『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』戦争を話り継ぐ営みを**<2006.3. Vol.40>

2006年03月01日 | 大橋 昭

戦争を話り継ぐ営みを
―― 砂場 徹 著『私のシベリア物語』発刊によせて――

代表世話人 大橋 昭

 昨年は太平洋戦争終戦60周年と言う節目にあたり、8月15日をピークに全国各地で反戦・平和の行事が開催された。しかし残念ながら多くのこうした行事は一過性に終わるものが多く、戦争体験を継承してゆく営みは、遅々として国民的課題となっていない。

 その証拠の一つに1941年12月8日、太平洋戦争開戦の地、アメリカ合衆国ハワイの真珠湾はどこかと問われた日本の若者の一人は『三重県」と答え話題となって久しい。

 戦争体験の有無に関わらず、世代を超えこの60年の間、あの戦争を記憶し語り記録する営みは果たして、十全であったのかと自問せざるを得ない歴史認識が存在している。

 想記されるのは、日本と同じ敗戦国のドイツは自国の戦争責任に関して、日本より高い国際的信用を回復しているのは、第二次世界大戦の真摯な反省と行動が持続されていることであると言われる。

 非戦の営みは毎年夏には自国の青少年たちを、ナチス・ドイツによるユダヤ人600万人の虐殺行為のあった、ポーランドのアウシュビッツ収容所などに派遣し、戦争加害者の立場からの歴史学習を繰り返し、戦争を忘れさせまいとする歴代大統領の姿勢であり、ドイツの『負の遣産」として自らの誤りを直視する教育実践が行われていることである。

 また教育現場では「君たちに戦争責任はないが、二度と戦争を起こさないために、戦争を知る責任がある」ことを徹底して教えるという。ここに同じ侵略戦争を遂行し敗北を喫した両国の戦争責任と平和についての取り組みに温度差を感じる。

 周知の如く日本でも年々戦争体験者が減少して行き、既に戦争を知らない世代が人口の7割を越え、戦争体験の風化が深刻だ。

 こんな時、今年1月に阪神間道路問題ネットワークの前代表の砂場徹さんが、ご自身の戦争体験とシベリア抑留の4年有余の体験を『私のシベリア物語』として上梓された。私たち戦場を知らない世代のためにも、真に時宜に叶った快挙だ。

 『私のシベリア物語』では1945年4月の日本帝国陸軍に入隊され、その出征前夜の家族の壮行会の中で、父親が生還を期しがたい砂場さんに、敗色濃厚の中で非国民呼ばわりの非難も恐れず「徹、死んだらあかんで」と明日戦場に赴く我が息子に語る一言は圧巻だ。戦争の非情さと家族の絆の素晴らしさに感動させられる。

 入隊後の軍隊生活では初年兵を人間として認めず、徹底的に人間性を破壊し戦争のためにのみ役立つ人間への改造過程と、軍隊(内務班)の赤裸々な実態にもショックを受ける。日本帝国の敗北直後から始まる逃避行の中にも軍隊支配秩序が連綿と脈打つおぞましさに、改めて軍隊の正体を見る思いがする。

 そして4年半に及ぶシベジア抑留体験の記録は、理不尽な戦争に翻弄され、幾度も帰国の願望を裏切られた日々の中で、飢えと寒さと重労働に耐えつつ、ロシアの異文化に触れながらシベリアの人々との暖かい交流の描写に癒される心を淡々と語られている。

 これまで上梓された多くのシベリア関連の出版物にない、全編を貫く戦争のない平和な生活への真摯な希求は、「昭和」と言う現代史の貴重な証言としても是非とも多くの若い人に読んで貰いたいと思う一冊だ。

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