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★平成13年夏…金鍾泌と「西尾つくる会」が残した禍根

わが尖閣諸島沖で海上保安庁の巡視船を沈めようとした殺人未遂船長を菅内閣が釈放して、問題が収まるかと思ったら謝罪と補償を要求されたり反日デモが起きたり…。やくざ国家に譲歩してはいけないという典型ですが、9年前に「新しい歴史教科書をつくる会」(西尾幹二会長)は同じようなことをして、重大な禍根を残しています。教科書問題史上特筆すべき「西尾つくる会」対韓屈服事件の真相を明らかにします。

扶桑社の中学校歴史教科書が最初に検定に合格した平成13年、韓国が内政干渉を行い、在日本大韓民国民団も採択妨害を繰り広げました。韓国政府は5月8日、わが国政府に扶桑社版の記述について25項目の修正要求を突き付けました。
 
西尾幹二氏ら執筆者は採択戦まっただ中の7月2日になって、検定に合格しているにもかかわらず、朝鮮関係の9か所について文部科学省に自主訂正を申請しました。9か所のうち5か所は韓国政府が修正要求した部分でした。西尾氏は翌日の産経新聞に次のような長いコメントを発表しました。
扶桑社の教科書が市販され、全国津々浦々からさまざまな反響が寄せられた。韓国の多くの友人たちからも心のこもった助言があった。それらを検討した結果、記述を改めた方がいいと思われた点については、教科書の完成度をさらに高めるため、自主的に訂正することにした。
まず、「海を渡った大和朝廷の軍勢は、百済や新羅を助けて、高句麗とはげしく戦った」(38ページ)との部分については、当時の全体状況についての歴史解釈として妥当性が十分主張できるが、文中で依拠史料とした広開土王碑文には、新羅の日本への救援要請について明記されていないため、「新羅」の国名を削除する。
「中国の服属国であった朝鮮」(185ページ)、「朝鮮やベトナムは…中国の歴代王朝に服属していた」(198ページ)に用いられた「服属」の語は、「従いつくこと。つきしたがうこと」(広辞苑)の意で用いたが、韓国の友人から「この語によって傷つけられた」と聞いて、それぞれを「中国の強い政治的影響下にあった朝鮮」「朝鮮やベトナムは…中国歴代王朝の強い政治的影響下にあった」に改めることとした。
われわれの教科書はもともと隣国の人々の心を傷つけたり、侮ったりする気持ちをいささかも持っていない。
韓国併合(240ページ)に関する「一部に併合を受け入れる声もあったが」の記述にも同様の思いで対処した。一進会という韓国内にあった合邦促進団体が最盛時には二十数万(当時の総人口は約千三百万人)の会員を擁し、合邦請願書を出していた事実がある。さりとて、一進会の会員の動機がきちんと報われたという証拠もない。そこで、この一行を削除することにした。
われわれは今後も、建設的な指摘には謙虚に耳を傾けていきたい。通常、検定合格後の自主訂正は世間に知らせないものだが、われわれはそれをきちんと公開する。近く、文部科学省から、韓国や中国からの再修正要求に関する精査の結果が発表されるようだが、外国の干渉が教育という国家主権の基本を侵すことは絶対にあってはならない。

自主訂正申請を受けて、西尾幹二氏お気に入りの福田康夫官房長官(西尾氏は後に、安倍晋三氏より福田康夫が首相にふさわしいと産経新聞「正論」欄←クリック に書きました)が手回しよく「自主訂正を高く評価する」と記者会見で語りました。
 
「西尾つくる会」の韓国への屈服で最も問題なのは〝朝鮮は中国に服属していた〟と〝韓国併合の際、韓国内に併合を受け入れる声もあった〟という当たり前の記述を、検定に合格しているにもかかわらず引っ込めたことです。具体的には
p185
中国の服属国であった朝鮮
         
中国の強い政治的影響下にあった朝鮮
 
p198
朝鮮やベトナムは…中国の歴代王朝に服属していた
         
朝鮮やベトナムは…中国の歴代王朝の強い政治的影響下にあった
 
p240
韓国の国内には、一部に併合を受け入れる声もあったが、民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり
         
韓国の国内には、民族の独立を失うことへのはげしい抵抗がおこり
としました。
 
1週間後の7月9日、わが国政府は韓国政府の修正要求に回答しましたが、「扶桑社版の誤りは『新羅を助けて』の部分だけ」というものでした。つまり文科省は〝朝鮮は中国に服属していた〟〝韓国併合の際、韓国内に併合を受け入れる声もあった〟は修正の必要はないと突っぱねたのに、「西尾つくる会」は文科省を飛び越える自虐ぶりで朝鮮に服属したのです。
 
3年後の平成16年、扶桑社は改訂版を検定申請する際、〝朝鮮は中国に服属していた〟〝韓国併合の際、韓国内に併合を受け入れる声もあった〟という記述を復活すべく、再び白表紙本に書きました(検定申請時の「つくる会」会長は田中英道氏。8月から八木秀次氏)。

ところが、文科省は前回合格させたこの記述を認めませんでした。

扶桑社版教科書(平成16年度検定、17年度採択、18年度使用開始)の検定結果
p163←クリック 「服属」→「朝貢」 「支配」→「影響」
p170←クリック 「一部に併合を受け入れる声もあったが、」を削除

前回検定の後に「西尾つくる会」が韓国に譲歩したことが検定方針を変えてしまったのです。「西尾つくる会」は、後の祭りでは済まされない、取り返しのつかない重大な禍根を残したのです。「西尾つくる会」が新たな近隣諸国条項を作ったと言ってもいいでしょう。
 
今の「藤岡つくる会」の自由社版教科書(平成20年度検定、21年度採択、22年度使用開始)の親韓・自虐ぶりについては、このブログで指摘してきた通り←クリック です。
 
                  □                  □
 
西尾幹二氏は〝韓国の友人が傷ついたと言っているから訂正した〟と情けない弁明を産経新聞に書いていますが、「韓国の友人」とは誰なのでしょうか。
 
当時「つくる会」中枢にかかわった人しか知らない事実ですが、この自主訂正は韓国の元首相・金鍾泌(きん・しょうひつ)が森喜朗氏(検定合格時の首相)に働きかけ、産経新聞社首脳を通じて「つくる会」に伝えられ、「つくる会」が応じた―というのが真相です。福田康夫官房長官の記者会見も筋書き通りでした。
 
金鍾泌は韓国中央情報部(KCIA)の初代部長で、統一教会(世界基督教統一神霊協会)育ての親として知られています。当時、韓日議員連盟の会長として頻繁に来日し、外国人参政権についても政界工作を行っていました。
 
「西尾つくる会」は「自主訂正に応じれば韓国政府の干渉も民団の採択妨害も収まる」と言い訳していたそうですが、結果は全く収まることはありませんでした。
 
金鍾泌も含め、この事件の関係者はすべてご存命ですので、興味のある方は直接お聞きになってはいかがでしょうか。
 
【資料】金鍾泌 工作の軌跡
平成12年
7月20日
 韓日議員連盟会長に金鍾泌を選出
7月29日 金鍾泌、島根県掛合町で故竹下登元首相の葬儀に参列
8月3日 金鍾泌、首相官邸に森喜朗首相を表敬訪問(槙田邦彦外務省アジア局長ら同席)。自民党本部で野中広務幹事長と会談。野中氏が外国人参政権法案について「最後は党議拘束を外してでも成立させたい」と発言
9月4日 金鍾泌、ソウルで自由党の小沢一郎党首と会談
9月18日 金鍾泌、ソウルで自民党の野中広務、公明党の冬柴鉄三、保守党の野田毅の与党3党幹事長と会談。野中氏が外国人参政権法案について「可能な限り、わが党内の未消化部分を議論し、結果は実りあるものにしていきたい」と発言
平成13年
1月13日
 金鍾泌、大阪市で在日本大韓民国民団大阪府本部など主催の年賀交換会に参加
1月16日 金鍾泌、首相官邸で森喜朗首相と会談(槙田邦彦外務省アジア大洋州局長ら同席)。記者団に「教科書問題について、いろいろお願いをした」
3月6日 在日本大韓民国民団が扶桑社版教科書について「容認できない」として「適切な措置」を求める要望書を文部科学省に提出
3月7日 自民党の「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」で槙田邦彦外務省アジア大洋州局長が中韓の教科書批判について「強制的な命令でなければ内政干渉に当たらない」と発言
3月8日 金鍾泌、事実上の韓国政府特使として首相官邸で森喜朗首相と会談(福田康夫官房長官ら同席)。「(扶桑社版教科書が)現在の良好な日韓関係に悪影響を及ぼさないようにお願いしたい」と要請。中曽根康弘元首相、河野洋平外相とも会談
3月9日 金鍾泌、産経新聞社で羽佐間重彰会長らと懇談。検定中の教科書について「日本による韓国併合などの歴史問題で正確でない記述があれば、次代を担う子供たちに誤った認識を植え付けることにならないか、と韓国内では懸念がある」と発言。羽佐間氏は「日韓の友好と親善を願う気持ちはわれわれも同じだ」と述べたうえで、かりに意見の違いがあっても互いによりよい未来を築くという意志をもっていることが重要だとの考えを示し、双方は「両国民の相互理解をいっそう深め、問題があれば未来志向で乗り越えていく必要がある」という認識で一致left
4月3日 扶桑社版教科書が検定に合格。韓国政府が声明で「深刻な憂慮」を表明。韓国メディアも反発
4月4日 韓国の韓昇洙外交通商相が寺田輝介駐韓大使を呼び、「日本政府の誠意ある措置」を求める
4月9日 韓日議員連盟(会長・金鍾泌)が5月にソウルで開催予定だった日韓議員連盟との合同総会の無期限延期を決定
4月10日 韓国政府が歴史教科書問題を協議するためとして崔相龍駐日大使を一時帰国させる
4月12日 韓日議員連盟の朴相千副会長らが町村信孝文部科学相、河野洋平外相と会い、扶桑社版教科書の再修正を要求
4月18日 森喜朗首相が退陣会見
4月26日 小泉純一郎内閣が発足
5月3日 金鍾泌、ソウルで鳩山由紀夫民主党代表と会談
5月8日 韓国の韓昇洙外交通商相が寺田輝介駐韓大使を呼び、扶桑社版教科書について25項目の修正を要求
6月30日 藤岡信勝「つくる会」副会長、東京都内で開かれた自由主義史観研究会の緊急学習会で「客観的な間違いがあれば、学校での使用開始までに自主的に改める」と発言
7月2日 西尾幹二「つくる会」会長ら執筆者が文部科学省に自主訂正を申請。福田康夫官房長官が記者会見で「近隣諸国が問題にしている教科書の執筆者が、大局的見地から自主的に修正を行ったことは高く評価したい」。公明党の冬柴鉄三幹事長も「韓国の友人の助言に従い削除した点については評価したい」と発言
7月3日 自民党の山崎拓幹事長が記者会見で「積極的、自主的に修正されたことを評価したい」と発言
7月9日 韓国政府の修正要求に対して日本政府が「扶桑社版の誤りは1カ所(自主訂正申請済みの「新羅を助けて」)のみ」と回答。金鍾泌、ソウルで自民党の山崎拓、公明党の冬柴鉄三、保守党の野田毅の与党3党幹事長と会談。「教科書問題をこのまま放置すれば日韓関係に重大な支障をきたす」と発言
8月15日 教科書採択終了。扶桑社版歴史教科書の採択率0.039%

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