澤山輝彦
<終戦記念日に>
2002年8月15日、窓もドアも開け放した部屋は風がよく通っている。終戦記念日だ。終戦記念日と言うが、敗戦と言うのが正しいのではないか。火山の噴火が終わる、豪雨が降り止むというのではない、無謀な戦争をしかけてさんざんな目にあって敗れた、反省するための、敗戦記念日なのだという意見。いや、逃げまどった市民にとってはとにかく戦争が終わってやれやれだ、だから終わりでもいいのではないか。こんなことを話し合ったのを思い出したりしながら、寝転がって本を読んだ。
「不肖・宮嶋 空爆されたらサヨウナラ――戦場・コソボ、決死の撮影記――」宮嶋茂樹著 平成12年10月刊 祥伝社黄金文庫 この本をおよそ半日で読んだ。
「私の、このふざけた本を不謹慎と感じる読者の皆様。あなた方は、すでに平和ボケしている。歌や踊りやシュプレヒコールで戦争がなくなれば世話はない。悔しかったら、地球上から戦争を無くしてみい」まえがきで著者は読者にこう挑戦してくる。著者はカメラマンで、戦場を写し、少しふざけた文をつけて金を儲けているのだ。そのうしろめたさが、先のような言葉を出させるのだろう。戦争がなくなれば、著者には被写体がなくなる。だったら私も言うてやる。「戦争ボケのおっちょこちょい、平和写して金儲けてみい」。とはいえ著者は戦争肯定でかたまっているとも思えないような所もある。「戦争とは、やはり残酷なものである」と書いたり、「考えさせられた一日であった」とも「私も心の底では停戦の知らせにホッとしている(本心です)」などと書く。所々いいことを書いているのに、平和ボケという言葉を多用したり、全体では戦争は不可避であるから、軍備はおこたりなくしておこう、こんな主張が読み取れる。どの勢力に都合のいい考え方であるかよくわかる。戦争(戦場)をふざけた言葉で書いて、若者の笑いを取れば売れる、そんな商業主義に乗っているのもみえみえだ。
こんな本を読み終えた午後、いま住む所近くにある「平和の碑」を見に行った。それは昭和26年6月26日、空襲による被爆者を慰霊する碑だった。このあたりに5〜6個の1トン爆弾が落とされ、民家にも落ち多数の犠牲者が出たそうだ。もう一つ近くの戦争の跡も見にいった。JR東海道線を神戸方面に向かうとすぐ淀川鉄橋を渡るが、淀川鉄橋の手前にかかっているガード、そのガード下のコンクリートに機銃掃射の弾痕があるのだ。ガード下に避難していた人々がP51艦載機の機銃掃射で殺されたという。私もー度、機銃掃射にあったことがある。幼い記憶は希薄で後に母から補強されたものだが、大阪府下古市の方に疎開していた時のことで、畑にいた私たち親子三人と農民一人、牛1匹、これをグラマン艦載機が襲ったのだ。これは操縦していた飛行兵の遊びでなくてなんであろう。無事でなによりだった。先の本によるとコソボでもそうだ。そこでは機銃掃射ではなく搭載ミサイルによる誤爆で多くの避難途中の市民が犠牲になっている。誤爆は戦争では有り得る事だ、とかたづけられてしまう。ここでも操縦していた飛行兵に彼らが非戦闘員であることがわからぬはずはない、とあの著者でも書いているのだ。戦争は常に市民を犠牲にする。悲惨である。平和ボケと罵られても平和の尊さを守るため発言もし、行動もしよう、反戦という考え方はつらぬきたい。道は血を欲していない。平和の足跡がつくのをまっている。一寸格好をつけた「終戦あ、敗戦記念日か」であった。
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