深谷市市会議員小林真ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

森田俊和さんのこと

2021-10-31 09:07:28 | 身のまわり

仕事をしているNPOの代表なので、毎日のように森田さんの名で領収書を切ったり申請書を書いたりしている。初めてあったのはたぶん中学校の同級生のもやし屋飯塚くんが埼玉県産在来大豆の普及を始めた時で、森田さんは県議だった。何度か話をして人あたりのよい若い人という印象しかなかったのが、熊谷で仕事を始めた8年前から関係が深まっている。

【Kyunoの改修をNPOの事業としてやらせてくださいと頼んだ時】
銀座の旧宇野商店を改修してミニFMのスタジオ兼コミュニティスペースにするのに、県の補助金を使いたいのでNPOの法人格を使わててくださいと、宇野くんと頼みに行くのに筑波のさかえ寿司で飲んだ。
「いいですね。どんどん使ってください」
の一言で事業成立。
「せっかくですから小林さん、宇野さん、NPOの理事になってくださいよ。若い人がやってくれたほうがいいですから」
こうしてわたしたちはNPOくまがやの理事となり、わたしは2年後このNPOで指定管理を始めた市民活動支援センターの所長に、宇野くんは4年後FMクマガヤの社長になっている。この時のことを話した時の森田さんの
「NPOの法人格なんて使ってなんぼですから」
「NPOの仕事って社会の中ではニッチなものなんですよ」
ということばを、市民活動の話をするようになったわたしはよく引用している。

【鉄道ファン1】
森田さんは熊谷高校時代、鉄道愛好会に入っていたという。数年前、現役高校生鉄愛会員の望月くんを紹介した時、
「いや、ボクなんて、もう全然ですよ。今の高校生になんてついていけないですよ」
とよくわからない謙遜をしていた。

【鉄道ファン2】
お父さんの「籠原駅を愛する会」会長森田道和さんからきいた話。小6だった俊和さんと北海道鉄道旅行に行った父子だったが、所用で北海道の真ん中へんで帰らなければならなかった道和さんが俊和さんにどうするか意向をきいたそうだ。
「お父さん、せっかくここまできたんだから、ボク一人でも先まで行くよ」
これも、稚内だか根室だかは忘れたが、道和さんは
「まさか小学生が一人で帰ってくるとは思わな語ったいね」
とよく似た首の振り方で振り返っていた。

【ママとの会】
当時、本庄の妻の店で本庄市長が若いママたちと食事会をしていたことを支援センターによく来ていた関西出身転勤ママの武本さんに話すと、
「わたし政治家っていう人と話したことない。会ってくれるんですか」
というので、その頃は浪人だった森田さんにきくと、いいですよ、と自治会館のふれあいサロンにゲストで行っていた武本さんを訪ねる。行ってみるとふれあいサロンは地域しばりがあるようだが、転勤ママはそのへんはよくわかっていなかった。自治会の人たちの人たちの説明を受けると、
「そうなんですか、わかりました」
といいサロンの人たちの話をきき、武本さんがぶつける転勤ママ族の不満をうなずきながらよくきいていた。

と、いくつかの話を書いたが、このほかNPOの活動では時た問題が発生することもある。そんな時は、
「小林さん、○○ってきいたんですけど…」
とわたしの話をきき、
「じゃあ、こうしましょう」
とだいたいは自ら相手に話をしに行ってくれるので助けられている。

そういう森田俊和さんは、今日投票が行われている衆院選埼玉12区に立候補している。深谷市民のわたしは投票はできないが、応援しています。

※画像は2017年10月20日、市民活動支援センターで立正大後藤教授、武本さん母娘、森田さんと

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