「ムツばあさんの花物語」を見て
――足下の過疎――
前川協子
NHKテレビで去る8月29日の夜に放映された“にんげんドキュメント「ムツばあさんの花物語」”は素晴らしかった。秩父山中の過疎地に住むムツさん夫婦を中心に、僅かな近隣のお年寄り達の暮らしを1年ほどかけて撮ったものだが、自然の美しさと人々の温顔は、さながら桃源郷である。時折、画面から聞こえてくるカメラマンのソフトな話かけも優しく暖かく、都会人が心魅かれる自然や素朴な人々の出会いで、かくも同化されてくるのかと心が和んだ。ムツさん夫婦は炭焼きと養蚕で生業を立ててきたのだが、社会の近代化と自身の老化には勝てず、近年は永年培ってきた段々畑を自然の山に戻すべく、それも後世の人達に喜んで貰えるような花盛りの山にして返そうと、懸命に植樹に励んでいるのだ。ほぼ1年を経た今年の春から夏にかけて、折々に咲く見事な花々は過疎地の山や道の辺りを華やかに彩り、ムツさんは手塩にかけた花々を「可愛い、可愛い」と慈しむ。
彼女の風雪に耐え、苦難を超越した風貌は、どんなクローズアップにも揺るぎなく、そのおおらかな自由さも含めて、私はまるで仏像に感じるような救いと憧れの念を抱いた。そしてごく最近、市民運動絡みで仲間と共に面会した保守系の某議員が苦笑まじりに「予算を決めるのは族議員です」と、自身の力が及ばない本音を漏らすのを聞いていたので、なるほど、人相と清廉さは相伴っているのだと改めて認識を新たにした。と同時に人間は分相応の謙虚な生き方をしないと面に顕れて恥ずかしいこともよく分かったので自戒したい。それにしても、あんなに天真爛漫なムツさんのドキュメント・タイトルに「ムツばあさんの花物語」と名付けたのは何故か。「ムツさんの花物語」とした方が、明るいイメージでトレンディなのに…。でも私はそこに制作者の意図を汲む。取材して、きっと過疎地の老人福祉の問題を考えずにはいられなかったのだろう。現にムツさんが過労で入院した後の夫の公一さんの様子や一人暮らしのヨネさんが骨折入院した経過等を見ていると、善意や自立だけではどうにもならない限界があった。これは例えば、斜面の町の甲陽園でも言えることだ。夜間の往診がお断りだとか、駅や買物に出かけるにもタクシー頼りと聞くと、時を構わずなり響く救急車のサイレンも他人事ではない。西宮市の幹部が本会議場で「建設予定のJR夙川駅には、将来的に人口も減り、車両も減るのでロータリー広場は不要」と答弁したり、知事が会見の席で「私鉄乗客数は減少している」と発言しているのを聞くと「では巨額の補助金による道路建設や甲陽線の地下化は何の為?」と疑問に思ってしまう。老人達が次代につなぐ自然保護を社会奉仕で続ける限り、花畑の中の孤独死を見逃すわけにないかない。公共事業費を使うなら、福祉バスの運行等、住民の意向を汲んだ安全安心対策を願いたいものだ。
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