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弁護士・元ロースクール教授宮武嶺の社会派リベラルブログです。

橋下市長が本当にお子さんを守りたいなら、ケンカの相手と仕方を間違っている

2012年10月24日 | 橋下維新の会とハシズム

 

 日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は2012年10月20日、全国遊説を九州で開始しました。9月の結党後、党の支持率は伸び悩んでおり、橋下氏は巻き返しに向けて既成政党への批判を強めました。

 この遊説は鹿児島、熊本、福岡3市で行われましたが、最初の鹿児島市で橋下代表は

「体制を変えるにはケンカの強さが重要だ。僕はケンカだけは自信がある」

と述べました。

 これはこの時は説得力ありました。なぜなら、数日前に、週刊朝日に連載され始めた「ハシシタ 奴の本性」に対して激しく抗議し、マスメディアの雄と言っていい朝日新聞グループ全体を追い詰め、週刊朝日の全面謝罪と連載を一回で打ち切りというこれ以上ない成果を上げたばかりだったからです。

 しかも、私に言わせれば、不穏当ないし不適切な箇所はあるけれども、人権侵害でも違法でもない記事で、それだけの「戦果」を挙げたのだからなおさらです。

佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない


 まあ、そのあと、橋下氏は週刊朝日がよりによってお母さんにその号を送りつけたと激怒して、記者団の前で、鬼畜だ、犬猫以下だ、とさんざんけなしたのに、実はそれは妹さんが買ってきたものだとわかりましたとツイッターでひっそりと謝罪する羽目に陥って男を下げましたが。

 しかも、自分は週刊朝日の編集長に記者会見に来て公開の場で申し開きしろと言っていたのに、自分はツイッターだけで良くて、直接謝罪する必要はないとヘタレなことを言っているので、ネットでの評判は急降下してしまいました。

週刊朝日のことを間違えて「鬼畜」と言っちゃった橋下市長の謝り方

 

 

 

 まあそれにしても、橋下氏がある意味でケンカが強いのは間違いないのです。そこが、私が彼を「政治の天才」と呼び続けている大きな理由の一つです。が、しかし、問題はその方向性とやり方ではないですか、そこを指摘され続けているのではないですか、というのが今回の記事です。


1 橋下市長のケンカの相手

 はっきりいって、橋下氏は、ケンカを吹っ掛ける相手が弱すぎます。

 たとえば、福島原発事故が起こって、今は脱原発だ!と思うと勢いよく野田政権を攻撃したり、関西電力を攻撃したりはするのですが、もともと原発を推進してきた原子力ムラの中核、自民党とか財界にはこの問題では手を出しません。そして、あげくのはてには、大飯原発再稼働容認です。

 財界とアメリカが圧力を加えて野田政権が2030年代の原発ゼロでさえ閣議決定できなかった時にも、野田政権のことも、米倉経団連会長のことも、もちろんアメリカのことも全くコメントしませんでした。

 アメリカと財界が望むTPPも積極推進派。消費税増税も反対しない。彼の攻撃性は、真に強大なものに向かったことがないのです。

エネルギー戦略「原発ゼロ」は政府方針なのに閣議決定見送りとはこれいかに?!馬脚を現した野田政権


 

 外交でも、全体主義国である中国国内の人権問題にコメントしたこともありませんし、アメリカのオスプレイ配備強行に抗議するどころか、前は関西空港はどうですかと言っていた普天間基地移設先も辺野古しかないと言いだしていますし、結局、威勢がいいように見えても強いものには巻かれろという人なんですね。

 週刊朝日の問題で、ご自身のお父さんなどの「血脈」が問題にされて激怒していますが、本当の敵は差別そのものでしょう。自分の親のことを書かれたら自分や子どもが社会的に抹殺される(から佐野氏らを抹殺する)などと言っていますが、おじいちゃんらが被差別出身だということになったら、お子さんが生きていけないくらいのハンディを負うというなら、週刊朝日に謝罪させたり、連載をストップしても焼け石に水ではないですか。

 どうして、子どもたちのために、自分は差別を撲滅するために闘う、と宣言しないのでしょうか。

 大阪の職員、特に市職員の腐敗は酷いものだと近県の私たちも聞き及んでいますから、そこに切り込むのはいいことです。しかし、その腐敗の根っこにあるのはエセといわれる、問題を自分たちの食い扶持にしている人たちだというではないですか。それを温存したまま、組合員への思想調査とか入れ墨職員調査だの、目立つけれども人権侵害なことばかりやっているのは、人気取りのために易きに走っているとしか思えません。

大阪市役所と市職労の不祥事は必ず続々と発覚する だからといって橋下維新の会を支持することは出来ない


 点数稼ぎのために、小さな相手ばかり選んでケンカしているような人が、大戦(おおいくさ)をやるといくら吠えても、国民は白けるばかりで、だんだんもう飽きてきていると思います。だから支持率が上がらないのではないでしょうか。

 もう一度言いますが、橋下さんが、本当にお子さんが大事だから激しく憤ったというのなら、お子さんの命と健康を脅かす原発をゼロにするためにアメリカ・自民党・財界と闘い、そして、差別そのものと戦ってください。

 

2 橋下市長のケンカの仕方 

 ハシズム批判をはじめて苦節?年、2012年10月20日に、光栄にも初めて?橋下市長が私についてツイートされました!wので、それを例に取り上げてみましょう。

 きっかけは、評論家の池田信夫氏が、私の記事「週刊朝日の『ハシシタ 奴の本性』は橋下市長の人権を侵害していない」についてツイートしたことでした。池田氏はときどき私の悪口をツイートなさいます(この人にけなされると、自分では良記事とわかります 笑)。

 そして、橋下市長はこれにすぐ反応されました。

これが人権を叫ぶ者の実態。とにかく権力大嫌い RT : これはひどい。「社会主義の敵には人権はない」とのたまう自称人権派弁護士。 RT 佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない 

こういう弁護士を弁護士会も擁護する。とにかく権力大嫌い。僕の子どもがサッカー選手のサインをもらったことでこのくらいのことは我慢しろと。罪刑均衡の大原則すら知らない RT 週刊朝日の「ハシシタ奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない 

 池田さんと橋下さんの共通する特徴は、批判する相手の文章の要約をするときに、元と似ても似つかぬものになるということです。どうせ引用したって元の記事まで読まないだろう、という安直な態度ですが、確かに皆読まないので(笑)、ほとんどうまくいっていると思います。今回の私の記事は特に長かったですしね。

 「社会主義の敵には人権はない」とのたまう自称人権派弁護士、とあるのですが、私、今回の記事だけではなくて、弁護士になってからたぶん一回も人権派弁護士だなんて自称したことありませんし(本物の人権派弁護士はこんなもんじゃないから)、社会主義者でも共産主義者でもない、労働組合とも公務員とも関係ない普通の自由主義者なので、社会主義のことなんて書いたこともありません(勉強したことないから)。

 このトンデモ要約がこの人たちのケンカの仕方の第一の間違いですが、まあ、池田さんがそういうデマばかりの人だというのは、彼をノビ―と言う愛称で呼ぶ方々の間では有名なことらしいので、スルーしましょう。

 ただ、私の後に、橋下市長は今度は有名な夜回り先生水谷さんを、またもトンデモ要約で攻撃して、ネット上で笑われていることだけ指摘しておきます。

橋下市長に対する国民の意見「夜回り先生編」



 さて、基本的に、橋下さんは叩いて意味のある相手しか叩きません。水谷さんならともかく、私のような無名人を取り上げることは全くなく、テレビに出るような有名人しか相手にしないのです。ところが、この後も少し間をあけて再び私が取り上げられることになるのですが、それは私がたまたま弁護士だったからです。

 どうも、橋下さんはまた弁護士会を叩く必要があったんですね(私だってそんなにうぬぼれていません 笑)

 さて、私の人生でも一番有名な人にいじられた軌跡を見てみましょう。

絶対反権力、反権力の目的化は、造反有理と根底は同じ。そう見ると、今回の件で、佐野を筆頭に、この週刊朝日の表現は成熟した民主国家ではアウトと言い切れなかった数多くのコメンテーターは、成熟した民主国家の住人とはまだまだ言えないですね。反権力絶対主義者の恐ろしさを見ました。

弁護士も、弁護士会も基本は、反権力絶対主義者。それはそれで、役割があるんだろうけど、まあ前近代的。成熟した民主政国家における人権感覚が全く身についていない。権力には特権がある、との認識なんだろうね。うちの子どもは普通に学校に通っているという想像力が全く欠如している。

 こんな弁護士もいます。自称人権派弁護士。こういう輩は人権派ではなく反権力絶対主義者。権力者の子どもには人権はないという恐ろしい思想。僕は光市母子殺害事件の弁護団を批判して弁護士会から業務停止を食らった。

しかし弁護士会は、反権力絶対主義者であれば、どんな行動でも擁護するでしょう。権力者の子どもの人権なんて知らん顔。権力者は悪、悪の子どもは悪。権力者の子どもは特権を享受しているので人権なんてなし。まあ前近代的。そして身内を批判する弁護士には懲戒。これがいわゆる弁護士村の現状です。

  こういう弁護士に限って、殺人者の人権を徹底して守れ!いじめ生徒のプライバシーを守れ!犯罪者の子どもの人権を守れ!って被害者のことをい全く無視して叫びまくるんですよね。ただし権力者の子どもは犬猫扱い。くわばら、くわばら

 

 

 せっかくですから、「こういう弁護士に限って、殺人者の人権を徹底して守れ!いじめ生徒のプライバシーを守れ!犯罪者の子どもの人権を守れ!って被害者のことをい全く無視して叫びまくるんですよね。」ということはないという例をいくつかあげさせてください。

 うちの事務所は、子ども未来法律事務所と言うだけあって、少年非行でもいじめでも、加害者側も被害者側もいろいろな事件が来ます。

 この機会に、私のスタンスを知っていただくために、いくつかこれまでの記事から引用します。まず、加害者になった非行少年に、いかに被害者の思いを伝えるかという文章でいじめや非行の解決策は厳罰化ではなく、「個人の尊厳」を伝えること 子ども未来法律事務所通信25と言う記事からです。

「でも、人間として決定的に足りないのは、自分がしたことが被害者やその家族、そして自分の家族、ひいては自分自身を傷つけることへの想像力なんです。

 だから、私は付添人弁護士についたら、彼らには、自分のやったことの動機・行動・結果を徹底的に想像させ、つきつけます。

 彼らは捕まって鑑別所にいますから、外にいる人と話をできるのは私だけで す。たとえば、彼ら非行少年に会いに来て面会の時には笑ってくれる親御さんが、実は自宅やうちの事務所ではどんなに号泣しているか、彼らは知りません。私 は必ず彼らの自宅に行って、親はどう暮らしているか、弟や妹はどんな思いをしているか、観察し、それを本人に伝えます。

 もちろん、一番大事な被害者の方に何度も謝りに行って、どんなご様子だったか、事こまかに犯行当時の恐怖やその後の思いをお聞きして、鑑別所で加害少年に話すのです。

 世間では、弁護士は加害者の人権ばかり大切にするなどと揶揄されますが、実際には、加害少年の弁護をする私たちにとって一番大事なのは、被害者の方の思いを汲み取ることなのです。

 被害者への真摯な反省と謝罪と慰藉なくして、非行少年の更生なんてありえないのですから。」

 私だけでなく、少年事件を扱う多くの弁護士がこういうスタンスでやっていると思います。


 もちろん、いじめの被害者の事件もやっています。次の記事は大津の教育長を批判した記事です。

「思わず目を疑ったのですが、同じくすぐには和解をしないという発言でも、この教育長が言っているのは、自殺の原因に本人や家庭の問題がある、という意味のように見えるんですが、違うんですか。

 子どもが自殺で亡くなったときに、いじめと自殺の因果関係を親が立証するなんて不可能を強いるに等しいのです。それを逆に自殺をした本人や家族に問題があるなどと匂わせるとは何事か!

 事ここに及んで物凄いことを言うものだとあきれます。まだ、亡くなった中学生とご遺族を傷つけようというのでしょうか。こんな人たちが教育に携わっているなんて。。。。

 まさに、学校は子どもを守らない。いや、学校が子どもを殺す。」

大津の中学生いじめ自殺事件で驚いた教育長の一言 そして教育者と司法は今まで何をやってきたのか

 

 いかがでしょうか。橋下氏の、「人権派」弁護士なら被害者のことは考えないはずだという考えは、予断と偏見に満ちていることということがわかっていただけたでしょうか。

 橋下さんのこういう弁護士に限って、殺人者の人権を徹底して守れ!いじめ生徒のプライバシーを守れ!犯罪者の子どもの人権を守れ!って被害者のことをい全く無視して叫びまくるんですよね。」

という決めつけは、ためにするものとしか言いようがありません。

 橋下氏のケンカの「強さ」は、はったりと嘘で支えられています。勝てればデマを言っても気にしないという彼のケンカの仕方は正々堂々とはとても言えません。それは結局、彼の人間としての「弱さ」を証明していると思います。

 ちなみに私は、ほかにこんな記事も書いているので、お暇なときによろしかったら読んでみてください。

「・・・・ちゃん、今のあなたは最低な子じゃないよ」

また来た少年法の厳罰化では、非行もいじめも虐待もなにも解決しない 求められるのは愛と寛容と理解

児童虐待相談・通報件数過去最高 いじめ・虐待対策は地域ぐるみで子どもを育てること 子ども未来通信24 

 

 

 次に、私に対して

「僕の子どもがサッカー選手のサインをもらったことでこのくらいのことは我慢しろと。」

「権力者の子どもには人権はないという恐ろしい思想。」

「権力者の子供は犬猫扱い」

と決めつけている部分について、これは、橋下さんが引用された私の記事を読んでいただければ明らかに言いがかりだとわかっていただけると思います。以下、佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していないより

 さて、橋下氏は人権侵害されたとおっしゃるのですが、彼のどんな人権が侵害された可能性があるのでしょうか。

 考えられるのはプライバシー権や名誉権です。

 しかし、彼が被差別地域の生れであるとか、お父さんたちがどういう人だったかと言うことは、2011年の大阪ダブル選挙直前から様々なメディアで取り上げられ、もはや周知の事実ですから、プライバシー性=秘匿性はかなり低いでしょう。

 また、そのこと自体を書かれても、今更、彼の名誉=社会的評価を下げるというものでもありません。 

 橋下氏自身、お父さんたちのことは何十万人もいるフォロワーに向けて何度もツイートしていますし、週刊誌や月刊誌で一族のプライバシーが報道された直後に行った、知事辞任後初の街頭演説で1000人を超える聴衆の前で、こう叫んで報道されています。

「父親が正式な暴力団員だったって、週刊誌読んで初めて知ったんです。うわさでは暴力団“関係者”とは聞いてましたが…」「これはしょうがない。死んだ親父のことだから。しかし、今の権力構造を変えるには、坊ちゃんやお嬢ちゃんじゃできませんよ!!実の父が暴力団員?結構毛だらけだ!!実の父がガス自殺、結構毛だらけ!」

橋下徹氏は権力欲を満たすためには自身のお子さんまで利用する。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」


 さて、他方、もともと、橋下氏は大阪府知事・市長であり、今や国政上の政党である日本維新の会代表ですから、公的存在であり、彼に対する表現の自由は最大限保障されるところです。プライバシー権や名誉権という基本的人権も他者の人権との調整原理である「公共の福祉」により制約を受けますので、許される表現行為であれば、人権侵害にはならないのです。

 橋下氏自身、

「(前略)僕は、生まれてから今に至るまでを丸裸にされるのは仕方がないと思っている。」

「それが権力チェックだ。どのように育てられ、育ちどのような人格形成になったのか、分析・評論されても当然だろう。友人関係などへの取材で全て明らかにされても仕方がない。まあ真面目にやってきたわけではないから、それも含めて有権者に判断してもらわなければならない。」

とツイートしているのですが、ある人物の評伝を書くのに、その人が生まれた後だけではなく、何世代か前から説き起こすのは、ノンフィクションでは当たり前の手法です。たとえば、安倍晋三という人について書くのに、祖父の岸信介氏のことを書いたら血脈重視でけしからん、ということにはなりません。

 「生まれてから今に至るまで」を書くとは、どんな家庭に育ったのかを書くことであり、どんな家庭かとは、どんなルーツを持つ親がどんな地域で育てたかということなのです。彼の親の前科のことだとか、被差別出身であることを書いても、それ自体は差別にはならないのです。

 また、佐野眞一氏はソフトバンクの孫正義会長のことを「あんぽん」という作品で描くときに、当然、孫会長が在日出身で在日の方々の家で育ったことを書いたそうですが、だからといって、それが孫氏の人権侵害や在日差別になりますか?

 アフリカ系アメリカ人は確かに未だにアメリカで強烈な差別を受けていると思いますが、じゃあ、ハワイ生まれのオバマ大統領のルーツがケニアにもあることからオバマ氏の評伝が説き起こされたからと言って、誰もそれを差別だとは言わないわけです。 

 逆に、自叙伝でも自分の両親や祖父祖母のことから書き起こす人はいくらでもいます。

 可哀想なのは巻き込まれる橋下氏のお子さんたちで、橋下氏もかなり気にしておられるのですが、プライバシーや名誉の問題が改めて問題になるわけではありませんし、公人の家族が公人自身についての報道で影響を受けるのは本人たちも想定済みのことです。

 現に、2010年7月の大阪府知事時代に、ガンバ大阪の遠藤選手を知事室に招き入れ、ご自身のお子さん3人にだけ会わせ、遠藤選手と一緒に記念写真に収まったり、サインをもらったりしたことを「サインがほしいほかの子供と比べて不公平では?」と批判されると

「知事になると、子供を自由­に連れていけない。これぐらいは府民に理解してもらえる」

「その子供のお父さんに知事になってもらい、(制限を受ける)苦しい親子関係に耐えてもらうしかない」

などとおっしゃっているのですから、親子ともどもの制限は覚悟の上のはずで、良いとこどりはズルいでしょう。

 むしろ、橋下市長には、おじいちゃんだの、その祖先だのが被差別出身でも、お子さんたちは胸を張って生きていける当たり前の世の中を作るように努力すると、政治家として宣言してほしいものです。

(ポイントを赤くしました)

 

 

 つまり、私が言いたかったことは

1 橋下氏のプライバシー権・名誉権という人権については、今回の週刊朝日で出された情報がすでに公知の物であり、しかも、橋下氏自身が繰り返し自分で述べている事実なので、要保護性が低い

2 これに対して、橋下氏が公人であり、彼に対する表現の自由が最大限保障される結果、プライバシー権・名誉権の制約を受ける程度が大きく、人権侵害にはならない

ので、今回の記事は表現として許される。そして、お子さん方についても、今回の記事に書かれた情報については、上に書いたように、もう表現されてきた情報なので

「プライバシーや名誉の問題が改めて問題になるわけではありません」

と書きました。ですから、「権力者の子どもには人権はないという恐ろしい思想。」を主張していないし、もちろん「権力者の子供は犬猫扱い」もしていないのです。

(しっかし、こうしてみると、私もかなりのことを言われてるなあ 笑)。

 そう、当然ですが、私は、橋下さんのお子さんたちに人権が保障されるのを前提としたうえで、お父さんである橋下市長に対する表現が許される以上、お子さんたちの人権も制約を受けるとしたのです。

 無関係のお子さんのプライバシーまで影響するのは理不尽なように思えます。しかし、たとえば、誰かが犯罪を犯したことが報道されると、その人のお子さんは「犯罪者の子」と言うことに自動的になりますが、犯罪報道の公益性の大きさから、犯罪者本人でない家族の、そのようなプライバシー権・名誉権の制約は認められてしまうのと同じことなのです(その意味でも実名での犯罪報道は原則として許すべきではありません)。

 それと同じように、公人に対する表現の自由が大きく保障される反射的効果として、公人の家族の名誉やプライバシーが制約されるのですね。

 そして、そのことは橋下市長自身がこのお子さんの特別の制約としてわかっていたはずだといったのであり、「僕の子どもがサッカー選手のサインをもらったことでこのくらいのことは我慢しろと。」等とは言っていないのです、当たり前ですが。

 このように橋下氏に対する表現の自由が保障されることで、公人でも何でもないお子さんのプライバシーが、すでに去年から明かされてしまっています。お父さんである橋下さん自身も何度も公言してしまっています。そして、一度明かされたものは、もう隠せません。ですが、橋下さんの出自に関して橋下さんに何の責任もないのと同じように、もちろん、橋下さんのお子さんにも何の罪もありません。

 だからこそ、

「むしろ、橋下市長には、おじいちゃんだの、その祖先だのが被差別出身でも、お子さんたちは胸を張って生きていける当たり前の世の中を作るように努力すると、政治家として宣言してほしいものです。」

と書いたのです。ケンカの相手も仕方も間違っているとは、そういうことです。


 もう一つ、ケンカの仕方について。

 もし、去年からの週刊誌の報道があり、橋下氏自身の発言が何度もあっても、それでも今回の週刊朝日の記事がさらに自分とお子さんを抹殺するものだと感じたのなら、なぜ、橋下氏は週刊朝日の発行を事前に差し止めする仮処分を申請しなかったのでしょうか。弁護士ならば一番最初に思い浮かぶ、お子さんを守るための手段です。

 どうして、あの号が発売されるのを待ってから、猛抗議したのでしょうか。お子さんがダメージを受けると思ったら、お子さんを守るために発売させないようにするのが本当ではないですか。

 また、マスコミの前で抗議するばかりで、あの記事が人権侵害だというのなら、どうして事後にそのことをはっきりさせることのできる損害賠償請求の裁判をしないのでしょうか。

 ですから、私は、以前書いた次の記事のような感想をどうしても持ってしまうのです。

橋下徹氏は権力欲を満たすためには自身のお子さんまで利用する。「絶対的な権力は絶対的に腐敗する」

 

 

私の想像が当たっていたら限りなく悲しい。

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2012年10月22日 13:40

 20日夕、日本維新の会代表の橋下徹大阪市長は、福岡市の博多駅前で街頭演説を行なった。2,000人を超える聴衆を前に、橋下氏はどのような訴えをしたか。その内容を公開していく。


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八尾市教委の閲覧禁止 (栗原 史)
2012-10-24 23:21:37
 先ほど、ネットで次のような記事を読みました。
「朝日新聞出版が発行する週刊誌『週刊朝日』10月26日号の橋下徹大阪市長に関する連載記事『ハシシタ 奴やつの本性』を巡り、記事中に不適切な表現があるとして、大阪府八尾市教委は24日から、市立図書館(3館)での閲覧を制限し、貸し出しを禁止することを決めた。
市教委によると、同号は発売日の16日から館内で閲覧できたが、同出版が連載打ち切りを表明したことなどから、貸し出し可能となる23日にいったん撤去。今後、連載全文(6ページ)を取り外し、館内に置く。
               (2012年10月24日13時14分 読売新聞)」
皆さんは、この記事をどう読まれますか。文字通り読めば、「記事中に不適切な表現がある」と判断したのは八尾市教委です。その判断基準として、週刊朝日が打ち切りを表明したことによるとしています。
 私は、ものすごく怖いと思いました。市教委にそのような判断を下す権限を誰が与えたのかということです。週刊朝日が連載を中止し、お詫びを出したから閲覧を制限したという理由はいかにももっともらしく聞こえますが、当否、是非が確定したわけではありません。少なくとも言論の自由は基本的には無制限に保障すべき国民の権利です。行政が介入すべき問題ではないはずです。
 もう一つ。このような市教委の判断に対して、マスコミ(この記事は読売ですが)は「事実」として伝えるのみで、自らは掲載することの責任をとらない。  
救いがたいマスコミの堕落がはからずもこの記事で浮き彫りになったということではないでしょうか。つまり、週刊朝日も問題ではあるが、そのミスに乗じて行政の行き過ぎに結果的に加担するもう一方のマスコミがいるということです。

返信する
納得できる分析 (村野瀬玲奈)
2012-10-24 23:23:33
たいへんに納得できる分析です。

橋下徹にとっては人権とは、自分のための政治ゲームで切るべきカードでしかなくて、この社会に定着させてすべての人にあまねく保障すべき民主主義の価値ではないのですね。そのことがよくわかります。

でも、一カ所だけツッコんでおきますね。

>社会主義のことなんて書いたこともありません

「社会主義者」のフランソワ・オランド仏大統領のことを記事に書いたことがあることを忘れたとは言わせませんw
返信する
参りました! (ray)
2012-10-24 23:34:49
あれは社会主義のことを書いたことになるのかあああ(笑)

余談ですが、実は自分の思想信条をこういう風に書くのは内心忸怩たる思いがあります。
資本主義である日本の社会では社会主義者、共産主義者の人も差別されていると思います。やはり少数者だからです。
もし、私のような自由主義者が、なにかものをいう時に私は社会主義者ではないですが。。。と前置きをつけるようになると、社会主義者の人が非常に発言しにくい、生きにくい世の中になります。

出身じゃない人がいちいち私は一般地域出身ですが、と話しだしたら、出身の人はますます肩身が狭くなります。
つまり踏み絵のようになるのです。

池田信夫氏のように他人を社会主義者だと決めつけるのも他人の思想良心の自由に対する脅威にもちろんなりますが、社会主義者じゃない人が、社会主義者じゃないと断るのもいいことだとは思えません。

今回は必要があって仕方なく書きましたが、自分の思想信条を書くことが少ないのは(たぶん3回目くらい)、そういう気持ちからでした。

村野瀬さんに突っこんでいただいて、書く機会ができてよかったです。

返信する
「週刊朝日」の謝罪と橋下氏の謝罪 (浪速姫)
2012-10-25 04:49:22
 「週刊朝日」において謝罪は、記述表現・タイトルの不適切さ・「ジャーナリズムにとって最も重視すべき人権に著しく配慮を欠くものになった」ことについてであり、橋下氏の人権を侵害し、また同氏について虚偽を敢えて事実として報じて損害・被害を与えたとは述べていません。言おうと意図する内容をいかに適切かつ正確に、そして効果的に表現するかが言論人に課せられた責務です。その責任は重く受け止められてしかるべきです。しかし、公刊された雑誌である以上、そこに載せられた記事の内容を、その表現からどう捉えるかは当然読者に委ねられます。その読者の判断・そしてその表明も自由であってしかるべきです。

 しかし、橋下氏の「謝罪」はまったく異なります。
「事実を訂正するとともに、このような誤った事実認識のもとに週刊朝日を鬼畜集団と批判したことは申し訳ありませんでした。以後、公言する際は、しっかりと事実確認をしていきます。」 臆測に基づく虚偽を言い立てて相手を口汚く罵ったこと、「犬猫にも劣る鬼畜集団」という表現はもう「批判」の域を遥かに越えている。つまり、嘘に基づいての、感情-憎悪剥き出しの罵詈雑言による誹謗中傷でしかありません。その行為に対していわば私的な意思表明の手段であるツイッタ―での、簡単な「申し訳ありませんでした」で済むわけがない。公に述べたことについては公の場で釈明すべきです。公刊された「週刊朝日」に対しては公に謝罪することを要求したのですから。もし「週刊朝日」がツイッタ―で「謝罪文」を伝えてきたら怒り心頭、そのあと「切腹もなか」の菓子折を提げて編集長自らが「謝罪」に訪れ、平身低頭するくらいでは済まさなかったでしょう。そして「以後、公言する際は、しっかりと事実確認をしていきます。」は、今まではそうしていなかったことの言明とさえ受け取れます。
 さらにかれの表現で気になるのは「最低の存在」の例として「犬猫」を用いることです。犬も猫も必死で生きています。人と動物の共存・人間の都合で飼い主を持てぬ犬・猫についてはたとえば「街猫制度」があるにもかかわらずその促進をはからず、「罰則付き餌やり禁止令」を市議会に提出した「大阪維新の会」に相応しく動物を最低の存在としてその生命を軽んじる、生命軽視がその表現から伺えます。その思考はいつか人間を対象としないとは限らない。

 しかし、幾度も言いますが、なぜ同氏の取り巻き連(ブレーン)はかれを助けてやらないのか? 橋下氏が「激怒」したとき、なぜ「事実を確認してから」「事実を今確認しているから」と言ってやらなかったのか? 敢えて放置したのか? 本当にかれのためを思うなら直言も辞さないはずです。「言っても聞かないから」というなら取り巻き・ブレーンの意味はない。要するに「日本維新の会」「大阪維新の会」はそうした輩の寄り集まりということなのです。
 あるいは、既得権益維持・拡大を図る勢力が橋下氏に物議を醸させておき、社会の目を、現在起こっている諸問題「大阪府の許可団体」への転落、治安の悪化、文化・教育・福祉の切り捨てなどから逸らせようとしているのかもしれません。それならば橋下氏は見事にその傀儡の役割を果たしています。
返信する
栗原氏へ (浪速姫)
2012-10-25 05:10:07
 「私は、ものすごく怖いと思いました。市教委にそのような判断を下す権限を誰が与えたのかということです。週刊朝日が連載を中止し、お詫びを出したから閲覧を制限したという理由はいかにももっともらしく聞こえますが、当否、是非が確定したわけではありません。少なくとも言論の自由は基本的には無制限に保障すべき国民の権利です。行政が介入すべき問題ではないはずです。」<

 確かに恐ろしいことです。行政が市民に読んでよい本・読ませまいとする本を決めることは、それこそ人権の侵害です。人権を制限できるのは、明確に「公共の福祉に反する」場合のみです。

 まず公立図書館で市民が読もうとする本を意識的に供さぬこと自体、地方自治法に定められた地方自治の本旨に反し、法令違反です。
 もし市長を、あるいは市政を批判する内容の本は図書館には置かない・市民の目には触れさせないとなれば、「新しい人権」の1つ「知る権利」の明らかな侵害です。

 
返信する
報道の萎縮が (H.KAWAI)
2012-10-25 07:49:10
○もう始まっているように感じられます。
○橋下は今月20日から全国遊説を始めましたが、鹿児島での演説ではのっけから「僕は育ちも悪いし、がらも悪いかもしれませんが、けんかだけには自信がありますよ。」と言いました。
○ところが、これが文字に起こされると殆どの場合「僕は育ちも悪いし、がらも悪いかもしれませんが、」は消えていて「僕はケンカだけは自信がある。」となっているんです。勘繰り過ぎですかね。
○でも、戦国時代じゃないんですから、ケンカだけじゃダメですよね。ケンカだけなら只のチンピラ、いや、戦国時代でもケンカだけじゃダメですかね。
○ところで、赤旗なんかにも「私は共産党の支持者ではないが・・」なんてコメントが見られますが、そういう枕詞みたいなのってヘンなんですよね。
○物事は是々非々で判断しなきゃダメですよ。だから、石原慎太郎さん好きだから尖閣諸島購入賛成、「東日本大震災は天罰」もOK、「ババア」もOK、同性愛者差別もOK、なんて偏愛ですよ。こういうの、贔屓の引き倒しってんですよね。
○ところで私、橋下は全く好かないけれど、仮りにも政策で賛成出来るものがあれば賛成だって言いますよ。「」も関係ありませんね。
○小・中学校でも同級生に「」の子は大勢いましたし、確かに殆どは「育ちも悪いし、がらも悪かった」ですよ。
○でも、私の知っている「」は当時は経済的に恵まれていなかったので、環境が悪かった事が大きな原因だと思っています。
○只、人間は誰もが良くも悪くも遺伝的要素を背負っていますから、それが負の要素である場合、それを克服する努力が必要になるんですよね。
○例えば、体格に恵まれていない人でも、稽古を重ねて横綱になる人はいます。秀才でも自堕落な生活に陥って犯罪者になってしまう人はいるでしょう。
○ですから、人はその人となりで評価されるべきで、生まれや育ちにばかり目を向けるのは偏向と言わざるを得ません。その意味では週刊朝日の件の記事は褒められません。
○但し、吊るし上げ、恫喝などで廃刊に追い込むというのは逆効果で、「」がタブーとして生き続ける結果を生むのではないかと危惧するところです。
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今回もありがとうございます。 (あえて匿名希望)
2012-10-25 10:35:59
2回目の投稿です。
今回も私の言いたいことを実に的確に表現してくださり、大変感謝申し上げます。ありがとうございます!
読むたびに胸がスカッとするとともに、こんなふうに考えをまとめると他人に自分の考えを伝えやすいんだな、と勉強になります。

ところで、今回のブログでは1か所だけ意見させていただきたく投稿しております。

>なぜ、橋下氏は週刊朝日の発行を事前に差し止めする仮処分を申請しなかったのでしょうか。弁護士ならば一番最初に思い浮かぶ、お子さんを守るための手段です。

→差止請求の仮処分申立てをしなかった理由、わかりますか?
ここに橋下氏という人物を解明する大きなカギがある、と考えるのは私だけでしょうか。
要するに彼は「弱虫」なのではないでしょうか。
「気が弱い」んですよ、たぶん。
おそらく「え~っ!?どこが???」と思う方多いと思います。
でも彼の近くにいる人は恐らく彼の精神的な弱さに気付いていると思います。
「気が弱い」もんだから、自分の権力が及ばない(=圧力かかけられない)ところでは喧嘩ができないのです。
裁判所ってそういう場所ですよね。
こういう場所では正々堂々と喧嘩ができない、代わりに自分のテリトリーで自分よりも弱いとふんだ相手に対して、公衆の面前で叩きまくるわけです。
そして不幸なことに、見ている人は自分がターゲットにされたらたまらない、というわけで叩かれている人をかばうことをせずにだんまりを決め込んでしまうのです。
結果、見た目「橋下氏の勝利」となってしまうんですよね。
これ、社会、いや組織、そしていじめの縮図ですね。
こんな人が人の上に立とうとしている(場所によってはすでに立っている)日本の中で、自殺者が増加傾向にあるのは致し方ないことですね。
悲しくて悲しくてしかたありません。

今後もブログ頑張ってください。
楽しみにしております。
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辺見庸「眼の探索」より (栗原)
2012-10-25 11:21:19
「橋下徹はテレビがひり出した汚物」と発言した辺見庸氏は、著書「眼の探索」(角川文庫、平成13年刊)でマスコミのあり方や言葉について示唆的な文章をたくさん書かれています。少し紹介します。
  「…ぎょっとするほど直截的に、しかし特段の嫌みもなく、今は差別語とされる昔の常用語で、彼は男の人となりを説明している。私はそれを、知的障害などと無感動に翻訳してみるのだが、深い原生の樹林に生身を置けば、それはかえって無礼で酷薄な不正確な下界の分類にすぎない。
言葉はせめて無骨な樹肌のようなほうがいい」(244ページ)
「商いの、投機の、政治の、提灯記事の、風蝕された、鬆のたった言葉、プラスチック片の言葉では、とても堰は切れまい、と思った」(249ページ)
「…私は確信犯であった…自覚的に反新聞的新聞連載を続けてきた…新聞に限らず、マスメディアはもっと撃たれていい、できれば組織にまだ溶解していない組織内部の人格的『個』によって、無人格の壁が内部から撃たれるべきだという近年来の持論に、これは根ざしている。窒息感もたらす鵺を、合法的に、かつ、したり顔で形成しているのは、ほかならぬ『私性』も責任もないマスコミ的常識でもあるからだ」(296ページ)
 辺見氏は元共同新聞の記者で、この書籍は朝日新聞に連載したコラムをまとめたものです。この引用だけではよく分からないと思いますが、とくに最初に引用した「森と言葉」の項は震えるほどの感動を覚えました。木材を下流に流れないよう堰止めるワイヤでできた「網場(あば)」が台風などの洪水で木材によって壊されることを「網場切れる」というのだそうです。
 辺見氏は「この上は、大口開けて、樹を食らえ。丸太を尻までぐいと呑みこめ。躰に一本、幹を通せ。丸太として流れよ。荒れよ。そしていつかずっぽーんと一気に、あばれろ。あばきってやる」と記しています。
  この言葉ほど、閉塞する社会に対する痛烈な文明批判はないと思います。辺見氏のこの文章を読むと、いま論議されている問題は上っ面をなでていることにしか過ぎないことが見えてきます。この機会に差別とは何か、言論の自由とは何かを考えないといけないように思います。
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訂正 (浪速姫)
2012-10-25 14:24:06
《「週刊朝日」の謝罪と橋下氏の謝罪 (浪速姫) 2012-10-25 04:49:22 》 末尾パラグラフ中

誤 「大阪府の許可団体」への転落
         ↓
正 大阪府の「起債許可団体」への転落

 済みませんでした。
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Unknown (通りすがり)
2012-10-25 20:16:15
たまたま関連記事を辿って行き着き、週間朝日関連の記事を読ませていただきました。
私はブログ主さんの意見は妥当に思います。それより、こういう差別の問題が絡むと、揚げ足とったり思考停止したようなただただ「差別は悪」という感じで意見する人の多い事に、未来の日本は大丈夫か、と危惧を感じてしまいます。
差別する事と差別があった事を認識することの間には天と地ほどの開きがあるにもかかわらず、それを「識る」事と「する」事が同一線上で語られる事がどうにも腑に落ちないのです。こんな短絡的な言論がまかり通るとは驚くばかりです。
前記事のコメントで紹介されてた「マリードフットノート」というブログで「地区の特定は差別か」という記事も新たに出ておりました。識る事が差別か?と疑問の私と近い意見でした。
今回の橋下氏の行為と騒動は差別問題を再び「タブー」の時代に引き戻す効果しかなかったように思えてなりません。それが問題の解決に繋がるようにはとても思えないのですけれど。
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