10月に参議院で代表質問をした田中康夫議員は、『林野庁の予算の中で森林整備に投じされているのはわずか8%。残り92%は、林道建設や谷止め工と呼ばれるコンクリートや鋼鉄のくいを打ち込む公共事業だ』と述べています。どちらが正しいのでしょう?」
私は「そりゃ、田中議員の言っていることが正しいのでしょう。林野庁が間伐予算は33%なんて言ったって、ダマされちゃいけません。林道を造っていても、間伐に関連しているという名目で、間伐『関連』事業に含めてしまうのです」と回答しておきました。
その辺も含めて『SPA!』の記事に載っています。
ちなみに、「森林ニューディール」を求めた田中議員の質問は参議院のこのサイトで読めます。それに対する麻生総理からの回答はこちらで読めます。なかなか興味深いです。
ちなみに田中議員の質問からの麻生総理の回答書(上記のリンク先)には以下のようにあります。
「森林整備事業の経済波及効果、特に雇用創出効果については、事業費一億円あたりで雇用できる労働者数について、主な作業種ごとに、例えば、植林作業では約四千百人日、間伐を含む保育作業では約五千三百人日、林道開設では約千五百人日と推計している」
政府答弁でみても、間伐作業の雇用吸収力は、林道建設の約3倍なわけです。林道だとその予算の多くが高価な重機や燃料費(石油)に消えますから・・・。
田中議員は以前から、雇用対策としての公共事業というのなら、予算に占める人件費の割合の高い、雇用吸収力の高い事業を実施すべきだと主張してきました。そう考えると、雇用吸収力の高い間伐が総予算の8%で、雇用吸収力の低い林道や治山工事が残りの92%というのは、どう考えてもトンデモないわけです。
今の世界経済の状況は、総供給過剰の総需要不足です。借金しながら過剰な需要を無理に作り出していたアメリカ経済がポシャったので、世界中で製品の供給量が一気に過剰になってしまったのです。
こういう状況下では、なるべく不効率な、つまり手作業の多い公共事業をあえて実行して、総供給を減らしながら総需要を高める必要があります。つまり石油にやらせて「効率化」していた労働を、代わって人間労働におきかえ、需給ギャップを解消させる必要があるのです。
いままでの常識では、人間労働を石油で代替することが「効率を高める」とされてきました。林野庁はその常識に迫られて、ひたすら重機を導入しやすくしようと林道を造り続けているのです。林道建設によって確実に土砂災害の発生確率は増えていくのに・・・・。
今後はその価値感から根本的に変えていかねばなりません。石油資源の残存状況に照らしても、地球温暖化の深刻さに照らしても、総需要不足の深刻さに照らしても、ふたたび人間労働のウェイトを高めねばならないのです。また、貨幣効率性でなくエネルギー効率性で考えても、なるべく環境に与える負荷をなくすという面で考えても、石油に仕事をしてもらうよりも、人間が手作業で行う方がはるかに「効率的」なのです。
ちなみに、田中議員は、長野県知事時代から「森林ニューディール」と言っていましたが、当時のマスコミはこの言葉に全く反応しませんでしたっけ。その彼らがアメリカで「グリーン・ニューディール」と言われはじめた途端、我先にとその言葉に飛びついているのです・・・・。
手前ミソで恐縮ですが、一つ宣伝させていただきます。先日、イラクやレバノンやガザの取材で精力的に活躍されている尊敬するフリージャーナリストの志葉玲さんが私のところに取材に来て下さいました。
何でも取材の内容は森林問題。志葉さんの戦場からの取材記事はかねて敬意をもって拝読いたしておりましたが、会うのは初めてでした。「ガザのことで大車輪の活躍なのに、よく森林の問題まで取材している余裕がありますねー」と私が聞くと、「環境問題は、戦場報道と並んで私のライフワークのニ本柱ですから」との回答でした。
やはり護送船団にどっぷりと浸かっている大手マスコミで飼いならされた記者と比べて、フリーの方はたくましいですねー。前者の方が後者よりも高給取ってというのが、そもそもオカシイのです。
さて、その志葉玲さんらの書いた「『森林崩壊』が日本を破滅に導く」という記事が現在発売中の週刊『SPA!』(2009年3月17日号)の24-28頁に掲載されています。私のコメントも載っていますので、興味のある方はご参照ください。シバレイのブログでも紹介されています。
志葉さんから投げかけれた質問の中に次のようなものがありました。「林野庁に聞いたら、林野庁の全予算に占める『植林・間伐等関係事業』は1267億円で、全体の33%を占めているとのことでした。一方で、昨年10月に参議院で代表質問をした田中康夫議員は、『林野庁の予算の中で森林整備に投じされているのはわずか8%。残り92%は、林道建設や谷止め工と呼ばれるコンクリートや鋼鉄のくいを打ち込む公共事業だ』と述べています。どちらが正しいのでしょう?」
私は「そりゃ、田中議員の言っていることが正しいのでしょう。林野庁が間伐予算は33%なんて言ったって、ダマされちゃいけません。林道を造っていても、間伐に関連しているという名目で、間伐『関連』事業に含めてしまうのです」と回答しておきました。
その辺も含めて『SPA!』の記事に載っています。
ちなみに、「森林ニューディール」を求めた田中議員の質問は参議院のこのサイトで読めます。それに対する麻生総理からの回答はこちらで読めます。なかなか興味深いです。
ちなみに田中議員の質問からの麻生総理の回答書(上記のリンク先)には以下のようにあります。
「森林整備事業の経済波及効果、特に雇用創出効果については、事業費一億円あたりで雇用できる労働者数について、主な作業種ごとに、例えば、植林作業では約四千百人日、間伐を含む保育作業では約五千三百人日、林道開設では約千五百人日と推計している」
政府答弁でみても、間伐作業の雇用吸収力は、林道建設の約3倍なわけです。林道だとその予算の多くが高価な重機や燃料費(石油)に消えますから・・・。
田中議員は以前から、雇用対策としての公共事業というのなら、予算に占める人件費の割合の高い、雇用吸収力の高い事業を実施すべきだと主張してきました。そう考えると、雇用吸収力の高い間伐が総予算の8%で、雇用吸収力の低い林道や治山工事が残りの92%というのは、どう考えてもトンデモないわけです。
今の世界経済の状況は、総供給過剰の総需要不足です。借金しながら過剰な需要を無理に作り出していたアメリカ経済がポシャったので、世界中で製品の供給量が一気に過剰になってしまったのです。
こういう状況下では、なるべく不効率な、つまり手作業の多い公共事業をあえて実行して、総供給を減らしながら総需要を高める必要があります。つまり石油にやらせて「効率化」していた労働を、代わって人間労働におきかえ、需給ギャップを解消させる必要があるのです。
いままでの常識では、人間労働を石油で代替することが「効率を高める」とされてきました。林野庁はその常識に迫られて、ひたすら重機を導入しやすくしようと林道を造り続けているのです。林道建設によって確実に土砂災害の発生確率は増えていくのに・・・・。
今後はその価値感から根本的に変えていかねばなりません。石油資源の残存状況に照らしても、地球温暖化の深刻さに照らしても、総需要不足の深刻さに照らしても、ふたたび人間労働のウェイトを高めねばならないのです。また、貨幣効率性でなくエネルギー効率性で考えても、なるべく環境に与える負荷をなくすという面で考えても、石油に仕事をしてもらうよりも、人間が手作業で行う方がはるかに「効率的」なのです。
ちなみに、田中議員は、長野県知事時代から「森林ニューディール」と言っていましたが、当時のマスコミはこの言葉に全く反応しませんでしたっけ。その彼らがアメリカで「グリーン・ニューディール」と言われはじめた途端、我先にとその言葉に飛びついているのです・・・・。
僕もブログに書いたのですが、機械が人の雇用を減らし、人の仕事と技術さえも奪っていく・・・
同じような考えですね。
お金を使うときには、機械にではなく人が直接仕事をする為の事業にお金をつぎ込むべきですよね。
今までは燃料と機械とコンピューターにつぎ込みすぎてそのツケが回っていると言うことなのかもしれませんね。
僕も冬に肥料工場でバイトするのですが、機械が古く金をつぎ込まないことで安く肥料を販売&多くの雇用と高賃金を生み出しています。
かたや夏の小麦乾燥工場は機械設備などがすばらしいですが、そのために小麦の乾燥料金がものすごく高いのです。
政府はもっと衣食住が安定できるような雇用対策を目指して欲しいですね。
のように志葉玲さんをジャーナリストではなく、
活動家扱いする人達もいるようです。
フリージャーナリストは、組織の方針に拘束されるのがイヤで、自己の信念に基づいて取材活動をしている方々が多いです。「こういう世の中を実現したい」という理念に基づく行動です。見る人が見れば、「もう、ほとんど活動家じゃない」と思えるのでしょう。
しかし取材する事実関係に間違いがない限り、「イラク戦争反対」とか「パレスチナ国家樹立支持」といった活動家的な信念を持った方がジャーナリストをやっていても何の問題はないと思います。だいたい、客観・中立な報道なんてあり得ないですから・・・・。
実際、社の方針に従って「取材タブー」をつくりまくっている商業マスコミに比べ、フリージャーナリストの方々は「タブー」に拘束されずに取材しますので、彼・彼女らの活躍によって、私達は知り得る情報量が増えています。
私も研究者ですが、ある政策を実現させようと周囲に働きかける際にはかなり活動家的になります。
じゃ、活動家、ジャーナリスト、研究者の違いは何かといえば、活動家は直接行動によってそれを実現させようとし、ジャーナリストは現場での取材活動によってそれを裏付け、研究者はさらに学術的な調査研究によってその必要性を論証するということでしょうか。