『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』斑猫独語(38)**<2010.1. Vol.62>

2010年01月03日 | 斑猫独語

澤山輝彦

<心の貧しさからの回復を願う>

 チェンジチェンジと響きこそよく暮れ、明けましたが、世の中そう簡単にチェンジチェンジと行くことはないと思っていたら全くその通りでございまして、今年も色々問題はまだまだ続くのでしょう。寅年でございまして、私の雑文に付けております斑猫独語のハンミョウでございますが、英語でタイガー・ビートルと言う、トラコガネなのです。クローズアップの顔つき確かに猫より虎です。寅年にちなんだ頭をふった所で、新年おめでとうございます。

 新聞には投書欄というのがある。毎日新聞では「みんなの広場」がそれだ。全国からたくさんの投書があるのだろう。ふむふむその通りよく言うぞというような物から、これがそんなに投書までする問題かなあと思うようなもの、なんだただの自慢じゃないか、というような物まで中身は様々のようだ。この欄、私は題だけは毎日見る。そして、ふむふむ俺も言いたいことだなあ、と言うような題の付いているものは読む。

 毎日新聞2009年12月22日付朝刊「みんなの広場」に次のような投稿が載った。岩手県の無職70才男性、私と同年輩の人の投稿で、「名物の並木道を守れないものか」という題で、東京葛飾柴又の街路樹イチョウが落葉の処理に困った住民からの苦情で伐採されたというのを報道で知って投書されたもので、投稿者の町でも見通しが悪いとメタセコイヤが切り倒されたとあり、街路樹は温暖化を防止し、私達に安らぎを与えてくれる、行政や住民の協力で守れないものかと言い、街路樹を悪者扱いする日本人の心の貧しさを見る思いがすると書いている。川西の私の周辺でも同じようなことが何度も起こり、私は阪神間道路問題ネットワークの例会で度々不満を吐露したが、この人のように新聞に投書は出来ず、まだまだ口だけなのだと思う。甘いのである。

 街路樹などを伐採から守るには、守る声がないとどうにもならない。それがあれば行政も一応その声を聞かねばならず、その上での対策を立てるかもしれない。そこに投書者の言う行政と住民の協力が生まれるのだ。ただそんな事例が数あれば、だれもが「あそこのやり方がここに適用出来ないか」などと思いあたるのだが、文献を探せばあるかもしれない程度では、圧倒的に強い伐れ切れの声に負けてしまうのが現実だ。行政もその声に乗って点をかせぐ方が楽なのである。街路樹の管理や緑を守る心がけを行政が日頃しっかりやっておれば、行政だって苦労しているんだよ、と弁護の一つもしよう。そんな声が出せるはずはない、行政の日常がどんなものか、出ない声が如実に語っているのである。

 日本人の心の貧しさを見る思いがする、という投書者の言葉、考えさせられる言葉だ。我々の周囲には、日本人は花鳥風月を愛し、四季の移り変わりを満喫し、数々の自然と共にある風俗習慣を大事にする、というような言葉があふれており、我々自身日本人とはこんなものだと思っているのである。でも案外そうではないのではないか。さもなければ、街路樹の伐採問題が新聞の投書欄に出ることなどないはずだ。なぜだ、私は思う。自動車が異常な増え方をしてしまった時代が日本人の感性まで変えてしまったのだと。

 落葉がスリップの原因になるから街路樹は邪魔、垣根の植物が見通しを悪くするから伐ってしまえ、は身近に聞いたことだ。同じ理屈で極言すれば歩行者は車にとって邪魔な存在である。歩道がない道路では人が車に遠慮し冷や冷やしながら歩いているのだ。車が遠慮しなければならないのが本当なのに。

 下町の路地には鉢植えの植物を大事に育てて、小さな緑を楽しんでいる光景を多々目にする。そこには日本人の感性が生きているのだ。郊外の新興住宅地、いわゆるベッドタウンこういうものの乱立、それは乱開発の結果生まれたものであるが、そんな所では案外緑を、という感覚が少ないのである。一寸車で走ればそれなりの緑の雰囲気があるから、なにも無理矢理居住地に木々を植え車にとって不便をこうむることはないのである、こんな考え方が盲点のように存在しているのである。盲点というものは互いに隠蔽しあって表面的には全く異常に気づかないのだが、同じように死滅した神経があっても気づかないでいることがある。今、日本人のこまやかな感覚を察知する神経が死滅しはじめたのが露呈してきたのである。いや露呈はすでに過去に見られたのであり、現在はすでに壊疽状態に陥っているおそれがある。怖いことだ。

 私達の運動は省みれば特効薬になった時もありましたが、むしろゆっくり体質を改善して行く漢方薬のような働きをしているのではないでしょうか。今更ながら思うのであります。色んな処方で今年も体力の増強につとめながら、こまやかな神経の増殖をはかり、豊かな自然を味わう繊細な心を涵養しようではありませんか。

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