阪神間道路問題ネットワーク≪5月例会≫
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川西自然教室≪加茂桃源郷ハイク≫
「5月例会のご案内」でもお知らせしていたように、昨日は川西市加茂の桃畑の散策に行ってきました。まっ、川西自然教室のイベントに阪神道路ネットが合流したというのが実態ですが……。
前日の異常に寒い気象とは一転して、穏やかな暖かいお天気でした。桃の花もちょうど見ごろで、楽しいハイキングになりました。また、加茂の遺跡のある地域とあって、自然教室のリーダーの説明で、歴史学習会も出来ました。
総勢15人のグループが移動し、田園・住宅・歴史街道・寺社を通りました。結構、注目もされ、途中では自宅のバラを自慢するお兄さん(元気な70才)に、写真を見せてもらったり。地元農家の方に、色々と声をかけてもらったり、可愛いお子さんと挨拶を交わしながらの、愉快な行程でした。
川西と言えば飛行機でしょ!
川西市と言えば、最近は忘れられがちですが、伊丹市と共に空港騒音問題があります。DC8やDC10が主力の国際空港の時は、上昇能力が低く、爆音がすごかったのを覚えています。最近の新鋭機は、急角度で上昇してしまい、騒音は随分低減しました。
途中、中国縦貫道の横を通ったのですが、車の騒音の方が気になりました。空港公害被害もそうですが、道路公害は広範囲に及び、まだまだ対策が遅れています。とはいえ、巨大な機体が数分おきに頭をかすめるのには、結構気になりました。
ジャストタイミングの桃源郷
JR川西池田駅に集合して、少し歩いて到着した最初の桃畑です。桜(ソメイヨシノ)のピンクとは、濃さが断然違い、見事な桃の木に、初めての参加者は感動したようです。
若い木や、ソコソコの樹齢のモノもあり、それぞれ見ごたえがあります。自然教室のリーダーの方々は、私には同じに見える桃の木も、樹種の違いがあるようです。
一つ一つの花は、桜とよく似ていますね。また、葉っぱが出る前に咲きそろうのも、同じです。でも、桃の実を収穫するということで、樹高は低く抑えられて、低いところで枝分かれしている姿は、人工的なものとはいえ、桜とは違った雰囲気です。
まっ、濃いピンクが、圧倒的に目を引きます。この花がはらはらと散るかというと、後で書きますがそうではないのですね。
「あのマンションが建っているところも、昔は桃畑だったんです。」と説明されたりしながら、次々に桃畑を渡り歩きました。農家とは明らかに違う、住宅が立ち並ぶ間にも、桃畑はありました。市街化が進み、コンビニやレストラン、ショッピングチェーン店なども、どんどん増えているようです。
「こんな老木も撮ってやって!」と言われて観たのは、まさに奇木でした。根元が朽ちて、折れ曲がり、地面に倒れ込んでいます。が、そこからまた新しい枝が生えています。こんな木からも桃が収穫されるの? だったら、どんな桃か観てみたいですね。
この二枚の写真は、加茂小学校の北にある桃畑の真ん中から、北の花屋敷の山を見たところです。ここの桃畑が面積的に、圧倒的に広いモノでした。
別のブログに、加茂の桃を紹介した時に、よく知る人からコメントを頂き、此処からの眺めが最高だと聞いていました。残念ながら、昨日訪れるまで、満開の時期に、加茂を訪れることができませんでした。さすがに見事でした。
上の写真で、山のふもとに写っている建物は、宝塚造形美術大学です。下の写真で、桃の手前に写っているのは、川西特産のイチジクです。
さて、このお兄さんは、何をしているのでしょうか? 先ほど、桃の花が散るのは……、と書きましたが。じつは、実にする以外の花を、摘花しているのです。摘花が終わるまうに、お花見ができて、とっても幸せだったわけです。
こうして摘花するのも、高い脚立の上で、結構大変な作業のようです。そして、実がなると袋かけ作業があります。桃のお値段が高いのも、うなづけるわけですね。
加茂の遺跡と歴史探訪
これは歴史探訪ではないのですが、えらい古い郵便ポストですね。お墓の入り口にあったので、「霊界への手紙は、此処にお入れください!」なんて、冗談を言うリーダーの方がいました。
この道しるべは、川西市では最古のものだとか。右は小浜(宝塚市)・三田、左は伊丹と掘られていました。ここは街道筋だとか。
ここは旧街道筋ということで、確かに古い住宅が並んでいました。日本建築の、えらい高そうな住宅など……。
【岩田植物生理化学研究所】とか? 結構広い敷地に、何をするのか色々の構造物が見えていました。
「常忍寺」、由緒は知りませんが、結構立派なお寺でした。旧街道筋ならではの、古来の建築が残るお寺でした。
【宮川石器館】、誰でも申し込めば、見学ができるとのことでした。かなりの量の収蔵品があるとか。Iリーダーは、何度か訪れたとのことでした。
巨木が塀の間にありました。何か歴史を思わせるものがあります。
旧街道の突き当りは、鴨神社でした。この一帯が遺跡ということでした。この本殿の裏は発掘したとのこと。本殿の下には、さぞかし重要な遺跡が眠っていることでしょうね。
遺跡のことは、書くのが面倒になってきましたので、看板の写真でご容赦を!
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