まちかど逍遥

私ぷにょがまちなかで遭遇したモノや考えたコトなどを綴ります。

金瓜石の金鉱山跡を歩く(台湾)

2017-12-25 22:54:51 | 建物・まちなみ
10月の3連休に行った台湾のことを忘れないうちに書いておこう。。。
今回は結構直前になってからチケットを取ったのだが、実はこれが、ジェットスターの深夜便で、、、
深夜便と言っても、昔愛用していたバンコク行きのように、夜出て朝つくのではなく、夜遅くに出て
ほんとの深夜に着くのだ!おまけに帰りは未明に台北を出て早朝に関空に着く。
タイムテーブル上では、いったん家に帰ってから仕事に行けるのだが、、、社会人としてどうなのか(汗)
いや~しかしまた若い頃ならまだしもこの歳で(苦笑)かなり冒険でもあるのだが、3連休を
フルに使えるコスパの高さにクラクラっとなって、ポチッ!としてしまったのであった(爆)

というわけで、金曜の夜ポーカーフェイスで会社を出、台北へ向かったのであった。
到着後はまぁ首尾よく仮眠用に押さえておいた安宿へ入り、快適な空間で朝までぐっすり。
窓ナシの1畳半の個室はマッタリしすぎて寝過ごし、行動開始が1時間遅れ(苦笑)。

さて今回はあまりかっちり予定を決めていないのだが(いつものことか)、一度行ってみたいと思っていた
金瓜石へ向かう。台北から直通のバスもあるらしいが、行きしなは瑞芳まで台鉄で行きそこからバスで行く。
在台の友達によると、この3連休は台湾でも大型連休に当たるらしく、どこへ行ってもバカ混みだろう
との話だったが幸いそれほどでもなく楽々座って行くことができた。
金瓜石は日本統治時代に、文字通り金が採掘されていた鉱山だが、枯渇して寂れた。
鉱山跡はいくつかの建物を含み「黄金博物館」という観光施設となっている。


門を入るとすぐ脇にあるのが「四連棟日式宿舎」。
15分ほど順番待ちして中を見学する。四軒は内部がつーつーだが、元はもちろん仕切られていただろう。
畳敷きの小さな玄関の間があって、奥に台所、トイレ、お風呂の水回りがそれぞれある。
日本のまちなかの長屋よりもよい普請と見え、四軒長屋というよりは四戸一の戸建て住宅といった感じ。


流れていた影像によるとこの建物は全部解体したのち可能な限りオリジナルの部材を生かし、軸組など
日本の伝統技法によって復原された。また地鎮祭や上棟式などの儀式も日本の伝統に沿って行われた。


内部にはベッドやテーブルが置かれた生活の場が再現されていた。


3軒のうち1軒にモザイクタイル貼りのバスタブが残っていた。
こんな広いお風呂場があることを見ても、暮らしの余裕が感じられる。鉱山会社の中級の上くらいの
役職の人が住んでいたのだろうな。




さて次に見えてくるのが全面タイル貼りの四角い建物、「錬金楼」だ。
もともとは来客のための宿泊施設だったそうだが、戦後短期間のみ錬金工廠として使われたという。


外壁の二丁掛タイルはちょっと変わっているな。スクラッチタイルでもなく、型押しでもない。
石かと見まごうようなゴツゴツした質感。こんなのは見たことないなぁ。
ミートローフ?ミンチをそぼろにして押し固めたような感じ(笑)。よし、これはそぼろタイルと命名。
上は洗濯板タイル。


現在は少し増改築されて瑞芳鉱山についての資料の展示室とトイレになっている。
1890(明治23)年に基隆川で砂金が発見されて探索が始まり、九ふんで金鉱脈が発見され、
続いて金瓜石でも見つかった。日本統治時代になると政府は、金瓜石は田中組に、瑞芳は藤田組に
採掘権を与えて管理した。
その後採掘権は転々としたが労働者を大量投入して深く深く掘り進み、戦後は台湾企業が引き継いで
さらに掘り尽くした。さすがに鉱脈が尽き1987(昭和62)年に金瓜石鉱山は閉山した。

もっと昔のことと思っていたが、意外と最近のことだったとは驚いた!

その奥にある建物は、何も案内板がないところを見ると現役の事務所らしいな。でも古そうだ。
雰囲気があるな!この前で記念写真を撮っているカップルもいる。


ガラス窓に顔を押し付けて覗いてみると、広いロビーが見えた。


奥へ行くと、太子賓館という和風の邸宅があった。田中鉱業が皇太子(後の昭和天皇)の台湾視察に
合わせて建てた、上質な日本式木造建築。しかし・・・妙な色に塗られている。。。


ここは建物に中に入れず、お庭から建物を眺めるだけ。んー、ちょっと物足りないなぁ。


細い階段を登り、トロッコ軌道跡へ。斜面に沿うようにレールが残っており、辿って行くと、
「黄金館」という博物館があった。そこでは鉱山の解説や道具の展示、坑道の模型など充実していたが
残念ながら日本語の解説はないのでさらっと見るのみ。。。
金塊に触れるコーナーなどもあって賑わっていた。


その建物の手前に坑道の入口があり、トロッコのレールが坑道の中へと続いている。




裏手に大きな送風機が残されていた。坑道の中で作業する人に外気を送り込んでいたのだ。


山の土の中の奥深く、ありの巣のように掘り進んだ管の一番先。新鮮な空気はそのまま命を吹き込む
ようなものだっただろう。あぁ、考えただけで失神しそうだ・・・(汗)


前に行った十分の炭鉱では、社宅やボタ山が打ち捨てられたまま今も残っていて、鉱山全盛期の活気と
その後の衰退のギャップを見せつけられるような風景だった。それは足尾銅山別子銅山も同じで、
一種物悲しいけれど、黙って当時に思いを馳せ、胸を締め付けられるような静かな感動を覚えた。


ところが、ここ金瓜石ではあまりそれを感じられない。ちょっとテーマパーク化されすぎた感が。。。
(ここに載せている写真はあえて人の入っていないものばかりにしているが)
しかし実際とっても賑わっていてお金も落ちているわけで、遺構の保存のためにはこうすべきなのか・・・


続く

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