アッ! パリみたい
三橋雅子
車の切れ目があまりない県道で、横断歩道でもないところを老婆が悠々と渡っている。車は静かに止まり、ゆっくり渡り終わるのを、無論せかす気配もなく見守る。何かと車に追い立てられる気配を感じつけている身には、思わずパリの街の心地よさを思ってしまった。ここは沖縄読谷村(ヨミタンソン)。
歩道を歩いていると、さっきからなんとなく後ろにシャカシャカいう気配を感じてはいたが、向かい側の景に気を取られていた。海まで続くのか、ぼうぼうたる空き地の壮大さ・・・・さすが元基地。ふと振り向くと自転車を押している老人が。こんなに広い道なのに、もしや追い抜けなくて? と脇へ寄ると、「すまんのう」とほんとにすまなそうに、頭を下げて追い越していった。荷台には重そうな荷物が。これが重くて押していたのか、と思いきや、サッと乗って行ってしまった。悪いことしたな、ながいこと。声をかけてくれればいいのに。東京だったら、もっと狭い歩道でも、無言で風を切ってすり抜けていく。この道幅なら両脇を二台が駆け抜けるだろう、携帯片手に。
帰り、同じ道で、またも背後にカシャカシャの気配。今度はすぐによけたが、自転車を降りて押している若いお兄ちゃんが、恐縮して追い越し、サット乗っていく。降りなくたっていいのに。私だって、優に乗ったまま追い抜いていける道幅。これが始終なら、彼らは多分スカスカの車道を行くだろう。しかし人が歩いているということが、恐らく想定外のことで、きっと歩道は彼ら、これも極めて稀な自転車族の専用道路なのだ。
それはパリと違うところ。パリの自転車の多いこと。しかし歩道を疾走する自転車はなかった。それも始めはどうして皆こんなに同じ型と色の自転車に乗るのだろう、と怪訝に思った。たまに超スマートで色鮮やかなのが、これはまたやけにカッコイイ。ある日、この「ドンくさいベージュの同型の自転車ばかり」のなぞが解けた。ずらり並んだ自転車置き場、そこへ次々何やらを差し込んでガチャンと引き出し、サッと乗っていく。また乗り付けた自転車をサッと降りて、ガチャコンとはめ込んではスタスタ歩いて去る。なるほど、これだったのか。バスに乗っていると、始めは建物の景観にばかり気を取られていたが、随所に、多分地下鉄の駅ごとくらいにある模様。日曜日などは、小さいカラフルな自転車が、親が引き出すのを待って、後をチョコチョコついて行く。
東京の歩道は人ばかりごちゃごちゃだから、私の自転車は車道を行く(本来これが正しいはず)。同行者は危ない、危ないとたしなめるが、遥かに安全である。いつかは歩道を走っていたお蔭で、携帯片手に疾走する自転車と歩行者をよけようとして転んで膝を痛めた。どっちもよけなきゃ、という時の機敏な反応がもう鈍っている。
ここ読谷では、すぐに自転車の調達を考えたが、坂が多くて、とても無理・・・と周囲にたしなめられ、いまさら立ち乗りでもないか、と諦めた。六甲山の北側で、ずいぶん坂道を征服したものだが。で、もっぱら歩きで、時には車道を悠々と。草が茂って、あるいは土砂で、とても「歩道」とは言えない所も多々。ここはまったくの車社会、車なしでは暮らせないと思い込んでいるようだ。楽しみな挑戦である。しかし車道を歩いていて、咎め立てするような眼差しを送るドライバーもいない。お蔭で郵便局までの超早足往復の50分や海岸までの散歩で、すぐに5千歩を越してしまう。
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