『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(50)**匂いは大事**<2012.5&7. Vol.73>

2012年07月07日 | 斑猫独語

<匂いは大事>

澤山輝彦

 杉花粉の飛散がほぼ終り、杉花粉症は楽になるはずなのに、その頃になって黄砂がやって来る。私には黄砂は杉花粉よりやっかいなのだ。そこで一句“仏教の来た道今は黄砂来る”であるからまだ当分アレルギー性鼻炎からは解放されず、点鼻薬やマスクの世話になっている。何かに集中していれば気はまぎれてすむのだが、ぼんやりしている時や深い睡眠の取れない時など、鼻づまりはかなり鬱陶しいものである。

 嗅覚がにぶくなると、物が美味しく食べられない。物を美味しく食べるということは、味覚、嗅覚の二大感覚と共に、舌触り歯ごたえ、見た目も関与する、感覚総出の働きであるのがわかる。嗅覚が鈍ると食事が楽しくなくなる。炊きたてのご飯のあの香りがもう一杯となるのだし、香の物はまさに香りを感じなければ、変な根菜を食べているようなものだ。パンを食べてもコーヒー、紅茶、牛乳いずれも香りがないとただの水、いや水にだって匂いがあるではないか。食べることで嗅覚の鈍い利点はフナズシが平気で食べられることだ。とは言えフナズシなんてそうざらに食べるものでない。これは一度だけ経験があるから書いたまで。さて酒だ。酒も香りで飲むものであるのが分る。匂いにむせると言う感覚なのか、それによって酒量は控える事が出来るが、匂いがしないと、変な水だなあ、という位の感覚でぐいぐいと飲んでしまい深酔いし苦しむことになる。これは何回かの経験があるから書いたもので、杉花粉症発症中の飲酒は十分注意しなければならないのである。おいしくないから飲まない、というのが一番なのだが。妻から、一寸これ匂ってと、総菜や食材の点検を頼まれることがあっても、臭いがしないとなんともならない。腐敗の見分けは臭覚によるところが大である。腐敗した物で死ぬことだってあるかもしれない。死といえば空気中の有毒ガスで臭気のあるものには嗅覚は無くてはならない、これ無ければ死に結びつくのである。

 嗅覚というものの大事さは、こんな事を書き始めるだけでも次から次へとあれもこれも嗅覚がらみのことではないかと、どんどん広がりそうだ。一寸それるがこれも匂い香りがからむこと。色香に迷う、と言う一寸危ない男女の仲を言う言葉があるではないか。嘘か本当か知らないし私には経験のないことだが、この香水の香りは私のではない、なんてことから夫婦喧嘩が始まるという話もある。ここに、五感の他に第六感というものの働きが出てくる。“一寸臭いぞ”と言うのは何も鼻孔粘膜を刺激されて感じるものではない。けれどもこの言葉、他の感覚ではいいあらわせないのではないか。一寸見た、一寸聞いた、では現実だ。一寸臭いとはまったく違う。匂いは大事で面白いのである。

 このように、大切な嗅覚なのだがその割に普段、いの一番の感覚になっていないと思うのだ。例えばこの間の竜巻の被害者の言葉を聞いたが、視覚的聴覚的な言葉はあったが、嗅覚的な言葉は出なかった。まあ臭気は消えるのが早いかもしれないが、きっと土の匂いとか、金属木材の破壊に伴う匂いなどあったはずだ。一つ鼻を効かせて、一瞬を嗅ぎとる人生を送ろうではないか。道路問題ネットワークの私達だ、ここの排気ガス臭いなあ、などと。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『みちしるべ』東京より(3)*... | トップ | 『みちしるべ』**第38回 ... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿