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義仲の足跡を辿る9<大津市②>

2005年10月09日 | 平家物語-木曽義仲関連


↑義仲寺山門(滋賀県大津市)

今回は,滋賀県大津市にある義仲寺(ぎちゅうじ)をご紹介します。
JR膳所駅を下車,商店街を抜け北へ5分程度歩くと,住宅街の中に建つ義仲寺を見つけることができました


粟津にて31年の生涯を閉じた義仲の骸は,その地に葬られました。

数年後,一人の尼僧がこの地に訪れ草庵を結び,義仲の供養をするようになりました。
その尼僧は,自分は名もない女であるとして,里人にも名乗らなかったそうですが,実はこの尼こそ,粟津の戦いの後,いずこへかに落ち延びていた,巴御前の後身でした。

平家物語では,義仲の討死後の巴の消息については触れられていませんが,源平盛衰記などによると,後に源氏方に捕らえられ,和田義盛に再縁したなどの話もあるようです。
鎌倉に質子として出されていた子義高が殺されたことを契機に,はたまた和田義盛が討たれたことを契機に,いずれにせよ再び行方をくらましていた巴は,義仲の別れ際の「生き残ってわしの菩提を弔ってくれ。」との遺言を実践すべく,この地にもどってきたのかもしれません。

この巴についての分析はまた別の機会にさせていただくこととして,そのとき建てられてた草庵は,後に「木曽塚」,「無名庵」,「巴寺」,「義仲寺」などと呼ばれるようになったということです。

後世,義仲ファンであった俳聖松尾芭蕉はこの地に何度も足を運びました。
そして,大阪で亡くなる前に「自分の亡骸は木曽塚に送るべし」と遺言を残したことにより,芭蕉の墓は,義仲の墓の横に建てられ,現在もそのまま残されています。


↑木曽義仲公の墓(この右側に芭蕉翁の墓があります。)


義仲寺本堂の「朝日堂」には,本尊である聖観世音菩薩をはじめ,厨子の中に義仲,義高父子の木像が納められ,義仲,今井兼平,芭蕉らの位牌も安置されているとのことです。


↑朝日堂

ちなみに,こことは別に,京都市東山区の法観寺境内に,「朝日将軍木曽義仲首塚」という史跡があります。
義仲の首は京の六条河原でさらされた後,その首塚に葬られたと伝えられています。
そうなると,義仲寺に眠っているのは首から下の骸で,頭は京都に…ちょっとかわいそうですね

この首塚とは別に,さらなるショッキングな塚もあるのですが,これもまた別途「巴,葵,山吹」特集でお話ししましょう。


波乱に満ちた生涯の義仲でしたが,最期は愛する巴の手によって手厚く弔われ,現在に至るまで,安らかにこの地で眠っていることでしょう。


芭蕉を訪ね,この地を訪れた伊勢の俳人又玄(ゆうげん)が,この地で残した句で,今回のブログを閉めたいと思います。

「木曽殿と脊中合わせの寒さかな」

 


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