道路と都市計画の基礎知識
大震災と道路行政 Vol.4
世話人 藤井隆幸
4-1 大震災直後の情報収集
Vol.3で説明したように、阪神高速は来るべき南海地震(東南海地震)に耐えうるべくもない。また、大阪の上町断層の直下型地震でも同じである。それは道路橋に限らず、高層建築物が採算性の問題だけから急増し、プレート間巨大地震には免震構造であれば、余計に大きな被害が考えられる。地震動の周期と免震構造物の固有周期が同調した場合、信じられないような破壊が起こる。同時多発テロで倒壊した貿易センタービルではないが、建物内の人命は絶望的である。近代高密度都市が巨大プレート間地震に見舞われたことは、人類史上、まだ経験がないことを銘記すべきである。
政府の「地震予知連絡会」の「予知」が外される事になった。それは人類の知恵では、当面、地震の発生については予測不能を認めた為だ。それだけ地震の発生可能性を論じる事は難しい。従って、当面の焦点となっている南海地震に関して、ここでは論じてゆきたい。昭和(1944年と1946年)地震を除く、過去の慶長(1605年)・宝永(1707年)・安政(1854年の1日違い)地震のように、東海・東南海・南海地震が同時発生した場合の、最悪のシナリオで考えてみたい。太平洋ベルト地帯の総ての都市がダメージを受ける。
阪神淡路大震災時の教訓の第1は、何処で何が起こったか、行政が把握するのに時間がかかりすぎたことだ。日頃は9割9部の加入電話は、受話器が置かれた状態であるが、その時は9割9部の受話器が外された。回線はパンクし、電話は不通になると覚悟しておかねばならない。阪神淡路大震災当時は、携帯電話の普及率は非常に低かった。その為、携帯電話は通じやすかった。しかし、8年後の今日、加入電話よりも普及したので、次の大震災では加入電話より以上に不通になるであろう。
行政は防災無線の重要性を、改めて感じたものであった。しかしながら、行政拠点間で連絡できたところで、広い地域の情報は入ってこない。そこで考えられるのが、タクシー無線の存在である。神戸市はそこに注目し、タクシー会社と震災時の情報提供に関して、既に契約(中身については深くは知らないが。)している。
都心部では24時間、タクシーはあらゆる場所に配置されている。それにドライバーは、極めて地域に詳しいものである。震災時には移動は限られるが、最も広範囲の情報が入手可能である。但し、タクシー無線の基地局が被災したのでは、全く役に立たない。神戸市の対策は判らないが、基地局のある建物の耐震性と自家発電能力を確保しておかねばならない。そして受け手の行政の防災担当との連携が重要である。時には訓練も必要であろう。タクシー・ドライバーの意識によっては、日頃の防犯にも効果的である。
震災時には初動で必要になってくる情報収集体制であるが、兵庫県や阪神間の各市が、そのようにタクシー会社との契約をしているとは聞いたことがない。喉もと過ぎれば何とやらである。すぐにも着手して欲しい課題である。
4-2 大震災直後の道路交通規制
次に必要になってくるのは、自動車交通の混乱を如何に防止するかである。本稿では扱わない項目であるが、航空機対策も大変であろう。国際空港や1種空港では、ラッシュ時には1分間隔で発着しているわけである。プレート間地震は数分間も揺れる事になる。激震時に着陸した機はどうなるのであろうか。日本の主な国際空港は大半が被災する事になり、他の受け入れ可能空港だけで間に合うのか疑問である。隣国にも協力を要請しなければならないであろう。また、震源から距離のある東京湾・伊勢湾・大阪湾でも、大規模津波が30分後には到達する。関西空港はともかくも、星の数ほどある船舶を避難・誘導システムはあるのだろうか。本稿に関係のない問題提起はさて置き、本論に戻ろう。
大震災が深夜に発生した場合は、不幸中の幸いかもしれない。しかし、発生直後には、比較的被災の少なかった地域から、深刻な被災地へ車が殺到するのは、阪神淡路大震災の教訓である。特に高速道路のバイパスとなる地域には、信じられないほどの車が殺到し、阪神淡路大震災の長田区のような大火が発生する可能性が大きい。
一般には知られていないが、高速道路や有料道路は設置管理に於ける安全確保義務から、大地震直後に供用が中断される。安全が確認されるまで、供用が再開される事はない。その為、大半のドライバーは高速道路のバイパスとなる道を模索するのである。しかし、高速道路ほどの交通容量を有する一般道は存在しない。阪神高速3号神戸線と山麓バイパス(神戸市道路公社)の迂回路となった、長田区の東西道路は車の渋滞で、空間なく完全に埋め尽くされた。長田区の南北交通は遮断され、有り余る消防車が隣県から救援に来ていたにもかかわらず、その送水ホースは自動車に踏み潰されて、送水は遮断されてしまった。
大震災は昼間に起こることも在り得る。その際、ガレージになおしてあった車以外は、被災したら諦めて欲しいと説明するのが良識である。数1000万円の外車であろうと500万円の国産高級車であろうと、所有権を放棄して欲しいと説明しておくことが肝心である。「震災時に公道にある車は、路肩に寄せて鍵をつけてドアロックせずに停車させる。」このように説明する行政は、車のオーナーに深刻さを伝えていない。昼間の交通量の多い都心では、車の存在そのものが都心部の混乱材料で、被害を拡大させる最も大きなファクターである事を、きっちり説明しておくことである。家の次に高価な持ち物であろう車を、一般の人々が容易に諦めてくれるわけがない。
かといって、総ての車が家路に着いた場合、都心部の混乱は多くの人命を奪う事になりかねない。一挙に大量の負傷者が出るのであるから、その搬送は大量の救急車を必要とする。また、火災も同時に多発し、消防車の活動も一斉に必要となる。ガス漏れも高電圧の漏電も多発するので、二次被害の抑制に緊急車は走り回らなければならない。その最大の妨害物が、総ての公道のマイカーなのである。
阪神淡路大震災の時は幸いにも早朝であった為、被災地の住民の多くはマイカーを使わなかった。道路も破壊されて、通れない事が判るからである。使用したのは、比較的被害の少なかった地域の住民であった。しかし、昼間に地震が襲った場合は、違った様相を示すのである。多くの市民は職場や学校にいるわけで、移動しようとする目的地は我が家である。車で出勤・通学しているものは、困難でも車を使用すると考えるのが普通である。
行政が震災時のマイカー放棄を言わないのであるのなら、その対策を講じるべきである。第1は既に震災時に公道にある車の対策である。公園や学校の校庭・民間を含むグラウンド・球技場等の広い敷地、その所有者とあらかじめ契約しておいて、大震災時には臨時駐車場にするべきである。また、4車線以上の道路の1車線は横向きに駐車する指定を、あらかじめ決めておく。そして、日頃から看板を立てるなどして、周知・徹底しておく必要がある。どんなに交通量の多い時間帯でも、保有台数の2割が公道にあるに過ぎないのである。
第2には、職場や学校近くの駐車場にある車である。震災時には車の使用を禁止する旨、日頃から徹底しておき、防災訓練では歩いて帰宅する事もしておくべきである。阪神淡路大震災では、20kmの距離の母親宅を車で訪ねた人が、27時間かかったと言っていた。歩いた場合は、遅くとも5時間で着くはずである。
大震災後は混乱回避できる1週間から1ヶ月は、総ての公道から警察・消防・自衛隊・自治体・道路公団・ガス会社・電力会社の緊急車以外の通行を、地域を指定して完全に止めてしまうことが重要である。しかし、警察官であってもドライバーにはそれぞれの事情があり、制止は不可能であろう。その際、市民の止むを得ない足を確保する為に、タクシーの運行は認めるべきだし、運賃の公金支出も考えるべきであろう。
4-3 72時間は人命救出が最優先
阪神淡路大震災の朝、尼崎市の一部では朝からパチンコ店が開店していた。お隣の大阪市ではほぼ平常の社会生活が行われていた。これが直下型地震の特徴である。被災地はごく限られているのである。が、プレート間巨大地震の場合は広大な地域が被災し、救援が来る事は期待が出来ない。
阪神淡路大震災の場合、建設省は当日から区画整理の調査に励んだ。また、当面放置しておくべき、倒壊道路の後片付けを翌日から大規模に行った。鉄道に於いても、復旧作業の着手は早かった。これらは被災地が限定されているから出来たともいえる。プレート間巨大地震では不可能な事でもある。しかし、道路行政担当者は今でも、震災直後に重機を大量に動員する事が、震災の重要事と心得ている。
生き埋めないしは閉じ込められた人命は、一般に72時間が勝負と言われている。どんなに酷い震災であろうとも、まず初動の中心課題は人命救出である。道路行政担当者に理解させたいのは、重機を使用するのは人命救助ではなく、実態は遺体の掘り起こしでしかない。重機を使用すると、生きている人を押しつぶす事に繋がる。人命救出は手作業が原則で、使っても比較的小型の機械である。チェーン・ソーや大型のバールや車のジャッキが、一番役立ったといえる。
阪神淡路大震災で生き埋めないしは閉じ込められた人命の8割は、消防のレスキュー隊でも自衛隊でも警察の機動隊によるものではなかった。近隣の一般市民の手で救出されたものである。震災復興費の獲得合戦の為に、防災道路の必要性を説いた道路行政担当者は、人命救出をした市民の爪の垢でも煎じて飲ませなければならない。
1週間後、半月後に奇跡的に救出された人の話もあった。しかし教訓とは、最も激震地にあって、淡路島の北淡町ではその日のうちに1名を残して、総ての町民の安否が確認されていたことである。残りの1名は、いつもなら隣に声を掛けてゆくのに、たまたま黙って神戸に出かけていた人で、翌日には連絡があった。大切なのは、高速道路や幹線道路があって、区画整理が出来ていることではなく、地域のコミュニティーが健全であることである。残念なことには、北淡町でも震災後に区画整理道路が、住民の反対を押して造られた事である。巨額の震災復興費には、コミュニティーの和も破壊されてしまった。
4-4 都市構造と道路行政
道路行政担当者は今でも、震災時に備えて複数の幹線道路の必要を説く。1本で充分の交通容量を確保できても、更に幹線道路を造るというのである。その論理は、国防に於いて最終的に、核兵器を持たねば安心できないと言う論理と同じである。核兵器を持ってみると、核ミサイルの本数を限りなく多くするのと同じである。震災時に住民支援を行わなかった、というより道路建設や区画整理でゼネコン支援に忙しかった道路行政担当者は、支援物資を運ぶ道路が必要と言う。それは住民支援を行わなかったから言えることである。
阪神淡路大震災の時の全国からの、支援物資に込められた気持ちには感謝したい。が、行政職員に言わせるのは酷であるが、支援物資の殆どは役には立っていない。愚かにも、被災地への郵パックを無料にしたので、被災地の市役所は郵パックで埋もれた。置く場所がなくなったので受け取りをストップし、今度は被災地の郵便局を埋め尽くした。結局、市役所と郵便局を混乱に陥れただけであった。被災地では支援物資を仕分け、必要な人に分配できるほどの余裕はないのである。被災地にあって余裕のある人は、支援物資を溜め込み、一生着れない洋服を稼いだり、1年分の紙おむつを集めた。が、住宅を失った人は、自らの家財の置く場所もなかった。未だに市役所の倉庫には、焼却や処分できない支援物資がスペースを取っている。
このように見てゆくと、都市の集中の限界は、大震災の対応の面からも考えなければならない課題である。日頃は自動車公害や、通勤ラッシュで限界を感じながらも、雨漏りには受けるバケツを増やす事で、何とか対応してきた。しかし、巨大地震の前には、そのような対策は微塵に崩れ去るのである。
底なしの小泉・竹中不況に苦しむ関西財界は、大阪の都市集積を高める事で、解決しようとしている。随意性はあるが自動車と言う最も効率の悪い交通手段は、今でも転換すべき交通手段である。しかし、太田知事は石原知事と共に、もっと高速道路をと記者会見するばかり。石原知事などは都心のロードプライシングを発表しておきながら、圏央道は造れと言う矛盾を抱えている。
戦後は地方から都心に、急速に人口移動が始まった。60年代後半には過疎と過密が問題視されだした。しかし都市の集積には歯止めが利かず、70年代に入って地下の開発と高層化に着手しだした。高速道路は高架方式が中心となってしまった。80年代には都市のドーナッツ化現象が言われだした。これは都市が郊外に広がったのではなく、都心はオフィスに占領され、住宅が遠方に押しやられた事を意味する。東京では新幹線通勤などの言葉も出だした。90年のバブルの崩壊で都市集積は終るかと思えば、開発は利益率の少しでも高い超高層ビルに向かった。それでも集積は止まず、都市はスポンジ状の空洞化が顕著になった。そして都市は球状に、上下に拡大している。
これ以上の都市集積をするのであれば、低効率の自動車交通を転換しなければならない。または都市限界を認めて是正するのか。巨大地震は選択を迫っているのだが。
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