名古屋の河村市長は2012年2月20日、姉妹都市である南京市からの訪問団と会談した後の会見で、「南京事件」について
「一般的な戦闘行為の結果、大勢の方が亡くなられた」
としつつ、
「一般市民のいわゆる虐殺行為はなかった」
と述べました。その根拠は、河村市長の父親が
「南京事件の8年後の終戦時に南京にいた」
が、現地の人からとても親切にされたから
「虐殺があったところでそんなに優しくしてもらえるはずがない」
ことだとしたうえで、
「真実を正す」「社会的使命、ミッションを深く感じております」
と述べました。
この南京虐殺事件については、この発言の直前の2010年に、日中両政府の合意で始まっていた日中の有識者による歴史共同研究委員会の初の報告書が公表され、日本側の学者の論文でも、
「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵(ゲリラのこと)、及び一部の市民に対して、集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」
と認定し、虐殺行為の被害者数についても、中国側見解の「30万人以上」などに触れつつ、日本側研究として
「20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計」
があるとしています。
この日中歴史共同研究は、第一次安倍政権時の2006年、安倍首相の訪中に際して実施合意にいたったものです。
しかも、日本側の学者も、安倍首相の戦後70年談話の有識者会議でも座長代理を務めた北岡伸一国際大学長などが名を連ねるなど、決して「左翼的」に偏った学者たちではありません。
当時の南京市の人口が20万人だというのですが、南京入城一日だけの出来事ではなく、その前後の2か月にわたって、南京周辺部から南京市街で日本軍がやったことですから、2~20万人と言う数になるのです。
それにしても、南京事件から8年後に自分のお父さんが優しくされたから南京虐殺はなかった、などという河村市長の発言は、まさに妄言と言うにふさわしいものです。
そこで、中国はもちろん、日本の歴史研究者などから激しく抗議する声が上がったのですが、河村市長は謝罪も撤回もする気がないとうそぶきました。
さらに、冒頭のように、河村たかし名古屋市長の「南京事件」発言を支持します!という意見広告が各紙に掲載されたのですが、その呼びかけ人筆頭が安倍晋三氏だったのです。
菅義偉官房長官は2015年10月13日午前の記者会見で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)が世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺」に関する資料を登録したため、日本がユネスコに拠出する分担金の停止・削減を
「検討する」
と述べました。その中で菅官房長官は
「(日中両政府の)意見が全く違う中で登録され、公正であるべき国際機関として問題だ。
政治的に利用されることがないよう、制度の透明性を強く求めたい」
と述べ、ユネスコに運営の見直しを求める考えを示しています。
シベリア抑留記録を世界記憶遺産に登録させた日本が、南京事件については抗議するのが恥ずかしい。
しかし、せっかく、日中の政府の協力で両国の歴史学者が客観的な歴史的研究を共同で進めて、数に違いはあれど南京虐殺はあったと発表した途端に、これを否定する発言が日本の有力政治家から出て、さらに安倍氏が元首相でありながら、これを支持する意見広告を出したりする。
しかも、安倍首相がこの日中共同研究を提唱したのに、その研究結果が自分の歴史修正主義に都合が悪いからと言って否定していてどうするんですか。
だから、中国側も、南京虐殺があったと国際的に運動することになるのです。
これ、石原慎太郎都知事が尖閣諸島の都有化を宣言して、野田民主党政権が国有化をすることになったら、中国の反日運動が激化して、かえって中国の船が尖閣に頻繁に来るようになったのと同じです。
安倍政権には、中国が「南京事件を政治利用している」などと批判する資格などないのです。
発狂する東アジア 中国での反日デモ続く 罪深き石原都知事と野田首相
それにありとあらゆるものを使って物事を有利に進めるのは、政治の常道でしょう。
菅官房長官や安倍首相も、安保法制や沖縄問題ではそうしているではないですか。
外交問題だけ、なにを青臭いことを言っているのでしょうか。
ちゅうか、明治の産業革命遺産を世界文化遺産に申請したり、シベリア抑留・特攻隊資料を世界記憶遺産に申請するのも政治利用でしょ。
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「南京事件も虐殺もなかった」 河村名古屋市長「現地で討論会」に意欲
名古屋市の河村たかし市長が、中国・南京市から訪れた市共産党幹部らに対し、「南京事件はなかったのではないか」と述べた。後の記者会見でも「いわゆる南京虐殺はなかった」として、「真実を正すのは、社会的使命だ」とも語った。
河村市長はこれまでも、いわゆる南京大虐殺について、市議会で「深い疑問」を呈すなどしていた。今回は、南京市訪問団へ「南京での討論会」の開催を呼びかけ、実現すれば本人も参加する考えを示した。
「社会的使命、ミッションを深く感じております」
河村名古屋市長が現地討論会に意欲をみせている。
河村市長は2012年2月20日、姉妹都市である南京市の訪問団と会談した後の会見で、「南京事件」(河村市長)について、「一般的な戦闘行為の結果、大勢の方が亡くなられた」としつつ、「一般市民(へ)のいわゆる虐殺行為はなかった」と述べた。
「南京事件を勉強してきた」結果だという。「真実を正す」ため、「社会的使命、ミッションを深く感じております」。
河村市長の父親が「南京事件の8年後の終戦時(1945年)に南京にいた」が、現地の人からとても親切にされたと指摘し、「虐殺があったところでそんなに優しくしてもらえるはずがない」と、自らの「分析」も披露した。
あくまで「日中友好を実現するため」の発言だそうで、「(中国に対して)すみません、平和、平和じゃいかんのですよ」と思いを語った。「南京市で南京事件の討論会を開いてほしい」と訪問団に要請したことについては、「私も行きますけど」と、実現と参加に意欲を示した。
河村市長発言を受け、中国外務省の副報道局長は2月20日の会見で、「そのような見解には賛成できない」「確かな証拠がある」と反発した。
外務省サイトの「歴史問題Q&A」で「南京大虐殺」について示している日本政府の見解は、「日本軍の南京入城(1937年)後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないと考えています」。しかし、被害者数については「諸説あり、どれが正しい数かを認定することは困難」としている。
2010年には、日中両政府の合意で始まっていた日中の有識者による歴史共同研究委員会の初の報告書が公表された。
日本側「2万~20万人」、中国側「30万人以上」
日本側論文では、「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵(編集部注:ゲリラ)、及び一部の市民に対して、集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と認定した。
「虐殺行為の被害者数」については、中国側見解の「30万人以上」などに触れつつ、日本側研究として「20万人を上限として、4万人、2万人など様々な推計」があるとした。
一方、中国側は、極東国際軍事裁判(東京裁判)の判決にある「20万人以上」や、南京戦犯裁判軍事法廷が認定した「30万人以上」を挙げ、「捕虜と民間人に対して狂気じみた虐殺を行った」などと記述した。
両論文では、被害者数に違いはあるが、「虐殺事件が発生」したことは共通認識になった形だ。しかし、反論もある。
報告書公表の翌朝、産経新聞は社説にあたる「主張」欄で、「『南京虐殺』一致は問題だ」とかみついた。
『南京大虐殺』は当時の中国国民党が宣伝したものであることが最近の実証的な研究で分かってきた」として、「日本軍による集団的な虐殺の有無も、はっきりしていない」と釘を刺した。あくまで「共同研究に参加した学者間の一致」に過ぎないとも強調した。
「虐殺」の被害者数をめぐる見解の相違だけでなく、「虐殺」そのものの認定にも異論が存在している形だ。
河村市長が提案した、南京市での討論会は実現するのだろうか。インターネット上では、河村市長への支持や非難の声のほか、「まずは日本国内の討論会が必要では?」といった指摘も出ていた。
【香港】河村たかし名古屋市長が中国南京市共産党委員会の代表団に対し、1937年の旧日本軍による南京市民虐殺はなかったのではないかと述べたことについて、中国のインターネット利用者は怒りをあらわにしている。
河村発言を受けて南京市政府は21日夜、名古屋市との交流を一時停止すると発表した。
日本が戦時中に南京を占領した際に残された歴史的な傷跡は、日中関係において今も発火点となっている。
河村市長は20日、名古屋市を訪問した南京市共産党代表団に対し、南京虐殺として知られる旧日本軍による南京市民の大量殺害は「恐らくなかったと思う」と述べた。同市長はその後、この発言に対する内外の批判にも屈していないもようで、東京で行った記者会見でもこの見方を繰り返した。共同通信によれば、同市長は「わたしは国会議員時代以降、市民を何十万人も殺害したとする南京虐殺なるものはなかったと(繰り返し)言ってきた」と述べ、「われわれはこれについて、舞台裏ではなく、公の場で躊躇せずに話す必要がある」と語った。
この河村発言は中国のネット利用者から激しい反発を呼んだ。ネット利用者たちはまた、非良心的な侮辱に直ちに反論しなかったとして南京市共産党代表団の対応も攻撃している。
中国版ツイッター「新浪微博(Sina Weibo)」では河村発言は最も書き込みの多い話題の1つになっており、あるユーザーは「南京市は河村に南京虐殺記念館を見学させるべきだ」と書き込んだ。
しかし南京市代表団の団長(Liu Zhiwei氏)の対応のまずさを批判しているユーザーもいる。同団長は河村市長と握手し、しばしばユダヤ人大虐殺のアジア版ともいわれる出来事を同市長が否定したことに異議申し立てを直接しなかった、と共同通信が報じたためだ。
ある微博ユーザーは「南京虐殺のあらゆる亡霊がLiu Zhiweiのドアを叩くだろう」と書いた。
これに対し南京市政府は、人民日報傘下の環球時報に対し、Liu団長は「河村市長の主張に対応した」と述べ、同団長を擁護したが、それ以上の詳細は明かさなかった。
名古屋市と南京市は日中両国が1972年に関係を正常化して6年後の1978年、姉妹都市となった。
名古屋にある中国領事館の代表は、名古屋市役所を訪れて河村発言に抗議、「河村市長の立場を理解できない」と述べ、日中両国が外交関係正常化後40周年を前にして、こうした発言が出たことは残念だと語った。
しかし同領事館は、問題が解決すると期待しているとも述べた。同領事館の報道官は「河村市長の発言は彼自身の見解であり、名古屋市は別の見方を持っているのではないかと思う」と語った。
旧日本軍は1937年12月13日、南京を占領した。各種の歴史的な推計では、その後6週間にわたって日本軍兵士は20万-30万人を殺害したとされている。これに対し日本側の推計では、南京市民の死者数は、2万人から20万人までばらつきが大きい。
―あわせて、南京事件の事実を知る学習を広く呼びかける―
2012年2月20日、河村たかし名古屋市長は、姉妹友好都市である南京市の共産党市委員会訪日代表団との懇談の場で、南京事件について「通常の戦闘行為はあったが、虐殺といわれるような南京事件というものはなかったのではないか」と述べました。
この河村市長の発言に対し、国内外から批判の声が上がり、南京市は、河村市長が南京大虐殺の史実を否定し南京市民の感情を傷つけたとして、名古屋市との交流の停止を表明しました。河村市長はその後も、市議会や記者会見で、「30万人もの非武装の市民に、旧日本軍が大虐殺をしたとは思っていない」と、南京事件否定発言を繰り返しています。
南京事件(南京大虐殺)は、1937年12月に日本軍が当時の中国の首都南京を占領する前後に、中国人の捕虜、一般市民などを大量に虐殺した事件です。殺害、放火、強姦、略奪などの残虐行為は、南京占領前後3か月以上にわたり続きました。その事実は、南京市内外に住む多くの目撃者や生存者によって、語り継がれ、南京市民に記憶されています。
また、陣中日誌や個人の日記・手紙など日本軍兵士によって残された証言や書かれた記録、南京国際安全区にいたドイツ人ジョン・ラーベやアメリカ人宣教師マギー牧師の証言やフィルム映像など、多くの歴史資料によって明らかになっています。
殺害された正確な人数を確定することは、たいへん困難です。しかし、今まで調査・研究を積み重ねてきた研究者は、陣中日誌などに記された捕虜などを殺戮・処刑した人数累計や、中国側の資料による南京の兵員数の研究、犠牲者の埋葬記録の再調査などから、8万人以上の捕虜が虐殺され、民間人の殺害とあわせて10数万人以上が犠牲になったと推定しています。
南京事件は、日本政府も公式見解で事実を認めています。日本政府が提案して2006年(安倍内閣当時)から始まった日中歴史共同研究の報告書には、日中戦争が日本の侵略戦争だったという基本的な認識の上にたち、日本側も南京虐殺を歴史的事実として叙述し、中国側は虐殺行為の内容について、日本側は原因を中心とした分析を報告しています。
また、1999年に東京地方裁判所で出された「731・南京大虐殺・無差別爆撃事件訴訟」(伊藤剛裁判長)の判決では、南京事件について「11月末から事実上開始された進軍から南京陥落後約6週間までの間に、数万人ないしは30万人の中国国民が殺害された。いわゆる『南京虐殺』の内容等につき、厳密に確定することは出来ないが…『南京虐殺』というべき行為があったことはほぼ間違いないところというべきであり」と事実認定が示されています。
歴史の事実は政府の公式見解や裁判所の判決で決まることではありませんが、南京事件が、政府や裁判所も否定できない事実であることは明らかです。
河村市長の「虐殺はなかった」との発言は、敗残兵でも投降者でも中国兵であり「通常の戦闘行為」にちがいないという一部の論調と軌を一にするものです。しかし、戦意を失って捕虜となった人々を殺害した具体的な内容は、戦闘行為とはほど遠い文字通りの虐殺にほかならないものです。
私たちは河村市長に対し強く抗議し、直ちに発言を撤回し、中国国民および日本国民に対して、正式な謝罪を行うことを求めます。
現在、見逃せない重大なことは、自治体の長や政治家が、河村発言を支持する姿勢を示していることです。大都市や国の政治家の発言の影響力は大きく、アジアの人々の大きな不安や批判を招いています。
「新しい歴史教科書をつくる会」も、政治家や有識者を集め、河村発言を支持し、南京事件はなかったとする国民運動を広げることを表明しています。2011年教科書採択では「つくる会」系の中学校歴史教科書が採択率を上げましたが、河村発言に力を借りて、戦争賛美、アジアの国々蔑視の歴史教育を広げようとする、こうした動きを止めなくてはなりません。
私たちは、南京事件の事実をしっかりと学び、このような発言、動きを許さない世論を形成していくことを広く呼びかけます。新聞をはじめとするマスコミが、南京事件の研究をきちんと取材して報道し、国民が事実を学ぶために、積極的な役割を果たしていくことを強く求めます。
私たち歴史教育協議会では、今日まで、南京事件の研究から多くを学び、歴史教育の実践を行ってきました。子どもたちが歴史の事実を学び、東アジアの平和な未来について考えていくことができるように、さらなる研究と実践交流を、広く進めていきましょう。
2012年3月25日
一般社団法人歴史教育者協議会社員総会(代表理事山田朗) PDFファイル
菅氏「ユネスコ分担金停止も」…南京虐殺登録で
菅官房長官は13日午前の記者会見で、国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)が世界記憶遺産に中国が申請した「南京大虐殺の文書」を登録したことに関し、ユネスコへの日本の分担金の停止や削減を検討する考えを示した。
菅氏はユネスコの審査過程を「秘匿、秘密の中で行われている。日本政府としてどんな文章が出ているかさえ見ることが出来ていない」と批判。制度改革を促す手段として「分担金の支払いの停止等を含め、あらゆる見直しを検討していきたい」と語った。
菅氏は今回の登録について、「(南京で)非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない。(中国が主張する30万人の犠牲者数について)政府として具体的な数の断定は困難だという立場だ」と述べた。ユネスコに対する日本の分担金(2014年)は約37億円。米国がパレスチナのユネスコ加盟に反発し、拠出金支払いを停止しているため、日本の分担率(約11%)は世界最大となっている。
安倍首相が特攻隊の世界遺産を画策
南京大虐殺の登録に「政治利用」と抗議しながら…安倍首相が「特攻隊」を世界遺産に推していた! 協力者はあの人の娘?
安倍談話で繰り返された「未来」という文言は“歴史の修正”とセットなのか(YouTube「ANNnewsCH」より)
ユネスコの世界記憶遺産に中国が申請していた「南京大虐殺」が登録されたことに対し、安倍政権が“発狂”しているが、いよいよその動きが具体化してきた。
本サイトで既報のとおり、登録前から自民党の原田義昭・国際情報検討委員会委員長が「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている時にもかかわらず、(中国が)申請しようとするのは承服できない」などと発言したりと、安倍政権の根幹にある歴史修正主義が露呈していたが、さらに11日には、二階俊博・自民党総務会長が徳島県での講演でこんなことを言い出した。
「ユネスコが『(南京事件で)日本は悪い』というなら、ユネスコの資金はもう日本は協力しないと言えないとしょうがない」
何度でも繰り替えすが、南京事件は、多数の元日本兵による捕虜や民間人虐殺の証言・証拠が存在し、また日中間の公式歴史研究でも事実と認定されている。そんな歴史的事実をネグり、「虐殺はなかった」「日本は悪くない」なる妄言を日本は世界に向けて発信しているのだ。これは、ドイツ政府が「ナチスによるホロコーストはなかった」と言っているに等しい歴史修正である。国際的に許されるわけもなく、国家としての信用を落としていることに彼らは少しも気付かない。
しかも、ちゃんちゃらおかしいのは、安倍政権が「中国はユネスコを政治利用している!」などと批判していることだ。
いったい、どの口でそんなことが言えるのか。今回、申請し登録された「シベリア抑留」はいわずもがな、実は日本政府はこの間、もうひとつ、“政治利用”としか思えないものを世界記憶遺産に推している。それは「特攻隊」資料だ。
日本ユネスコ国内委員会は、世界遺産候補を公募し選定しているが、今回の公募の一つに鹿児島県南九州市が申請した特攻隊の遺書などの関連記録があった。この特攻隊資料は知覧特攻平和会館が保存しているもので、昨年2014年にも申請されたものの、「日本からの視点のみが説明されている」と指摘され、落選していた(朝日新聞15年06月05付)。
しかも、この申請に関わっていたのが、総理である安倍首相本人だった。月刊総合誌「FACTA」14年5月号の記事によると、昨年、安倍首相は、特攻隊資料を記憶遺産申請の手続きに入るようにと自ら指示。〈「集団的自衛権問題が佳境の折に雑音を増やすだけ」と自民党内からも懸念が上がっている〉と伝えている。
たしかに、軍の命令に抗えず、無謀な作戦の捨て駒として扱われ、命を落とした特攻隊の存在は決して忘れてはいけないものだ。しかし、百田尚樹の『永遠の0』が象徴的なように、ときとして特攻は「命がけで国を守ろうとした勇敢な兵士」として賞揚され、戦争および戦時体制の肯定の材料にもされてきた。
それを世界記憶遺産に推すという行為は、当然、特攻礼賛と受け取られかねない。実際、昨年に開かれた霜出勘平・南九州市市長の会見では、知覧特攻平和会館を訪れたことがあるというイギリス・タイム紙の記者が「特攻隊員の犠牲がまるで崇高な死であったような印象を見学者に与える」と言い、ドイツの記者からも「悲劇を繰り返させないためであるなら、戦争が起きた原因をはっきりさせるべきではないか」と鋭い指摘を受けている。
こうした諸外国からの反発はふつうに予想できるものだが、しかし、安倍首相はそれでもなお特攻隊資料に執着する。それはまるで、今年、世界文化遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産」のときと同じように。
既報の通り、安倍首相は「明治日本の産業革命遺産」についても自身の人脈をフル活用して全面的にバックアップ。世界遺産登録の「陰の立役者」と呼ばれ、安倍首相の幼なじみでもある加藤康子氏には「君がやろうとしていることは『坂の上の雲』だな。これは、俺がやらせてあげる」と語り、自民党総裁の座に返り咲いた3日後には彼女に「産業遺産やるから」と明言したという。
これほどまでに安倍首相が「明治日本の産業革命遺産」にこだわったのは、戦前の大日本帝国の体制や「富国強兵」「脱亜入欧」という思想を肯定・美化したかったからだというのは簡単に想像がつく。国民に愛国心を強制することに熱心な安倍首相の次の目標……それが「特攻隊資料を世界記憶遺産登録」なのだろう。
ほとほと嫌気がさすが、「FACTA」の記事ではもうひとつ、気になる話が記載されている。それは、この世界記憶遺産の文部科学省の担当者が、籾井勝人・NHK会長の娘である籾井圭子氏であるということだ。
言うまでもなく、籾井氏は安倍首相の完全な子飼いで、籾井体制以降、NHKは“安倍チャンネル”と化していることはご存じの通り。今度は娘が安倍首相の希望を忖度して、特攻隊資料の世界記憶遺産登録に動いたということか──。
それにしても、安倍首相はユネスコの世界記憶遺産を国威発揚の場か何かと勘違いしているのではないか。
今回の「南京大虐殺」に限らず、これまでも世界記憶遺産は帝国主義や戦争による“負の歴史”をいくつも認定してきた。それは、そうした歴史を踏まえることなくして平和への前進はなしえないからだ。しかし、この日本という国は、安倍首相の主導によって特攻隊の賛美という“逆コース”を進もうとしている。いったいこの姿勢のどこが“積極的平和主義”なのか。国家の身勝手なエゴを全世界に発信し続けているだけではないか。
まあ、国連の会見で難民問題を問われて、「難民問題より前に女性、高齢者の活躍」とトンチンカンな答えをするようなドメスティックなオツムの持ち主には何を言っても無駄だろう。
やはり、諸外国から「話にならない歴史修正国家」と見放され、国際社会から孤立する前に、この政権を倒すしかない。
(宮島みつや)
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また、そんな根拠に賛同する面々にも目を丸くしてしまいます。
都市部のこの状況、昔読んだ小松左京さんの都市病を想起させられます。結末は、都市ごと住民も埋めてしまうでしたね。
日本の戦時国際法違反の行為は、中国における行為ともども、諸外国では非難されるのは当然で、同じくナチス・ドイツの犯罪に対するに謝罪と贖罪を行っているドイツと比べて、どちらの行いを正当と受け取られるかは言うまでもないでしょう。
実際、「同盟国」米国でも、未だに、日本への原爆使用は、当然であった、と思う人の割合が多数ですから、戦時の蛮行に対する反省と贖罪を行わない国と観られれば、国際社会の意識も更に過激化するのは、間違いがないでしょう。
戦後間もなく、日本に駐屯していた米軍兵士と親交が出来た亡父が言っていましたが、米兵の日本軍への恨みは相当に強くて、勢い、一般日本人への憎しみもあり、通行人を、行き成り、殴り倒す米兵も多かった、とのことでした。
それで、GHQも駐屯する部隊を、日本軍と交戦したことの無い部隊と入れ替えたそうでしたが。
捕虜を斬首したり、苦役に従事させたり、と中国でと同等のことをしたのですから、恨まれて当然でしょう。
中国語を専攻した友人が言っていましたが、戦後になっても、中国の田舎に行くのは危険で、自分が日本人と知れば都市部でも、唾を吐きかけられた、そうです。
日本では、未だに、当時の日本軍の蛮行が報道されていませんが、中国では、昔は、それを実際に経験したり眼で見た人たちが生きていたのです。
犬や猫にでも出来ないことを、人間相手に日常的にしていたのです。
その昔、J.B.ハリス先生(未だに先生抜きで言えません)と言うラジオ英語会話の先生が書かれたご自身の日本兵の経験談中には、同僚の日本兵の蛮行が描かれています。 列車内で、中国女性を犯す、ことを平然とした、と書かれていて、殺人も同じ、と思われました。
きっと、先生が書かれていないことも他にあるのだな、と感じました。
捕虜を次々と殺した、と言われた役所の職員もいました。 銃剣で、次々に突き殺したそうでした。 その人は、何の反省も無かったです。 殺される捕虜は、諦めていたよ、と平然と言われました。 薄気味が悪かったです。
普通、強姦というと相手の美醜や年齢を多少気にするもんだと思っていたけど、日本軍には関係なかった。
手当たり次第・・・だと言ってました。
捕虜を銃剣で指すように指示されたこともあったと言ってました。
度胸試しの訓練として。
それは南京の話ではないんですけどね。
しかし、占領下の南京で何が行われたかは想像に難くないと思います。
当時の南京の人口は20万人ぐらいで30万人殺せるはずがないという反論がありますね。
それはそうかもしれません。
まあ、それはそうかもしれないけど、規模が誇張されているからといって、虐殺行為そのものがなかったわけでないしね。
今回の拠出金を停止するとかどうとか・・・
恥の上塗りとはこのことですね。
ああ、恥ずかしい。