「シルク」2 キャラクター


このエントリーから続きます)

 Zedの注目点のひとつは「ランゲージフリー」なこと。つまり、なにやら歌っているんですが、言葉は基本的に何語でもないんです。
 聞いていて意味のあるらしき音列は "bellissima"という言葉だけだったですね。
 これならどこの国でも平気で上演できます。
 こういうのはいかにも英仏語の両立が常に問題になるカナダで生まれたスペクタクルらしいところです。
 ただ、これ見ているときは全く肯定的にのみ見てましたが、しばらく時間をおいてみると、てばなしで肯定すべきことかどうかちょっと考えてしまいました・・・

 それともうひとつ。このスペクタクルには「キャラクター」という役柄があって、ひとつのシーンを統括するのですが、彼ら自身はたいした芸はやらないのです。「クリオネの女王」(という名前ではないと思いますがわたしには他の名前は考えられないです)とか「シャーマン」さんとかがそうです。レダ・ゲルニックさんの演じるこのスペクタクル全体のメイン・キャラクター「ゼッド」(↑)も、芸自体はしないと言っていいですね。

 彼等は精神的存在なのでしょう。何もしなくても、彼らがいないと実際にアクロバットをする人たちの芸がなにかしらまとまりを、意味を失ってしまう、そういうものだと思います。

 全然はなし変わりますけど、こういう「キャラクター」の代表的なもののひとつが「神」なのだと思います。

 このシルク・ドゥ・ソレイユの劇場から帰る途中、ディズニーランドの結婚式場(キリスト教の教会であるようでないようで・・・)の横を通りました。当然ながらここで式を挙げる方は多いのでしょうけど、そこにおける神は、東京のすぐ近くにある夢の別世界ディズニーそのものなのでしょうね。

 前のエントリーのコメントでアキレスさんとクリスマスイブの話をしてますが、「クリスマス」もキリスト抜きで日本社会に「使われている」代表的存在なのでしょう。その機能を大真面目に綿密に調べておられるから堀井憲一郎師は偉い、と思うのですよ。
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