11歳の少年マーク・スウェイ(ブラッド・レンフロ)は、ある午後、8歳の弟リッキーと一緒に近くの森に隠れてタバコを吸いに行く。そこで2人は偶然車の排気筒にホースをつなぎ自殺しようとしている男を目撃する。マークは自分と家族を守るために弁護士を雇うことを思いつく。全財産の1ドルで彼が依頼人となったのはやり手の女弁護士レジー・ラブ(スーザン・サランドン)だった。レージーはFBIを向こうに回して一歩もひけを取らず、マークの安全のために次々と意外な方策を考え出す。彼女は辛い過去を持つだけに人の痛みを人一倍感じるのだ。
正直、今日の気持ちをうまく皆さんに伝えることができるか自信がなくて、この記事、数時間前に書こうとして、一回あきらめたのですが、なんだか思い出して眠れなくて、とにかく一生懸命書いてみることにします。
今日、ある少年事件の少女に会いに、少年鑑別所に同僚の女性弁護士と二人で行ってきました。
少年事件の少年は、「非行少年」って言われるくらいですし、鑑別所に入れられてるってことは、ほとんど警察に逮捕されたっていうことになりますから、飛び切り悪いことをした子たちなわけですが、今日のこの少女は、この子がすごく悪い子っていうわけではないのですが、やったことが、大規模に悪い。
もう、本人も私もびっくりするくらいなことになってしまって、家庭裁判所の裁判官と調査官と書記官とが、たぶん全員総動員になったんじゃないかという、私の弁護士史上、とてつもない事件といえる。。。。。あああ、、もう、まどろっこしいのですが、中身を書けるわけがないのでお許しください。
ともかく、この前も書いたように、非行少年に反省してもらうこと、被害者の立場をわからせること、この身柄拘束のどん底の経験を今後のこれまでの人生よりはるかに長い生涯に生かしてもらうこと、つまり、自分の罪と自分自身を見つめて成長してもらうことが、付添人弁護士の仕事です。
少なくとも、子ども未来法律事務所はそう思ってやっている。
いじめや非行の解決策は厳罰化ではなく、「個人の尊厳」を伝えること 子ども未来法律事務所通信25
また来た少年法の厳罰化では、非行もいじめも虐待もなにも解決しない 求められるのは愛と寛容と理解
その一つの方法として、大学ノートを差し入れして、自分のやってしまったこと、なぜやってしまったのか、今はどう考えているのか、これからどう生きていくのかを書いてもらうのですが、身柄拘束期間が長いこともあって、なんとこの少女はノートが4冊目に突入しました。
そのノートを見ると、捕まった最初の頃の浅かった認識に比べて、本当によく頑張った。この子なりに、能力を精一杯全開して反省の気持ちをつづっていました。
そんなノートを開いて机に置き、読んだ後、私の左隣にいた同僚弁護士が、我々の机の向こう側にいる少女に話し始めたんです。
「 ・・・・ちゃん。
・・・・ちゃんは、捕まって最初に会ったころに比べて本当によく考えたね。
私が、この前話したことも全部覚えていてくれて、ちゃんと、全部書けたね。
・・・・ちゃんは、今では自分のやったことを本当に悪いとわかったから、自分のことを、「最低や」、「最悪や」、って書いてるけど。
今の・・・・ちゃんは、最低なんかじゃないよ!」
私は、猛烈に驚いて、思わず、そう話している同僚の顔を横から見てしまいました。それから、少女の顔を交互に見比べていました。
少女は、(そうかなあ、自分はやはり最低で最悪ちゃうかなあ)と思っているようにも見えましたが、私は、とにかく黙って二人を見ていました。
面会が終わり、部屋を出て、階段を下りながら、私は思わず
「僕、弁護士22年やってきて、今までただの一回も、少年に『お前は最低やないで』って言えたことなかったです。。。」
と彼女に告白せずにはいられませんでした。
自分でも、「なんでなんやろ」と考え考え、反省ノートの宅下げ(持って帰らせてもらう手続き)を待ちながら、僕は鑑別所の待合室で、さらに彼女に説明して言いました。
「僕は今まで、自分が最低の人間だから、非行少年と分かり合える。そこが自分の持ち味だと思っていたんです。お互いにダメな人間同士だから、いっしょにやっていこうと言える、と思ってました。
だから、、『おまえは最低やないぞ』、っていう言葉が僕からは出てこなかったなあ。。。。
でも、子どもらは、『あなたは最低じゃないよ』って言われるのを待っていると思うわ。今日の言葉を聞いて本当に感動しました」
と言いました。話しているうちに、涙がぽろぽろ出てしまいました。
もう、あなたは最低の子じゃないよ。。。。う~ん、なんとまあ。。。。
ほかの人がどんどん通るので、彼女に
「私が先生を説教してるみたいじゃないですか」
と笑われてしまいました。また、優しいことに、先生は最高ですよ、と言ってくれたのですが、その言葉は少女と同じで受け入れられない私。
それにしても、はあああ、ほんとにびっくりしたなあ。
「今のあなたは最低な子じゃないよ」
すごいわあ。ほんとに驚いた。感動した。なんちゅう、素晴らしい弁護士。ああ、びっくりした。
やっぱ、俺の文章力では伝わりきらんかなあ。
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追伸
やっぱ、今回の記事はあまりにも、こっぱずかしい気がして、よけいに眠れん。午前3時半。
自分は最低だ、最低だ、と書き綴る ・・・ちゃんに、「あなたは最低じゃないよ」と声をかけた同僚弁護士の言葉に、眠れぬほどに心揺さぶられる弁護士。 「なぜ自分はこれまで、そう言ってやれなかったんだろう」と、衝撃を受けた弁護士の脳裏には、これまで付き合った、幾人もの子どもたちの顔が走馬灯のようによぎるのが止まらない。 いつか映画にしてください。
茶化しているようだったら、ごめんなさい。 ・・・ちゃんは、自分の行いを丁寧にほぐすように説明され、自分が「最低のこと」をしたのだった、と、鏡からの反射のように全身で受け止めたのでしょうね。 でも、「自分が最低だ」と思った時点で、「最低じゃない自分」「中くらいの自分」が、微かに見えているのだと思います。 でなければ、「最低だ」とも思えない。 「そうだ、お前がいかに最低か、もっと思い知るまで罰してやろう」 という大人たちばかりでなくて、よかったですね。
・・・ちゃんが、同僚弁護士の言葉の真実に気づくのは、おそらく彼女が、自分が「役にたつ」「喜ばれる」「いてくれて嬉しい」という、誰かの気持ちが跳ね返るのを受け止める時ではないでしょうか。
2009年のグラミー賞は、僕にこのアカデミーをちょいと見直すことになった年でした。 圧倒的な興行成績と話題性を誇った「アバター」ではなく、イラクの戦場での極限の恐怖、人間性の喪失と葛藤を(アメリカ兵の視点ではあるが)描いた、必ずしもエンタメ性が高くない「ハートロッカー」(The Hurt Locker)が作品賞をとりましたが(これも邦題ペケ、意味わからん)、それと並んでグッときたのが、「プリシャス」(Precious)で、おでぶちゃんでアフリカ系女性の、ニューヨークの下町にいっぱいいそうな少女、新人のガボレ・シディベが、なんと主演女優賞にノミネートされ、性格まで悪い、母親役のモニークが助演女優賞を受賞したことでした。
この、マイノリティ中のマイノリティを主役にした、悲惨なシーンが多いこの映画では、「お前は最低だ」「クズだ」「邪魔だ」「お前がいなければいいのに」と母親からも誰からも言われ続けてきたプリシャスというアダナの少女が、自分を理解しようとしてくれるソーシャルワーカーの援助もあり、自分を必要としてくれる大切な(precious)存在=ネタバレ=赤ちゃん を生んでから、自分は最低ではない、自分も尊い(precious)人間なんだと自覚していきます。(Rayさんの4000本の中には、もちろん入っていることでしょう^^)
「自分を必要とする存在」にこそ人は救われ、生きぬく意志と希望が生まれるのかな。 イジメられていても、イジメてしまっていても。
この女の子を主人公に持ってくるのか。。。。。と製作者たちの勇気にまず敬意を持ちましたね。おかあちゃん、めちゃめちゃねえ、あれ。でもいますわなあ、ああいう親。たまらんです。
「最低じゃないよ」もいいけれど
「大切な存在だよ」=プレシャス、とっても良い言葉ですね。
今から、今度は二人で裁判所に行って、この少女だって
プレシャスだ!
と言ってくるところです。
とても素敵な言葉、ありがとうございました。
僕が見た弁護士さん(同級生含む)はほとんど「えらそう」な人が多いので(笑)
正直、弁護士さんの大多数は、学生から弁護士になってしまっているので、「なんぼのもんじゃい」みたいな印象を受けてしまう人が多いっ。
会社勤めしてないから、基本的なマナーというか配慮に欠けるというか、お山の大将さんが多い印象です。
もちろん、立派な先生方もいるので、あくまでも僕の偏見ですが。
ところで、先日CS放送で韓国の女子刑務所で未成年の女の子が赤ちゃんを産んで、刑務所内で子育てをしているドキュメンタリーを観ました。
彼女の場合は、ストリートチルドレンみたいな境遇で、万引きとか繰り返して、生活してたようなんです。
でも、子どもができて、だんだん表情が豊かになっていき、どんどん生まれ変わっていくんですね。
「しっかりしなきゃ」みたいな。出所後はシングルマザーの施設に住みながら、バイト探しに奔走していました。
この子の将来もまた厳しい現実があると思いましたが、それでも、わが子を守るため奮闘している姿に感動したんです。
人って生まれ変われるんですよね。彼女の過去の意味が子どもができたことで、マイナスだと思っていた過去の事実の意味が変わっていたというドキュメンタリーでした。
『あなたは最低じゃないよ』と言う言葉は確かに子供は待ってると思います
でも、少し違うんじゃないかと思うところが
それは・・・
「・・・・ちゃんは、今では自分のやった事を本当に悪いと分かったから、自分の事を、「最低や」、「最悪や」、って書いてるけど、今の・・・・ちゃんは、最低なんかじゃないよ!」
「やった事を悪いと分かった」って言葉、ではやった事を悪いと分からなかったら、・・・・ちゃんは、最低なの?
あなたがこういう事をやったら最低じゃないよ
裏返したら、こういう条件だったらあなたは最低だよ
愛情に条件が付きます
本当は大人も子供も、自分の認識に基づいて行動しています
それは全ての人は何か行動する時、自分は正しいと思って行動してるって事ですよね
ですから、それを否定する事はその時のそうなってしまった正しい気持ちを否定する事になります
その間違った事をしてしまったその時、その子はそうしなければいられなかったはずです
悪い事をするって言い方は間違ってると思います
「そうなってしまう」のですから
そこに至ってしまったのが問題なのです
人はよい悪いの物差しで相手を計ったりする事なんて出来ないと思います
でも、要求ならあると思います
だから
(私にとってあなたに)「こうして欲しい」「これはしないで欲しい」
それを伝える
でもそれでもただの要求です
子供はその大人から見て過ちな事でも
子供なりに自分の考えでそうしてしまった事です
必要なのはその経緯を聞いて理解する事
けっして善悪ではない事が分かるはずです
聞いてあげる事、聞き出す事
信用されていなければ絶対言う事は無いと思います
うそつきますから
何とか聞き出してあげる事
そうなってしまった仕方ない理由
その上で、そうなってしまった様ならないようにはどうしたら良いか考えましょう
みんなで
そうする事でしか解決しないと思います
反省を求めてもこじれるだけだと思います
もし一見解決したとしてもどこかに何かを残すと思います