『みちしるべ』 by 阪神間道路問題ネットワーク

1999年9月創刊。≪阪神道路問題ネット≫交流誌のブログ版。『目次』のカテゴリーからの検索が便利。お知らせなども掲載。

『みちしるべ』早春に逝く**<2009.2. Vol.56>

2009年02月02日 | 澤山輝彦

早春に逝く

世話人 澤山輝彦

春は名のみの風の寒さや 谷の鴬 歌は思えど
   
 砂場さんの好きな「早春賦」、何度か歌われたのを聞いたことがあります。歌い終わって「ええ歌やなあ」と感嘆されると共に同意を求められたのを覚えています。今年の鴬の初音を聞くこともなく砂場さんは逝ってしまわれました。

 阪神間で道路問題や環境問題と取り組んでいる団体が互いに交流し、経験を語り合い、よい成果を取り入れれば、より力のある取り組みが出来るだろう、そんな呼びかけが川西市北部を通る第二名神高速道路建設計画に反対していた川西自然教室にあり、その初めての顔合わせが、砂場さん宅で行われることになり、川西自然教室から私が行くことになった。バス停から電話をして迎えに来ていただいた。この日が砂場さんとの出会いの始まりで、阪神間道路問題ネットワークの結成に向けた具体的な動きの初日だった。集まったメンバーの自己紹介と活動状況などが話し合われ、意気投合のあとお酒が出された。エンドウの煮物も出たのを覚えている。エンドウの煮物は砂場さんの好物だったのか、後にも何度かいただいたことがある。このエンドウ以後、阪神間道路問題ネットワークには私が出席することになってしまい、砂場さんとの縁が深まるのである。

 阪神間道路問題ネットワークでお付き合いいただいたほかに、砂場さんが長年仲間とやってこられた読書会「軍縮を読む会」にも誘っていただいた。初めての日、砂場さんと阪急梅田の改札口で待ち合わせをして、難波の会場へ行った。参加されていたのは皆もうお年の方であったが、しっかりした物の考え方で、「軍縮問題研究」の読後感から始まり、世情の様々を話し合われていた。皆さん相当な活動をされていたか、されて来た人ばかりなのだろう。私なんかが口をはさむのは身の程知らずである、毎回そんな気がする場であった。砂場さんは、足が痛い歩きにくいと欠席されることが多くなられたが、この会の帰りには、難波か梅田でちょっと一杯というのがまた楽しかった。テキストにしていた「軍縮問題研究」の廃刊と共にこの会も終わってしまった。砂場さんを交えた読書会終了の日がもてなかったのが残念だった。こうして時代は変わっていくのだろう。

 アメリカに新しい政権ができた。少しは世の中変わるのだろうか、期待しすぎることはないと思うが。国内では「派遣切り」という言葉が定着し労働者がなめられている。自民党は揺らいでいる。こんな世の流れを見据えることなく逝かれた砂場さんは、さぞかし心残りだったであろう。
 
 砂場さんにはまだまだ教えていただかねばならなかった。私が「あいつが悪い」なんて事を言うと、砂場さんはよく「敵は誰か、敵をはっきり見極めんと駄目だ」と諭すように言われたものだ。これからと言う時に砂場さんを倒した敵は病であった、これは間違いない。私たちは砂場さんの死という感傷にひたってしまう病に陥ってはならない。砂場さんに堂々と報告出来る活動を今後とも続けて行かねばならないのである。

 砂場さん ありがとうございました。

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