↑義仲寺境内の山吹塚
以前「義仲の足跡を辿る9」でとりあげました大津市の義仲寺内にも,義仲をめぐる女性たちの史跡がひっそりとのこされておりました。
そこで,今回と次回にわたり,義仲寺内に存在する巴塚と山吹塚をそれぞれ紹介していきたいと思います。
まず今回は,山吹塚について見ていきたいと思います。
この山吹塚の説明板の記載によると,
「山吹は,義仲の妻とも妾とも云う。病身のために京に在ったが,義仲に逢わんと大津まで来た。義仲戦死の報を聞き悲嘆のあまり自害したとも捕らえられたとも云われる。その供養塔である。元大津駅前に在ったが,大津駅改築のため,此の所に移されたものである。」
とのこと
山吹についての逸話は前回,前々回においてもお話ししましたが,京で病身であったこと以上の記述がないため,その後の山吹の行動は,巴の逸話以上にイメージの世界となってしまうのでしょう。
病気の身ではるばる波乱の大津までやってきて,愛する義仲様が戦死しましたとの報を聞いたとしたら,確かにもはや生きていてもしょうがないと思うのかもしれません。
ここで自害したとすると,この供養塔の意味が出てきますが,その代わり,前回,前々回の嵐山町の班溪寺や京都三条の山吹御前塚の話に繋がらなくなります。
当時は身分証明書などもありません。氏名詐称などいくらでもできた時代です。
数年前,有栖川家だかなんだかといって皇室一族との関係を詐称し,パーティなどに人を集めていた男女二人組が逮捕されましたが,あんなことは,当時からすれば日常茶飯事だったことでしょう。
偽物の人物が,自分は悲劇の英雄木曽義仲ゆかりの巴だ,山吹だ,と言っていかにも本人らしく振る舞っていれば,近隣住民からみれば,「おお,巴御前ぞ」とか「山吹姫ぞ」とか,逆にありがたがられたかもしれません。
でも,大津駅前に山吹塚があったとなると,過去にその地で,少なからず山吹に関する何らかの出来事があったのだと思われます。
氏名詐称は生きていくためにするものなので,もしもそこで自害した人物が山吹と名乗ったならば,それは偽物ではなく山吹本人,もしくは本物の山吹を逃がすためをに身を犠牲にした山吹の腹心の者だったのかもしれませんね。
いろいろ考えるとキリがないのでこのへんでやめます
次回は義仲寺内の巴塚についてコメントします。
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ニセ宮様事件って確かに「有名人や権威あるものには弱い」心理現象(いや、専門家ではないのでこういう現象があるかどうかわからないですが^^;;)がはっきり出てましたよね。
今なら調べれば有栖川宮家は存在しない(昔はあったけど)ことがわかるけど、平安のころは確かにわからなかったでしょうねえ。
そういった偽者を本人と思いこんで、そしてこういう遺跡が残ってるという推理はすごく面白いです。
身近に有名人の史跡とかがあったら,やはり地元民としては,とりあえず「ここのは本物だ!」と信じることも,町おこしには必要なことかもしれませんね