『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』**宮城県被災地復興状況視察報告**<2015.7. Vol.90>

2015年08月02日 | 単独記事

宮城県被災地復興状況視察報告

木村 嘉三郎

■ 行 程(平成27年5月12日~14日)

5月12日  仙台空港→名取市閖上地区→(塩釜亘理線)→七ヶ浜町→東松島市野蒜地区→石巻市→女川町(東野副町長面談)→仙台市泊

5月13日  仙台市→南三陸町→(神割ロード)→石巻市大川小学校→石巻市雄勝地区→(リアルブルーライン)→女川町→石巻市(石巻専修大学山崎教授面談・開成ネットワーク会議参加)→仙台市泊

5月14日  仙台市→石巻市(「やっぺす」兼子代表面談)→石巻市復興商店街→石巻市蛇田地区災害公営住宅→石巻市(「BIGUP石巻」原田代表面談)→岩沼市玉浦西地区災害公営住宅・千年希望の丘プロジェクト→仙台空港

■ 女川町(東野眞人 副町長 面談)

 現在基盤整備事業(平成25年~27年)が行われていますが、事業は遅れています。町の年間予算は震災前の約50億円から約600億円に膨れ上がり、既に総額2,000億円を注いでいます。しかし、駅舎や災害公営住宅の一部が完成しているだけで、まだ造成工事を行なっており、町の全体像は全く見えてきません。被害総額が785億円と報告されていますが、その3倍近くの2,000億円を投入していることに驚くとともに、いくら投入すればよいのかという不安が過ぎりました。このまま復興事業を進めれば、総額約4,000億円は必要だと言われています。事業費全額を国の補助金で賄うといっても、余りにも掛かり過ぎです。また、町の職員(派遣職員を含めて)は一日も早い復興を目指して頑張っていますが、後4年はかかると言われています。

 私が問題視しているのは、復興事業が終わってから出てくる問題です。国は道路などのインフラや公共施設などの基盤整備には支援を行いますが、それ以降、その維持管理や生活再建への支援は行なわないのが原則です。阪神淡路大震災やその他の震災の被災地でも、基盤整備以外の支援は行っていません。

 一般的にはインフラや公共施設整備費用の約3倍のお金が、今後50年間にわたり維持管理に掛かると言われています。女川町で言えば、1兆円を超えるお金が必要となります。しかし、女川町の年間予算は震災前で約50億円程度であり、住民の高齢化や人口の町外流出が止まらないことからも、さらに減ることが考えられ、維持管理費用を確保していくことはできません。近い将来、新しいインフラや公共施設の増大する維持管理に対応できなくなります。

 女川町の復興事業は自治体の身の丈を越えた事業であると言えますが、町内部からは事業を見直すべきとの声はあがっていません。また、派遣された西宮市の職員の話では、町の将来のことを考え事業見直をすべきと言える雰囲気ではないとのことでした。国が復興事業終了後も支援を続けない限り、維持管理費用負担による財政破綻に陥ることが考えられますが、国は支援を続けることはしないと思います。

 今年3月にJR女川駅が完成し、2時間に1本の列車が運行されています。駅舎は有名な建築家の設計であり、2階部分には温泉温浴施設が、駅前広場には足湯の施設が併設されています。開所当初は割引券を配布したこともあり、温泉にはかなりの利用者がありましたが、今はほとんどいません。また、駅前には海が見えるプロムナードが整備される計画ですが工事は進んでおらず、駅前は閑散とした状況です。プロムナードの両側に商店街、物産センター、地域交流センター(まちづくりの拠点施設)を整備する計画ですが、住民は高台に分散して移転する計画となっており、駅周辺には住民が住む地域はありません。完成予想図を見れば、賑わいのあるアーバンデザイン的にはすばらしい計画のように見えますが、住民が集まって賑わいが創出できるような計画ではありません。また、商店街はまちづくり株式会社が施設を整備し、テナントが店舗を借りて営業する形になりますが、営業は厳しいですし続けられるかどうかも疑問です。余りにも地域コミュニティーを考慮していない計画です。さらに駅前広場には「女川フューチャーセンター」も完成していましたが、この施設は若者の創業支援や仕事場(会員制)の提供、町民のつどいの場として利用できる施設です。しかし、住民が住む地域から遠く離れていることや、住民の営みや賑わいがない地域に若者は移住し起業などしませんし、この施設の整備は時期尚早だと思います。

 副町長もおっしゃっていましたが、水産業関係の事業所は順調に施設を整備し、活気を取り戻しつつあります。しかし、水産業だけで女川町を支えることはできませんし、他の産業の誘致も必要ですが、そのメドは立っていません。

 災害公営住宅は集合住宅602戸、戸建193戸、計795戸建設する計画ですが、町人口規模から言っても多すぎる戸数です。既に平成26年3月に完成している「運動公園住宅」(200戸)を見に行きましたが、団地内にはコミュニティーカフェ、集会所は整備されていますが、周辺地域に店舗はありません。買物は「イオン移動店舗」の車が巡回してきた時に行なっています。団地は満室とのことですが、入居のほとんどが高齢者で、駐輪場にはほとんど自転車はなく、団地内には全く活気が感じられませんでした。

 また、避難所から仮設住宅に移る時、さらに仮設住宅から災害公営住宅へ、入居者同士のコミュニティーを一切考慮せず、公平性の担保という観点からの抽選のみで選考したことが、入居後のコミュニティー形成を難しくしています。阪神淡路大震災での教訓が全く活かされていないと言えます。行政の支援がなくても、団地内で住民同士が支え合って生活できるコミュニティーづくりに取組むことが大切です。そのために同じ地域の住民を集めることや、若い世帯から子どものいる世帯、高齢者世帯など様々な世帯が一緒に暮らせる仕組みを考えていくことが必要です。しかし、災害公営住宅は被災者に限られていることや、入居者選定は抽選のみで、ほとんどを高齢者世帯で占めていることなどで、持続可能なコミュニティーづくりの取組みが難しい状況です。今後、女川町が災害公営住宅を計画通り整備すれば、現在の西宮市(震災後20年経った)が公営住宅の維持管理費に年間27億円という多額の一般財源からの繰入を行なわなければならない状況に陥り、苦しんでいるのと同じように、高齢者が多くを占める災害公営住宅入居者への支援や、建物の維持管理費用が町の大きな負担となって圧し掛かってくることは明らかです。

 ソフトの面のまちづくりについては、商工・社協・復興住宅など縦割りで各担当課が担当しており、全体を統括している組織がなく、連携した取組みができていません。そのために全体のビジョンが見えてきません。ずっと住み続けられる街にするためには、人が人を支えあう持続可能なコミュニティーづくりに取組むことが必要ですが、その取組みを担当する組織が設置されていないことが問題です。

☆ 女川町は中心部地域以外に半島部に12の集落があり、集落ごとに高台移転による居住地整備や低地部の津波浸水区域での水産施設等の整備を進めています。住民の意思を尊重した計画だと思いますが、余りにも広範囲に分布しており、効率的な復興事業とは言えません。半島部を見て回った時になぜこんな場所にスーパー堤防が必要なのかと思う場所がありました。

 今後、駅周辺地域に新庁舎、地域医療センター、新小・中学校などが新たに整備されますが、女川町の復興事業は国の100%補助(=借金をしなくてもよい)という落とし穴にはまり、自治体の身の丈を超えたお金を掛けた事業になっていると思います。国の復興事業のメニューに問題があったことが原因していると思いますが、後で維持管理や行政サービスにどれくらいの負担が掛かるのかを綿密に検討していない自治体にも問題があると思います。

 今からでも復興事業計画や災害公営住宅の整備計画の見直しを行い、身の丈にあった事業を考えていくとともに、人が人を支える地域コミュニティーづくりに早急に取組むことが必要です。女川町の復興事業を見て、町は財政的・人的両面において大きな負担を抱え、町が破綻することが危惧されます。そして次の大きな津波が襲来する前に、女川町がつぶれてしまうのでないかという心配もあります。

 国は基盤整備という名目で「器」はつくりますが、その「器」に魂を入れることはしません。国の復興支援のあり方については、見直すべきです。

■ 南三陸町

 女川町と同じ復興事業メニューで、国道の嵩上げ(スーパー堤防)と土地の嵩上げ、高台集団移転の工事が進められており、女川町と同じ景色でした。おそらく女川町と同じような予算規模で基盤整備工事が進められていると思いますが、工事の進捗状況は女川町より遅れています。また、新庁舎、地域医療センター、新小・中学校など公共施設を整備する計画があると聞いていますが、インフラや公共施設、災害公営住宅の維持管理費、災害公営住宅の入居者への支援や住民の高齢化による行政サービスの増加により、女川町と同じように人的・財政的両面で町に大きな負担が圧し掛かることは明らかです。今からでも復興事業の見直しやこれらの課題に対する対策、人が人を支える地域コミュニティーづくりに取組まなければ、南三陸町も将来財政破綻する道を歩むと思います。

 南三陸町に派遣されていた西宮市の職員も、事業を見直すべきだと感じていましたが、それを言える雰囲気ではなかったとのことです。

■ 石巻専修大学 山崎泰央教授との面談

 山崎教授は「石巻市開成・南境地区の仮設住宅における東日本大震災後の生活と復興に関する調査」を行い、以下のような調査結果を公表しています。

① 仮設住宅の住み心地について、全体的に満足度が低いこと、

② コミュニケーションに苦労している様子がうかがえること、

③ ほとんどの回答者が復興を実感できていないこと。

 以上の結果から先生は、仮設住宅から恒久的な災害公営住宅への移転を進める際に、コミュニティーの維持を重視した対策をとるべきだ。人間らしい生活を送るためには、ハードの整備以上に、ソフトであるコミュニティーの再生や維持の方法を考えておく必要がある。行政は住民コミュニティーの維持・再生を意識しながら、移転できる方策に知恵を絞るべきだと提言しています。

 先生は災害公営住宅入居後のケアの大切さも強調されていました。石巻市でも災害公営住宅での孤独死が確認されている。起こるべきして起こったという印象、市は入居前に説明会を3回開くなど顔合わせに力を入れているが、入居後のケアが手薄だ。住民が部屋から出て来なくなったら、目が届かなくなる。行政は災害公営住宅入居を「自立」と位置づけているが、災害公営住宅は高齢者など支援を必要としている人が入るケースが多い。移転したら終わりという訳にはいかない。行政だけの対応に限界があるのは確かだが、入居が本格化する今後の対策に今回の孤独死の問題を生かさなければならない。また、市内の仮設住宅で実施した調査では、団地内で人間関係がなく、外部の人と連絡も取っていない人が7%いた。こうした人たちは災害公営住宅で孤立しても支援を求めない可能性がある。これらの対応としては、看護師や臨床心理士といった専門職をはじめ、多様な人たちが関わらないと解決できない。人と人との関係だから、無駄に見えて色々な人が関わることが一番大事。NPO法人や地元の自治会などが立ち上げることも求められる。行政はそういった団体が動きやすいよう、話合いの場をつくり、支援態勢を整えるべきだと提言しています。

 西宮市も震災後に始められた被災高齢者の生活相談・支援を行う「被災高齢者支援事業」や、入居者の安否確認・相談・援助を行う生活援助員(LSA)を派遣する「高齢者住宅等安心確保事業」は、震災後20年を経過した現在でも止められずにいます。行政がいつまでもこのような支援を担うのではなく、地域で高齢者を見守る体制を創っていくことが必要です。

 先生は市の災害公営住宅の入居者選考方法についても、東北地方の人々は地縁関係が強いのに、人のつながりをバラバラにしている今の選考方法には問題がある。避難所から仮設住宅に、また、仮設住宅から復興住宅に移る時に、公平性という観点からのみの抽選・選考のやり方が、入居後の地域生活の再生や維持を難しくしている。一定の大きさのグループで災害公営住宅への移転ができる方法を考えていくべきであると提言されています。しかし、石巻市はこの提言に全く対応していません。

 また、入居は被災者に限るといった国の方針にとらわれず、入居構成は若い世代から高齢者までの世帯が、バランスのよい割合で入居し、行政の支援がなくても団地内で人が人を支えあうコミュニティーが成立するような仕組みづくりを、最初から考えておくべきだと思っています。西宮市は震災後、このような地域づくりに配慮した入居方法を採らなかったために、入居者の高齢化とともに地域民生委員や市の担当者の負担が増大しています。

 東北の被災地の中で福島県いわき市豊間地区では、入居者の選定は抽選ではなく、いろいろな世帯が入居できるように、いろいろな状況を考慮した配点によって選定し、コミュニティーの融合を図る取組みを行なっている事例もあります。

■ 開成ネットワーク会議参加

 開成ネットワーク会議は、石巻市の開成・南境地区の復興支援の状況や課題などの情報交換を行なう会議で、月に1回程度開催されています。出席メンバーは、石巻スポーツ振興サポートセンター、石巻専修大学・山崎ゼミ、石巻市包括ケアセンター、ピースボート災害ボランティアセンターなどの方々です。

 石巻地区復興応援隊が主体となって活動されているようで、主な活動内容は、親子スポーツ、小学生対象ティーボール大会などを開催する「こども元気プロジェクト」、クラフトフェアや情報誌の発刊を行なっている「まちなか復興プロジェクト」、健康体操や農園プロジェクト、ウォーキングなどを実施している「仮設住宅支援プロジェクト」などです。

 石巻市内には多くのボランティア団体が各地域で支援活動を行なっています。石巻市役所にはこれらの団体を統括する担当課はなく、一つのNPO団体に委託して統括を図っています。しかし、そのNPO団体に統括する能力はなく、ボランティア団体間の連携が取れていません。また、市役所の財政面での支援も不十分で、各団体とも活動資金の確保に苦労しています。復興庁の「心の復興」事業に毎年応募している団体もありますが、復興庁の支援は単年度予算であり、継続性に欠ける点が問題であるとのことです。ボランティアへの積極的な支援が必要ですが、国はソフトの面の支援については十分な予算をつけていませんし、市もハード面の整備に手をとられ、ソフト面への支援には人的・財政的両面で難しい状況にあります。

 石巻市の高齢化率は全国平均より高い状況ですが、半島部など比較的地域の結びつきが強い地域では、住民相互の支え合いの中で高齢者も安定した生活を送ることができていました。しかし、震災によって高齢者のケアを担ってきた地域コミュニティーが崩壊し、市の主導で高齢者の住まい・医療・介護・予防・生活支援を地域ぐるみで一体的に提供する「地域包括ケアシステム」の構築の取組みを新たに始めています。市は市内最大規模の仮設住宅が並ぶ開成・南境地区に「包括ケアセンター」を設置し、医療・介護従事者の連携はもとより、地域住民を巻き込み、地域全体で連携して自助・互助の力を発揮する、そして高齢者だけではなく障害者や子育て世代も視野に入れた「次世代型地域包括ケアシステム」の構築を始めました。

 その取組みとしては、高齢者宅を訪問する医療・介護事業者が、タブレットで患者の状態を記録すると、ほかの関係者も共有できる、一人の患者を複数の専門職や家族の「チーム」で、リアルタイムで一元的にケアできる「ICTを活用した在宅医療体制」の構築や、包括ケアの重要な担い手である地域住民の人材育成に取組んでいます。「ICTを活用した在宅医療体制」の構築はすでに千葉県柏市で取組みが進められていますが、システムの構築やその後の運用に多額の費用が掛かることから、柏市でも全市展開ができていません。この取組みは発想的にはユニークであり、全国的に展開していくべき事業だと思いますが、多額の費用が掛かることから国の継続的な支援がなければ全市展開はできません。さらにこの取組みは国の「新しい東北」先導モデル事例にも紹介され、積極的にアピールしていますが、財政面・職員体制の両面において絶対数が不足している石巻市にとっては、国の支援打ち切りが事業の打ち切りに繋がります。地域コミュニティーが崩壊した地域にとってこの取組みは重要であり、国が他の被災地と同じように数年後に支援を打ち切らないことを望みます。

■ 特定非営利活動法人 石巻復興支援ネットワーク「やっぺす」

 「やっぺす」は石巻の方言で「一緒にやりましょう」という意味です。この団体は震災の10年以上前から市民活動を行なっており、震災後はそのつながりで外部の支援者の方々とともに、いち早く避難所、仮設住宅の支援を行ってきました。市の復興工事は住宅再建や産業の復旧を優先しており、子育て環境整備は後回しにされ、このままだと若者の流出を早め、若者のいない街になってしまうという危機感から、母親ならではの視点で、女性や子ども、若者の育成・サポートの活動を中心に展開しています。

 活動としては石巻の復興のために4つの分野の活動を行なっています。

① 小さなお子さんを持つお母さんが楽しく子育てできるためのサポートと子育てしやすいまちの実現に向けた環境づくりを行なう「子育て支援」、

② 誰もが笑顔で暮らすことができる多様性のある石巻を目指し、女性や子ども、若者を中心とした担い手の育成を行なう「担い手育成」、

③ 仮設住宅内でのカルチャーセンター、市民農園、子どもの遊び場運営等を行い、住民の方々がお互いに支えあえる仕組みづくりを行なう「仮設住宅への支援」、

④ 被災地での支援活動を希望する企業やNPO等のニーズと現地のニーズをマッチング及びコーディネイトする「復興コーディネイト事業」。

 具体的な活動としては、

 子育て中のママたちが集い、ゆっくりできる場であり、子どもと一緒に食事を食べたり、女性を応援する様々なイベントや講座を行い、ママたちの夢を応援する「ママカフェ」の運営、

 石巻市及びその周辺地域で、地域に住む人が趣味や特技、地域の良さを活かした体験プログラムを実施し、地域資源や人材発掘・育成を行い、石巻の魅力を体感することで、郷土愛を育む「石巻に恋しちゃった事業」、

 仮設住宅を中心とした地域全体の「コミュニティーづくり」、石巻のママたちが作ったハンドメイドアクセサリーを販売する「Amanecer」の運営、輝く女性を応援する「Eyes for Future by ランコム」などの幅広い活動を行なっています。

 活動の財源は市からの補助金では賄えず、その多くを企業からの寄付や販売収益などで賄っています。企業からの人材育成依頼(主に仮設住宅でのボランティア活動)にも積極的に受け入れています。「やっぺす」の活動は女性が中心となった活動であり、全市域やその周辺地域を巻き込んだ活動に拡大していきたいとのことですが、市の支援は当てにできず、今後の活動の財源確保が課題となっています。特に復興が一段落し、企業からの寄付が集まらなくなった時に、活動が続けられるどうか、苦慮しています。

 国の子ども・子育て新制度が施行され、石巻市は子育て支援の拠点づくりに積極的に取組まなければなりませんが、市はハード面の復興工事の影に隠れて子育て面の取組みを全く進めていません。そのため「やっぺす」の役割は大きいと思います。

■ 一般社団法人 BIG UP 石巻

 「BIG UP 石巻」は、

 石巻市釜・大街道地区(約6,000世帯)の在宅被災者への支援活動を行っている団体です。団体の事業内容は、釜・大街道地区に特化した情報誌「ゆくゆく輪」(毎月3000部)発行、

 地域活動の拠点、町内会の会議の場、情報交換や交流の場、新たなニーズの発掘、地域防災拠点等に使われている「街の駅コスモスの家」「街の駅たんぽぽの家」の運営、

 児童公園への美化清掃活動、道路計画予定地で畑を耕し植栽や野菜などを作り空き地の有効利用と同時に街に彩りを増やす「街に彩りを増やす活動」、

 地域の課題を話し合いながら住みよく新しいまちづくりを住民主体で目指す「街づくりワークショップ」、

 クリスマス会、遠足、カルビー株式会社とジャガイモ作り、放課後や季節休みの居場所作りなどを行っている「子ども支援活動」などの活動を行っています。

 釜・大街道地区は石巻市の沿岸部にあり、津波でほとんどの家屋が流出しました。復興事業として南側に高盛土防波堤道路を新設し、道路の海側は一般家屋は新築できない居住禁止区域に指定し、産業地として工場や企業の誘致を進める計画です。また、道路の北側には避難道路を新設する他、一部地域で区画整理事業と災害公営住宅の整備を行う計画になっており、今年度予算は通っていますが、多くの家屋が残っているために移転交渉が難航しており、事業が予定どおり進んでいません。さらに住民が整備をいち早く望んでいる高盛土防波堤道路(県事業)については、総論賛成各論反対の状況で地主交渉が進んでおらず、4年が経過した現在でも工事が進んでいるのはほんの一部で、道路の計画線の線引きさえできていない状況です。地区内では下釜第一地区で区画整理事業が進められている他には、地元住民がこんな街にしたいといったまちづくりビジョンを持って積極的に活動しているまちづくり協議会的な組織は立ち上がっていません。市の地域協働課が地区を4つのブロックに分けて「釜・大街道地区まちづくり懇談会」を今年3月に開催しましたが、それ以降開催されておらず、市のまちづくりの方針が全く示されないまま現在に至っており、地域住民はどうしたらいいのか戸惑っています。このように地域においては復興事業が停滞していると言えます。

 この団体は石巻市地域づくりコーディネート事業補助金と寄付金、物産販売等で活動資金を賄っていますが、厳しい状況にあります。また、活動の拠点である「コスモスの家」「たんぽぽの家」共に、地主より5年間の無償貸与で借り、企業の寄付金で施設を整備しましたが、地主より明け渡しの請求を受けています。地域の公民館が流され使用できない状況で、ボランティアが地域で活動するための活動拠点が必要です。しかし、市はその確保のための支援を行っていません。また、この団体は地区のできるだけ多くの被災者に情報を伝えたいという思いから、情報誌を発行していますが、市が個人情報保護の立場から被災者の移転先などの情報を公表しないために、被災者への情報提供に苦戦しています。

■ 石巻市蛇田地区災害公営住宅

 石巻市は各地区で災害公営住宅を整備していますが、蛇田地区の新立野復興住宅を見に行きました。三陸自動車道石巻河南ICの北側「イオン石巻店」の横に広がる敷地に、多くの災害公営住宅が建設されています。平屋建て連棟から3階建て、4階建てなどいろいろなタイプの災害公営住宅が建設されており、今でも建設が続いています。復興住宅とは思えないようなデザインや贅沢な建て方をした集合住宅が多くあり、効率的な維持管理を考えた設計とは言えない建物がほとんどです。将来公営住宅を払い下る制度があるために、平屋建て連棟のような贅沢な公営住宅を建設したのかもしれませんが、入居者の高齢化や公営住宅であれば維持管理費が要らないことを考えれば、払い下げを求める入居者はほとんどいないと思います。

 さらに西宮市では復興住宅の入居者のほとんどが復興住宅を「終の住処」と考えており、高齢化に伴い、入居者に対する支援(行政サービス)が増加していますが、これと同じことが石巻市でも起こると思います。また、西宮市では仮設住宅解消のために一時期に2,700戸もの復興住宅を建設したために、全体の市営住宅の戸数は1万戸となり、震災後20年が経過した現在では年間約27億円ものお金を市営住宅の維持管理費として一般財源から繰入れており、市の大きな負担となっています。さらに復興住宅を一時期に集中して建設したために、大規模修繕の時期が重なり、その財源確保にも苦労しています。

 石巻市も災害公営住宅の建設は必要最低限に抑えるべきであり、維持管理に多額の費用がかかるようなデザインの災害公営住宅は建設すべきではありません。また、民間住宅借り上げによる災害公営住宅への転用を考えているようですが、西宮市でも問題になっているように、事業収束の時期、事業収束による入居者の再移転の問題などを、前もって検討しておくべきです。国の100%補助(=借金をしなくてよい)による、多くの災害公営住宅建設ですが、今後、建物維持管理と入居者支援などで財政・人的両面で大きな負担が掛かり、対策が後の大きな重荷になると思います。

■ 石巻市渡波地区津波避難タワー

 この施設は石巻市内では始めて整備された施設で、今後、他3ヵ所で整備を計画しています。この施設は高さ約13mの鉄骨造で、付近は震災で高さ4.5mの津波が襲来したため、地上約10mの位置に床面積約120㎡の居室を設け、屋上(約110㎡)と合わせて、214人が収容できる施設となっています。居室には水、食料などの緊急物資を備蓄、女性や子供連れに配慮して移動式の仕切りで3つに区切ることができます。停電時に備えて太陽光発電設備と蓄電池で3日間の照明電源を確保できる他、2ヵ所の階段が設置されており、普段は階段の扉は施錠され、鍵を入れた容器は震度5弱以上の地震で自動解錠するシステムなっている上に、他の鍵を自治会役員にも預けています。事業費は約2億円で、国の復興交付金による全額補助で整備されました。

 この施設は避難に遅れた被災者のための施設であると思いますが、そのためには階段ではなく高齢者・障害者・車椅子などのためのスロープを設置すべきです。階段だけでは多くの人が短時間で避難できません。さらに上階に設置された居室には便所も給水設備も整備されていませんので、平常時の居室使用ができません。津波避難だけのためにこのような施設を整備するのは問題であり、計画段階から平常時の有効活用を考えておくべきです。

 また、石巻市は津波避難ビルの指定にも取組んでいますが、指定において1,000万円(?)の補助金を出す代わりに50㎡の居室を常時確保しておくことを条件付しており、常時部屋を空けておくことが難しいことから、指定を受けている避難ビルは少ない状況です。避難ビルは津波が襲来した時の一時避難の場所であることを考えれば、西宮市のように建物の廊下や屋上を一時的に開放することで十分だと思いますし、石巻市の整備方針(国の方針?)では、指定は進まないと思います。何でも予算を付けて過剰にするという考え方は止めるべきだと思います。

■ 岩沼市玉浦西地区災害公営住宅

 宮城県内でいち早く集団移転を完了した地域です。住民が自ら再建を手掛け、農地を埋め立てて、自力再建の戸建て住宅と災害公営住宅が混在する住宅団地が仙台東部道路岩沼ICの近く玉浦西地区に出来上がっていました。元々被災者が大きな住宅に住んでいたこともあり、災害公営住宅は戸建て感覚の2階建ての建物で、配置も余裕を持って配置され、災害公営住宅とは思えない印象を受けました。団地内には立派な公園も整備され、閑静な住宅地が出来上がっていました。

 今回の視察を通して全体的に言えることですが、どの地域も災害公営住宅の多くが将来の効率的な維持管理を考えた建物ではないと思いました。国の100%補助(=借金をしなくてよい)であったために、このような立派な建物を整備したのだと思いますが、今後、多くの被災地自治体が公共施設や災害公営住宅の維持管理の費用確保に苦しむことになると思います。

 沿岸部の高盛土防波堤道路(空港三軒茶屋線)は順調に工事が進んでいました。また、その東側に広がる岩沼海浜緑地での千年希望の丘プロジェクトも広範囲から人々を集めて植樹祭を開催するなど、順調に工事は進んでいるように見えました。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『みちしるべ』7月≪第90号≫... | トップ | 『みちしるべ』**徒然なる... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿