『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』逞しいカンボジア**<2001.1. Vol.9>

2006年01月04日 | 前川協子

逞しいカンボジア

前川協子

 念願のアンコールワットを見に、去る十一月末にカンボジアを訪れた。まだ関西ではカンボジアの単独ツアーが無くて、タイを兼ねての旅となったが、それでも参加者が少なくて非成立が続いた挙句のことだった。私は不勉強で彼の国の現況を余り知らず、手探りの旅支度となったが、行ってみると乾期の冬に当たり、でも空は真っ青で真夏日が続く好天気だった。赤茶けた大地に未開発の自然が残り、石の壮大な遺跡文化やギラギラ光る眼を持つ野性的な民族の暮らしに触れて、私は圧倒され、魅了されて帰ってきた。それは長年にわたって虐げられながらも自力で生き抜いてきた人達の、文明に対する一種のリベンジ、或は国土に対する絶対的な自信を感じ取ったからである。私は既に先進国が見失ってしまった地球環境と民族文化の原点を再発見し、改めてこの国への理解を深めたいと思った。

(一)観光立国タイ

 関空から六時間かかって着いたバンコクは高速道を張りめぐらした大都会に変身していた。十年一昔というが、かつて訪れた時の殺風景な空き地が続き、日本の大企業が土地を買いためつつあるという看板の類は何処にも見当たらなかった。どのような変遷をへて、今日のような不夜城に変身していったのだろうか。相変わらずタイ名物の渋滞はひどく、さりとて王室関係者がノンストップで走り去る間も、一般車は従順に立往生して待っているのどかさだ。目抜き通りの至る所には王族の大きな肖像画が掲げられ、王宮の横を通りかかった時も現地ガイドが「王様はほとんど此処で過ごされることもなく、地方を廻って視察されている」とうっとり語っていたので、尊敬の念は深いようだ。どこへ行っても目につくのが、金箔の寺院と家の門先に祀られた祠である。信仰心の篤い穏やかな人達が、懸命に日本語を学ぶ姿には思わず衿を正した程だ。

(二)カンボジアの現実

 タイからカンボジアに飛び立つ時の拠点、スコタイ空港は、天国のような安息感に満ちた感動的な美しさだった。ポツンと小さな郷土色豊かな建物があるきりなのだ。ところがそこからプロベラ機に乗り、カンボジアのシェムリアップ空港に着くと、一転して軍服姿の兵士の看視の下で「撮影禁止」等の注意事項が言い渡される。夜の屋外は漆黒の闇で、時たま街路沿いに裸の蛍光灯をぶら下げた夜店があり、人々が群がっているのが散見された。まるで終戦直後の闇市さながらである。勿論、夜遊ぴは危ないから外出しないでと言われ、ホテルはそれなりの格好をしていても、たとえばバスを使おうと思っても薄茶色のお湯が出てギョッとし、それも最初だけで忽ち水になって驚く。時折の停電は当たり前。生水を飲むのも厳禁。観光ルートを外れるのもご法度で、毎年地雷のために何十人の死者が出ると聞く。道は国道といえどもガタガタの地道で、車に乗っていてもまるでジェットコースターに乗っているようだ。観光ルートを走っている時でさえ、突如、道の真中が工事中で穴ぼこや石のため通れなくなっていて、それでも運転手は不平一つこぼさず黙々と車返しをし、紆余曲折の道を探して行く名人芸、その根気強さには感心した。現地ガイドの若い男性が「親も兄弟も内戦で死に、自分も17才迄学校にはいけなかった」と語り、日本語を独力で学んでガイドの資格を取ったことを「これからのカンボジアに通訳は幾らでも要る」と喝破したことや、「カンボジアには豊かな水辺と豊かな作物があり、一世帯平均5人の子持ちなので、幾ら内戦が続き、外国が攻めてきても、絶対、生き残り勝ち残ることができる」と言った反面、「日本は少子化で食料の自給率も低いから負けるだろう」と指摘したことに鋭い時代感覚と予知本能を感じずにはいられない。それが虎視眈々たる日付きに現れてくるのだろう。逞しいといえば、カンボジアの子供達は今でも裸足の子が多く、学校に行けるのは幸せな方で、ほんのヨチヨチ歩きの子ですら「1ドル1ドル」と物売りに走り回っている。しかも小学生でさえ鉛筆を持っていないと聞くと、日本からの援助物資はどこへ消えて行くのか不思議でならない。「それは皆、エライさんがお金に替えてしまう」とか「エライさんがワイロを取る」という国辱的な日本語を聞くと、いずこの国も同じ腐敗の構造を嘆かずにはいられない。しかも一方では観光客目当ての開かれた門戸もあり、若者にはオートバイが人気の的らしい。オートバイに跨がり観光客を乗せてタクシー代わりに走り回る姿や屯するグループが見受けられた。またアプサラダンス(民族舞踊)の見事さや、一心に精進する若い踊り子達を見ていると、その純粋さを観光化に毒されることなく継承してほしいものだと切に願った。余談ながら日本の泥鰌掬いにそっくりの踊りもあった。

(三)カンボジアの真髄

 さて、目当てのアンコール遺跡であるが、アンコールは都市、ワットは寺を意味し、近くにあるアンコールトムと共に、12世紀頃のアンコール王朝時代に建てられたものである。長い間の内戦と自然の脅威に晒されて、今にも崩れ落ちそうになりながら、それでも菩提樹の根に巻かれ守られて、現世迄生き延び世界遺産に指定されたということは、まさにカンボジアの誇りであり真髄でも あろう。その二大クメール芸術の凄さは、善と悪の強烈な攻めぎ合いや、ヒンズー教、大乗仏教等の混沌とした信仰を、人間の手で荘厳かつ重厚な石文化に高めた価値である。もう一つカンボジアの特筆すべき壮観は、トンレサップ湖の広大な湿原風景だった。そこで洪水と共存しながら寄り添って暮す。自然と人間の共生環境には強烈なインパクトを受けた。

明け初めしアンコールワットの早原に馬曳く少年の口笛響く

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 『みちしるべ』猪名川昔語り... | トップ | 『みちしるべ』横断車道(9)*... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿