『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

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『みちしるべ』私のモロッコ紀行(3)**<2007.11. Vol.49>

2007年11月05日 | 藤井新造

私のモロッコ紀行(3)

芦屋市 藤井新造

フェズの街よリアトラス山脈を越え砂丘見学のためエルフードヘ

 いよいよ今回の旅行の目玉商品である砂丘見学のため、アトラス山脈を越える日である。

 山脈と言うだけあって4000mの標高がある山々がほぼ東西にわたり延びている。フェズの街を出発し、高級別荘地の間を通り抜ける。どの家も広大な土地に、何百坪もありそうな豪邸ばかりである。殆ど王家の係累のエリート族の別荘地と言う。ヘミングウェイの小説の題名「持つ者と持たざる者」を思い出し、ここでは貧富の差が歴然としているのを見せつけられた。

 この一帯を通り、1時間半も車が走るとアトラス山脈の山々の嶺がくっきりと見える。先ず中アトラス山脈からアトラス山脈へと、山の稜線を大きくまきながら峠越えである。車窓からの風景は、映画のフィルムを廻しているように変化する。赤茶色の土地であり、樹本も少なくなり、標高2178mのジャアド峠にさしかかっても、ここがそんなに高い場所であるとの実感が湧いてこない。

 アトラス山脈を越え、平地の方へとおりかかると、リンゴ畑がある。そしてこの地では大理石が多く採掘さねる鉱床があると言う。そのせいか道路上でアンモナイト化石を売っている小さい出店が、一定距離をおいて在るのを目にした。

 エルフードでのホテルはメルズーカ大砂丘見学のためだけで建てられたホテルのようだ。と言うのは建物の造りは外見上彩色豊かで、だだっ広いロビーがあって、ホテル内は安っぽい感じの装飾品ばかりである。

 早朝4時過ぎに起きて砂丘での日の出見学への準備。ロビーの温度計は気温4度。外は暗くて寒さのため厚着をし、マフラーを首にまいて外に出る。添乗員より番号札を渡されその番号の貼った4輪駆動車に4人乗車した。

 暗いので外の様子は全然見えない。乗車した中古車らしき車は、デコボコ道を容赦なくスピードをあげて走る。悪道のせいもあろうが、ドーン、ドーンと大きい音を響かせ走るのでお尻がはねあがり揺れる。前部のワッパを強く握りしめていないと身体が外に飛び出すのではないかと思えた位である。

 周辺は何台かの車が同じ方向を目指して走っているのが、車のライトの灯でわかる。およそ50分も走ると、日の出が拝める砂丘に到着する。時計をみると6時半である。そこから徒歩で50m位ラクダに乗る場所まで歩くのだが、細かい砂なので歩きにくいことこの上もなし。息もたえだえ身体を前のめりにして左右の足を交互に持ち上げ前進する。そう、泥沼に足を入れた時の感じとよく似ている。映画では、現地の人が軽々と歩いているが、普通の靴では砂丘を歩くのは難しい。

 私は、ラクダに乗るのははじめてであり、少し不安もあったが、ラクダの背に鉄製の横棒の取手があり、両手で強く握っていると、あっというまに太陽が昇るのを拝める場所に着いた。到着した砂丘の場所では、私達のツアーだけでなく、いくつものグループがあっちこっちに点在して固まっていた。言葉は、英語だけでなく中国語、韓国語も聞こえてくる。そういえば、どこかの街角で「チャイナー」と聞かれたことがあり、面倒なので無責任にも「イエス」と答え返したこともあった。

 まもなく7時前になると東の空に薄い光が射してくる。そして予定された如く丁度7時15分に太陽が姿をあらわす。前方向180度以上の広角に昇ってくる太陽を眺めることができた。まさに自然の幻想的な風景を肌で感じるような喜びを味わった。

映画ロケーションの地、ワルザザートの街

 砂丘見学を終え、今回のツアーで最も西の街、ワルザザートヘと向かう。途中モロッコのグランドキヤニオンと呼ばれているトドラ峡谷へ昼食のため立ち寄る。街道では両側でナツメヤシの木がたくさん植わっている。この峡谷の小川のほとりのレストランで昼食をとったが、面白いことに、言うと怒らねるかもしれないが、アルコール類は一切おいてない。従ってのみたい人は持参して下さいと、添乗員が前以て説明していた。戒律(禁酒)を守るイスラム教徒の信者が多数居住している土地のせいかもしれない。

 この峡谷の川沿いで衣類を洗濯したり、それらを木の枝とか、木と木を紐でつなぎ干している光景をみかけ、なんとなくなつかしかった。この地方では、先住民のベルベル人が早くから定着し、今も自然の中で昔からの習慣として、川の水をこのように上手に利用しており、家屋は赤土を使い、日干しレンガを作り組み建てており、それは古代から人間の叡知を活かした生活の営みが延々と続いているように窺えたからである。

 ワルザザートヘ行く街道は別名バラ街道と呼ばれている。途中、日本の道の駅の大きさのショップでバラの花からとれた化粧品、オイルを売っており、ご婦人方は一斉にそのコーナーに殺到していた。又、道端でナツメヤシの乾燥したものを売っている人がいる。試食すると結構おいしいので、1kgの箱詰のものを買った。

 ワルザザートヘの道をおよそ500m以上の峡谷に沿ってバスが走る。トルコでコンヤからカッパドギアヘ向かう200kmの行程でも確か信号は一つしかなかったが、ここも同じである。但し、ここは薄黄色で、どちらかと言えば、赤く黒ずんだ土の色に近く、陽のあたりようで山の麓の色が変化に富み単調さがない。

 ワルザザートの街はずれに、映画製作所が三つもあり、映画『アラビアのロレンス』の舞台になった村を通る。このあたりは、映画『アレキサンダー大王』のシーンが撮影されたと聞くが、砂漠に近くロケーションとして格好の土地だったのかもしれない。

 ワルザザートからマラケシュヘの道も、2260mのテイシカ峠を越えて行く。オート・アトラス山脈も3000mから4000rn級の高い山が連なっており、この山脈越えで出会う車は少ない。わずかに建築資材を積んで走っている大型のトラックとすれ違う位である。

モロッコで二番目の古都マラケシュヘ

 マラケシュの街は、北は大西洋から又、サハラ砂漠からと多くの人々が集う都市である。歴史的にみると、11世紀ベルベル人による最初のイスラム国家が誕生し、王朝の宮殿をここに設営した。モロッコでフェズについで二番目の古都である。

 長い間首都がここにあり、商工業だけでなく、学問、芸術をはじめとした文化都市であった。それ故か、旧市街地の建物は整然として並んでおり、公園にはナツメヤシ、オリーブ、の木がたくさん植えてあり、赤茶色の建物の色に対し緑色が映え、美しい街である。西洋のどこかの都市とみまちがえるように、観光用の二頭馬車が人を乗せてゆったり走っている。

 この街に着いてすぐ世界遺産として有名なサアード王朝(16世紀~17世紀)の大墳墓群、バイア宮殿を見学した。王朝の衰退の歴史を説明してくれたが、名前を覚えるのが難しい位古い歴史のある都市であることはわかった。

 私がモロッコヘ行って見たかったのは、最初のカサブランカの街、続いて大砂丘見学、そしてジャマ・エル・フナ広場であった。

 まだ明るい陽が射す間を利用して1時間余りこの広場を見て廻る。何千人もの観光客が集う大広場は多くの見世物がある。例えば蛇使いが笛を吹くと蛇が起き上がり、周囲の人が興味深く見ている。アクロバット芸をしている大道芸人を囲み、大勢の人が輪を作り見て楽しんでいる。そして広場全体の中央に屋台があり、周辺にナツメヤシ、リンゴ、ミカンの果物類、香辛料などの店が何十軒もあり賑やかである。日本の出店と店の規模も違い大きいものばかりである。

 屋台の一角ではケバブを焼いて食べさす店があり、観光客だけでなく、土地の家族連れらしい客が椅子に座って並んでいる。陽が沈むと、広場全体の各所で電灯が煌々と輝き、まるで昼間のように明るい。

 この広場の北側にスーク(市場)と呼ばれる有名な商店街(?)があり、衣料品、生鮮食品、装飾品、家具、皮革、陶器……と日常生活に必要なものを含め、ありとあらゆるものを売っている。つれあいが鞄を買うため一軒の店に入る。それから値段の交渉が大変である。店員が値段を下げて数字を書き示すのだが、こちらが高いと言うと、「そちらで値段を言え」と言葉が返ってくる。こちらで数字を書くと、首を振って売らない。店の外に出ようとすると、そこは売り手の方でなれたものである。値段を下げて売ると言う。店員が、商品の「売り方」をまるで楽しんでいるように思えた。

 この旅で連想したのは、映画『モロッコ』のラストシーンである。外人部隊が砂漠に向かって行進をはじめた時、この部隊を後追いするように多くの女達が歩いて行く。その女達の一人で、歌姫に扮する女優、マレーネ・ディートリッヒが婚約者との約束をけって、急遽靴を脱ぎすて、愛する兵士、トム・ブラウン(ゲーリー・クーパー)の姿を追う印象的な激写があった。この映画で忘れられない場面である。実は、私のモロッコ旅行への誘いも、この映画の(甘美)な終わりによったのかも知ねない。やはり「女性の靴」に縁があったのか。

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