enjoy!RAFIKI

RAFIKIのお知らせや、オーナーの趣味の話題をお話します。

ウエイト達人?達犬??

2012年12月30日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。


まだまだ続きます。。


頚椎のヘルニア手術後、チャーリーはディスク競技引退。

大会では、ディスクの替りにボール等で行うディスタンス競技の初心者クラスの

「レトリーブゲーム」や、アトラクションのダウンスティさせたまま動かさない

ゲーム「ウエイト」に出場していました。


ボールのレトリーブは、目茶目茶上手い!

スティも完璧。必ず最後まで残ってました。

飼い主が離れた所でバンザイやスキップなどとアホな事させられるのですが、、

主催者側の楽しみなのか??

そんな事しても全く動じない。。

最後は「カム♪」のコマンドでボクの所に駆け寄り終了。


優秀、優秀♪


ディスクは、下手糞でしたが足はそこそこ速く、コマンドにも忠実なお利口さん。

唯一、食べ物を前にした時のコマンドは聞こえないふり、、流石ビーグル。


頚椎ヘルニア検査の際、手術するほどでは無いが腰のヘルニアも要注意と診断

されていました。

ステージ1だったのかな??


若干、腫れ物に触るような感じでチャーリーに接していましたが、、

ある程度の筋力を付けて、それをカバーする必要性ありと思い、階段やディスクは

禁止したものの、その他の生活は以前通りにしていました。


そして、どんどんディスク競技にのめり込んで行くボク。。

JOY!は、妻と出場する事が多くなり、ボクはアロハ♪1頭に集中。


そして、、まさかこんな日が来るとは、、

東京夢の島・予選トップ通過、、決勝コケて3位。

静岡エコパ・予選3位通過、、決勝TOPタイ。でエクストラでコケて2位。

静岡エコパ・予選2位通過で、決勝で優勝♪

群馬ドイツ村??・予選トップ通過で、そのまま優勝♪

新潟長岡・1R目トップ通過で2R目0ポイント・・これは書かなくてよかったな、、

新潟の旨い酒が敗因か??

などなど、、

出場回数少なくJAPANCUPに出場できる年間ランキングに入れ無い事シバシバ・・

ランク外選手の最後のチャンス「ワイルドカード」では、4年出場中3回権利獲得。

全て初日TOP通過。。オレって格好良いぜぇ~♪ヒューヒュー♪


JAPANCUPは、8歳まで計5回出場、、

その後は、、ほとんど大会出てませんが、、一応ボクもアロハ♪もまだ現役。の、つもり・・


とディスク大会はDAYキャンプで奥様方とのおしゃべりの場、

犬怖で扱い方知らなかったボクが・・

まさか、まさかの、ペットショップ経営でプレーヤーで優勝まで。。。


数年前には想像すら出来なかった事です。


そんな生活を数年間、、

それから、、10歳を過ぎたチャーリーには、連続して病気が襲ってきます。


写真は、友人が撮影してくれたチャーリー「ウエイト」大会中の様子。

11歳か12歳かな??

お店に飾っています。。

うっ、、写真に何やら人影が・・ボクです。。

ご対面~!

2012年12月27日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。


チャーリーの病気話の続きです。


慌ただしい12月もそろそろ終わりに近づいて、チャーリーはやっと退院。

顎下からお腹まで頭が下がらないようにロケットのようなギブスの上部だけ

カットして半ギブス状態のまま。


子犬のアロハ♪が走り回り衝突する可能性が高いので、2階の義母の部屋で

半月ほど過ごしました。


そして、いよいよアロハ♪とご対面。

既にチャーリーと同じ位の大きさに育ってたアロハ♪

アロハ♪はチャーリーに興味津々で近づいた瞬間、、

「キャイン~キャイン~!」とアロハ♪が鳴く声。


アロハ♪の口周りを、唸ることもなく一瞬にして喰らいついたのです。


自分が苦しんでいた1ヶ月半。

やっと家に戻ると、得体のしれない犬が一匹。

しかもターボが居ない、、


かなりキツイ精神状態だったと思います。

その後も、、

アロハ♪は、何度もチャーリーに認められようと近づくのですが・・・

4~5回は噛まれたでしょうか。。

目の下に今もある傷。

チャーリーは、マジにアロハ♪を仕留めようとしたのだと感じました。


こればかりは、人間が中に入っても無駄だと、、

喧嘩は止められても仲良くさせるには飼い主の行動だけでは、、

何時かは、チャーリーがアロハ♪を群れの一員として認める日が来る

だろうと期待して、、危険を承知で常に同じ部屋で過ごさせていました。



2頭がご対面してから2ヶ月?3ヶ月?位経ったある夜、、

眠りに付いていたら、バタバタバタっと足音が、誰??

布団の上にも乗って来て、チャーリーとアロハ♪が何かしている・・

ヤバっ、チャーリーがアロハ♪を狙ってる!

と思い起き上がって電気を付けてみると、、

チャーリーが前足を左右に振って、フェィント掛けながらアロハ♪を

遊びに誘っていたのです。

アロハ♪も満面の笑みで誘いに乗って、部屋中駆け回っていました。

夜中はやめて、、


やっと、群れの一員と認めたようです。

その時のJOY!は、迷惑そうな顔で寝ていました。。


その後も、留守番時に2度ほど噛まれた形跡がありましたが、アロハ♪が

調子に乗ったのだと思います。

それ以降は、噛まれていない。。多分・・


ここで、チャーリーが亡くなるまで続いた、犬同士の上下関係が確立されました。


写真は、アロハ♪兄弟犬の羊毛?人形?フィギア??



雪降る日。。

2012年12月27日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。

話の続き・・

ここから、チャーリーが病気と共に残りの12年間生活してきた事をお話します。


アロハ♪生後2ヶ月、家に連れて帰る日が間近。

お店のプレオープンもそろそろ、、

その数週間前から、チャーリーが寝ている状態から体を起こそうと首を持ち上げると、、

「ワぉーん!」と悲鳴のような声を発する事が何度かあり、、

寝違えたか??首ひねっちゃった???

と2日ほど様子を見ましたが、徐々に悪化しているように見えたので病院で診察。

レントゲンを写してみましたが??

触診しても??

痛み止めのお薬で様子を見ることに、、

ヘルニア初期の治療と同じです。

気温や気圧により痛みの波があるので、痛みが出てる時だけ、痛み止めを服用で

様子を見る。


チャーリーは薬の服用をストップすると、また同じ症状・・・

先生は、頚椎ヘルニアの疑いありと大学病院でMRIで観た方が良いとの判断で

大学病院を紹介してもらいました。

診察当日、頚椎ヘルニアが判明。。麻酔掛けているのでこのまま手術で即入院。


妻からその報告を聞いた僕は、ただ焦るだけ・・「手術!1ヶ月の入院!」。

チャーリーが不在のまま、アロハ♪を迎い入れ、、お店のオープン。


息を付く暇もなく、チャーリーの事も哀しんでられない状態。

チャーリーには、可哀想だけど、、ボクのこの状態が精神的には良かったのかも。


チャーリーが入院して1ヶ月弱。

アロハ♪も家に慣れてきた・・

店の本オープンも済ませ・・

12月21日。

ボクの犬が怖い気持ちを、長い年月掛けて慣れさせてくれた最初の犬、シーズのターボくん。

21歳の学生の時から一緒に暮らし初めてから16年。

金が無い若い時、、ボクが彼の毛を切ったこともあります。トリミング??

そんな時は、、散切りで、格好悪いから外に連れ出せない・・ごめんねターボ。

今、そのトリミングの営業してるんだよ。


その、お留守番が多く、散切りカットも経験したターボが、お昼頃に虹の橋を渡りました。


東京では珍しい、12月に降った雪の日です。

道産子のターボは、この日を選んだんでしょうか・・

また、チャーリーが大変な時に、ターボが犬の中で唯一群れと認識していた彼に

最後の姿を見せて、辛い思いをさせないようにしたのかな・・


ターボは、徘徊が凄まじく、生後2ヶ月過ぎのアロハ♪と同じ部屋の中では

危険との判断で、大きめなケージの中で最後の時を過ごしていました。


そのケージの回りを、アロハ♪はグルグル。。

流石!牧羊犬!!

では、無く・・


白い毛まとってるけど、、ターボは羊ではございません。

4頭になった。。

2012年12月23日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。

チャーリーこの時5歳?6歳?だったので、話はまだまだ続きます。

あと11年分。。うそ、途中端折ります。


チビリンの尿漏れが治らない状態、、

量は日によって違うし、チビらない日もある。

今なら、気圧や来客等の興奮、運動量などを見なが原因を追求していく

所ですが。。

まだまだ、、そこまで犬に精力は傾けていない。。徐々に徐々にです。


この頃、ある事柄から会社を辞めたいと感じ始めていて、、

何ともタイミングが良いのか悪かったのか・・

40歳以上の早期退職制度が、35歳まで落ちた。

誰も辞めないからです。


ありゃ、ボク35歳ですよ。

直ぐに右手を上げた訳です。

当時は、対外的なメンツで35歳~40歳までは起業が条件で、その

プランの提出が必要でした。


・・・何書こう???

チビリンの尿漏れ騒動から、まだ3ヶ月でしたがフードの知識を

多く得て、犬に対して愛情が既に芽生えていました。

そして、JOY!がアレルギー体質だと言う事も判明。


なんで何時もパット舐めてるの??

ボクが最初に出した答え。

JOY!は関節柔らかいから歩くとパッドが、開いて肉球の間の皮膚も

土に付くから怪我しやすいんだ。

だから何時も舐めてるのね。

人用の傷スプレーなんか使ってみたり、、


アホです。。。ボク。

アレルギーだと理解したあと、犬3頭中2頭が皮膚疾患・・

何とかしないと、、で、色々と勉強していた時期でもありました。



そして、それらの事に導かれプランを立てました。

それが、RAFIKIなのです。


手を上げ4ヶ月後、、引継ぎも終わり、以前住んでいた東村山市に

住まいを決めて退職しました。


引越し後も、チャーリーはチビリンのまま。



退職して間も無く、未だお店のオープン準備の頃です。

友人から自分の家のボーダーコリーが、交配してもうすぐ生まれるとの情報が入りました。


米国で行われるディスク大会のフリースタイル競技初代日本代表犬の子犬が生まれる・・

そのボーダーコリー、ボクのお気に入りの犬。

JACKEY

   


その飼い主に、酔ってた時ですが、、交配したら子犬ちょーだい。と言ったことを

覚えてくれてたようで、「一番先にどの子犬が良いか決めて良いよ。」とのお話を頂きました。


平成13年9月25日。早朝・・

「レッド4頭。黒白2頭。レッドは1頭女の子で、3頭はオス、黒白は2頭とも女の子。」


レッドの女の子??以前のレスキュー話と同じ犬種で同じ色。


これは運命だっ! 大袈裟ですが、、

迷わずにレッドの女の子に決め、アロハ♪と生まれた日に名前を付けました。

この時点では、ディスクの公式戦で優勝することが出来る日が来るとは、

一切想像すらしてませんでした。


 JAPAN CUP

    


フードやサプリの知識は増えてきたものの、まだ犬の扱いに難あり・・

また、女の子と言う事で油断していた、、

チャーリーによるアロハ♪への、決して愛ではない制裁。



これで、、犬怖おじさんが、4頭飼いになったのです。


命名!チビリン♪

2012年12月23日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。


話は、更に続く、、

チャーリーとの出会いの話が、何故かボクのディスク話に変わってきて

しっまてます・・ここで修正。


JOY!が来てから1年後。

当時務めていた会社の所属部署が、丸々子会社化に決定。

全員出向扱いで、千葉の田舎に造った新社屋に移動。

転勤=引越しのタイミングで、義母と同居する事にしたため、一軒家の

借家を探しました。


犬3頭で一軒家。難しそう、、

とっ、思ったら借家用に一軒家が4棟建って、入居者募集だって。

早速、「犬3頭ですが、、貸して貰えます??」と不動産に連絡。

答えは「YES!」。

おーっ、なんと寛大な大家さんなんだ。


実は、ここの家から色々な問題がチャーリーに降り注ぐ事になろうとは

全く予測していなかったし、この先9ヶ月後に脱サラすることも想像すら

していませんでした。


新築一軒家の借家に無事引っ越しも終わり、3ヶ月を過ぎた頃。。

チャーリーのベッドが濡れている・・おしっこ??

最初は、頻度が少なかったのですが、徐々にお漏らしの回数が増えて

行きました。


動物病院での診断は「ストラバイト結石」。

それ用の処方食を手渡され、、

ph値安定するも、尿漏れは治らない。

先生も??何故だろね???って感じ・・

原因が結石じゃないとすると??

しょうがない、「尿管ゆるいだけだ。」であっさり解決させてしまったボク。


それからチャーリーを「チビリン♪」と命名。あほな飼い主です。。


動物病院の先生からは、結石は体質等による所が大きいから一生食べ

させて下さいとのお話を頂きました。


えっ~こんな高いの一生ですか?一生。

ゴールデンとか大型犬じゃなくて良かったよ。ほんとに。。

処方食を食べさせてからチャーリーの尿の量、水分の摂取量が倍増しました。

外でしか小便しないので、家の中でソワソワ。あっ、家の中ではチビってますが。。


可哀想なので、夜寝る前も排泄のために外に出すようになりましたが、、

ボクの頭の中では、何故?多飲多尿になったの??でした。


そして、食べ始めさせてから2週間。

それまで食べさせていたナチュラルハーベストのフードと処方食をボクが食べ比べてみた。

処方食、ハーベストに比べて味が濃い!油ギトギト!!


えっ、味が濃い物=塩分多い? 内蔵に負担掛けない?一生食べるの??

そしてこの油の感じ、なんか嫌だ。不味い。。

何となく、犬は人ほど塩分を必要としていなく、多く摂取することで

心臓やその他臓器にダメージを与える可能性が高いと、ウル覚えですが、、

記憶の中に、コッチョリとあったのです。


んーーーなんか違和感、感じました。

味を濃くして水分沢山飲ませて石になる前に尿で流す。

と言う方程式が理解できました。

でっ、フードの成分見たらクランベリー?なんだろ??

当時は既にインターネットで様々な情報を探すことが出来るようになっていて

調べてみました。

沢山・・しかも当時ISDNだしパソの能力低いから、画面出てくるの遅い遅い、、、

画像なんか良いから、文章だけにしろ!とブツブツと言いながら検索。


そして出した答え。

前より多飲多尿にすれば良いんだな?

今までのフードに水入れて食わせりゃいいや。

そしてph値安定させるために、クランベリー入った尿のサプリを与えよう。


です。


ここからです。

フードやサプリメントに興味が出てきた。

この時、ボクは35歳になっていました。


ちなみに、これから先、約12年後の今月の3日他界するまでに

尿トラブルは再発しませんでした。


本日のお写真,,
記事の年代とあってませんが、、チャーリー11歳。JOY!7歳かな?

3頭目は、オスに、、

2012年12月23日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。

先日の話の続きです、、


妻からの懇願を避けるため、、歌舞伎町に夜な夜なくり出すこと約1ヶ月、、

流石に体力無くなって来た、、財布のね。


そこに待ち受けていたのは、長~い正月休み。

仕事帰りに、チラ~っと10杯が出来なく、、朝から晩までMIX犬の話・・


そして年が明けて、まだ数日間。

遂に洗脳されてしまった。


「MIX犬くん、我が家に迎い入れて良いよ。。」とボク。


決めてしまったら即行動!

その日の内に、房総にあるトレーナーさんの自宅に、ターボとチャーリーを

車に乗せ、数時間掛けて彼を向かいに行きました。


その彼は、トレーナーさん達から「JOY!」と呼ばれてたのです。

幼少期に、チョットだけ不幸な生活を送った彼に、これからは「エンジョイ!」

して貰いたかったそうです。

レスキューな人達から「ジョン」と名付けられていたそうなので、発音似ている

から、JOY!も混乱し難いかな?と言った所だったようでした。


自宅に戻った後、チャーリーは特にJOY!が家に居る事については、何らおかしな

行動や、攻撃的な行動も表情もなく、、スムーズに彼を群れの一員として

認めたようです。

何度か浅草で会っていたのも良かったのかな?


では、先住のターボは??

もう妖怪化していたので、、何も感じていなかった。と思う。。

逆に、JOY!がターボに対して、この生き物は何だ??と言った感じで避けていたと

記憶しています。



JOY!を迎い入れ、遂にボクのディスクプレーヤーとしての1歩が始まった♪

不思議な事に、18kgの犬を見て、恐怖心は全く感じなかったのです。

更に、もっと不思議なのが、ボクの歌舞伎町徘徊が激減しました・・


JOY!が来てからも、ほぼ犬の面倒は妻がみていましたが、仕事を早く切り上げた日は、

帰宅後、公園でJOY!とディスクの練習をするようになり、、


教え方も下手ですし、、JOY!は運動神経抜群だけど集中力が切れやすい、、

まぁ、幼少の頃は自由人だった訳で・・

全く、ゲーム的な感じにならないし、JOY!もほとんどキャッチ出来ない。



ある夜、何時もの公園でJOY!と練習をしていた時のことです。

ディスクを投げるタイミングで、犬を走らせるためコマンドを投げかけます。

「GO!」です。「んっ郷ーっです!ジャパ~ンッ!!」ではございません。

そのコマンドを通り掛かりの若いOLさん2人が聞いていたようで、、

「プッ、ごーだって。ケラケラケラッ」と笑われましたが、

そんなのお構いなし!

だってプレーヤーとして、コートに立つ日を夢見ている訳ですから。。


そして、まだ練習でも30%位のキャッチ率でしたが初心者クラスのゲームに参戦。

妖怪ターボ、チャーリー、JOY!を車に乗せて、ドキドキしながら会場へ。


本番。

MCの合図と共に、ゲームスタート。

JOY!に「GO!」とコマンドを掛けて、同時に投げ出した。

ディスクの起動とは違う方向にJOY!は走り、片足上げて芝のブッシュに

シャーとマーキング。

ゲーム終了! ゲーム中の糞尿は、その時点で退場・・

あっ、エントリフィーが・・・・


その後も、キャッチ率は低く、ゲーム中切れ走りしたり、コートを抜け出し

カップ麺を食べている人のところに満面の笑みで駆け寄ったり、、

バッタを追ったり、山の上に駆け上がったりと、、

結局、最高峰のゲームに出る事も無く・・・



現在に至る。


まぁ、楽しけりゃ良いし、あのマーキングから約13年間、まだ現役で

ゲームに出られると言う事は、飼い主にとっては幸せな事です。

しかも、このJOY!君、日本一決定戦のベテランズクラスで準優勝まで

しているのですよ。

本日の写真は、JOY!9歳と時の写真です。。


一方のチャーリーはJOY!が来てから約2年後に現役引退しています。

まだ5歳でした。。

素行が悪かったレスキュー犬

2012年12月22日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。

先日のお話の続きです。。


ディスク競技に目覚め、3頭目のワンコを迎い入れる話が浮上していた頃、、

チャーリーの浅草でのグループレッスンの時、、

トレーナーの方が、もう少しで1歳になるであろう月齢のMIX犬を連れてきた

そうです。



このトレーナーの方、犬猫のレスキューをされている方々のレスキュー犬で

素行が悪かったり、散歩の引きが強すぎてボランティア方がお手上げ状態の

犬を自分の自宅に引き取り、トレーニングを積んで里親を探す事を当時は

されていたのです。


その素行が悪い犬が、このMIX犬オス。

トレーナーさんの自宅は房総で目の前が海岸・・

毎日海辺を駆けているから、筋肉質で体重18kg。



でっ、何故トレーナーさんは、チャーリー達のレッスンにこの犬を連れて

来たかと申しますと、、

我が家が、3頭目を迎い入れる予定と知っており・・

更には、ディスク競技をしたいと言う事も知っており・・

筋肉質で足が速い、この犬を妻に紹介する為だったそうです。。


この日が13年前の12月3日です。

ボクが仕事を終えて帰宅すると、、

ことの成り行きを説明され、、そのMIX犬を我が家に迎い入れたいと妻が言い出した。


ボクの出した答えは「NO!」。

だってオスでしょ? 駄目だよ。。


オスを迎い入れたくない理由の一つにチャーリーの歪んだ??虚勢的な性格?

もあったのです。


子犬の頃と言うか去勢する前までは、比較的犬に対してフレンドリーな性格だった

のですが、、

グループレッスンの参加条件が、去勢。。

3歳になる手前?なってから?その位の時にチャーリーは去勢手術を受けました。


去勢手術後・・・

何時も仲良く遊んでいたゴールデンのワンコが、突然チャーリーにマウンティング。

肛門腺から漂う臭いが、去勢したために変わったからです。



マウント行為が性的だけではなく、自信の強さなどのアピール行為と言う知識が

当時の妻には無く、オス同士なのにとその姿を見て皆んなで笑ってしまったそうです。


もちろん、当時のボクにその知識がある訳ではないので、ボクも一緒にいたら

笑ったことでしょう、、


これ、チャーリーにしてみたら、意地目っ子が自分に馬乗りになって棒で叩かれ

ている事と同じなんですよね。。


昨日まで仲良く遊んでいた子が、突然その行動を起こした。。

誰も助けてくれないで笑って見てた・・



この日を境に、チャーリーはオス犬に対して攻撃的になりました。

特に未去勢のオス犬。

誰も守ってくれないから、自分で戦おうって所なのかな??


そのMIX犬は、去勢していましたが18kgの筋肉質の体力有り余って、ボランティアの

方をお手上げにしてしまった犬。

そんなのが、チャーリーとバトルしたら、、確実に仕留められるなチャーリー・・


12月3日。

この日を境に、ボクの首を何とか縦に振らせようと、帰宅すると毎日この話、、



もちろん、ボクは何度も歌舞伎町に逃げ込みました。。

ディスクドッグに魅力を感じてきた。。

2012年12月21日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。

ディスク観戦? DAYキャンプ? 

競技を見てるうちに、徐々に出場したくなってきた。。

しかし、2年も掛けてやっと・・って感じですよね。

しかも、小型ではなく最高峰のクラスで。。

とっ、、言う事は、当時活躍していた、まだまだ頭数が少なかった

ボーダーコリーやラブ、ゴールデンを我家に迎い入れる事になる。


仮に迎い入れたとしてもスーパープレーヤーな仲間達を見て、

こんな風には活躍は出来ないな。。

犬の扱い解らないし、、犬恐いもん。。


練習会と称した、僕にとっては野外での呑み会で、当時活躍していた

ダルメシアンのワンコにディスクを投げさせてもらった事があり、、

咥えたディスクを離さなく、、うううーーーっと唸っているので

半ベソ状態になった事がありました。。

やっぱり、大きな犬恐い。。


しかし、恐い<出たい と心境の変化が、、


当時、チャーリーが4歳になる手前。

お世話になっていたトレーナーさんからは、多頭飼いは3~4歳位の歳の

差がBESTだと聞いており、、仔犬を迎い入れるには、良いタイミング。


丁度、その頃そのトレーナーさんから、当時設立したてのバンガード

インターナショナルフーズの「ナチュラルハーベスト」と言うドッグフードを

紹介されました。

このフードと出会ってから、少しずつドッグフードに興味が出てきた。

何故なら、アトピーな先住犬シーズー・ターボの皮膚の状態が軽減して来たのです。

チャーリーの便の状態も良い感じ♪

段々と犬の事を理解しはじめて、興味が出てきた。

でも、大きい犬は恐い。しつこい??


そして、、

何時の間にか、、新しいワンコを我家に迎い入れようと言う話が自然に

出始めた訳です。。


犬種は、フィールドタイプの黒ラブ。で女の子が良いかな?なんて話をしたり、、

1歳前の、ボーダーコリーの女の子のレスキュー話が浮上したり・・

しかもレッド。。アロハ♪と同じですね。

そう、、犬種には拘りは無かったのですが、どーしても女の子が欲しかった。



しかし!!!3頭目は、何故か男の子。



今日の写真、大会会場でのひとコマ。新潟県長岡市。

泥酔している訳ではございません。

チャーリーと日光浴。

何時もチャーリーは、股の間で寝ていました。

大会会場でも彼は何時もまったりです。


あっ、そうそう。。

ディスクやドッグフードに興味は出てきましたが、

歌舞伎町徘徊は、続いていました。。


ディスクドッグ。。

2012年12月19日 | Weblog




RAFIKIの大久保です。

犬猫好きおじさん話の続きです。


題は「ディスクドッグ」ですが、お写真はボールを使ったレトリーブゲームです。


妻が訓練やドッグスポーツに興味を持ち、チャーリーを浅草まで連れて行き

グループレッスンを定期的に受講して、土日になると近所のコーギー飼いの

友人と共に、ディスクゲームの大会観戦に足繁く通うようになりました。

そして自らチャーリーと小型犬部門のゲームに参戦するように。。


ディスクドッグゲームは、米国で生まれ、その数年後に日本に紹介されたの

ですが、当時はまだまだプレーヤーも少なく超マイナーなスポーツだったのです。

よって、大会と言っても、、小型犬は3~5頭位と、とても少なかったようです。


妻は、大会を観戦に行き、自らプレーしていく内に当時のSNSポイ?

ニフティのシステムで、名前を忘れてしまった。。

同じ趣味の人々が集まり、グループで会話する機能??だったかな?

そこで、全国のプレーヤー達と「飛皿犬の会」なるグループでネット上で会話を

するようになっていました。


まだまだボクは、、全く興味なし。


そんな生活をしていて1年余りすぎた頃、、

大会会場では、その「飛皿犬の会」のメンバーでタープ内に集まり、大会以外でも

交友を広めて行き始めていました。



確か?その頃だっったと思います。

知人の会社の仕事も落ち着いて、土日はターボの超短い散歩とパチンコか昼呑み。。

その事をもちろん平日も土日もスレ違いの妻は知っており

1度で良いから大会見に来てと懇願され・・

何でも、「DAYキャンプ的な感じだよ」と言う言葉に誘惑され・・

イメージからは掛け離れていますが、もともとアウトドア的な事は好きで、

地元札幌に居る頃は、6月の終わりから8月の中旬まで、毎週小樽まで行き

海水浴なるジンギスカンパーティー&ビールな生活だったのです。


運転は妻がすると言うので・・


んっ、、昼間からビールのんで良い♪ ジンギスカン焼いても良い?

これが目的で、大会初観戦! 場所は埼玉県の秋ヶ瀬公園。

今では、会場でジンギスカンとかは、かなりマナー違反ですが。


そこで初めて「飛皿犬の会」のメンバーとご挨拶。

ネットで会話してると言うので、当時は何だか「オタク」なイメージを

勝手に抱いてたのですが、、

ありゃ、みんなスポーツマンで爽やかそう!



そして、ゲームスタート。。

ここで、ビックリする事が2つ・・


一つは、、チャーリー滅茶滅茶下手じゃん!

キャッチは出来ないわ、、拾ったディスクはガジガジ、、ガムじゃ無いのに・・


二つ目は、、

その仲間たち、、目茶目茶上手いじゃん!

かっこいい~。ヒューヒュー♪

決勝に仲間が何人か残ってる!


そして、、DAYキャンプ的な楽しみで妻に同行するようになったのです。

ボクは、、出番ないから、同じく出番の無い奥様達と手作りの料理を持ち寄って

     ワイワイガヤガヤ・・

もちろん!アルコール付きです。


こんな感じな生活を約2年弱ほど続けていたと思います。


しつこいですが、、チャーリーは何年たってもディスクは滅茶苦茶下手糞でした。

ボールのレトリーブはピカ一なんだけどな・・


犬猫好きおじさん話の続きです。

2012年12月16日 | Weblog
RAFIKIの大久保です。

先日のチャーリーとの出会話の続きをと、、若干の声が聞こえたので続けます。


子犬の頃のチャーリーは、線が細くとても繊細なワンコでした。

しかし、、流石ビーグル。。食欲だけは盛々。


繊細で思い出されるのが、居間に敷いているラグからフローリングの床に移ることができない。。

パットの感覚が違うだけでアウト!

慣れさせるために、前足だけでもフローリングに移動しないと食べれない微妙な距離にフードを置く。

確か、このトレーニング3~4回でフローリングも歩けるようになった記憶が。。


もちろん初の散歩は、全く動けなく道路にベターッ感じでした。


少しづつ、少しづつ、、、外の環境、車での移動に慣れてきた頃・・


ボクはと言うと、仕事が終わってからの歌舞伎町徘徊は続いており、就業後や休みの日には知人が

立ち上げた会社のお手伝いで、ほぼ家には居ない・・


外の環境に慣れたチャーリーは、公園で他のワンコ達とも遊べるようになり、そこで沢山の犬友が

出来たそうです。


そーこーしている内に、妻が訓練やドッグスポーツに興味を抱き、週末になるとチャーリーを連れて

出掛けることが多くなって来ました。


ボクは、知人の会社を手伝わないで休みの日に家に居る時は、朝晩お留守番なターボを、短い散歩に連れ出し、

昼間はパチンコかおつまみ食べながら昼呑み。。



もちろん家の2頭は可愛く感じましたが、この頃まだまだ犬好きではなく、ただ家には犬が2頭いるだけ・・・状態。



ただ、当時2頭が食べてたフードが、最初は●●ダイエットで、妻が誰かからナチュラルフードの方が良いと

聞いて「モッピー&ナナ」ショップオリジナル系のフードに切り替えていたと記憶しています。

そのショップは車で30分弱の場所のため、フード在庫を切らせた時、近くのDIYセンターで買おうとしましたが、、

今食べてるフードの5倍くらいの大きさのフードが、ほぼ同じ価格。

 ?????

並行輸入のフードでした。

袋の劣化状態、あまりにも安すぎる価格に対して違和感を覚え・・

何時ものショップへ車を走らせたのです。


この時のことが、ペットの食べ物について、何の知識も興味もありませんでしたが、、

何となくこんなフードは食べさせたくない・・

良い物食べさせたいな。。

と言う気持ちを芽生えさせたのかも?


また時間のある時に、話を続けますね。


しかし、、この写真のチャーリー・・お猿さんみたいな顔してるな。。