『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』横断車道(56)**<2009.3. Vol.57>

2009年03月08日 | 横断車道

日頃、車を利用する人も、しない人も、姿形は変化するものではない。但し、車依存症の人は歩かないし、乗車時の姿勢がリクライニングで、腰への負担が大きい。よく歩く人と比べれば、格段に腰痛持ちのことが多い。とは言え、見場は変わらない。ところが、脳内の働きは随分と変化することに注目したい▼駅から2km程度であれば、急坂でない限り、健常者であれば充分に歩ける距離。ところが日頃、車を運転していると、その僅か20分の歩行が長時間に感じてたまらない。マイカーなら数分なのだ。歩けば周囲の景色も見られるし、色々の人々にも遭遇する。車を運転していると、多くのものを見逃すのだが▼ところで、マイカーの値段が200万円としよう。その200万円を稼ぐのに、日8時間・月25日・半年間も働いた。合計1200時間を要したのである。毎日、2kmの駅まで往復して、歩行と車の時間差が30分として、年間183時間足らず。1200時間から183時間を差引いて、歩いた方が早かったわけである。単に駅までの往復2kmであるが、どんなにマイカーを飛ばしてみても、歩いて往復するほど早くないことは明瞭である▼都市の生活では、歩けば直ぐに信号機に出くわす。「赤信号、みんなで渡れば怖くない!」と志村ケン氏が言って、大流行。ヒンシュクを買ったものだ。ともあれ、自分の進む方向の赤信号は極めて煩わしい。何処で子供が見ているか分からないので、信号無視はしないと決め込んでいるのだが。この目障りな信号機。誰の為にあるのだろうか? 車に乗る人は『歩行者保護』のためだと考えている。が、実際は『車が事故を起さない為』だけに存在する▼東京銀座の複雑交差点のスクランブル信号。歩行青信号の時に1000人くらいが一度に行き交う。ところが、歩行者同士がぶつかった事故など聞いたことはない。一方、相互に日交通2000台程度の道路の交差点。信号機がなければ、毎年のように事故が発生する。日交通5000台ともなると、毎日の事故となる。殊ほど然様に『車というものはドン臭い』存在なのだ▼こうして客観的・科学的指摘をしても、車依存症の人々は反論の根拠を無理にも探そうとするのだ。何も『車の廃絶』なんて言っている訳ではない。日本経済が、世界経済が、車に過度な傾斜をし、車対応型社会の歪さを極度に体現してしまった。その反省も必要だと言いたいのだ▼100年に1度の大恐慌などといわれているが、アメリカのビッグ・スリーの末路を見た気がする。日本の自動車産業も、今のままでは立ち行かないだろう。世界の需要を遥かに越えた生産は転換されるべきだ。高速道路密度世界一の日本に、もう高速道路は要らない。今時の若者は低所得で、マイカーを所有する気も余裕もないのだ。偏重してきた『車依存社会』で、国民的目線も変えるべき時を感じている  (コラムX)

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