迷惑通信 言いたい放題・もの申す 【70号】
平出正人
大阪から過労死をなくすために
過労死防止大阪センタ-結成総会より
2014年6月20日、「過労死等防止対策推進法」(略称:過労死防止法)が成立し、同年11月1日に施行されました。同月20日の大阪における「過労死防止啓発月間シンポジュウム」には大阪労働局、大阪府の後援、労働3団体(連合大阪・大阪労連・大阪全労協)からも挨拶があり141名、41団体の参加がありました。
2015年3月13日、過労死防止を願うすべての個人と労働組合、市民団体、経済団体に呼び掛けて、国や自治体とも連携して、過労死に関する調査研究の推進、教育・啓発、救済・予防に取り組むための過労死防止大阪センタ-が設立されました。結成総会参加者は137名(立見あり)でした。
過労死がない社会を実現するためにこの活動に、立場を超えて多くの人びとが賛同し、共同していただけることを心から呼びかけます。大阪から、そして日本から「過労死」をなくす取り組みを大きく進めていきましょう。
「過労死」が国際語「karoshi]となってから20年以上が過ぎました。しかし、過労死はなくなるどころか、過労死・過労自殺(自死)寸前となりながらも働き続けざるを得ない人々が大勢います。
憲法第27条 すべての国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
- 2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。
- 3 児童は、これを酷使してはならない。
27条は勤労の権利と義務をうたっています。でも、つらいことを我慢し続け、身体や心が壊れるほどの労働を求めているわけではありません。「人は自分自身、家族、社会のために働く」という意味をもつのではないでしようか。
命こそ宝 中学校三年 辻田真弘君(2000年3月 父親死亡)
僕は、父を小学校に上がる前に、亡くしています。父は過労自死でした。
父は、市役所で働いていました。市の文書を扱う大切な仕事をし、係だけではけっしてできない大きな仕事を任され、毎日、仕事の相談に来る職員が後を絶たず、それにも父は親切に答えながら、毎日16時間以上仕事をしました。胃潰瘍になりましたが、仕事をたくさん抱えた状況では休む余裕もなく、通院しながら土日も出勤していました。議会に提出するための資料を必死で作り上げた時、あまりの忙しさに、たった一つ部下に任せた所に、間違いを見つけました。そのまま条例になってしまうことは、大きな問題です。でも、やり直す時間はない中、心身ともに追い込まれて、父は命を絶ちました。
最後に、父は、11通の遺書を残しました。
僕がこの遺書を初めて読んだのは、小学5年生になる春休みのことでした。多くの人の支えの中、父の死が公務災害だと認められた時、初めて母から見せられました。
「真弘様 親らしいことが、何も出来ず 許してください。貴方の無邪気な顔をみていると、本当に疲れがやすまりました。先週の発表会を見に行きたかった。お母さんから、貴方が、ものおじせず、堂々と話しているのを聴いて、本当にうれしかったです。笑顔の真弘の顔が忘れられない。こんな幼い子を残して おとうさんは……どうか、お母さんの言うことをよく聴いて、助けてやってください。本当に御免なさい。」
ぼくは、これを読んだ時、涙が溢れてきました。こんなに僕たちを愛してくれた父がどうして死ななければならなかったのだろうか。僕は自分の部屋で、思い切り泣きました。
5年生になったある日、担任もいるクラス全員の前である子が、「辻のお父さんは自殺したんか?」と聞いてきました。僕は、事実だから、「そうや。」と答えました。すると、僕も知っているという声があちこちで起こってきました。それから後のことは、僕はもう覚えていません。思い出さないようにしてきました。父のことを知らず、自殺だという事実だけが、広がっている。僕の大好きな父を変に評価されることが耐えられない。あの時の言葉には、すごく冷たさを感じるものがありました。
父は、心身ともに過労し、うつ病になってしまいました。こんな働き方をしたら、誰だって、倒れてしまいます。父は市民のために、いい法律を作りたいと、いつも勉強し頑張っていました。条例になってしまうとどんなに悪いものであっても改正するためには、人も時間もすごく掛かること、条例は、市民の命にも繋がることを母に語っていたそうです。まじめで、責任感が強く、優しく、頼りがいがあった父です。父は、普通の人の2倍も働きました。
父と同じ仕事をする人が、もう一人いてくれたら、父は死にませんでした。公民の教科書に、労働基準法がありました。この法律が守られていれば、父は死ななかったと思いました。父と一緒にすごしたのは、わずか、6年間です。父が突然僕の前から居なくなるなんて考えてもいなくて、父に甘えていました。あのままずうっと、家族の生活が続いてくれていたら、僕たちは幸せだったのに。あの日を境に、僕たちの生活が変わってしまいました。ずっと、家でいた母は生活のために、働きに出るようになりました。生活も苦しくなりました。母も頑張っていましたが、疲れ切り、どうしようもないさびしさに包まれ、僕たちに、「お父さんの所へ行こう」と言いました。僕達の強い反対で、母は、自分を取り戻してくれました。一歩間違っていたら、僕達は、今、生きていませんでした。
ぼくが、小学1年生の時、詩を作りました。
《僕の夢》
大きくなったら、ぼくは博士になりたい。
そしてドラえもんに出てくるようなタイムマシーンを作る。
ぼくはタイムマシーンにのって
お父さんのしんでしまう前の日にいく
そして「仕事に行ったらあかん」ていうんや
三年前、大阪人権博物館から、この詩を展示させてほしいという連絡があり、今、労働者の権利というところで常設展示され、小・中学生の学習教材にもなっています。この夏、僕は、朝日新聞やテレビ大阪の取材を受けました。父の死と向かい合うことは、辛いです。でも、僕達のような悲しい思いをする人が増えてほしくないので、取材を受け、今回は作文にも書きました。
僕は、仕事のための命ではなく、命のための仕事であると考えます。命こそ宝です。過労死・過労自死というものがこの世の中から亡くなってほしいと強く思っています。
全国過労死を考える家族の会 代表世話人 寺西笑子さん
寺西さんは今年2月に尼崎市の人権啓発学習会で、自らの夫を過労自死でなくし、二度と夫のようなことを起こしてはならないと、遺族の立場から、過労死根絶への思いやこれまでの経験、そして、「過労死等防止対策推進法」成立における人権問題について講演されました。
「過労死防止法」は、四半世紀に及ぶ長い間、過労死・過労自死で亡くなった尊い命が犠牲になってできた法律です。これから日本社会を背負って行く若者が過酷な労働に追いやられ、優秀な人材をなくすことは日本の未来をなくすこと。過労死は人災、働くしくみを改善すれば防ぐことができます。
遺族は過労死した人の生き証人。無念な思いで亡くなった命を無駄にしないために、過労死の教訓を防止策に活かし、遺族の役割を果たしていく所存です。
今こそ「過労死防止法」が大事です。人間らしい働き方、過労死をなくす社会の実現にむけて、ともにがんばりましょう!
今も過労死は後を絶ちません。労働者を使い捨てる「ブラック企業」の問題も深刻化しています。声を上げましょう。そして力を合わせましょう。憲法が描く社会がきっと実現するはずです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます