ちゅら海③
三橋雅子
<嘉手納(かでな)防衛局包囲>
7月24日、ここを人間の鎖で取り囲み、防衛局への抗議と要請文を手渡す集会「7.24沖縄防衛局大包囲集会」。丁度、読谷発バス(辺野古行き)の出る金曜日とあって私は迷った。今までも何回か大きい集会がぶつかったが、その都度迷いながらも、地元優先を選んできたから。しかしこの日は嘉手納を取った。この隣町の馬鹿でかい基地が、どれだけひっきりなしに飛行機の騒音を轟かせていることか、いつまでも「馴れない」で日々驚かされことに沸々と憤っているし。
沖縄防衛局は県内の防衛行政の拠点(2007年、全国8ヵ所に防衛省の地方組織、地方防衛局が新設され時、新たにスタート)。日ごろ、近くの58号線は読谷への行き帰りの通り道だが、この「立派な施設」を見るのは初めて。フーン、威風堂々なかなか立派なものだなあ。
この日の目的は「防衛庁、工事を止めろ」の「要請文手渡し」であるが、その時間までの正面前で、次々といろんな出し物。檄演説よりも絶え間ない歌や踊りや、思いのこもったサンシン………面白いよー、中の職員諸君出てきて一緒に見ない?と呼びかけたくなる………。職員といえば、ステッカー係が、剥がれてパクパクするのを、止めるものに事欠いて難儀していた。あっちの方に行ったら何かあるかも………はカンカン日照りの遠そうな道のり………ここに入っていくのもなあ、と大のおのこ二人の思案顔………。
「あらなぜ?ここで調達が一番早道、拒まれたら、なぜ?を聞いて来るのもいいチャンス」と思わずお尻を押した。立派な躯体の沖縄おのこ達、正面玄関に向かう足はやや鈍く、と映ったのは気のせいか?………ややあって、おふたり、修理成ったステッカー持って足取り軽くニコニコと。ホーラ、成功!
「なにか抵抗ありました?」「少しブツブツ………迷っていたけど………でも結局はやってくれた」反防衛庁ステッカーに、しぶしぶ手を貸した職員にも、内心の葛藤に幸あれ!
防衛庁で思い出すもう一つのお笑い。読谷発のバスが出た初日、まだどれだけ集まるかも見当がつかないからであろう、乗り物は大型のバスチャーターでなく、村職員組合のマイクロバスだった。ところが、何やら大勢で布切れを胴体に巻くのに必死の作業。それは「日本一大きな村、読谷村」と大書された垂れ幕らしい。今頃、まだ宣伝して走る?と皆怪訝に。訳は胴体に大書された「沖縄防衛庁」の文字。お古をもらったのだとか。反対運動に向かうには、これを隠して………とせめてもの礼儀?皆大笑いして、防衛庁よ、貴重な足をありがとうね、と作業を見守った。あの、座り込みの防寒を気にした2月9日の初日から早くも、もうすぐ半年。今や熱中症対策。
集まった三百数十人で防衛局を取り囲む。そしてこの人間の鎖はうねりを立てる波に。手を繋いで立ったりしゃがんだりも、いいスクワット訓練。
アラッアラッ?見慣れた面々が、なーんだこんなところに、皆どうしたんだろう?と心配してたよ、と、いつもの辺野古行きメンバー達がちらほら姿を。あちら早退でこっちへ駆けつけて来たハシゴの読谷勢。だって、足の確保ままならぬ身に、そんな離れ業を当てには出来ないもの………。始めから嘉手納行きの便に乗せてきてもらうしか。
<焦る? 防衛庁と陸からの応援>
埋め立て承認に瑕疵があったとする報告(第三者委員会から)を翁長知事が受けて、承認の取り消しを検討している間に、しかも海外出張の留守中、防衛局は「本体工事の実施設計」他を県に出した(24日)。何やかや、防衛局は多分あせりもあって、「強引な」攻勢をどんどん。これも当初、昨年11月に予定の調査完了が、遅れに遅れて、2月だの6月だの………遂に9月も危うき?とずるずる後退している工事への焦り、と見てよいのでは?とはカヌー隊現場の実感。「微々たる」やも知れぬが………小さく、弱いとは言えども、ひっくり返されても返されても巨体に喰らいついていく、若い女性を交えた老人から若者までのチクチクと間断なき攻撃と抗議に、精神的に閉口しているに違いない。物理的には、なんとも太刀打ちできないほどの相手なのだが。カヌーはひっくり返されても、拘束されても、這い上がり、フロートを越え………可能な限り、作業員達に「止めなさい、手を抜け」の声を投げかける。この間はついに、女性隊員が本船の調査機器の一部?何とか棒とかに触れてきた、という。皆どっと歓声と拍手。何より、作業員達にはいやというほど、「やめろ!やめろ!」が。
海上保安隊員達には「この恥知らずのウミザルたち………」の抗議の声が、間断なく届いているはず。精神的に参っているらしい先方も、年度替りに新人が交代すると、闘志満々が漲(みなぎ)って、やや手ごわいとか………。陸からは、声をからしての声援と抗議しかできないもどかしさ、しかし海での、巨体相手の孤独な闘争では、遠くても陸の応援の声に励まされて闘志がよみがえる………と。
ゴツゴツの岩を登って、少しでも高みからエールよ届け、とシュプレッヒコールをわめくことも。私は脱いだ下駄を小脇に、よじ登ったり………でなかなかのトレーニング。カヌーが帰るまでのお出迎えには、ほてった足を海に漬けたり、珊瑚のかけらを拾ったり………国会前のデモより退屈しない。
この頃、海上保安隊は、毎回のことで面倒になったのか、以前は拿捕(だほ)の後わざわざ遠く沖まで連れて行って解放したカヌー隊員たちを、岸に運んで放す。我々は拍手で彼らを迎え、ねぎらいと感謝のエールを。きびすを返す「防衛庁」には、しっかり罵倒と非難のエール(?)を。
この間は、荒れてカヌーも出なかった海へ、読谷といえども荒れには変わりなかったはずなのに、勇敢にもあいごを捕らえに出た御仁………それを4時起きして、から揚げにしたという荷が読谷発のバスに積み込まれた。よだれを垂らしそうになったが、これは浜辺での出迎え時の捧げもの。おこぼれが廻ってこない我ら陸族は、指をくわえて………の一幕も。「今度はバスにも持ってくるから………」と。いつか「海の闘争ビデオを観る会」に差し入れられた、この魚てん、こたえられないおいしさが忘れられない。
テント前もいつも何かと食べ物が絶えない。誰かの誕生日、とかにはケーキまでも、おこぼれにあづかる。近頃は専ら、熱中症よけの黒砂糖。
<「恵みの」台風?>
台風の到来は痛し痒し?しかしトータルでは「蒙古襲来」時に優る幸運か?とも。キャンプシュワブ前のテントの撤収、隠し場所(秘密)の調達工面、如何に現状復帰を可能にするか?(現に前回の台風後、キャンプ側の金網前テントは再建不能に)。なかなか難儀多々ではあるが、海に浮かぶ図体のでかい「敵」はカヌーの片付けどころではすまない大難儀。何事簡単には移動も避難も困難で大ごと。台風の直接被害がなくても、引っ込めたり出したり………の対策だけで、大幅な無駄。恵みの台風なのである。しかも波風で荒らされると、いろいろやられてガタもくるらしい。でもこれは海底の珊瑚その他もやられるから痛ましい限りなのだけど。何より、若者といえども疲労の溜まったカヌー隊員たちに恵みの休暇がやってくる。
台風再来は、またもやこれで期日延期間違いなし、とほくほく。あちらはずるずるの引き延ばされに、かなり頭にきているとか。天は正しきものに味方? 前回の9号では、私の東京行きは欠航でフイになったが、まあ良しとしなければ。
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