参画と協働の危なさ
代表世話人 砂場 徹
兵庫県井戸知事は、就任に際して次のように語っている。「県民のみなさんの見方や考え方を大事にしながら、それに的確に応えうる県政が強く求められてくるのです。私はそれを『参画と協働の県政』と申し上げています。参画と協働とは、まず、県民の皆さんと一緒に議論しながら、県政のあるべき姿や方向性をまとめあげる、そして、その実現に向けて、共に懸命な努力を続けていくことなのです。・・・」と。
私たちは、知事のこの言葉に異論はない。と同時に疑念も抱く状態である。知事就任以来1年余り、やっと県は11月県会に新骨子案を提出した。そこに示された「参画と協働」は私たちが期待する「参画と協働」とは違ったもののようである。元来くっつかないものを、くっつけようとする、あるいはくっつくように思わせる類の無理がある。
「対話と信頼」、「参画と協働」などの言葉は前貝原知事の頃から使われていた。その当時県下の芦屋、西宮、宝塚、川西、尼崎各市で、道路建設をめぐって地域住民と行政が各市で鋭く対立していた。市と住民団体との交渉で市の一職員が「われわれには権力がある」と公言したり、市長が住民の座り込みの抗議行動に1回約30万円の罰金を課すことを裁判所に求めたり、市の職員を動員して住民と直接対抗させたりした。他の市では市長が「反対団体とは会わない」と6年間その団体と話し合いを拒否し通した。そのような状況下でも県と幾つかの市の行政は、冒頭にあげた言葉を使っていたのである。対立の理由は、良好な環境の破壊を防ごうとする住民の声に対して、行政が説明責任を果たさず、住民の声を無視して強引に工事を推し進めることに対する住民の反発である。つまり「参画と協働」とは逆の事態なのであった。言葉だけいくら新しく変えても、行政の住民団体に対する非友好的態度は変らなかったという経験を私たちは味わってきた。この状況は現在も存在する。最近の県の「参画と協働」ぶりを1、2、の事例から見てみよう。
①武庫川委員会について
県は、ダム建設を含め、武庫川の総合治水について住民と話し合うために「武庫川委員会」を設置することを決めたが、「準備会議」の委員の選び方や、運営方法などの段階でまだ先が見えてこない。とりわけ重要な問題は、県が事務局を民間シンクタンクなどに任せると決めたことである。「行政がシナリオを描くのでなく」というが、そのこと自体、一方的に行政がシナリオを描いているのである。それはさておき、行政が全く関与せず、権限のない民間シンクタンクを事務局にしてこの会議を運営し結論をだせるはずはないし、もし結論を得たとして、国と県がそれに無条件に従うことはあり得ないだろう。県が表にでず、「委員会の遠隔操作を意図していると見てもおかしくない。それは行政の責任放棄であり、姑息なごまかしである。
②「尼崎21世紀の森構想」
市報『あまがさき』(2002.6.25)は次のように報じた。「このほど兵庫県と本市が共同で、本市臨海地域(国道43号線以南の約1000ヘクタール)を対象とした、『尼崎21世紀の森構想』を策定しました。」と。そして、森構想は、市民・事業者と行政が協働で推進する取り組みである。「森づくり協議会」を設置し、これへの市民の参加を呼びかけている。だが、市報に掲載された構想では、すでに詳細な計画が示されており、市民は「参加」するだけである。とりわけ私たちが関心をもった「1000ヘクタールの森づくり構想」にかかわると見れる「自然生態の保全育成の森」地域は、森構想のほんの一部分であり、「産業をはぐくむ森」などわけの分からない地域もあり、私たちが想像したような森をつくるのではなかった。この土地は神戸製鋼が撤退して放置し、荒れ放題であった土地を県が買い上げたもので「企業救済の事業に手をかすのか」という疑問の声が出ていたのである。これでは県が推進する湾岸開発の一部分を手助けすることで「参画」でも「協働」でもない。
このような、実態のうえに立って、私たちは「参画と協働」に一般的に賛意を表しながら具体化を注目してきたのである。さて、二月に提出するはずの「参画と協働」条例案が議会によって阻まれた理由は、その担い手を参画と協働推進委員会が、「認証」するとした点であったが、新しい案の骨子も本質的には原案と同じである。
県の新骨子のどこが問題か。条例案は、行政と県民の対立を予防することに力点があり、貫いている考え方は、結果的に行政に県民を協力させるという構図から抜け出してはいない。元来、行政と住民の対立はあり得ることで、対立なしに県政がすすむことはありえないといって過言ではない。その矛盾の正しい解決こそが新しい前進をもたらすのである。先に述べたように、私たちが国と県とに対立した中心的問題は主として、井戸知事がのべている「主役は県民である」が行政によって踏みにじられてきたことにある。私たちはこの状態を改善できるよう切望しているのであって、運動体として県政全般に関与することをのぞんでいるのではない。
それゆえ①条例。②二つの分野に限定する。③各団体が活動内容を「登録」し、活動の評価・検証を受ける。このようなことは、すべて必要ない。「参画と協働」とはこのようなことと無縁のものではないのか。「協働」する資格を与えてもらったからといって、その個人・団体の見解が、県民の見解を代表するものとは言えない以上、結果的に行政と一体になって、異なった見解を住民団体におしつける可能性を否定できない。その責任は重大である。私たちはこの案にくみすることはできない。
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