4年目の東日本大震災被災で学ぶ
2015年3月15日
神戸・市民交流会事務局長 山川泰宏
私の震災ボランティアのかかわりは1995(平成7)年1月17日のあの未曾有と思える程の予期しないような自然災害の発生で、西宮、芦屋、神戸の街並みの壊滅的被害でした。
多くの犠牲者を追悼と神戸の町の復旧・復興を願って開催した「1.17追悼のつどい」。震災から4年目のまだ会社員の現役時代に震災イベントを開催した仲間たちとの交流です。神戸市中央区の東遊園地の公園を利用した、竹灯篭に再生ローソクを浮かべて毎年開催してきた「1.17のつどい」が17年間開催の歴史、そして震災から20年目の節目を迎えたのです。その追悼行事の竹灯篭で開催してきた、命の竹灯篭については多くの人々の支援協力に関わるものでした。
会場に並べる竹灯篭の提供は兵庫県下の社会福祉協議会や企業、そして個人そして宗教法人の多くの一人ひとりの力の協力支援でした。
その支援協力に「ありがとう!感謝!」の気持ちを込めたメッセージを竹灯篭に記載したのは、2001年に始まります。そののち思いついたのが45度に切り取った竹灯篭の内側に鎮魂、追悼そして絆の文字のメッセージを書き込んで竹灯篭に命を与えたのでした。東遊園地を訪れる市民の皆様が思い思いの心に浮かんだ亡き人への命への哀悼の眼差しから、癒される人の心に寄り添えた気がいたしました。
そして、2011年3月11日の東日本大震災による未曾有の津波による、町や村や人々の犠牲の多さでした。
東日本被災地への追悼行事で、初めて足を踏み入れた宮城県石巻市、その後、毎年3月、8月に宮城県名取市閖上地区の追悼行事と津波犠牲者遺族や被災者の住まう、愛島(めでしま)東部仮説団地(総世帯数220戸)へ訪問する支援の旅でした。
竹灯篭に津波犠牲者の尊名を書かせていただいた追悼行事。2014年3月11日の追悼行事は仮設住宅から外に出られず、それでも少ない参加者とボランティアの仲間で始めた追悼行事に、訪れるごとに多くの被災者の心に寄り添うことが出来たことは嬉しく思います。
追悼行事で私の心に届いた祈る言葉を詩に作らせていただき、毎日新聞神戸総局の桜井記者が同行取材の記事に紙面を飾らせていただき、堀内圭三シンガーソングライターの補作・作曲により『竹灯りの歌』(愛島に捧ぐ)が生まれました。
2015年3月11日宮城県名取市閖上の地はあの震災前の面影も無く、瓦礫が無くなっただけの被災地の現状が今にあり、復興・復旧は遠いかなたにしか見えませんでした。仕事から帰宅する人たちを待ち、竹に灯した灯りを囲み祈る人たちに降り注ぐ雪は、今生かされた被災者への天国からの白い手紙のように人々の瞳を涙で濡らします。
竹灯篭で描かれた「ユリアゲ」の文字、希望の灯りは被災者と参加したボランティアの手で結ばれ、輪になって祈る言葉に明日への希望の夢を結びつないだように感じます。
生かされた命、みんなの共助の絆の種が芽生え育つのを祈ります。ありがとう!ありがとう!ありがとう!
被災地の仮設に暮らす市民の皆様に、震災前の町の生業と人々の笑顔と喧騒に溢れる町の復興を願って筆をおきます。
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