『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』憲法をひもとく**<2014.1. Vol.82>

2014年01月17日 | 神崎敏則

古関彰一著「新憲法の誕生」(中公文庫)を読んで

憲法をひもとく

神崎 敏則

不磨の大典ではない「日本国憲法」

 「押し付け憲法」との非難を幾度となく浴びせられてきた日本国憲法。押し付けなのか押し付けでないのかと問われれば、押し付けであったと個人的には思っている。ただこの点については、議論が分かれるようなので断定は避けたい。

 憲法9条の戦争放棄は、1945年10月に首相となった幣原喜重郎がマッカーサーに進言したとの説も根強い。一方で古関彰一氏(獨協大学法学部教授)著『新憲法の誕生』によれば、マッカーサーからの提案となっている。

 戦争放棄を定めた9条、基本的人権を謳う25条、人格権の13条、国民主権の第1条、どれも大切な条文だ。日本国憲法を改めて読み返すと、国民(「国民」という言葉の意味は重い、後段でこの点に触れる)の一人として自分が憲法にとても愛されていることを実感する。しかし日本国憲法は不磨の大典ではない。いたずらにこの点のみを強調すべきでないが、本書に従って歴史的に検証したい。

 国民主権の第1条は象徴天皇をも規定している。「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」。確かに大日本帝国憲法の4条「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リテ之ヲ行フ」で定めた天皇主権と比較すれば、ずっとこちらの象徴天皇の方がましだが、天皇制の延命に寄与していることは否定できない。

 日本敗戦後、連合国内では、天皇訴追を求める勢力は少なくなかった。特にオーストラリアは天皇の戦争責任を追及しようとしていた。この問題に関してマッカーサーはアイゼンハワー陸軍参謀総長にあてて書簡を送っている。仮に天皇を起訴すれば日本の情勢に混乱をきたし、占領軍の増員や民間人スタッフの大量派遣が長期間必要となるだろうと述べ、アメリカの負担の面からも天皇の起訴は避けるべきと表明した。

 謂わばマッカーサーは、アメリカの負担増を避けるために象徴天皇を編み出したわけだ。だが、連合国内では、それに反発する勢力が少なくなかった。アメリカ国内でも天皇を訴追しないことへの批判は激しく、窮地に追い込まれたマッカーサーは、平和と民主主義と人権尊重を謳う新憲法をつくらせることを急ぎ、天皇訴追派の批判をかわしたのだ。マッカーサーの優先順位は、まず第一にアメリカの負担増を避けることだった。そのために象徴天皇という形で天皇制を延命させることにした。そして天皇制を延命させることの批判をかわす担保として戦争放棄と民主主義と人権尊重の条文を入れた。

 この事は、1946年3月6日に出された勅語をめぐる侍従長の『側近日誌』にも詳しい。「天皇には御退位の意」がありそれは「戦争責任を引き受けられる」意向であったので、マッカーサーは「一刻も早く日本をして民定の民主化憲法を宣言せしめ、天皇制反対の世界の空気を防止せん」と新憲法の制定を急いだようだ。

大日本帝国憲法の枠を出ることのなかった日本政府や自由党の憲法案

 話しは少しさかのぼるが、45年10月4日近衛文麿はマッカーサーと会談し「軍閥や国家主義勢力を扶け、その理論的な裏づけをしたものは、マルキストであり、日本を今日の破局に導いたものは、軍閥勢力と左翼勢力との結合によるもの」と主張したことに対しマッカーサーは近衛文麿に「第一に、日本の憲法は改正しなければならん。憲法を改正して、自由主義的要素を充分取り入れる必要がある」と強い口調で話し、近衛は、自分こそが憲法改正に着手すべき適任者であると自任し、10月13日佐々木惣一京大教授に憲法改正作業を取り掛からせた。

 一方10月9日に幣原内閣が成立し、10月25日松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会を設置したが、明治憲法第1条の皇統の連続性、第4条の天皇主権は「不変であると考える」と憲法改正に否定的であった。

 GHQは11月1日近衛には憲法改正を付託していない旨の声明を発表し、幣原首相に対し憲法改正に関する総司令部の命令を伝えた。しかしその後も近衛は、憲法改正案の作成にこだわり、「要項」を作成。その内容は、「人間必需ノ生活ヲ享受スルノ権利」といった明治憲法には全く見られない生存権規定もありはするが、全体として明治憲法の基本的枠組みを出るものではなかった。

 12月8日、第89帝国議会で憲法問題調査委員会の松本委員長は憲法改正の方向性を初めて公にし、

  1. 天皇が統治権を総攬という大原則は何ら変更を加えない
  2. 議会の決議を要する事項を拡大し、従来の大権事項を一定制限
  3. 国務大臣の責任は国務の全面に渡るものであり、国務大臣以外が国務に介在する余地がないこと、国務大臣は議会に対して責任をもつ
  4. 人民の自由・権利の保護を強化すること
    の4原則を示した。

 また1月21日、自由党(鳩山一郎総裁)は「憲法改正要綱」を総会で決定。

  1. 統治権ノ主体ハ日本国家ナリ
  2. 天皇ハ統治権ノ総攬者ナリ
  3. 天皇ハ万世一系ナリ
  4. 天皇ハ法律上及政治上ノ責任ナシ

という具合に、明治憲法の枠を超えるものではなかった。

 1月30日から2月1日にかけて、憲法問題調査委員会がまとめた甲案乙案を閣議で逐条審議。毎日新聞は「憲法問題調査委員会試案」全文を1面トップに掲載し、明治憲法を基本とし、多少の修正を加えたものにすぎない内容で、「あまりに保守的、現状維持的のものにすぎないことを失望しない者は少ないと思ふ」と評した。

 政府や保守党が大日本帝国憲法の亡霊に取りつかれているのに対し、野党や民間の憲法は民主的な憲法を模索していた。

輝きをはなった野党や民間人の憲法案

 11月10日社会党の加藤勘十は「天皇は飽くまでもその生成の沿革に鑑みて民族和親の象徴として祭典、儀礼的存在であるべき筈である」と雑誌に小論を寄稿。GHQが「象徴」を考える前に「象徴」案が存在していた。翌11日共産党は「新憲法の骨子」を発表。

  1. 主権は人民に在り
  2. 民主議会は主権を管理す、民主議会は十八歳以上の選挙権被選挙権の基礎に立つ、民主議会は政府を構成する人々を選挙する
  3. 政府は民主議会に責任を負ふ、議会の決定を遂行しないか又はその遂行が不十分であるか或は曲げた場合その他不正の行為あるものに対しては即時止めさせる
  4. 人民は政治的、経済的、社会的に自由であり且つ議会及び政府を監視し批判する自由を確保する
  5. 人民の生活権、労働権、教育される権利を具体的設備を以て保証する
  6. 階級的並びに民族的差別の根本的廃止

 人民のための新憲法を鮮明に打ち出した骨子であったが、その後共産党は「民主革命」を成し遂げることが先決と判断し、46年6月まで憲法草案を発表しなかった。

 12月10日高野岩三郎は「日本共和国憲法私案要綱」いわゆる「大統領制憲法」をまとめた。「天皇制ヲ廃シ、之ニ代ヘテ大統領ヲ元首トスル共和制採用」「参考 北米合衆国憲法 ソヴィエット聯邦憲法 瑞西聯邦憲法 独逸ワイマール憲法」と記され、当時の世界の憲法の基本類型が見事に参考にされている。高野は明治4年生まれ。「私の青少年時代には我国には仏蘭西流の自由民権論旺盛を極め、国会開設要望の声は天下を風靡した」。天皇制が確立していない時代に育った高野から見れば、民主主義は当然のことであり、明治末期から敗戦に至る天皇制こそ異常なものだった。今日の日本人の天皇制への認識は、明治末期からの短期間の刷り込みによるものかもしれない。

 12月26日憲法研究会は鈴木安蔵が中心となり「憲法草案要綱」をまとめた。

  • 一、日本国の統治権は日本国民より発す
  • 一、天皇は国民の委任により専ら国家的儀礼を司る
  • 一、国民は法律の前に平等にして出生又は身分に基く一切の差別は之を廃止す
  • 一、国民の言論学術芸術宗教の自由に妨げる如何なる法令をも発布するを得ず
  • 一、国民は拷問を加えらるることなし
  • 一、国民は健康にして文化的水準の生活を営む権利を有す
  • 一、男女は公的並私的に完全に平等の権利を享有す

 また「会計及財政」は単年度方式と会計検査院の設置が盛り込まれた。予算単年度方式は長い間、多年度にまたがる戦費で苦しんできた経験を反映している。

 この「憲法草案要綱」を首相と総司令部に届け、28日に全文が各紙に報道された。GHQは強い関心を持ち、年末の31日には翻訳を終え、民政局行政部も詳細に分析して1月11日付けでマッカーサーに報告書を提出している。これがGHQの憲法案を経由して現在の日本国憲法に大きく影響を与えたことは、多くの論者が指摘している。

 1月16日憲法研究会では、日本アナキスト連盟会長・岩佐作太郎が憲法前文として「日本国民の人権宣言」を提案。「憲法政治を断然放棄すべきだ」と主張しながら憲法前文を提案することは明かな論理矛盾だが、戦後の出発点とは「人権宣言」を出したくなるほどの解放感が感じられた時代であり、憲法研究会案がいわば「権利の章典」として、その解放感を具現していたと思われていたからではないかと古関氏は分析している。

 2月23日社会党は「新憲法要綱」を発表。統一性を欠く左右の妥協の産物だった。「主権は国家(天皇を含む国民共同体)に在り」「統治権は之を分割し、主要部を議会に、一部を天皇に帰属(天皇大権大幅制限)せしめ、天皇を存置す」。一方で国民の生存権を打ち出し、「国民は生存権を有す、其の老後の生活は国の保護を受く」「国民は労働の義務を有す、労働力は国の特別の保護を受く」など、ワイマール憲法の影響がうかがわれる。

 3月4日稲田正次と海野晋吉が中心になり憲法懇談会が「日本国憲法草案」を政府あてに提出。作成段階で海野は、「第五条 日本国ハ軍備ヲ持タサル文化国家トス」との提案をしたが、両氏の協議で「本条を削って、その代わりに前文で平和主義を強調」することとなった。マッカーサーの「押し付け」と言われて久しい現憲法の「戦争の放棄」も案としては日本の民間草案の中に不十分ではあれ、存在していた。

 6月28日共産党は「新憲法」(草案)を発表。前文と100ヵ条から成る。天皇制の章はなく、「第一章 日本人民共和国憲法」とあり、国家の基本構造を定めている。「戦争の放棄」はないが「いかなる侵略戦争をも支持せず、又これに参加しない」とある。スターリン憲法の影響が強いが、住宅の保障なかでも「大邸宅の開放、借家人の保護」などはワイマール憲法の影響。死刑廃止、陪審制導入なども取り入れられている。

 これら野党や民間の憲法案をGHQは注目していた。

GHQの憲法草案は、今日の日本国憲法よりもはるかに民主的だった

 日本政府や与党のていたらくにしびれを切らしたGHQの民生局行政部が2月4日憲法起草に着手した。主な条文を列記すると、


第8条 国民の一主権としての戦争は之を廃止す 他の国民との紛争解決の手段としての武力の威嚇又は使用は永久に之を廃棄す
陸軍、海軍、空軍又は其の他の戦力は決して許諾せらるることなかるべし また交戦状態の権利は決して国家に授与せらるることなかるべし

第13条 全ての自然人は、法の前に平等である。人種、信条、性別、社会的身分、カーストまたは出身国により、政治的関係、経済的関係または社会的関係において差別がなされることを、授権しまたは容認してはならない。

第16条 外国人は、法の平等な保護を受ける。

第23条 家族は人類社会の基底にしてその伝統は善かれ悪しかれ国民に浸透す。婚姻は男女両性の法律上及社会上の争ふべからざる平等の上に存し両親の強要の代りに相互同意の上に基礎づけられ且男性支配の代りに協力に依り維持せらるべし 此等の原則に反する諸法律は廃止せられ配偶の選択、財産権、相続、住所の選定、離婚並に婚姻及家族に関する其の他の事項を個人の威厳及両性の本質的平等に立脚する他の法律を以て之に代ふべし。

第28条 土地国有

第86条 で都道府県市町の首長と都道府県市町村の議員の公選制を定めている。87条で都市町に基本法制定権を与えている。

 この第13条や16条がそのまま日本国憲法に取り入れられていれば、在日朝鮮人などへの遺族年金問題などを含む差別問題や、外国人の地方参政権問題などは、解決されていたかもしれない。

日本政府はGHQ案を受け入れて“翻訳して”日本案を作成

 2月22日閣議でGHQ案の受け入れを決定し、3月2日GHQ案を日本語に“翻訳し”たとして日本案を作成した。

  1. (象徴天皇の)「地位は、主権を有する国民の総意に基づくもの」を「日本国民至高の総意に基き」と意図的に国民主権を回避。
  2. GHQ案の「国会の制定する皇室典範」の「国会の制定する」を削除して、法律ではなく勅令または政令とした。
  3. 「天皇は内閣の助言と同意においてのみ」を「天皇は内閣の輔弼により」と明治憲法との整合をとっていた。
  4. 戦争放棄と戦力の不保持はそのまま採用。
  5. 「すべての自然人は法の前に平等」が「凡ての国民は法律の下に平等」と変更。ただし、この時点ではまだ外国人の人権は謳われていた。
  6. 表現の自由は、GHQ案は制限がなかったが、日本案には「安寧秩序を妨げざる限りにおいて」と制限された。明治憲法と変わらない。
  7. 土地国有化条項、女性の社会権条項、公衆衛生の改善義務、社会保障制度の義務化条項が完全に削除された。
  8. 「地方自治」を「地方公共団体」という用語に変え、地方自治の何たるかは憲法事項とせず、法律にゆだねた。

 3月4日、松本烝治、佐藤(内閣法制局第2部長)がGHQに日本案を説明。あまりの変更の多さに、GHQ側は逐条審議をはじめだし、松本とことごとく激論となり、松本はその場を放棄して戻ることはなかった。一人残された官僚の佐藤は、徹夜で折衝に応じた。佐藤は、「凡ての国民は」を削り「凡ての自然人は」を復活させ、GHQ案にあった「出身国」による差別の禁止を「国籍」による差別の禁止として復活させる一方で、外国人の一般的保護規定をバッサリ削除させることに成功している。そして翌日、さらには議会開会後と三段階のステップをふんで、最終的に外国人保護規定を憲法条文から完全に削り去ってしまった。おそるべきかな日本の官僚のずる賢さ。ちなみに、この徹夜の審議を経て、表現の自由はGHQ案に戻った。

 3月6日憲法草案が発表され、翌7日新聞などに掲載された。

 2大保守党の自由党と進歩党は「原則的に賛成」を表明した。ほんの2ヶ月前に「明治憲法」と大差のない憲法草案を提示しておきながら、天皇制の護持、基本的人権の尊重、戦争の放棄について「全く一致する」と厚かましいコメントには呆れてしまう。

 社会党は、「ポツダム宣言の忠実な履行と民主主義的政治に対する熱意の表明」として「賛意を表する」一方、「天皇の大権に属する事項が多きに失する」と注文を付けている。

 共産党は実質的に反対の態度を表明し、逆に天皇制の廃止、勤労人民の権利の具体的明記など5項目を提案した。

 最も肝心な憲法研究会の鈴木安蔵はかなり批判的であった。

 第1に、天皇の即位について「その都度議会の、国民の承認ないし委任をうくべきものであることを規定」していない。

 第2に、人権に関し、「民族人種による差別」禁止条項がない、経済的不平等の是正に関する規定がない、勤労者の生存権規定が具体的でない、「女性の開放・向上のためには、憲法上に、さらに徹底的な具体的な規定が望ましい」と指摘している。著者古関彰一は、草案掲載の翌日には、当時「婦人」ではなくあえて「女性」と記し、いずれも「日本化」の中で削りとられた人権をピタリと指摘していることに敬意を表している。

ポツダム宣言を具現化した日本国憲法

 4月10日戦後最初の総選挙が行われ、自由党141議席、幣原首相の進歩党94議席、社会党93議席、共産党5議席となった。また国会の外では、食糧問題が深刻をきわめ、皇居前に25万人が集まり、「食糧メーデー」が開かれた。5月22日ようやく吉田内閣が成立し、新首相の吉田や前首相の幣原はこの頃から憲法草案の基本原理を積極的に受け入れ始めた。二人とも、国際情勢を考慮に入れればこの憲法が形だけでも天皇制を護持するのに最もふさわしいと考えたと、著者古関彰一は推測している。

 46年6月に開かれた第90帝国議会で新憲法案が審議され、可決。11月3日新憲法が公布、翌47年5月3日施行された。その間の議会内での議論や、議会内で可決成立後に展開された新憲法を広く普及させる運動についても興味深いエピソードが紹介されている。ぜひ本書をお読みいただきたい。

 冒頭で述べたように、日本国憲法がGHQからの押し付けであったのかそうでなかったのかに関しては、個人的には殆ど関心がない。それよりも、ポツダム宣言との関係で日本国憲法をとらえるべきだと考えている。特に6項以降をお読みいただきたい。

 GHQからの押し付けを改憲の根拠とする人たちには、敗戦=ポツダム宣言の受け入れが認識されていないらしい。敗戦を終戦と言葉を濁して本質を誤魔化そうとする人たちに未来を語る資格はない。彼らにできることは、過去の過ちに未来をひきずり込むことだけだ。それを許してはならないことを多くの市民が自覚しはじめている。

ポツダム宣言条文 全訳

  1. われわれ、米合衆国大統領、中華民国主席及び英国本国政府首相は、われわれ数億の民を代表して協議し、この戦争終結の機会を日本に与えるものとすることで意見の一致を見た。
  2. 米国、英帝国及び中国の陸海空軍は、西方から陸軍及び航空編隊による数層倍の増強を受けて巨大となっており、日本に対して最後の一撃を加える体制が整っている。
  3. 世界の自由なる人民が立ち上がった力に対するドイツの無益かつ無意味な抵抗の結果は、日本の人民に対しては、極めて明晰な実例として前もって示されている。現在日本に向かって集中しつつある力は、ナチスの抵抗に対して用いられた力、すなわち全ドイツ人民の生活、産業、国土を灰燼に帰せしめるに必要だった力に較べてはかりしれぬほどに大きい。われわれの決意に支えられたわれわれの軍事力を全て用いれば、不可避的かつ完全に日本の軍事力を壊滅させ、そしてそれは不可避的に日本の国土の徹底的な荒廃を招来することになる。
  4. 日本帝国を破滅の淵に引きずりこむ非知性的な計略を持ちかつ身勝手な軍国主義的助言者に支配される状態を続けるか、あるいは日本が道理の道に従って歩むのか、その決断の時はもう来ている。
  5. これより以下はわれわれの条件である。条件からの逸脱はないものする。代替条件はないものする。遅延は一切認めないものとする。
  6. 日本の人民を欺きかつ誤らせ世界征服に赴かせた、全ての時期における影響勢力及び権威・権力は排除されなければならない。従ってわれわれは、世界から無責任な軍国主義が駆逐されるまでは、平和、安全、正義の新秩序は実現不可能であると主張するものである。
  7. そのような新秩序が確立せらるまで、また日本における好戦勢力が壊滅したと明確に証明できるまで、連合国軍が指定する日本領土内の諸地点は、当初の基本的目的の達成を担保するため、連合国軍がこれを占領するものとする。
  8. カイロ宣言の条項は履行さるべきものとし、日本の主権は本州、北海道、九州、四国及びわれわれの決定する周辺小諸島に限定するものとする。
  9. 日本の軍隊は、完全な武装解除後、平和で生産的な生活を営む機会と共に帰還を許されるものする。
  10. われわれは、日本を人種として奴隷化するつもりもなければ国民として絶滅させるつもりもない。しかし、われわれの捕虜を虐待したものを含めて、すべての戦争犯罪人に対しては断固たる正義を付与するものである。日本政府は、日本の人民の間に民主主義的風潮を強化しあるいは復活するにあたって障害となるものはこれを排除するものとする。言論、宗教、思想の自由及び基本的人権の尊重はこれを確立するものとする。
  11. 日本はその産業の維持を許されるものとする。そして経済を持続するものとし、もって戦争賠償の取り立てにあるべきものとする。この目的のため、その支配とは区別する原材料の入手はこれを許される。世界貿易取引関係への日本の事実上の参加はこれを許すものとする。
  12. 連合国占領軍は、その目的達成後そして日本人民の自由なる意志に従って、平和的傾向を帯びかつ責任ある政府が樹立されるに置いては、直ちに日本より撤退するものとする。
  13. われわれは日本政府に対し日本軍隊の無条件降伏の宣言を要求し、かつそのような行動が誠意を持ってなされる適切かつ十二分な保証を提出するように要求する。もししからざれば日本は即座にかつ徹底して撃滅される。
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