今日の新聞(2)  書評欄。


 『消えた国 追われた人々』。池内紀氏の新著。
 わたし的には、日本のドイツ文学研究者はこのひとだけ、みたいな感じになってしまってます。
 ドイツの傷は大きいのです。しかも評者の川本三郎氏が「加害国のドイツにも国を失う悲劇があったのかと現代史の複雑さを教えられる」なんて、いまさら何を言うのかってほどのんきなことを書いているくらいで、その傷は見えにくいところがある。ドイツ人自らその傷を言い立てられないし、しっかり見つめることさえ難しい。思想的にも非常に難しい位置にある。
 その難しさをしっかり見ていく池内氏は「ヨーロッパの辺境をこれほど旅した人は少ない」という人であるわけです。

 ただその難しい位置にあるドイツ語の教育をモデルにして日本の第二外国語教育全体をデザインするのは、これはやめておいたほうがいい。少なくとも相対化したほうがいい。
 そうした方が、結局はドイツ語教育のためにもなると思うのです。
 これがわたしの主張です。


 パウル・ベッカー著『オーケストラの音楽史』。

 「オーケストラという表現媒体の歴史的な終わりを告げるシェーンベルクやストラヴィンスキーの記述で終わっているが・・・」
 「オーケストラに代表される西洋古典芸術音楽がいよいよ最後の時期を迎え始め、さまざまな延命策が講じられ始めた今日、・・・」

 西洋古典音楽、オーケストラというものについてのわたくしの意見はたとえばこれとかさらにこれとかに書いてましたが・・・

 いまでは――これはわたしのオリジナルな考えではないんですが、どこで読んだかな――いま世界に行き渡っている「ポピュラー音楽」が基盤をおいているのは、まぎれもなくこの西洋古典音楽の培った「音楽理論」だということを常に念頭におかなければならない、と考えています。

 世界の諸音楽伝統は、そのままでは他の文化地域に伝播するのが困難――つまり珍しい音楽とはみてもらえても、本当に楽しめる音楽とは思ってもらえない――ですが、西洋古典音楽理論という共通コード――ちょうど言語で言う英語みたいな事実上のlingua franca――に乗せれば、たとえばアルジェリアの音楽が日本のリスナーが「ほんとうにたのしむ」ことのできる音楽になりうるのです。

 これは昨日の「文化資源学概論」でわたしが、半数以上留学生である受講生に向かって論じたことでもあります。
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