与力大塩平八郎展を観て
代表世話人 大橋 昭
かねてから近世江戸時代の民衆の一揆(世直し)について学ぶ機会を期していたところ、今秋伊丹市立博物館で開催中の秋季企画展・「大塩平八郎の乱と伊丹」を観る機会に恵まれ早速でかけてみた。
周知のように江戸時代の四大飢饉には、寛永・享保・天明と江戸後期の天保の大飢饉が特筆され、天保の飢饉も例外なく洪水や冷害を原因とし、その影響が米の不作をもたらし、米価の急騰が庶民の生活を直撃、各地に百姓一揆や打ちこわしが頻発したことは歴史の示すところである。
今回の催し展は今年が天保の「乱」(大塩らによる反幕府革命蜂起)から数えて170年を迎えるのを機に、飢饉と「乱」との因果関係を探り、これらを単なる過去の出来事として風化させてしまうのではなく、改めて「乱」の今日的意義を見直す意欲的な企画は、時代考証も当時をリアルに再現する数々の展示物によく整備され充実した内容であった。
先ず会場入り口には「乱」に際して掲げた「救民」の旗が目を引く。また「乱」の全容(蜂起にいたる経過や顛末まで)を理解しやすいように作られたVTRの活用や、有名な「四海困窮」に始まる中国の古典を出典にした、民衆への蜂起を呼びかける檄文の現代語訳などの文献が展示され、この「乱」が幕藩体制崩壊の引き金となった歴史の内実を再現し今を生きる私たちに日頃忘れがちな先人たちの義挙を思想的精神面からも単なる回顧の次元に終わらせず、理もれかける近世史の熱い歴史にスポットライトを当て「温故知新」を実感させてくれる意義深いものを感じることが出来た。
大塩平人郎は江戸後期の大坂東町奉行与力。江戸時代の大坂の統治は東西奉行所が掌握し、その配下で東西各30騎の与力と50人の同心が警務を担う。「乱」の首謀者大塩は陽明学者としても名を知られ、その主張や行いは「知行合一(先ずその言を行い而して後にこれに従う)」を信奉する儒学者で、彼の清廉潔白はつとに知られ周りからの信望も厚く、また伊丹との関係が深かった国学者・頼山陽との深い交わりもあった。
大塩は度々伊丹に出かけては商人や農民に陽明学の出前講座を行ったという記録も遺されている。38歳で養子格之助に家督を譲り隠居。
時に天保2年(1831)摂津国川辺郡(今の伊丹付近)で流行していた豊年祝いの神踊り(お蔭踊り)とは裏腹に、その後の天候不順は人々に想像を絶する飢餓地獄をもたらす。歴史に言う「天保の飢饉」の始まりである。
しかし、多くの窮民や餓死者をよそに役人たちは町人からの付け届けや賄賂で私腹を肥やし、市中に餓死者の出る惨状に有効な対策を立てずに放置、この事態を看過できないと考えた大塩はすぐさま町奉行に窮民の救済策を上申するも事態の解決には至らず、鴻池などの豪商にも救済を訴えるが思わしくいかず、無為無策の幕府権力・町奉行・豪商の対応に激怒する。
ここに至り大塩は信奉する儒教の教えに従い、飢餓に苦しむ窮民の救済には自ら所有する書籍を売却し(当時の価格で620両ともいわれる大金)、これを救済金に当て多くの庶民を救済し、また「武装蜂起」の準備資金に当て、同時にこの日までに近隣四方に「檄文(呼びかけ文)」を発し蜂起の正当性を訴え、市中見回り途中の町奉行を襲撃する予定であったが、直前の寝返りに遭ったために予定よりも早い天保8年(1887)2月19日午前8時、20余名の門弟と共に自宅に火を放ち決起する。蜂起隊は「窮民」「天照皇太神官」の旗や幟を先頭に掲げ、豪商の屋敷などを焼き払いつつ蜂起は決行された。その主力は与力時代から陽明学の講義を通じて開いた私塾「洗心洞」(封建社会の矛盾を説き、天下の政道のあり方を教え「知行合一」の哲理の実践をめざす)塾生や、近郷近在の町民や農民や下級武士の他に、大坂奉行所の与力や同心、摂津や北河内などの豪商も塾に学んだことが知られている。「檄文」を読み蜂起に加わった人数は100余名であったという。
市中の豪商宅に当時としては異色であった種々の火器(大筒・棒火矢・炮碌)による攻撃を加えたことで大坂の町は約5分の1も焼失し、約3400戸の家屋も焼失する大火をもたらしたが、庶民はこれを「大塩焼」と語り非難する者はいなかったという。
しかし峰起側に利あらず、僅か8時間後には鎮圧されるという悲劇的な結末を迎え、幕府による蜂起参加者への探索は夜を日に執拗に行われ、死罪を含む苛烈な処断で多くの命が奪われた。蜂起の衝撃波はしかし、遠く越後や備後に伝播、飛び火し、燎原の火のごとく燃え広がり、各地での一揆や打ちこわしが続く。
支配階級内部からの反乱に幕府・諸幕の動揺は収まらず、これが後に「天保改革」を生む契機となるも、大塩は蜂起に先立って幕府首脳へ不正の調査報告を送っていたことが近年の研究で昭かにされている。
遠い天保の昔に世の不正を許さず、命を賭して民衆のため「乱」を起こした義人たちの、早すぎた革命がやがて徳川藩幕体制から近代明治維新への導火線となって行く歴史の激変に息を呑む思いをする。
翻って今日、私たちの周りの政治家に民衆を思う誠なく、私利私欲を追う官僚どもの汚職、信用よりも嘘・偽りで金儲けに狂う商人の横溢、際限なき格差社会の矛盾に世も末かと嘆きたくなるような世相だが、「大塩平八郎の乱」の燦然と輝く歴史に触れ、「世直し」へ「造反有理」の必然を意識した。
記述には展覧会パンフ等を参考にした
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