深谷市市会議員小林真ブログ―カロンタンのいない部屋から since 2006

2006年開設の雑記ブログを2022年1月に市議当選でタイトル更新しました。カロンタンは40歳の時に飼い始めたねこです

『1971年のブラックマッペ』

2011-05-11 08:42:39 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)

 



【読みやすい縦書き文庫にも投稿してあります  http://bit.ly/kMR5zW

 
―故・飯塚英夫氏に―
 
 1971年。
 米ビルボードの年間チャート一位はスリードッグナイトの Joy To The World 『喜びの世界へ』 で、日本レコード大賞は尾崎紀世彦『また逢う日まで』。日本のとなり台湾に代わって中華人民共和国が国連の一員となり、埼玉のとなり群馬では大久保清の連続女性殺人事件が起こった。米ワールドシリーズは4勝3敗でピッツバーグ・パイレーツがボルティモア・オリオールズを下し、日本のオールスターゲーム第一戦では阪神の江夏豊投手が伝説的な九連続奪三振を達成している。学生運動の盛んな時代に青春を送り、自ら命を絶った女子大生高野悦子の日記『二十歳の原点』が刊行され熱狂的に迎えられた一方、無国籍テレビマンガ『ルパン三世』が放送を開始し、後の評価とは裏腹にまったく視聴率が上がらなかった。
 先にあげたのは、いずれも前者が当時小学校二年だった私の関心のらち外にあって後から知ったことで、後者はよくわからないにしても記憶に残っていること。夏は太陽に熱された田んぼの放熱が地表近くによどみ、冬は赤城おろしがしめり気を奪う、ディープ関東平野の農村に生息していた小学校低学年の記憶はまだらだ。
 そして、日本人の多くがおとなり中国に棲む「パンダ」という生き物の存在すら知らなかったこの年、もし数え上げることが可能だとしたらそれこそ天文学的な数になるはずの「出来事」の一つに、私が初めて食べた「もやし」のことがある。それが「1971年のブラックマッペ」だ。

 まだ台所は土間でかまどと電気釜が併用されていたわが家にのこたつの上に記憶の限りでは初めて現れたもやしは、同級生飯塚雅俊君の家に遊びに行き、彼のお母さんにもらったものだった。東京駅のレンガもつくったという煉瓦工場の近くにあり、これも後からきいた話では煉瓦工場の働き手相手に営まれたという女郎が住んでいたという飯塚君の家。それは現在人口五千人ほどの学区の中でもうちとは東西正反対の位置にあたり、五キロ離れた街にはまだ自分の自転車で行ったことのなかった小学校二年の行き先としてはけっこうな冒険だったような気がする。

 じっさい当時の飯塚君の家、もやし製造業飯塚商店の周辺は冒険の宝島だった。
 派遣切り問題より太平洋戦争の方が近かった1971年。今は地域体育祭会場となっている浄水センターグラウンドのあった場所には造兵廠跡地で防空壕の廃墟が小学二年には巨大な穴を広げ、三年後に「日本の『小さな恋のメロディ』」といわれた映画『恋は緑の風の中』の舞台となったレンガ工場はすでに去った大正浪漫の色彩を残した廃墟として育成しつつあった。
 そして、その頃まだ機械は導入されていない飯塚商店のもやし工場。今当時あった場所を見るとそれほど広くはないのだが、八歳だったわれらには学校の講堂くらいの広さに感じられた。光を避けるために真っ暗な工場内は、これも後で知る「ムロ」という名の栽培容器の中で芽を伸ばそうとする豆たちが放つ、まるで成長期の更衣室のように香ばしい薫りが充満していた。
 考えてみるとそれは、私にとって生まれて初めて入った「工場」だったかも知れない。

 飯塚君や数人の友人たちと何をしていたかはわからない何かをして遊んでいた時、誰だったかがはずみでもやしの原料である豆が入った大きくて青いポリ容器を倒してしまったことがある。
「シャッ」
 という短い音とともに薄暗い灯りに広がる黒い豆の軽やかさ。

「ああ…」
 まだ、われらの間に「やばい」という形容詞、いや、感動詞はなかったはずだ。
「大変だ」
 とかいいながら、広がった豆を青い容器に戻す。ざらざらしたコンクリートの上の豆を、これ、誰か食べるんだよな、と思いながら容器に入れたが、作業を終えた小学二年の目にはほかの容器よりちょっと少ないように思えた。

「お父さんにはいわないでおこう」
 責任者の飯塚君がそうからには、われらが反対する理由はない。何か取り返しのつかないことをしてしまった気がしたのは八歳だったからだろうが、ともかくその日は沈んだ気分で二キロの道を自転車で帰った。次の日の学校でお父さんにばれたかどうかきくと、飯塚君がまじめな顔をして、
「何とかばれなかったみたいだ」
 といったのをおぼえている。
 飯塚商店について多くを知った今なら、当時の青いポリ容器が今の銀色の金属製の容器だろうことは想像がつく。そして「ムロはもやしの畑」という飯塚君がいう通り、当時も今も飯塚商店のムロは私が何度か連れて行った小中学生でもいつでも入れてくれる。

 話を戻そう。初めて食べたもやしのことだ。
 確信はないが、たぶんポリ容器の日ではない。確か冬のことである。煉瓦工場あたりで遊んできた私たちに、飯塚君のお母さんが商品であるもやしを配ったのだ。
 農村で地元の中学教員だった私の父はPTAの関係で飯塚家によく来ていたので、飯塚君のお母さんは母も知っていた。
「これ、お母さんにね」
 とビニールに入った、不思議なかたちの野菜を渡された。
 小学二年生にとって世のほとんどが奇妙だから、もやしくらいの奇妙さはどうってことない。それより赤城おろしが吹きすさぶ寒さの方が一大事で、真っ暗な田んぼ道を二十分くらいかけて何も考えずに帰ったろう。
 そしてその不思議な野菜は飯塚君のお母さんにいわれた通りに母に渡されたはずで、記憶の次はテレビにはワニのワーリーかなんかが映ってただろう夕食時のこたつの上のもやし炒めである。
 肉はおろか、ほかの野菜も入っていない。じゃがいもを煮るなら、ただじゃがいもだけ醤油と砂糖で煮る、というのが私の家や、後にきいてみても当時の農村の多くのレシピだった。

 まず目を引いたのは、炒めた油の輝きだった。醤油色ににごって波紋を広げる油の上に、細いものが熱く湯気を上げている。
 当時の私は、なんというかまだ食べ物に開眼していなかったように思う。野球に興味を持ち始めた頃で、タイトルも忘れたある野球マンガで目にした「三度の飯より野球が好き」というセリフに、三度の飯ってそんなに大事なのか、と衝撃を受けたことはそのマンガの絵とともによくおぼえている。考えられる理由は単純。たいしたもの食ってなかったからだ。
 そんな小学二年だから、初めて食べたもやしがおいしかったなどと書いたらうそになる。ただ、油と砂糖と野菜特有の甘さと、「しゃきしゃき」なんていわない、「じゃりじゃり」とした歯触りを感じただけだった。何しろ食物開眼前なのだから、「おいしい」という言葉すら自分のものにはしてなかったろう。

 その、どうでもいい最初のもやしが1971年。もちろん「ブラックマッペ」なんて知らない。
 当然だけど、その後も私にとってもやしが特別な食べ物だったことはない。学生になって一人暮らしをした頃に一袋約三〇円という値段を知り、ずいぶん安いんだなと思ったくらいだ。
 小学校高学年くらいには学校では先生からも「もやしや」と呼ばれることもあった飯塚君も、学区内では家が遠いこともあって仲が悪いことはなかったがそれほど遊んではいない。別の高校に行って以降も、たまに麻雀をしたり、『ブレードランナー』をみに行ったり、スキーに行ったりという同級生の一人だった。
 ここから二十年くらい時間をはしょるが、その後も私にとってもやしは関心の外だった。

 そして二一世紀が来て、「ブラックマッペ」という言葉を知る。
 二〇〇二年頃だろうか。近くにできたスーパー、ベルクに行ってみると、しばらくぶりにみる飯塚商店製もやしがある。商品名は「昔ながらのおいしいもやし」。なんだ。自らおいしいなどと主張する商品は敬遠する方針だが、ここは同級生の手になる商品ということで買ってみる。「昔ながら」なのかどうかわからなかったが、当時の私の目にも細くて黒っぽく映った。
たぶん豚肉かほかの野菜といっしょに炒めて食べたのだろう。炒めてもやっぱり細いし、味は太さと反比例するように強かった。
 その頃、たまに買っていたほかのもやしと違うとは思ったが、「昔ながら」かといわれると自信はない。繰り返すが、それほどもやし自体に関心がなかったのだ。

 ちょうどその頃、中学の同窓会があったので、飯塚君に「昔ながら」のことをきいてみた。
 その時に初めて、われわれの小学生時代一九七〇年代には主流だったブラックマッペという小豆に代わって、一九八〇年代からは緑豆が多く使われていると知る。そして、「太もやし」をつくる技術が開発されて普及したというもやしの歴史も、確かこの時に知った。
 そういわれても、へえ、と思っただけである。けれどその時、しばらくぶりに1971年に蛍光灯の光に輝いていたブラックマッペを思い出し、ああ、あの時食べたのは、そういえば今のもやしみたいに白くて太くなかったな、と思い直した。

 そうなると、「1971年のブラックマッペ」を再現してみたくなる。当時食べていたもの、当時の家の土間だった台所や使われていた調味料からすれば、一九八五年に死んだ母がどうやってもやしを炒めたかの推測はたやすい。
 今はほとんど使わないが現存する天ぷらなべの油を、やがて取っ手が取れた中華なべにしいて熱してもやしを炒める。味つけはたぶん醤油と砂糖と味の素。いいかどうかは別にして、当時うちで出てきた料理はだいたいその程度の味つけだった。推測を裏づける事実を付け加えよう。母は知る限り同世代の中でも、もっとも料理に関心のない主婦だった。
 それは付近の家の多くも同じだったらしい。たとえば今は郷土料理としてもてはやされている煮ぼうとなども、当時家でどういう味つけで食べていたかきくと、一九七〇年代までは肉類は入れず場合によるとだしもとらず、野菜と生麺だけだったとよくきく。
 そんな味の食べ物でも私も含めて、とくに不服はなかったのだ。

 では三〇年ぶりの再現だ、と「昔ながらのおいしいもやし」を炒める。さすがに油はごま油にさせてもらった。
 細いもやしはかんたんに炒まる。安い醤油でも香ばしいにおいがして、糖分はすぐ炭化して黒くなる。味の素はまじないのようなものだから、ほんの少しだ。
 じゅわっと水が出たブラックマッペもやしを皿にとる。あの時は確か、あまり好きでなくてカレーの時などは避けてた、でっかい葉っぱの絵の皿だったような気がするがこれはもう見当たらない。まあ、食器まで同じでなくていい。

 よみがえった「1971年のブラックマッペ」は、当時のそれと同じだったろうか。
 うそはつきたくないから、同じとはいわない。1971年版がどんな味かはっきりいえないからだ。そうはいっても二一世紀のブラックマッペは、過不足ない。余計にしゃきしゃきしていないし、過剰に飾りつけた華やかな味もしない。ブラックマッペとゴマ油と塩気と甘さと、ちょっと不自然なアクセントがあるだけ。もちろんそんなにうまいとはいわないが、それはそれでいい。食べ物はそのくらいで十分だ。

 それから少し、1971年の私のまわりの世界を思い出し、その時の母はもやしを料理したことがあったのだろうか、という疑問がわいた。
 母は当時、車の免許を持っていないし、オートバイにも乗っていない。自転車で行く買い物の範囲は限られているし、近所の店でたぶんもやしは見たことなかった。父は一九六九年頃にバイクから車に替えていた。それでたまにコロッケを買ってきたりしたが、わざわざもやしを買って来るとは思えない。
 推定ではっきりしないが、市内に最初のスーパーができたのがおそらく1971年。それも家からは五キロくらい離れている。八百屋すら街に行かなければない。私が十歳、一九七三年頃には母も免許を取って車に乗ってスーパーで買い物するようになっていたから、自分の人生の中でも最初の十年くらいまでで長くないが、家で採れた野菜とか近所の雑貨屋や軽トラで売りに来る魚屋で買うものだけでほぼ生活が成り立っていた時代が、当時の北関東の農村には確かにあった。
 今と比べてどっちが豊かかをいうのは、何となく“フェア”でない気がする。ノスタルジーはしばしば判断をあいまいにするし、今ある空気のような「便利」についての評価は低く見積もられがちだ。

 その後、同窓会の二次会で黒澤明映画の話をしたあたりから話をすることが多くなった飯塚君と私は、二〇〇九年に飯塚商店もやしキャラクターを描いたことなさんによる絵本製作以降、ブラックマッペもやしを中心とした飯塚商店もやしの売り込みに取り組んできた。飯塚君は私の知らない「流通」や「食品」について話し、私は主にずっと考え続けてきた「物語」そのものの功罪を飯塚君に説く。そうやって考え、いっしょにつくり上げてきた販売促進活動は、あの防空壕をのぞいた四十年前と同じようなわくわくして奇妙なスリルに満ちている。
 私の塾のOB宮島健太郎によるマンガ「豆魂社長奮闘記」、二〇〇九年ふかや映画祭会場内でのもやし絵本原画展、渋谷でのもやしカフェ、飯塚君の保育園PTA仲間だった妻沼の五家寶職人西倉康弘君といっしょのイベント、農林センターを通じての埼玉県産在来大豆もやしとの出会い、そして二〇一〇年産業祭から半年間の産学官連携プロジェクト「ゆめ☆たまご」…。こうした活動の根本を、飯塚君は「かつて自分のもやしが否定されたこと」へのルサンチマンだと語っている。

 複数の近辺大手スーパーに卸して経済的には絶頂だったバブル期。もやし界には、太さと白さ、つまり見かけに磨きをかけた「緑豆太もやし」が登場した。見かけがよく、「歩留まり」、つまり同じ豆から多くの量が出荷できる「緑豆太もやし」は生産側にも流通にとってもメリットは大きい。膨らまされている分だけ味はないが、それは一九八〇年代以降発達した調味料群がそれを補っている。今は「醤油、砂糖、味の素」の時代ではない。二九円のもやしを味つけるために一五〇円で売られる「もやし炒めソース」が売られる世の中だ。
 決死のインパール作戦から帰還し、ねぎをはじめとした深谷の野菜を東北地方に運ぶ「山出し」商人だった飯塚君のお父さんは、仕事先の福島県会津でもやしづくりを学び深谷でもやし製造業を始めた。そして「太もやし」へのシフトをすすめられた時、
「そんなもやしがつくれるか」
 と取り合わなかったのは飯塚君のお父さんだ。そのお父さんは昨年亡くなっている。

 リーマンショックによる不況で安価なもやしにスポットが当たった頃、新聞記事にあった「もやしには味がない」という記述を呼んだ飯塚君は憤っていた。それから「味のない太もやし」から「味のあるブラックマッペもやし」を少しずつでも「オセロのように」変えていくことは、私たちの合言葉になった。

 といいつつ、私が「太もやし」を「味がない」と形容するのは飯塚君に洗脳された結果だということも強調しておきたい。
「一億総グルメ」といわれる現代が実は、こと「味」に関しては「便利」に毒されたものであること、人間の味覚は味覚以外の要素に大きく左右されることであることもここ数年で飯塚君と話し合ってきた。そしてそれは、飯塚君がよくいう「生産者は食べ物のことを伝える義務がある」という考えからすれば、むしろ当たり前な現実ともいえる。
 たとえば私がよく例としてあげるかつての酸っぱい「夏みかん」が今つくられても売られてもいないことについて、四十代以上の人でもいわれてはじめて「ああ、そうですね」と気づく。いつの間にか日本の野菜の種自給率は十%程度となり、ほとんどが一世代きりのF1品種になっていても、そう知って食べている人はあまりいない。
 飯塚商店のブラックマッペはミャンマー産、緑豆は中国産でともに在来種。そして地元の豆でつくりたいという思いは、埼玉県産在来大豆もやしという願ってもないかたちで実現されている。

 そう、私たちの「食」は気づかないうちに、「しゃきしゃき」とした歯ざわりだけで味気なく、野菜が持っているはずの根さえ早くに外され、それでもスーパーの蛍光灯の下でで白く誇らしげに光る「太もやし」のようにぶよぶよになってしまっている。それがいいといわれればしかたがないが、世の中には味のあるもやしが存在すること、そして味や食べての満足感は見かけとは別の座標軸にあるということを少しでも多くの人に知ってほしい。

 できるだけ「ありのまま」の、エチレンは少なく、根っこが長い、殻もついたままのもやし、最近飯塚君が名づけた「深谷もやし」の味を知ってもらおうと、私たちは二〇〇九年原画展の時からもやしの原料豆配りを行っている。
 飯塚君の長女のイラストをもとに、一九八一年刊の私たちにとってのもやしのバイブル、スウェーデンのペール・セルマン、ギッタ・セルマン著『もやしの本』をベースにした栽培マニュアルに始まり、二〇一〇年から二一世紀飯塚商店版『もやしの本』とセットにした栽培キットの商品化をめざし、私が知っている編集者、飯塚君が埼玉県産在来大豆を通じて知った県農業関係者や大学にはたらきかけてきたのだが、このほど「ゆめ☆たまご」の協力を得てついに「深谷のもやし屋飯塚商店 『ありのまま』のもやし栽培キット ブラックマッペ版」として発売されることになり、五月一一日、深谷アリオ地元名店市「ゆめ☆たまごインアリオ」にて先行発売された。
 私たちの始めた、草の根活動ならぬ「もやしの根運動」は少しずつ伸び始めている。東日本大震災被災地、飯塚商店もやしのルーツである東北でもやしを育ててもおうと豆の提供を呼びかけたことが新聞などで取り上げられたのをみたというお客さん、今まで配ってきた豆を育てて食べましたというお客さんも多かった。

 場所も移転し、青いポリ容器から金属のコンテナがいくつも並ぶようになった「ムロ」に四十年ぶりに入った。広さは小学校の教室くらいあり天井はもっと高い。そして香りは「シャッ」と音を立てて豆をこぼした時と同じだ。世の中は大きく変わって、当たり前だった「ありのままのブラックマッペ」はまったく別の「物語」をまとっている。人がどんなに変わっても、たとえば太古から変わらない雨音をきくとほっとする、たとえ放射性物質が含まれるようになっていても
 だから2011年のブラックマッペが変わっていないこと。近くに生きるものとして、私は誇りに思う。

(二〇一一年五月一二日)


<註>

※本文は二〇〇九年もやし絵本原画展の時に途中まで書いて放って置き、その後も何かの時に書いて再び放られ、「北関東の農村には確かにあった」のあたりから五月一一日に書き終え、一二日に再加筆修正しました。

※なお、ベルクで売られていたPB商品「昔ながらのおいしいもやし」について私は「そういう余計なことを自分でいっちゃいけないんじゃないか」といったことが、現在では飯塚商店のキャラクターを活かそうということで変更されています。

 

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2/20「深谷カルソッツdos de 緑の王国」プレスリリース

2011-02-27 10:27:01 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)

 



グラシアス、浅間山

グラシアス、赤城おろし

グラシアス、降水量88.7mm

グラシアス、気温4.6度

グラシアス、風速3.2m


2011年2月20日、

“日本のカタルーニャ”に立候補

泥ねぎ一本焼き「深谷カルソッツ」

<緑の王国うめ祭>に登場


二月、西から深谷を眺める浅間の白が、
灰色に乾く土のなかで赤城おろしに晒され、
生きるために自らに蓄えた白いダイヤモンド深谷ねぎ。
ねぎ坊主咲くまで、一番の頃に「深谷カルソッツ」

 私たち「ゆめ☆たまご」の「深谷ねぎ」研究。2月3日さいたまスーパーアリーナの農工商連携フェアで敢行され、各マスコミからも注目された「利きねぎ」に向けて調べるうちに、何十年か前までこの地で親しまれていた農家の身近なごちそう「泥ねぎ焼き」と、遠く1万キロ離れたスペイン、カタルーニャ地方で行われているねぎ焼き祭「カルソッツ」の存在を知りました。


 「近くを大事に」は「ゆめ☆たまご」の重要テーマ。でも、“正しくおいしい”食べ物は時間的にも空間的にも文化の枠を軽々と越えます。

 深谷ねぎが名産となって百年、新たな世紀の「活用形」として「ゆめ☆たまご」が提案するのは、この地域の貴重な食財産とカルソッツの“文化的連携”。先達であるピレネー山脈を眺める人々に敬意を評し赤城の下の住民はカルソッツ“ごっこ”を楽しむことにしました。


 情熱的なカタルーニャで鍛えられたカルソッツには、多くの魅力的なアイテムがあります。

 カルソッツが味わえる田舎レストランのことで世界有数のサッカークラブFCバルセロナのカンテラ(下部組織)の名称にもなっている「マシア」、アーモンドをふんだんに使った名物ソース「ロメスコ」、カルソッツの後で赤ワインと食べる「パンコントマテ」など。これらカルソッツを彩る名役者を、私たちは深谷自慢の「ゆめ☆たまご」メンバーに見立てることにしました。


 「深谷マシア・プリメーラ(「泥ねぎ一本焼き」を最初にメニュー化)、宿根・うどん茶屋三男坊」からはパンコントマテ役としてスーパーアリーナを興奮の坩堝に陥れた「深谷まるかぶり寿司」。「横瀬ヴィーノ(ワイン)、丸山酒造」の「金大星」といっしょにいかがでしょう。「深谷イタリアーノの盟主、パンチャ・ピエーナ」の「新井、深谷のもやし屋飯塚商店」の「県産在来発芽大豆深谷もやし」を使ったオリジナルソース「シュクネスコ・デ・パンチャ」、「田谷、深谷和食の暴れん坊、やまだ家」板長が梅をアレンジした「ウメーダ・デ・ポール」、カタルーニャとの連携でスペイン語が大きな財産になる「深谷ペルーコミュニティ」の名物ソース「ワンカイイナ」とのソース対決も見逃せません。

 さらには「岡部の漬物マーゴ(魔術師)マルツ食品」は驚異の豪快イリュージョン「深谷ねぎ一本漬」を準備し、「岡部の万能ポルテロ(ゴールキーパー)、ウスキングベーグル」は深谷版「パン・コンf(x)」で何でも来いと待ち構え、その他、「横瀬の発明屋、荻野製作所」の「オギノ式カルソッツマッキーナ」、「東方の、いや日本一の乳ミュージシャン、ミルク082」の「ねぎ之進の歌」「蓮沼のねぎ畑の隣人チューンアップ職人、シャフト」の「ネギシクレッタ」、「上柴のネットブロードターキャストインディーズ、ONEPIXEL」の「泥つき一本流しUストリーム」といった食品関連以外の「ゆめ☆たまご」メンバーも、それぞれの得意技を活かして協力予定。市外から参加「熊谷の革命商人、騎西屋」は自店イベントとの連携「20キロレリーヴォ」で力を貸してくれます。


 そして何より、浅間山と赤城おろしの賜物たる「深谷ねぎ」の長々した面々は次の5種を用意。

「江原産、強地の白い彗星・ホワイトスター」(利根川Han-Run軍高橋大佐)

「下手計産、利根川沿いのヘイルトゥリーズン・宏太郎」(FGF新鮮組)

「伊勢方産、深谷ねぎのカローラ・夏扇4号」(FGF新鮮組)

「針ヶ谷産、八基の甘き伝説・農研2号」(FGF新鮮組)

「岡部産、砂嵐の複葉機、はねみどり」(FGF新鮮組)

 当日は「産地・品種」で選ぶ、「利きねぎ」スタイルを踏襲します。


 能書き長くなりましたが、かんたんにいえば「緑の王国うめ祭」で行われる泥つきねぎを焼いて食べさせるお祭イベント。旧い時代の深谷にあってスペインの地の文化的特性を参考にし、現在の深谷産業の粋を結集して楽しむ食の「春の祭典・深谷カルソッツ」をぜひお試しください。


「深谷カルソッツ(泥ねぎ一本焼き)」食べ放題200円ほか各種商品


※冒頭気象データは1970~2000年、12~2月の熊谷気象台の平均

当日の画像はこちらから。全160枚

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1月29日「深谷カルソッツ uno」…2月20日「dos 緑の王国梅祭」へのプレマッチ

2011-02-27 10:15:49 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)

 

Googleドキュメントから、コピーでgooのHMTLエディタに貼り付けられることがわかったので転載します。ジャンルはやはり「食べ物・飲み物」か
・・・
 きっかけは1月20日でした。

 
 
 それから9日後、七ツ梅で行われた「にぎわい夕市」に「深谷シネマ」から出店というかたちで第1回を敢行。当日の案内です。

・・・

2010年深谷市産業祭で孵化した「ゆめ☆たまご」。
2月3日(木)の埼玉県農商工連携フェア(さいたまスーパーアリーナ)に向けて17日の「利きねぎ」はじめ「深谷ねぎ」の研究を続けるうちに、この地の一部では普通だったらしい「泥ねぎ焼き」に出会い、さらには遠くスペイン、カタルーニャ地方に同じく“ありのまま”のねぎ焼きを主役にした祭「カルソッツ」があることを知りました。

食べ物は文化です。
「近くを大事に」は「ゆめ☆たまご」でよく話し合われることですが、「“ありのまま”は文化の枠を超える」も同じく「ゆめ☆たまご」の共通理念。いつかメンバーの間で、“日本のカタルーニャ”に立候補すべく「深谷ねぎカルソッツ」をあれこれと考えていました。

野菜は旬が大事です。
グラシアス(スペイン語で「ありがとう」)、深谷の風土というわけで、「排水性」や霜が降りるような「低温」がねぎに与える影響を知ると、第1回開催のタイミングを考えた時にわが深谷の街の新名所、七ツ梅でこの冬始まった夕市の日がふさわしいかと思い、一部メンバーによって見切り実験開催することにしました。

何といっても、カタルーニャのカルソッツを知ったのさえつい最近です。とはいってもネット時代。「マシア」「ロメスコ」「パンコントマテ」なんていう魅力的なアイテムの存在も判明しました。すると、好奇心旺盛なメンバーから次々と名乗りもあがっています。

そして何より、浅間山と赤城おろしの賜物たる「深谷ねぎ」の長々した面々。
江原大佐と宮ヶ谷戸ビッグパパの「明戸の白い彗星・ホワイトスター」対決、岡部産「深谷ねぎのヘイルトゥリーズン・宏太郎」、「藤沢産新時代のエース・味十八番」から、まだ正体知れぬ妻沼産など、「産地・品種」明記の「利きねぎ」スタイル踏襲を予定しています。

いろいろ書いてきましたが、要は泥つきねぎを焼いて食べさせる夕市の一出店舗。旧い時代の深谷にあってスペインの地の文化的特性を参考にした「深谷カルソッツ」。ぜひお試しください。

言いだしっぺ:小林真(蘭塾)
協力のみなさん(50音順):アトリエKC(広告制作)、飯塚商店(ねぎ集めその他)、利根川Han-Run軍はじめ農家のみなさん、パンチャピエーナ(ロメスコソース、パンコントマテ)、深谷シネマ(機材その他)、宮島健太郎(広告制作)ほか
・・・


パンチャピエーナ提供(ロメスコソース+パンコントマテ)。パンコントマテは注文の特典としましたが、これも課題あり。


注文は産地、品種指定の「利きねぎ」スタイルを踏襲。単価100円統一は課題も見えました。






第1回はBBQセット使用の簡略版でした



・・・
そして2月20日深谷「緑の王国」で行われる「梅まつり」で第2回となる「深谷カルソッツ dos」が敢行が決定。2月3日さいたまスーパーアリーナでの農工商連携フェアでも旋風を巻き起こした「ゆめ☆たまご」が世に問う“食エンターテインメント”として、

ついにベールを脱ぐ
「オギノ式“横瀬カルソタータ"」
深谷食在の粋、深谷イタリアーノ震源地パンチャ・ピエーナと深谷もやし飯塚商店のソース
「シュクネスコ」
広がる“深谷ペルー"の切り札
「ワンカイイナ」

などがすでに準備中です。
 アスタ・ウメマツーリ!

 

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家ラーメン『共産党宣言』

2007-07-19 15:01:38 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
最近でも、書きかけの仮題『プリンセス・ダイアナ・アンダー・プレッシャー/ミー・ノー・プレッシャー80'S』はじめ、宿題の内容がたまっているのですが、前回、何といえばいいか、それがどうしたというか、でもこの世界にはものすごいつわものどもがいて“21世紀日本ラーメン元禄(造語)”を支えているというか、個人的には大きな出来事であった「連続外食ラーメン週食記録」ストップを機に、“家ラーメン自立計画”について、短く記そうと思います。
実際には書評だけで読んでいないけど、胸躍ると評判のマルクス『共産党宣言』をめざす文体で。

==========
諸君、家ラーメンの麺々よ! 君たちは果たして、疑問を抱かないのか?
諸君らは自立していない! なぜ気づかない? 資本家、そう、君らをがんじがらめに管理しているあの汚らわしいメーカーの陰謀によって、スープの足枷から離れられないのだと。
うどんを見よ! スパゲティと比べよ! 同じ炭水化物としても、パンやご飯から学ぶべきではないのか?
彼らは自立して陳列棚に並んでいる。カップうどん、あんパンなど一部の例外はあるが、誰もスープにおんぶで抱っこ、これとこれで食べてください、なんて子ども騙しの売り方はされていないのだ! 自らの伴侶は、実際は決定権が自らの意思でなく、麺類の調理奴隷たる人類消費者側にあるとしても、「どんなスープで食べられるか」という自由までは売り渡してなどいない!
たとえば、“自立麺類貴族”うどん! 彼らには、粉の化粧もまぶしい「生」、これは個人的には絶対買わないがお手軽な「ゆで」、賞味期限も安心の「乾燥」と領地もさまざまあり、ルーツは同じなのに法的に区別保護されている「冷麦」「そうめん」など傍系貴族さえいる。うどん貴族は君たちラーメンのように付属スープに縛りつけられることなく、調理奴隷各家庭由来のつゆ、桃屋に端をなす市販つゆ、冷やだれ、ごまだれ、果てはカレー、マヨネーズら南蛮渡来風味まで、思い思いの贅沢を楽しんでいる!
伊国独裁貴族の末裔スパゲティ伯にあっては、ゆで時間4分、7分、11分くらいの違いとはいえ、その縁戚パスタ候となればかたちもさまざま。それが本道トマトソースはじめ、東洋渡航の末に邂逅のソイソースなど伴侶の選択肢においてはとどまるところを知らぬところ、さすがにラテンの血といえよう。
そう、諸君らだけなのだ。味付けすらも自分で決められぬ、ぶら下がりっぱなしの甘ったれは!
私は夢想する。とくに買い置きがきく、マルタイタイプの乾燥麺での家庭ラーメン地上の楽園を!
そこではたとえば、東池袋・大勝軒のごとき極太麺、家庭なのだからスパゲティ並みに11分ゆでることに何の不都合があろう、渋谷・喜楽のごとき幅広麺、元荻窪・丸福のごとき柳麺、そして最愛の三鷹・江ぐちのような蕎麦状麺などが、絢爛たる衣装、ならぬ「さまざまな意匠」を発揮して躍っている。そして、こちらは麺の、いわば資本主義のくびきから自由になったつゆたち、21世紀的な麺屋武蔵ダブルスープ風、ジャパネスクオリジナル春木屋中華そば風、今はなき板橋・土佐っ子背脂どろどろすっきり風から、ここもわすれちゃいけない江ぐち野菜いっぱいシンプル、さらには異端の名を恐れず名乗りをあげる、冷やし中華、ジャージャー麺、油そば、これはいれていいのか微妙な、中華あんかけ焼きそば、屋台ソース焼きそばまで、選り抜きのソース紳士たちが理想の愛い麺を求める、そんな舞踏会。おっと、再登場元荻窪・丸福風叉焼、新宿・桂花風太肉、ここは青葉風半熟味付け卵、忘れちゃいけない江ぐち風シナチクら、ヴィエナを思わせる楽団員もいるぞ!
解放されるべし家乾燥ラーメン! そして、自らの立場をわきまえ精進せよスープや具! いまや家庭ラーメンの楽園は、もうそこまでに迫っている。大事なのは精神の自由だ。
革命の祖たる、1789年、フランス革命のトリコロールは、「平等、自由、友愛」の象徴。どんな麺も平等に、自由に、友愛をもってスープを選ぶ権利がある。麺はすべてのスープを共有し、スープはすべての麺を共有して、決して「私有」による利益を求めてはならない。これはラーメンにおいての歴史的必然なのだ。
誰かその自由にあぐらをかき腐敗することがあれば、自由を手に入れたあの宣言を忘れるなといおう。自由こそ楽園の神であることを忘れてはならない。

楽園は理想を描き、希求してこその楽園である。

==========
【解説】
きっかけは、ダイソーで買った五木の乾燥冷やし中華。傑作マルタイ棒ラーメン含め、こういうのがあるなら、うどんのように麺だけ、たれだけで売ってれば、もっと豊かな家庭ラーメンライフが楽しめると思ったのです。
「店名ブランドラーメン」については批判的な立場。「吉祥寺ホープ軒」「横浜六角家」など食べましたが、本物を知っていれば落胆すると同時に、インスタントなんかで再現されてたまるか、という妙な安心も。とすれば、知らない人が食べて、こんなもんかと思われるのは食文化の衰退です。
結論とすれば、「~風麺」「~そっくりのスープを再現。本家もびっくり、65%までうちの味を再現してます」などはOK。「57年製ストラトキャスターを忠実に再現―トーカイ」といった、いい意味で恥知らずなギター業界を見習ってほしい。個人的には、「ランボルギーニカウンタックを忠実に再現したスバルアルシオーネ」も待望していて、それがすべてできれば、まさに「意匠」の「世界同時革命」とも。
……と、ここまで書いて下、五木のHP見たら、乾燥麺だけあるある。でもスープも含め普及せねば。

五木:http://www.itukifood.co.jp/
マルタイ:http://www.marutai.co.jp/

(Phは本文や革命からは遠い、すでに外ねこ化が進む春生まれセグンドと、その向こう近所の大乃国。BGMはクラッシュ『ロンドン・コーリング』と迷った末、ありきたりだがシルヴェストリ=ウィーンフィル、ショスタコーヴィッチ『革命』をチョイスで高まった。ああ、民族主義)
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『ボカディージョ・デ・トルティージャ・ぽてとーや』

2007-04-26 11:08:37 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
よく晴れました。
Mixi内「ぽてとや」コミュニティに書き込んだものの転載です。よろしかったらご参加ください。興味があれば参加資格は十分。もちろん、来店経験はなくてもOKです

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ぽてとが到来。
そこで、以前に思いついたものの、その時は置いといたらカビが生えて、おっとこれは安全食品の証拠です、果たせなかったぽてとスペインオムレツを、サンドウィッチにしようと企みました。
スペインに足を踏み入れたことはありませんが、前に少しきいたスペイン語講座でスペインオムレツを知り、自己流でたまにつくっていました。一般的なレシピは
http://home.catv.ne.jp/nn/hmplan/Stayinfo/Cooking/tortilla.html
要はじゃがいもが入ればいいので、これはぽてとを活用できるのではと考えたわけです。あるのはみそぽてとですが、味が深まっていいでしょう。
↑でほかのメンバーもいうように、ぽてとやラードは炒め直しで甦ります。

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1)ちょうどいい大きさ、約4分の1に切ったぽてとどもをフライパンでじゃあじゃあ
2)湯気が立ったところでいったん皿に出し(A)て、食パンにマーガリンを少し塗ってトースターに
3)思ったよりフライパンにラードが残らなかったので、迷った末に影響の少なそうなマーガリンを少し補充
4)卵を割って適度にスクランブルしコンソメを少々入れつつ(A)を投入してかんたんオムレツ完成で皿に(B)
5)食パンを出し、個人的にフライものに欠かさないからしを少々、青物としてキャベツを敷きマヨネーズ少し、その上に(B)を載せてブラックペパーをグラインド
--------------------------------

これで完成。所要時間は5分です。写真はいったん全体で撮っていまいちだなと思いつつ半分。そうだ、サンドウィッチといえば断面だぜと、歯型を避けて包丁で整えて撮影。周辺に脇役があった方がよかった、もうちょっと上向けた方がと思えど、これが温食撮影の難しいところです。

次回のための反省
1)ぽてと1本に卵1個はバランスだめ。サンドウィッチ対応にしたためだが、オムレツ単体なら卵はもっと必要
2)これもサンドウィッチということで略したが、次はタマネギ、ニンニクなども加えたい
3)迷った末にやめたが、すりつぶすとまた違ったかたちになりそう
4)ほくほくさせるにはまずオーブンで加熱してはどうか

命名は
ボカディージョ・デ・トルティージャ・ぽてとーや=bocadillo de tortilla potetoya≒ぽてとやオムレツのサンドウィッチ
で。
反省点は多いので、みなさんで発展させてください。残ったぽてとが生き生きします。

それでは、
!Adios amigos!

(BGMはもっとのどかなのがよかったけど、すぐ見つかったスペインもの『愛より強い旅』サントラ)
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プレシャス、プレッシャー、プレジャー

2007-01-18 14:04:42 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
今日から長期原稿に入るところで、しかも書きかけの深谷ロックフェスティバルの記事もありますが、追い越しでこの記事をロング原稿のウォーミングアップに。

ことの起こりはよくあるようにJ-WAVE。
火曜の深夜、大学生F君のロシア企業の民主化や毛沢東のテスト勉強に自分の仕事も進めながら、BGMは菊地成孔だった。ロジェ・ヴァディム作2曲など同い年とわかった菊地さんらしいすごい選曲に驚きながら、ドリンクバーでカクテルという話に笑っていると、F君がジョイフルのことを言い出し、それがすぐにリスナーからのメールに登場し吃驚。F君がバイト先のすき屋はじめ、ジョイフル、まるまつなどの定食のことを話し始めた。
まったく食べたことのないこれら定食メニューをネットで確認し、F君が気に入っているという納豆定食、その豚汁つきのやつに興味がわく。納豆はいつも味噌汁とともに食する私は、それはそれでいいとしても胃の調子良好時には脂肪分の少なさに物足りなさがあったのだ。そうだ、豚汁ならそれは解消される。
朝までの勉強の後、早速昨日の朝というか昼というかで豚汁+納豆を実践。ちょうどそろそろだめになりそうなが豚肉あって、個人だけに不二家のようなことにはならないにしても、捨てるのは申し訳ないと思っていたからちょうどいい。ほかには塾からの帰路に買ったもやし、ニンジン、これはちょっと古いキャベツが前に買ったメンバー。豚汁ならこれら味を出す野菜、今思いついた「出し野(だしや)」がいい。ちなみに「入り野」の代表は大根、白菜だろう。
できてみるとなかなか。しかしもうちょっとパンチがほしい。そう思った私は、よし次は圧力鍋だと決意した。

家には、これは実は1985年に死んだ母親の形見の一つである圧力鍋がある。確か私が高校生の頃、何やら玄米を食べるなどと言い出した母親が買い、当時はシュンシュンいうこの鍋を、高校生くらいからみればまったく余計な存在である母親のように奇妙なものにしか思っていなかったのだが、ほとんど誰も使っていなかったのを数年前新聞の記事かなんかで読んで使ってみた。
よくいわれるように、強力に煮えるのがいい。それまで普通の鍋で煮ていたさばは、圧力にしてからは缶詰のように硬い骨まで食べられる。大量におでんをする時、どうしても不足しがちな大根をメインの鍋とは別にこっちで煮て、次々補充するなどが主な活躍の場。カレー用のじゃがいもはなくなってしまって弱ったけど。
この25年は経っているだろう圧力鍋。とってには「圧力正食鍋」と書いてあり、わざわざ正しさを強調している押しつけがましい自信が実に頼もしい。世間には、しゅんしゅんいうのが爆発しそうでコワイなどという臆病な方々が少なくないとのことだが、コワイといって近づかないのは大人の態度とはいえまい。私は高校物理・化学でボイル・シャルルの法則のすばらしさを称えてやまないが、圧力鍋というのは本当に見事な代物だと思う。しゅんーしゅんーうなーるとー舌もはずーむわー、ってなもんだ。

それで今日は圧力豚汁をつくるべく、そのまま寝てしまって起きた朝、毛布の中からF君の金日成とドゴールというレポートに示唆を与え、やつがキャンパスに旅立った後、帰りに豚肉を補充した。このところあり方についてよく考えているラード、つまり脂身は、特に豚汁には多い方が好ましい。ほかのメンバーは昨日と同じ。友人M君が前面商品に推す出し野性の高いブラックマッペもやし、深谷北部ならではの濃厚な味のニンジン、そしてほうれん草ライクな柔らかさを持ちこれも出し野力満点のキャベツだ。
適当に鰹節を入れ、具を次々に投入。途中ふたが開けられない圧力鍋だけに、迷った末に味噌は先に入れた。私は同じ水で熱するにも「煮る」と「炊く」は違うと思っていて、味噌汁は「炊く」食品と思うので火を止める直前まで味噌は入れないが、この場合なら先が正解だろう。
しゅんしゅんしゅんしゅん分銅踊ること10分。分銅なんて、仮面ライダーに出てたカマキリ男のくさり鎌みたいでかっこいいじゃないか。ちょうどM君からメールが来たので、圧力豚汁製作中、もやしどうなるか楽しみと返すと、シャキシャキは期待できないが汁に影響するはずとプロらしいアドバイス。
そしてタイムアップ。分銅を少しずらしてシューっと圧力を下げる。この、機関車映画の名作『北国の帝王』の誠実機関士を思い出す勢いのある吹き上げも好ましい。たかが豚汁のためにここまで音を立てて大騒ぎするというのは、何かワイルドというか大人気なくていいではないか。
いつもは主役の納豆に、すまん、今日はあっちが主役だと侘びながら味を調え、大型お椀に入れた豚汁車掌を口はつけず、圧力鍋の購入の労のあった母親の位牌がある仏壇へ。長男のこの有様を喜んでいるかどうかは知らない。
そして、ご飯、納豆と、春のような陽だまりの食卓へ。P(圧力)の上昇によってT(絶対温度)が上昇させられたラードは、肉体の動きから自由になった液体となって午前の柔らかな陽差しにきらきらと輝く。M君の思った通り、もやしはじめ出し野の面々はその思いの丈を存分に発揮したかのようにくたっとして、それでもブラックマッペ大佐にはわずかの歯ごたえが残る。キャベツ中尉はその繊維をほぼ散乱させたまま。驚くべきはニンジン少将で、くたっとしたがらもかたちは失わず百年の時を過ごしたかのように甘く切なく柔らかい。ずるっ、しゃこしゃこ、ずーっと、時間が止まる中、からだの中で舌と喉だけが生きていたような5分あまりだった。

満足しきった後、少しあまったので冷蔵庫で硬くなっていた古いご飯にかけて、ねこどもにおすそ分け。にゃーにゃー集まるやつらに、どうだうまいだろう、金はかかってないけど圧力はかかってんだから心して食えよというが、出されたのが何であってもやつらは必死だ。それからさらに、これにバターでコクを加えるアイディアを思いつき、飲んだことはないがチベットのバター紅茶だの、札幌ラーメンはこうやって発達したんだろうだのと思い巡らす。

今日の、というか朝の業を成し遂げた満足感とともに流しに戻り、大活躍の圧力正食鍋殿の銀色ボディを洗って差し上げようとスポンジを持った時、かけっ放しだったJ-WAVEでは、DJタローが「今日のウィルカムブログは「圧力鍋で作るレシピ500です!」。何たる奇跡か。こうした瞬間こそ日本のハイデガー研究の第一人者木田元氏がいう「運命」なのだと思った、precious pressure pleasure 「貴重な圧力の歓び」。


「圧力鍋で目指せ500レシピ」(http://wakabamark.com/aturyoku/
「M+ タログ」(http://www.j-wave.co.jp/original/musicplus/http://www.j-wave.co.jp/original/musicplus/
(Phは豚汁はすでに食べてしまったのでしかたなく圧力正食鍋の姿を、台所で撮るのも芸がないので庭においてねこといっしょにと設置したら、上方のカミーラ、オディールは中に入っていないからかすぐにスルーで、次に現れたヒダリがくんくん。BGMはその後、DJタローさんの番組でかかった perfect の入ったフェア・グランド・アトラクションから、pressure のあるビリー・ジョエルのベストがともにすぐ見つかったので。さあ、これから原稿ノン・ストップで書くぞ。新企画今回のテーマ:ジョン・コルトレーン「シーツ・オブ・サウンド」の手法で食べ物を書く)
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最後の一日の幸福の……常舌礼賛宣言

2006-12-15 16:30:04 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
ずいぶんほったらかしで、何度も復活を宣言しながらそのままの「食べ物・飲み物」カテゴリーの再生に、何年か前のある秋の日に、口にするものについて考えたことを。

目覚めるのは時間が早く過ぎる午前中が終わりそうな11時台。
きっとよくあるように前の晩の酒でのどが渇いているから、それを潤すのは水が一番いい。何も遠くから持って来なくても、30年くらい前の家で出ていた、少し鉄のにおいがして粘り気のある井戸水を、蛇口から出してすぐに飲み干す。
ちょっと新聞を読んで、いやいや今回は口にするものだけに絞ろう。少ししたら前の畑で、ねこと話しながら02年に祖父が植えてまだまだ拡張を続ける分け葱のちょうどいい太さのやつを一本抜いて、帰りには物置から何ヶ月か経って少しだめになりつつあるくらいのじゃがいもを一つ手に取る。それから何でもいいから鰹節を入れてお湯を沸かして、うん、これも新しければ何でもいいから大根もほしい。「大地のりんご」と「絶対に当たらない」根っこ二種と、乾燥でいいからワカメを入れてぐつぐつ煮立て、じゃがいもの角がが粉になってお湯に広がり始めた頃に火を弱くして、ここでネギを切る。
味噌は白かこうじか迷うけど、思い切ってこうじ。大根だけなら白だけど、じゃがいももいればこうじがいい。味噌が広がったら火を止め、ちょっと待っててもらう。いつものように仏壇に置いて、あの世の家族たちににおいだけかがせよう。
いよいよ主役納豆殿の登場。おっと、冷蔵庫の場合は台所に来た時点で出しておきたい。銘柄はこれも時代を超えよう。今はない、1985年頃の朝日食品の「水戸納豆」でお願いしたい。すでにミツカンに含まれている、赤い骨何とかもそう悪くはないが、やはり学生時代によく食べた、糸の引きがいいのにかき回して崩れず、しかも歯で噛むと見事に歯のかたちに二つに分かれ、その上根元は太いのに中ほどで緩やかに細くなる、いとおしい糸が伸びるこの銘柄を選ぶ。
最初は気が済むまでかき回して糸との語らいを楽しんだ後、青海苔を一叩き、あまり味はしないけど付属のからしももったいないから使い、足りない分はS&Bのチューブで補足。これは批判があるかもしれないが、味の素も少し振ろう。私の舌は、このグルタミン酸ナトリウム美に馴致されているのだ。
箸にかかる抵抗力が頂点に達し、白っぽい糸がもう我慢できないという表情を浮かべる時、いよいよ永遠の恋人たる醤油と出会う。1985年頃の朝食にはまだなかったちょっと甘いあのたれは今でも使わない。見事な醤油色で化粧した水戸納豆は少し泡を吹きながら、窓から差し込む光の中で恥ずかしそうに肌の色を変える。途中、前の畑の粘土質の賜物たる葱を加え、いよいよ納豆人生最高の瞬間に近づく。
ご飯は、適当な水加減で、できれば炊きたてなら文句はない。大き過ぎない薄手の茶碗にきれいに盛って、ここで個人的に「なっこメディア」と呼ぶ、納豆とご飯を取り持つ一品をご飯に。うむ、これも二品許してもらうなら、あの瓶の蓋が紙で包まれて飾り針金で巻いてある岩のりと、これもグルタミン酸ナトリウム美の極致、信州のなめ茸を半分ずつご飯にかけ、味噌汁のお椀と納豆の小皿とともに食卓へ馳せ参じる。
陽の当たる食卓で、海苔色と茶色に彩られたご飯をここで少しだけ味わって炊け具合をチェックし、口に含んだらすぐ溶けるじゃがいもとやや硬さが残る大根を味わった後で、いよいよ納豆がご飯に乗る邂逅の時。これ以上はない粘度を持ったあの豆どもが緩やかに着地していく様は、すべての食べ物の中でも最も美しい形態だと思う。その白いご飯と赤茶色の色合いとともに。
納豆の豆は歯を真っ直ぐに当てて噛む。するとその柔らかで気持ちのよい感触とともに、これ以外では味わえない独特の魔力が口中を捉え、静かな、その魅力にもっともふさわしい咀嚼を促す。舌にまだ残るうちに味噌汁を含むと、その味わいは水平方向に広がっていく。
ご飯を少しずつ崩しながら、二つの「なっこメディア」のバランスも取りながら。茶碗とお椀は少しずつ軽くなっていく。こうした食事は、基本的に最初の時間から少しずつ、幸福な傾きでデクレッシェンドするものだ。最初の興奮が静かな満足感に置換されきった瞬間、奇蹟的な十分ほどは終結する。
ああ、おいしかったなと思って食器を片付けて、ここで飲みたくなるのは、批判も多いだろうが牛乳だ。ほとんどない脂肪分をからだが欲するのかも。牧場で飲む牛乳のおいしさは十分承知だが、これもできるだけ工夫なく成分未調整に近い、スーパーで一番安いのでパックを開けたてならそれでいい。
これで第一食完了。現在ならサンスターのオーラ2、廃盤になっているものを選んでいいなら資生堂が昭和の終わりに出したメディック・ハーバルを使い、エビスのDATE PLUSで歯を磨く。これも「口に含むもの」の仲間だ。

午後休みはコーヒー。これはもう決定的な銘柄指定がある。
豆は苦味が強く味わい深いキャラバンのマンデリン。電動ミルでいいからちょうどよく挽いて、よく沸かしたお湯で、メリタのドリッパーで落とす。
最初にお湯で豆を浸して、ふわっと広がる美しい姿を楽しむ。約十秒後してお湯を加えていくが、ちょうど一杯分が落ちた時点でもう一杯分がドリッパーに残るタイミングが理想だ。少しずれても後悔するから注意。
注ぎ終わったら残りのお湯でカップを温める。カップはヨーロッパテイストの薄手のソーサーつきもいいが、ここは塾内で使用の、トリュフォー『ピアニストを撃て』その他でよく見て似たようなのを探した、和風茶碗、別名ヌーヴェルヴァーグカップで。冷めやすいのが弱点だが、ゆっくり味わいながら、それでいながら早めに飲み干す。

晩は外食で一番好きなラーメン屋。学生時代に週五回は食べてた三鷹江ぐちで。
まず注文。いとおしい二十年前から変わらないイスに腰かけ、ビールとつまみチャーシューを頼んで、「後でたけのこもやしそばで半熟たまご入りを」と。久住昌之さんの本でいう「タクヤ」はよく、「たけのこそばかな」と指定してくれていたな。
TBSラジオがかかる中、タクヤか誰かが麺を茹でながら常連さんとの話するのをききながらキリンのラガーで、これは世界一の味と歯ざわりを持つメンマと、こっちはほかにもおいしいのが多いから東京でもあまり上位にには入らないだろうけど、品質の不揃いさが楽しい「チャシュー」に、粒子から誰が見ても味の素がJT食卓塩の瓶に入ったのをふんだんにかけ、甘さのないたれなのか醤油なのかをかけた小皿で麺を待ち、自分の麺が茹でられるのを待つ。見事な麺さばき、半熟たまごの妙技を堪能したらいよいよ、へいお待ちとラーメンが届く。
たまごの香りが強いそばのような色の麺、一日二回食べても平気な野菜たっぷりのスープ、このすばらしい小宇宙。まず少しスープをすすってカーッ、うまい、ほかにはない歯触りを感じてウーン、すごい。でも、この店は品質にばらつきがあるから、案外よくない日に当たるかも知れないな。
いずれにしても、無我夢中の一杯。途中でビールはなくなり、とげとげしい味の三鷹の水道水も味わっておかなきゃ。いつまでも終わらないでほしいと願いながらもそうもいかず、やがて麺とスープを同時にほぼ終わらせ、さみしさと満足感が入り混じる幸福のひと時。毎度ありぃ、とタクヤにいわれてごちそうさまです。外に出ると、街並みは変わっても意外に変わらない三鷹の空気。

都合よく場所は飛ぶが、その後に家か塾で紅茶も飲もう。
これは数年前に知った、これまたキャラバンのダージリンで。ポットは葉がよくダンス可能な深いタイプを、カップはけっこう白っぽい日本茶用で飲むのが好きだ。ともあれ、そのマスカットフレバーが楽しめれば十分。

そして家に帰って風呂に入って、ねこといっしょの夜食。このメニュー選びは難しい。
まずビールはキリンのラガー。やはり瓶がいい。メニューは秋の生の頃のさんまの塩焼きと、ちょっと時期が変わるが前の畑の長葱を鍋で食べたい。葱はねこにやれないので困るのだけど、これは想定だから勘弁してもらおう。葱が昆布でほどよい柔らかさになっていれば十分でも、ちょっとさびしいから豆腐も加えよう。これも湯豆腐なら木綿であれば何でもいいが、今買えるものではベルクで売っている粒子が絶妙の98円大山豆腐がベスト。
さんまの塩焼きはもちろん大根おろしと一緒に。前に「これがないと食べられないもの大賞」を選んだ時、納豆のからしをおさえて、さんまの塩焼きの大根おろしを大賞と選定した。醤油はかけません。できればレモンも、すだちじゃなくていい。
さんまがいいのは、どこどこのがいいとかがないこと。太平洋側ならどこでも獲れて、そういうのを食べたことがないからわからないけど、獲ってすぐでもあまり味が変わらなそうなところも内陸住まいには嬉しい。
焼きあがって表面の脂肪がぐちゅぐちゅいったところの魅力は焼き魚中一番で焼肉にも劣らない。ルール通りに頭を左にして、昔は完璧に開いてから、高校の友人H君いわく「偏差値75」の開き技で開いてから食べていたが、緒方拳がキリンのCFで食べているのを見てから開かずに食べるようになった。この方が温度が保存されておいしい。そういう味のためなら、ハイテクニックも潔く捨てるのが正しいだろう。
最初に箸をつけるのは、えらから少し尻尾よりの下、内臓の部分。肝臓はじめ内臓はさめないうちがおいしい。寄ってくるねこにも少しおすそ分け。
そしてねぎと湯豆腐。まず平行四辺形に切った葱。居酒屋などで鍋に長方形に切った葱が入っていると担当者のセンスのなさに葱に同情してしまう。茹でるという行為はおそらく「1/fゆらぎ」に由来する火の通りのばらつきが重要な意味を持つのだし、だいいち葱の断層がきれいに見えることを考えなければ、葱を食べるということにはならないではないか。たとえば夏のきゅうりも、野菜は平行四辺形に切るのが正しいと強調したい。
そんなわけで平行四辺形の葱を、中央から広げて分離させていく。この行為は重要で、これで葱の甘みが広がっていくのだ。おっとたれのことを忘れていた。ヒガシマルのあじわいぽんずでOK。広がった葱の重層は、まずちょうどいい真ん中へんから食べたい。ここがもっともいい具合の柔らかさなのだ。それから中が空でない、とろんとした最内。これは口の中で転がす楽しさがある。それから歯ごたえのある外側へ。硫黄食品の体を温める感じが心地よい。
葱に比べれば、ちょっと湯豆腐に語るべきおもしろさはなく、ただぷるんとた感触を木綿独特のワイルドネスといっしょに楽しめればいい。それに比べて葱の語るところの豊かさ。緑の部分は肉と一緒が、さらには卵も、卵との相性には異論もあるだろうが、仲間の鶏よりすき焼きでおなじみの牛より、私は豚が一番と思っている。なので、さかのぼって一番安い細切れでいいから豚肉と半熟のタイミングで卵、こうなったらついでに申し訳ないが中心部だけ選り抜いた白菜も入れてしまおう。これで立派な豚水炊きだ。
飲み物は、この頃にはビール一本終わるから、次は日本酒で、一つ選ぶのは難しいが富山、立山の普通酒。そうするうちにねこどもはまだ不満かも知れないが、こっちは満腹になって食器片付け。酒はウィスキーに変える。
これも難しいので、三杯飲ませてもらおう。最初に軽やかだけれど味わいもあるスコッチ、J&B、次に華やかさとワイルドネスが同居するバーボン、フォア・ローゼス、そして質実剛健のスコッチ、ホワイトホース。すべて一番安いやつで十分。これで静かに眠ろう。

ここまで読み進んでいただいた方、どうもありがとうございます。何かと申しますと数年前の誕生日にこれと似た食生活を過ごし、その時に、ああ、もし一生の最後の食事を選べればこれが一番いいなと思ったことから、もし一生の最後の日にこれが食べられればという思考実験、最後の一日の幸福の食事です。真ん中の江ぐちは遠いので、まだあった、かつて地元で一番のラーメン屋だった餃子一番でラーメン、餃子を食べたのですが。江ぐちや餃子一番についてはまた後で書きましょう。
さてその時に思ったのは、おそらくこの内容は死ぬまで変わらないだろうという予感。そしてそれは、大体30歳くらいにはできあがっていたのだと思います。
たとえば、ナンバーワン映画の『気狂いピエロ』や、無人島に持っていく1セットならのビートルズ青盤が、もう一生不動の地位を占めるだろうというのよりずっと強く、口に入れるものについてはこれ以上の何かは現れないと思います。こういう状態を、人生が完成の域に達したというのではないでしょうか。それは別に残念でもさびしいわけでもなく、むしろ四十過ぎという年齢になれば選べて当然の場所なのだと思います。
こうやって並べてみると、いかにも日常的な口に入れるものばかり。私にとって大事なのはそういったいつでも飲み物・食べ物で、たとえばエビスビールのようなプレミアムは、いつもの幸せを運び込むものではなく特別な何かなのです。
そういうわけでこの「食べ物・飲み物」カテゴリーのテーマは“常舌礼賛宣言”。いつも食べている愛すべき常舌どもを、言葉少なに饒舌に語ろうと思っています。
常舌礼賛宣言。

(Phは先ほど、朝の食事を味噌汁にキャベツを足しただけでほぼ再現。長文二日がかりだったのでBGMは多く、普通ですごいローラ・ニーノから、これも普通にきこえて変わってる昨夜初聴のヨ・ラ・テンゴの夏の新譜)
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納豆メニュー「ナニキャマ」 ~夜のつまみに食欲をそそります

2005-07-11 04:16:41 | 食べ物・飲み物(~2013年10月)
日付変わりましたが10日が納豆の日と知ったので、私が開発した納豆メニュー「ナニキャマ」を紹介し、新カテゴリー「食べ物・飲み物」を設けます。もちろん、大したものではありません。

ナニキャマとは、納豆、ニンジン、キャベツ、マヨネーズのことで分類すればサラダ。調理時間は最短5分から10分程度です。納豆好きでいわゆる「ご飯は納豆のおかず」の一員の私ですが不規則な毎日ゆえご飯を食べない日も多く、つまみとしての納豆を試行錯誤の上、ここにたどり着きました。レシピといったほどではありませんが、次のようにつくります。タンパク質、ビタミンC、ベータカロチンに富むヘルシーメニューといえましょう。イメージに反して、見かけもトゥレ・ジョリーと思います。

素材:納豆、ニンジン、キャベツ、マヨネーズ。あとはお好みで

1)キャベツ、ニンジンを切り、塩でもんで水出し
納豆の粘着力をキープするため、ザルを使っての水出しをおすすめします。キュウリ、ダイコンなども試しましたが、水が出過ぎるのが欠点。体積が減ったら水で洗います。洗わないとしょっぱくなるので注意

2)納豆スタンバイ
ご飯にかける時のように納豆を整えます。味付けはお好み。私の場合、ご飯の時は甘過ぎるたれは使わずに醤油なのですが、ナニキャマではタレ使用で、ほかにカラシ(チューブもので補強)、青ノリと、味を整える役目の味の素が基本です

3)納豆 meets 野菜ども
東海林さだお氏いうところの「納豆の興奮が収まったら」、マのマヨネーズとニとキャほか野菜どもをフィーチャーします。納豆のたれが入っているので、マヨネーズは多く要りません。かき混ぜる時が本メニューのハイライト。マヨネーズ色に染まった納豆の糸が立ち上がってはぷつんと切れる様はキャの薄黄色とニの赤とマッチして、納豆特有の泡立ちとともに、いやあ、よかったよかったという気分になって盛り上がります。ついここで少し食べてしまいますが、ちょっと待ってからの方がプリュ・デリシュー。私はここでゴマも加えます。

4)静粛のナニキャマ
これで完成ですが、私はいつもここで入浴。風呂に入っている間に素材どもがさらに息を整え、しっとりとした佇まいで待っているのがうれしいところです。

ナニキャマを食べる時いつも思うのは、納豆の昼と夜の表情の違い。ご飯と一緒の昼、納豆はしっかりものの学級委員という風情ですが、夜のナニキャマではマヨネーズに緩められるのか妙になまめかしくあります。

というわけで、書いていたら食べたくなってきました。もう少しして、さっそくつくりましょう。
では、ボナペティー

※「あるある大辞典」による納豆売り切れ騒ぎ直後の07年1月19日に思いついて写真追加しました
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